猫と嫁入り

三石一枚

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十七話

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 空の表情がどうであれ、人々は発展したその土地で行進することを辞めない。
 或いは雨が降ろうが、或いは不穏な稲光があろうが、いざ事が始まれば散り散りに建物に避難するものの、事が始まるまでは、如何に空が不気味な顔をしようと見て見ぬふりか素知らぬふりをする。勿論、そういった最悪な状況に応じられる用意をしてきた人達は心配すべきことではないのだろうけれど、見るからにそういった装いをしてない者もちらほらと見受けられる。
 昨日の豪雨前の比較的に朗らかな雨模様の時にしろ、今日のように防雨具を持つものと持たぬもので二分割されていた気がする。応か否か。両極端な状況は昨日と被る。

 なんにせよ、昨日のあの大雨の影響か、空はあまり芳しくない顔をしていた。その気になれば雨を降らせられるけれど、そういう気分じゃない、なんて言いそうなほど曖昧な天気だ。
 雨後は星空を飾ったはずのあの大空は、今日も雲をたずさえて空に居座る。相も変わらず、えらく分厚い雲な事だ。例えるなら畳んだ布団のようである。どこから持ってきたんだろう、あの雲は。昨日のものでは無いことは確かだけれど。
 しかしこうも晴れがないと、水を含んだ土塊もいつまでたっても乾燥しない。折角着飾ったというのに、砂利の子気味のいい音が袴の裾を汚しにかかっているようで、気が気でならない。出で立ちをどれほど小綺麗に努めようと、見てくれに汚れがあったのではどうにもしようがなくなる。

 なんて事を考える昼下がり。私は街の中で一番の高さを持つ電気販売店の下で、背を正して人を待っていた。今更ながらに待ち人を紹介するまではないだろう。昨日の内に既に本日も予定は明かしていたのだから。
 衣は明るい配色の小綺麗なものを着つつ、袴には菊の紋様が美しく施されてある。長い髪を巻く簪も金色と朱色の併せが美しい仕上がりのものだった。見た目は俗に言うハイカラと呼称される色合いではなかろうか。
 正直、顔合わせも三度目となるとさすがに気合が弛れると思っていたのだが、うちもまだまだやる気らしい。言ってしまえば立花家の今後の発展もかかっている大一番なのだから当たり前か。あまり過度な気をかけられても気が引けるのだけれど。

 それにしても、なぜだかこういう顔合わせの時には毎度の事、謎の倦怠感が押し寄せる。まるで狙ったかのようにだ。それほどまでに私は人混みが苦手なのだろうか。個人的にはこの待ち時間が気にならないくらいには雑多を眺めるのは好きなのだが。身体はそういうわけにはいかないようで。
 思えば日常生活においても、あまり優れない日も度々あった。元が病弱な手前、変な病気に罹ってなければいいのだけれど。
 一度や二度程咳き込んで喉の調整を合わせる。何れにせよ、先週のように体調が悪いのでお開きにしましょう、などという失態はもうしたくはない。相手にも悪いし、管理の不届きは疑うまでもなく私の責任である。こちらの都合だけを押し付けて行事の有無を左右させ続けるのも、気にしいな私からするとあまりにも烏滸がましく取れてしまうのだ。というか心配せずとも実際に大変烏滸がましいことなんだけれど。

「明るさを基調に落ち着いた配色の着物ですか。・・・とても似合ってますよ麗かさん」

 ぼうっと雑多を眺め続ける私だったが、ふと後ろからかけられた声に思わず凍りついた。
 意識外からの問い掛けだったからだ。完全無防備と化した背面から名指しで呼ばれたんじゃ、きっと誰だって強ばる。
 待ち人は大通りからやってくるものだと勝手な想像をしていたけど、物の見事に裏を書かれたような絵面となった。

 振り返れば、見知った少年がいた。臙脂色の着流しに薄い茶色の羽織。前回の洋装と比べると、また幾分か落ち着いている服装だ。そのにあるだけで何やら気品が立つような、そんな雰囲気すら携えている。

「お久しぶりです。会えてよかった」

「び・・・びっくりした。既にお待ちだったとは」  

「脅かしてしまいましたか。申し訳ない。実は俺は一刻ほど前からこの店に入り込んでいたんですよ。目を通す程度に店内をみて回っていたのですが、思いの外面白くて」

「そんなに早く・・・なにかご入用ですか?」

「ええ。とは言えど、何かが欲しいから寄ったわけではないのですけれどね。あくまで知的好奇心です。街の発展に生かされた電気工とは如何なるかを知りたくなって。勿論この店の中の商品にも、麗かさんのお家の商品が並んでおりましたよ。ご盛況な所お祝い申し上げます」

「い・・・いえいえ、結構な事で」

 立ち寄る理由ひとつにしても気品さが滲み出てる回答である。どういう生活を送ればこんなお上品な答え方ができるんだろうか。
 電気店であるのだから、うちの製品があるのもおかしい話では無い。とは言えど、そう言われるとこそばゆく感じる。
 誇りには思えないのが私が私たる性なのだろうが。

「それよりどうでしょう、この衣装は。前回の麗かさんの着物に少々魅了を感じましてね。俺も着流し姿というものに挑戦してみたのです。スーツなんかと比べると動きやすくていいですね」

 言って青年は誇らしげにその衣装を私には見せびらかした。
 着流しに挑戦したというとんでもない言葉があった気がしたが。
 普通はその格好が平凡的な服装ではないのか。
 本場の金持ちはもはや着るものすら別次元であるらしい。

「似合っております。なんだか渋さが前に出ているようで」

 実際、私の感性で彼の姿を申し上げさせて頂きますれば、その格好は偽りなく似合っていたと言える。元々の出で立ちが好印象を与える青年なのだから、落ち着いた基調も時に派手な衣装ですらも、きっと彼が袖を通せば、大半がきっちりと型にはまるかのような似合い方をするのだろうと私は思う。
 昨今、服装の種類は多岐に渡って存在し、加えて何れも人を選ぶものが多い。それこそ外見における好む好まざるの感性は人それぞれなれど、玄人目はおろか素人目にしても似合わぬ上下の組み合わせや、外見的にそういう質ではないだろうという、人と服の組み合わせなりなんなりと。
 不思議なことにそんな法則紛いなものすら無視して着こなしてしまう、ある種着丈夫とでも呼ぶべきか、なんとも稀有な特性を持つ人物もいるようではあるが、間違いなく彼はその特性を持っている人であることは確かだ。

「はは、麗かさんに言われると照れますね。お褒めに預かり光栄にございます」

 青年は花が咲くかのような笑顔を見せる。屈託のない笑みだった。

「さて、折角こうやって無事に顔合わせも出来たことですし、また見て回りましょうか。ちょうど今週から開店した甘味屋なんてのもありますし、立ち話もなんでしょうから」

「そうですね。今日もまた時間はたっぷりありますし。ではまたエスコートをお願いしてもよろしいでしょうか」

 彼の言い分に賛成して、私は彼に手を差し出す。

「お任せ下さい」

 と言うと彼は、静かに私の手を取り、糸を絡めるかのようにしっかりと握りしめる。
 右の手のひらに感じる甘い痺れのような圧迫感に、私はそっと握り返す。
 互いを結んだ鎖のような指先同士を絡め合わせたまんま、私達は個々の存在から、今より雑多な人波の一部へと交わり融けていく。
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