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11.つがいと眷属、そして初恋
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膝に手がかけられ、ぽふりと顎が膝の上に乗った。ほど近くに置いてあった左手に舌がのびて、ぺろりと舐められる。
(本当、仔犬みたいね)
熱く柔らかな粘膜が肌を這いまわる感覚はどうにもくすぐったいけれど、「構ってほしい」と全身で訴えるようなその顔は悪くないかもしれない。少なくとも泣き顔よりは精神衛生上いい。
いくぶんか動揺が落ち着いてきた頭でそんなことを思っていると、おもむろにアレクシスの口が一際大きく開いた。
「え」
かぷり。白く大きな犬歯がくっと肌にかかり、離れ、また食い込む。
甘噛み程度だ。痛みはない。
けれど、間違いなく肌に痕が残る強さのそれが、薬指にかかっている。
肌に触れた舌が一層熱く、じゅぷりと粘着質な音を立てた。
(ちがう)
ぞく、と背筋が粟立った。本能が警鐘を鳴らす。
これは、違う。これまでの構ってほしいと甘えてじゃれつく仔犬の仕草ではない。これは。
つがいへの、求愛行動だ。
悟るや否や、サラージュはその身を捻った。
「――ッ!! こら駄目! やめなさいレクシア!!」
腕を払い、窘める。
幸い甘噛みであったからすぐに離れたが、追いすがるようにしてサラージュを閉じ込める檻のように長い腕が細身の両脇へ落ちた。邪魔だ。
眼前に迫った胸板に思わず倒れかけ、力を入れてなんとか上体を保つ。騎士をやっててよかった。こんな状況で実感したくはなかったが。
押し倒されても蹴り上げられないことはないが、ウェイト差で抑え込まれてしまうのはさすがに厄介だ。
(どうして突然……)
眉を寄せたサラージュの首元に、アレクシスがすりすりと頬を寄せる。
「サラ、だめか……?」
「許さないわ。『待ちなさい』」
ぺしっと鼻頭を叩きこむのと同時に魔力を籠めた言葉を吹き込む。愛らしい顔をしていようがここでほだされてはいけないので、毅然とした態度で。
きっと眉をつりあげたサラージュをじっと見て、そのうちアレクシスはきゅうんと一つ鳴いた。ハニーブロンドの頭が遠ざかり、床の上に改めて腰を下ろす。
しょぼしょぼと垂れ下がった耳と、足の間にしまわれている尾を順に確認し、ひとまず息をついた。
窮地は脱したらしい。
(命令が効いた? いえ、拒絶による撤退かも。……身体接触でつがいとしての本能も刺激されているってことかしら。気を付けなくちゃ)
ばくばくと音を立てる心臓の気配を愛も変わらず顔に出さないまま、サラージュはあくまでも強気な笑みを浮かべる。
叱責とはいえ、指示を素直に聞けたのであればしっかりと褒めるのが曾祖母の教えである。さすがに今すぐ撫でてあげる気にはなれなかったので、手は背中の後ろに隠しておくが。
「待てが出来て偉いわね、レクシア。いい子よGood boy。貴方はわたくしの眷属なのだから。おいたをしては駄目」
「おいた……?」
「そうよ。誇り高い狼さん」
「だが、そなたは我のつがいだろう?」
心底理解できない、という顔だ。
なぜ自分の運命に触れてはいけないのか。そんな不満がありありと滲んでいる。
肌に突き刺さるようなそれをいなすように、あくまで穏やかな笑みをサラージュは浮かべた。
「ええ。そうなのでしょうね。ですが、貴方が眷属であることも事実でしてよ。勿論、王族であることも」
発現種に基づく本能と、ヒトとしての立場。
サラージュが優位になる側面と、アレクシスが優位になる側面。
社会性のある生き物でいたいならば、その天秤が釣り合う対等な関係であらねばならない。
――つがいに関して言えば狼人の場合、選択権は雌性側にある。『囲い込み』などの事例から雄性側が優位のように見えるが、求愛を跳ね除けられれば無理やりまぐわうことは出来ない。先ほどの流れから見ても、それは崩れていないはずだ。
もっとも、アレクシスが王族としての立場を振りかざしたならば、サラージュはおそらく反射的にその意思を優先しようとするだろう。なにせサラージュの方こそ幼少からアレクシスをはじめとした王家への主従関係を叩きこまれている身だ。今だって、甘えさせるのはまだいいが、自分の優位性を振りかざす言動を取るたびに怖気が走って仕方がない。
だが、臣下とはただ唯々諾々と従えばいいというものではないので。
うなだれそうな心を鋼の如き忠誠心を以って抑え込んで微笑み続ければ、くしゃりとアレクシスが顔をしかめた。
「サラは、我のつがいで居るのが、いやか」
「あら」
何故、そんなことを聞くのだろう。
ワインレッドの瞳に摩訶不思議な質問だと言わんばかりの色が浮かんだ。
「――いいえ。そんなことはないわ。だってわたくしの初恋は貴方だもの」
言ったことなかったかしら?
その言葉に、アレクシスは小さく息を吸い込んだ。そして、「そうか」と眉を下げて笑った。
笑った、はずだ。
(あら……?)
頬の紅潮、瞳孔の開き、まなじりの涙、緩んだ口元。
それらはすべて想像していた通りの歓喜を象っているというのに、なぜか――ひどく傷ついているように見えた。
(本当、仔犬みたいね)
熱く柔らかな粘膜が肌を這いまわる感覚はどうにもくすぐったいけれど、「構ってほしい」と全身で訴えるようなその顔は悪くないかもしれない。少なくとも泣き顔よりは精神衛生上いい。
いくぶんか動揺が落ち着いてきた頭でそんなことを思っていると、おもむろにアレクシスの口が一際大きく開いた。
「え」
かぷり。白く大きな犬歯がくっと肌にかかり、離れ、また食い込む。
甘噛み程度だ。痛みはない。
けれど、間違いなく肌に痕が残る強さのそれが、薬指にかかっている。
肌に触れた舌が一層熱く、じゅぷりと粘着質な音を立てた。
(ちがう)
ぞく、と背筋が粟立った。本能が警鐘を鳴らす。
これは、違う。これまでの構ってほしいと甘えてじゃれつく仔犬の仕草ではない。これは。
つがいへの、求愛行動だ。
悟るや否や、サラージュはその身を捻った。
「――ッ!! こら駄目! やめなさいレクシア!!」
腕を払い、窘める。
幸い甘噛みであったからすぐに離れたが、追いすがるようにしてサラージュを閉じ込める檻のように長い腕が細身の両脇へ落ちた。邪魔だ。
眼前に迫った胸板に思わず倒れかけ、力を入れてなんとか上体を保つ。騎士をやっててよかった。こんな状況で実感したくはなかったが。
押し倒されても蹴り上げられないことはないが、ウェイト差で抑え込まれてしまうのはさすがに厄介だ。
(どうして突然……)
眉を寄せたサラージュの首元に、アレクシスがすりすりと頬を寄せる。
「サラ、だめか……?」
「許さないわ。『待ちなさい』」
ぺしっと鼻頭を叩きこむのと同時に魔力を籠めた言葉を吹き込む。愛らしい顔をしていようがここでほだされてはいけないので、毅然とした態度で。
きっと眉をつりあげたサラージュをじっと見て、そのうちアレクシスはきゅうんと一つ鳴いた。ハニーブロンドの頭が遠ざかり、床の上に改めて腰を下ろす。
しょぼしょぼと垂れ下がった耳と、足の間にしまわれている尾を順に確認し、ひとまず息をついた。
窮地は脱したらしい。
(命令が効いた? いえ、拒絶による撤退かも。……身体接触でつがいとしての本能も刺激されているってことかしら。気を付けなくちゃ)
ばくばくと音を立てる心臓の気配を愛も変わらず顔に出さないまま、サラージュはあくまでも強気な笑みを浮かべる。
叱責とはいえ、指示を素直に聞けたのであればしっかりと褒めるのが曾祖母の教えである。さすがに今すぐ撫でてあげる気にはなれなかったので、手は背中の後ろに隠しておくが。
「待てが出来て偉いわね、レクシア。いい子よGood boy。貴方はわたくしの眷属なのだから。おいたをしては駄目」
「おいた……?」
「そうよ。誇り高い狼さん」
「だが、そなたは我のつがいだろう?」
心底理解できない、という顔だ。
なぜ自分の運命に触れてはいけないのか。そんな不満がありありと滲んでいる。
肌に突き刺さるようなそれをいなすように、あくまで穏やかな笑みをサラージュは浮かべた。
「ええ。そうなのでしょうね。ですが、貴方が眷属であることも事実でしてよ。勿論、王族であることも」
発現種に基づく本能と、ヒトとしての立場。
サラージュが優位になる側面と、アレクシスが優位になる側面。
社会性のある生き物でいたいならば、その天秤が釣り合う対等な関係であらねばならない。
――つがいに関して言えば狼人の場合、選択権は雌性側にある。『囲い込み』などの事例から雄性側が優位のように見えるが、求愛を跳ね除けられれば無理やりまぐわうことは出来ない。先ほどの流れから見ても、それは崩れていないはずだ。
もっとも、アレクシスが王族としての立場を振りかざしたならば、サラージュはおそらく反射的にその意思を優先しようとするだろう。なにせサラージュの方こそ幼少からアレクシスをはじめとした王家への主従関係を叩きこまれている身だ。今だって、甘えさせるのはまだいいが、自分の優位性を振りかざす言動を取るたびに怖気が走って仕方がない。
だが、臣下とはただ唯々諾々と従えばいいというものではないので。
うなだれそうな心を鋼の如き忠誠心を以って抑え込んで微笑み続ければ、くしゃりとアレクシスが顔をしかめた。
「サラは、我のつがいで居るのが、いやか」
「あら」
何故、そんなことを聞くのだろう。
ワインレッドの瞳に摩訶不思議な質問だと言わんばかりの色が浮かんだ。
「――いいえ。そんなことはないわ。だってわたくしの初恋は貴方だもの」
言ったことなかったかしら?
その言葉に、アレクシスは小さく息を吸い込んだ。そして、「そうか」と眉を下げて笑った。
笑った、はずだ。
(あら……?)
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