わんこ系王太子に婚約破棄を匂わせたら監禁されたので躾けます

冴西

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13.むかしのはなし(1)

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 サラージュ・ネクタルという少女の話をしよう。

 空想から飛び出したお姫様。
 竜と共に駆ける戦乙女。
 氷の如き冷徹の華。
 地位、名誉、武勇、知恵、美貌――すべてを持ち合わせた欠けのない月。

 そんな風に畏怖と揶揄を向けられ続けた彼女の、はじまりトラウマの話を。


 東の国境を守護するネクタル家。その第三子として生まれた彼女は、大人しい子供であった。
 いかにも深窓の令嬢と言わんばかりに日がな花を愛で、本に親しみ、静かに陽だまりの中で咲く。笑う時はころころと鈴のように淑やかで、兄らのやんちゃは傍から見守る方が楽しめる。何かを言いたい時には手近な大人の手や裾を引いて、まろい頬をほのかに赤くしながら「あのね」とこっそり耳打ちする。
 生まれ持った聡明さこそ発露の芽はあれど、その身に色濃く宿った狩人の血を滾らせる日など誰もが想像すらしない。
 そんな、砂糖菓子のような姫君だった。

 その運命の歯車が回りだす、三歳の誕生日までは。

***

 声がした。

 紅玉の大きな瞳を瞬かせて、サラージュはくるりと振り返った。
 後ろをついて来ているお付きの侍女や乳母やが不思議そうな顔をしているのが見えたが、彼女たちの声ではない。まるっこい頭がくりんと傾く。

(……? いない)

 ぴるぴると曾祖母譲りの長い耳を動かしながらじっと目を凝らしてみたが、そこには聞こえたはずの声の主の影も形も見当たらない。
 侍女たちは意地悪をするような人ではないので、最初から犯人の候補には入れていなかった。

「おにいさまのいたずらかしら? もう、こまったこねぇ」

 すぐ上の兄は好奇心旺盛で、いたずらに使えそうな魔法の中で危険性がないものならばサラージュで実験することがある。
 今のもきっと、そうだろう。兄を叱る母の真似をして、またてちてちと幼子は歩き始めた。



「え、イタズラ? 今日はしてないよ」

 そう言って、セルジェはきょとんと目を瞬かせた。
 体はダークブラウンの勉強机に向いていて、手には羽ペン。まさに「勉強しています」という姿勢だったが、てちてちと訪ねてきた幼い妹に返答するや否や羽ペンはペン立てにつっこんだ。そしてその勢いのまま小さな妹の体躯をひょいと膝へと乗せる。歩くのも喋るのも早い子だったが、まだまだ膝にちょこんと収まるサイズだ。幼児特有のぽやぽやとした高めの体温やミルクっぽいにおいなども完備されていて実に可愛い。
 爪もちっちゃいなー、と妹が生まれてから何年経っても変わらぬ浮かれっぷりを晒していれば、それが気に入らなかったのだろう。大きなベリー色の瞳がこちらを向いて、まるまるとしたやわい頬がぷうっとむくれた。うん、かわいいな。

「きこえたもん」
「そう言われてもなあ……どうしよう、シルヴァにい」

 不服そうにぷんぷんとミニチュアサイズのあんよをサラージュがばたばたさせる。まったく痛くないが、落ちてしまったら大変だ。ひやひやと支えながら、斜め後ろで自分が脱走しないよう見張っていた兄シルヴァに声をかける。
 おっとりとした気質の兄はゆるりと微笑みながら首を傾げると、サラージュに目線を合わせるようにすとんとカーペットに膝をおろした。

「セルジェは本当にここで勉強詰めだったから、そんな隙なかったはずだけどなあ……ラージェ、どんな声が聞こえたんだい?」
「んう? ……んー、わかんない」
「わかんないかあ」
「えっ、ボク濡れ衣??」

 にこーっと朗らかに笑いあう兄と妹にぎょっとする。いや、心当たりはあるけれど。思わず飛び出した言葉に兄が呆れた眼差しをよこす。何を言われるかだいたい想像がついたセルジェはついっと視線を斜めに逸らした。

「母上たちにいっつも叱られてるのに何度もやるから『よくわかんないことはセルジェの悪戯』って覚えちゃったんだよ。これを機に大人しくしなさい」
「はぁい。シルヴァ兄さまは真面目でちゅねー」
「セルジェ」
「ははは! ラージェ。次変な声聞こえたらボクを呼びな。ゴーストとかならぶっ飛ばしてやるからさ」

 窘める兄を躱して膝の上のお姫様に笑いかければ、ぱちぱちと大きな目が瞬く。それからセルジェの笑顔をじいっと見つめ、にぱっと笑った。

「まあ~かっこいいわねえ」
「あはは、かーわい。母様の真似っ子? そ。かっこいいおにいさまが守ったげるからねー」

 ぽふんとちいさなもみじの手が胸の前で合わさって、感心したように舌足らずな声がぴょんぴょこ跳ねる。見覚えも聞き覚えもありすぎるそれは、母の仕草によく似ている。
 自分にも兄にもない可愛さは間違いなく母譲りだ。きっと将来はとんでもない人たらしになる。
 そんなことを思いながら、セルジェはぽやぽやとあったかい妹の頬についばむようなキスを落とした。きゃっきゃとはしゃぐ声が耳をくすぐる。

 この子がどんな怖いものにも脅かされることのないように、明日の誕生日にはとびきりの祝福の魔法をかけてやろう。
 少年魔法使いはそんなことを思いながら、今度はつるりとしたおでこに唇を落とした。
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