霊装探偵 神薙

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第一章 幻核生物

六話 苦笑い

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「いいか、星。机を拭く時は中央から拭き始めるのでは無く、へりから端をなぞり、中心を囲うように拭いていくんだ」
 相変わらず神薙は眉間に皺を(しかも二本も)刻み、星宮を叱咤していた。
 あの事件から一夜明けた望月探偵事務所は、だが、今日も今日とて平常運転であった。
「わ、わかりました。す、すみません。お、お義母かあさん(汗)」
「いつから嫁と姑の関係になった」
 朝の漫才にっかを頼まれもせずこなす神薙と星宮に対し、書類整理をしたまま、望月所長がにこやかな笑みを浮かべる。
「はっはっは。相変わらず後輩の指導に余念が無いね」
「俺は星宮こいつを一人前にする使命に燃えているんです」
「ほぅ? 神薙君にしては熱い表現だね」
「えぇ、いつ引退しても後を任せられるようにと――」
「ちょっと! ボクまだ半年も勤めていない上、短時間労働者パートタイマー何ですけど!」
 昨晩由来の寝不足とたかぶりのせいか、いつも以上に不毛な遣り取りが続く中、所長が時宜タイミングを見計らいながら、
「――そうそう。その土萩君の容態に関して、連絡があったよ」
 その言葉を聞き、同時に所長へ向き直る。
「搬送先の病院の診断の結果。まず、飢餓浮腫きがふしゅ(広義の栄養失調)の状態にあり、さらに胃がかなり荒れていたらしい」
 神薙が頷く。
「背負った際、標準ふつうの男子高校生よりもかなり軽く感じたのは、そのためだったんですね」
 星宮が唇に手を当てつつ、
「だ、大丈夫だったんですか?」
「あぁ。適切な治療に加え、ご両親も常に付き添っているとのことで、回復傾向にあるよ」
 星宮はある胸を撫で下ろし、隣の神薙を眺める。顔色一つ変えず、安価なソファに身体を沈めたままだ。
 艶のある黒髪を揺らしながら、
「薙君のおかげだね」
 喜色に溢れた微笑ほほえみを、不機嫌そうな相棒へ向ける。
「俺一人の功績じゃない。――それに、無事云々もだが、幻核生物の事をきちんと忘れているかも気がかりだ」
「た、確かに」
 星宮の顔が小さく曇る。
 それを気遣ってか、所長は冷めかけのお茶を口へ運びつつ、
「……人間の身体は体内に入った異物を排出するように出来ている。例えば合成樹脂プラスチックとかね。協会曰く、幻核生物の記憶も似た感じで、常人には忘却しやすい性質らしいから、大丈夫と思うよ」
 神薙は言い分を認めつつ、少し遠い目をして、
「ただ、あまりにも明瞭に視認してしまったり、映像記録に残ると、その消去は難しいみたいですがね」
 神薙の言葉を聞く星宮の表情は、外の穏やかな天気とは対照的であった。
「……うん」
 所長も安いお茶請けの個装袋を剥がしつつ、
「――にしても、その泥みたいな幻核生物はなぜ築羽団地に、しかもどうして土萩くんをさらったりしたんだろうね?」
「幻核生物の行為や存在を正しく理解することはまだまだ困難です。協会ですら手を焼いており、形態も思考論理も何もかも不均一。何を目的にどこから来るのか……」
 ――知らない、理解できない――、
 幻核生物の撲滅、それは霊装能力者達が担う使命の一端であったが、その道のりは険しく、果てしない……。
 所長は、室内の暗い雰囲気オーラを打ち消すように、
「そうそう、協会から連絡で、報酬は今日中に二人の口座に振り込むらしいよ。――でだ、諸君!」
「「はい?」」
「君達が不在の時に、迷子犬捜索の依頼があった。受けてくれるだろうか?」
 中抜きの心配が無い依頼のためか、喜々とした表情の所長は、犬の写真と詳細が書き記された一枚のペラを机にの上に置く。
「! ボク、犬好きなんで、全然引き受けます!」
「……星、そういう場合は全然ではなく、喜んで引き受ける、といった表現の方が日本語として――」
「所長さん。早速、薙君と二人で行ってきますね!」
「――なっ、おい待て。俺は協会への報告書作成でほとんど寝ていないんだ。それにこの手の依頼はお前の霊装リワインドで簡単に……」
「じゃぁ、行ってきま~す!」
「おい星っ、人の話を!」
 所長がにこやかに手を振る中、昨日の朝の情景とは真逆の様相で、事務所を飛び出す星宮と神薙。
「見て、薙君! 雲ひとつないよ!」
 外は陽光で満ちた心地よい暖かさで溢れているが、不機嫌な神薙の表情は、工事現場のように凸凹と隆起していた。
「――えっと、まずどこに行こうか?」
 だが、大きな瞳にソレは視認されておらず、星宮はさもありなん、っと問う。
「率先して飛び出したお前が俺に聞くな! ……まずは最後の目撃情報があった葉堤町に行くのが筋だろうが!」
 本気の怒声、と茶目っ気あふれる笑い声が、今日も今日とて、月桑町の隅にて響く。
 彼らの行く先にどんな幸せが、あるいは困難が待っているのだろか――。
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