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第5節 焔の鐘楼
25話 火が生きる場所
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汗がつたう。碧落から響く聴き馴れない風の音と、肺に出入りする熱い大気が、私を無理矢理に寝醒めへと呼び起こした。温かい床石に手を押し付けて、汗玉を額に浮かせつつ起き上がる。
「っ?」
どこだ? 無垢なる霊廟とは全く異なる場所にいることだけは瞬時に理解出来た。灰色の退色した雲が遥か頭上を殴るように早く流れいく。自分は城郭の、――いや塔の、突き出された縁側にいる様子であった。
手すりにあたる土塁から下を覗く。遥か下にて、どこからか湧き出ている黒い煙雲が不気味な雲海を形成して、下界のあらゆる情景を遮断していた。
視線を水平に戻すと、遥か遠方にて、自分がいるであろう塔と酷似したものが三、四本ほど見える。どれも土気色の城郭建築、――っというよりはもう一世代前の粗野な、あるいは原始的な建築方法であるような気がした。
変わった点が一つ。どの塔も最上層に巨大な窯のような建造物が据え付けてあり、その中で、巨魁な炎が、差し詰め業火のサラバンドを踊るがごとく、けたたましく燃え盛っていた。
飛び降る火の粉が目に入らぬよう、手をかざしつつ薄目にて、塔のさらに向こう側を視ると、白い群峰が薄ら見えるが、驚異的な距離感を感じた。
ここが地上より垂直に高い位置にある、特異な場所であることは認識できた。
「ふ、あ」
もう一度、自身が立つ塔の上層へかけて目をやる。押し並べて言うならば、壁の色は他の塔より黒くくすみ、旧く感じられた。各階層ごとの広さは不明瞭だが、都市の広場くらいはスッポリと収まりそうだ。また、頂部が灰色の雲に突き刺さり視えないことより、高さについては間違いなく他より抜きんでいる様相だ。
外観の目視は一旦区切り、塔内部への小回廊を覗き込む。内部壁面に一定間隔で設置された松明と、まるで塔内部から発せられるがごとき、熱の輝きのとでも言おうか、それらのおかげで、散骨洞とは真逆に充分以上の明度が得られそうであった。
早くもつたう汗を拭いつつ、おそらく、いや間違えないだろう、【焔の鐘塔】へと足を踏み入れる。
「うっ」
小回廊は直線的で、塔の中心へ向かっている感覚であった。
回廊の両側に、おおよそ十ヤード(※約九メートル)程の間隔で扉が設置されていた。人工物であろうこれらの内部であれば、詰所あるいは武具庫や物品置き場、可能性は低いが礼拝堂《カペレ》などが浮上した。――いずれにせよ、その一つ一つを無策に検める気にはならなかった。
燃える魔物の胃袋のごとき道を、さらに真っ直ぐに進むと、大きな空間へ繋がってゆくのがわかる。その途中で、ふと足を止める。
――ガシャ、ガシャン、ガシャ。
鎧を帯びた何者かの足音が聴こえる。建物の構造がよくわからず、反響の具合も不明のため、最も手近な扉を押し開けて飛び込み、見つかる前に慌てて閉める。
バタン。
姿を隠せて一安心する。――に、しても、とにかく喉が渇く。熱く乾いた大気が、かつてない程に身体中の水分を奪い蹴る。それにより、なけなしの水分は汗となり、全身を濡れ鼠のようにする。濡れた法衣は、身体に密着し、胸部や腰回りなど、身体の曲線を無意味にひけらかせた。こたびの巡礼において、熱さの苦悩は始終つきまとうだろうな、っと覚悟する。
室内を見渡すに、幾多の木箱が迷路を形成するがごとく積み重なっていた。万が一に備えて、隠伏する場所へ目星をつける。扉越しに足音が聴こえて来たため、忍び足にて奥方へと姿を消す。
「?」
部屋の隅奥にて、蓋の付いた藍色の水甕を認める。ゴクリ、と生唾を飲み込む。期待せずに、重い蓋をそっと外すと、内部には透明な水が並々と満たされているではないか。矢庭に飛びつく、――のをググッと我慢する。
毒や妙液である可能性がある以上、一旦、銀杯に注ぎ、くゆらせて飲むべきだ。
「っ」
最早、外の足音などに意識を割けていなかった。銀水の熟成を待つ忍耐の意志は、氷程度のもので、茹だる様な室内の熱によって、容易に溶解してしまった。
乾きは既に限界で、銀杯の浄化作用の有無を確認せず、震える手で栓を外す。筒の中には澄んだ液体が暗くも照り輝き、踊るように水面を震わせた。
――ゴクッ。ゴクッ!
お、美味しい。理性を取り戻した時に既に半分以上を飲み干していた。慌てて体調の異変を注視するも、どうやらただの純水であったようだ。剽軽骸骨殿がいたら何を言われているか想像も出来ない現状だが、小さくほころぶ。
喉を潤した後、再びなみなみと銀水を満たした後、廊下への警守を再開する。
「ぅ、ん」
廊下より物音は聞こえない。出来得るだけ静かに扉を開けて、猫から逃げ惑う鼠のように、忙しげに首を振りつつ、回廊の様子を伺う。
警邏? は広間へ戻ったのか、あるいは他の小部屋を巡回しているのか、いずれにせよ、今を逃してはなるまい。
大気そのものが熱源のような回廊を壁沿いに進むと、先ほど知った大きな広間に出た。
「ぁ!」
構造的に塔の中心部と思われた。広間の中心には町の鍛冶屋が容易に収まるほどの大穴が開いており、下層から上層への吹き抜けとなっていた。
手摺りが無いため、落下を危惧して近寄っての注視は行わなかったが、吹き抜けから上層を見上げるに、同じ構造がさらに上まで続いている様子であった。
下階も似た傾向だが、時折上がってくる火の粉の隆盛を感じるに、やはり下へ進む選択肢は無さそうだ。
視線を戻し、警邏がいなさそうな左側の回廊へ、一か八かの進入を試みる。早くも滝のような汗をが身体を伝いつつも、運よく小回廊へ入り込む。
先と同様、やはり無数の扉が並んでるが、その道のずっと先に小さな階段が視て取れた。
「っ」
肺に侵入する熱い大気を物ともせずに、全速力で駆け寄る。螺旋型の階段となっており、耳でもって上層の様子を伺いつつ、一段一段がやや大きめの階段を登りゆく。散骨洞ではひたに下へ進んだが、今回は上へ進まざるを得ない情勢だ。
次の階層は下とはやや異なり、ほぼ一つの室が階層の大半を占めているように思えた。中央の吹き抜けは相変わらずだが、まず用水路に通う水のごとく、燃えたぎる溶鉄が、冷え固まるのを拒絶するように、室のそこかしこの鉄の側溝を、捕食者のように這い進んでいた。それら炎の川の上を、熱せられた煉瓦の端が何ヵ所も架かっており、遮蔽物と言えば、鉄柵や中途半端な石壁くらいのものであった。
また重要な施設なのか、二カ所に溶鉄の泉が存在し、重装甲を着込んだ警邏が、溶鉄を汲み上げては特殊な壺へ注ぎ、二人一組で別箇所へと運搬していた。その用途も気になる所だが、連中の着ている鎧についても、興味が惹かれた。騎士が装着する物より、妙に流線型の形状をしており、それはかつての噂に聞く、遥か東方にて主君へ忠誠を尽くす、サムライと呼ばれる戦士らの甲冑の要素を包含している様に思えた。
「し、ぅ」
――にしても、やはりこの熱気には参る。喉や肺が焼き付くかのような熱に、参り気味に銀水を飲み、髪の汗を絞りつつ状況を精査する。
さっきから警邏と呼称しているが、そもそも侵入者たる存在を警戒していない様子であった。作業に取り掛かっていない警邏は数える程しかおらず、さらに立ち昇る陽炎は幻影の役割を果たし、視界をぼやかせた。
よし、っと低い姿勢のまま、連中の動きを特に観察しつつ、壁伝いに移動していく。
「ぅ、ふ」
家二件分ほど移動しただけで、汗が目に入る。また熱くて赤い枷が足により、歩行を妨げられるのは致し方なかった。
陽炎に揺れる眼前の先に、開いた扉が見て取れた。他の回廊や室へと続くものと思われ、さらに階段ならばしめたものと進む。
この灼熱の空間からの離脱を第一に目指すも、いささか行き当たりばったり過ぎる道程であることを、薄々感じてはいた。しかし、建物構造が分からず、見取り図も無い以上、任務を忠実に全うする警邏の行動範囲に用心しつつ、上層へ階段を探す他あるまい。
「っ」
開いた扉へ吸い込まれるがごとく入る。絶え間なく吐き出す荒い溜息を慰めるため、銀水を舐め、肩を上下させつつ周囲を見やる。
そこは資材置き場のようであり、燃えない鉄箱が、狭い空間へ敷き詰められていた。雑多に積まれたそれらを、非力な婦女子の手で動かすことも開けることも困難である一方、見上げた土気色の天井の一部に、妙な違和感を覚える。
――ザッザッザ。
絶え間なく耳へ入る、大部屋からの足音に警戒心を保ちつつも、やはり、天井の奇妙な不調和部分へ目が走る。他に目立った物は見当たらない。硬い鉄箱を足場に――熱っ――なん、何とか天井へ触れ得る場所まで移行する。
「ぁ」
細い腕に力を込めると、埃をこぼしつつも天井の一部分が外れる。やがて女か子供ならば、何とか潜り込めそうな穴が出来上がる。
――どうする? 大部屋へ戻っても、結局は熱と警邏共から、逃げ惑う危うい状況が続く公算が高い。ならば、暗く狭い天井裏を、鼠のごとく伏して進むのが良計であろう。
よいっしょ! 間口にて引っかかる、胸部と臀部に黙りつつも、頼りにならない腕力を頼りに身体を持ちあげて入り込む。
埃――っというか煤が散見されるも、汚れなどいとわず、芋虫が枝を這うように肘を用いて進む。
三度目の咳き込みを抑えた頃、聞き慣れない遠い音が耳へ入り込んでくる。
カーン、キーン。
「?」
鋭利な刃が互いを傷つけんと手早く、強く打ち付け合っているかのような鋭い音に聞こえる。音源を探るに、前方の格子よりこぼれ響いて来る気配があり、顔を近づけて下の室の様子を確認する。
格子の隙間へ目を落とすに、先の大広間とは異なった部屋であった。真下にて、警邏が、何やら鉄製の大弓を強く引き、射撃を行っている。角度的に標的は視認できないが、何かしらの敵対勢力に対してであろうか?
にしても、一体誰に? 詳細を望むも、覗き方をいかに頑張っても射線の先を知り得る事は出来なかった。その間も、先に聞こえたであろう鋭い音が、――そうか、剣戟か?
どう判断を行うのが正解なのだ。敵の敵は味方? そんな直線的に考えるのは危ういか。しかし、巡礼の道のり上、この警邏達は少なくとも障害だ。
ならば、――銀水を口に含み、出した答えは――。
ガッ、コン。
精一杯の力でもって格子枠を外す。敵であろう対象への射撃に気を取られているな。よし、それではっ、
「え、ぃ!」
頭上に対してはほぼ無警戒状態の警邏の兜を目標に、足先での打撃を目論み飛び降りる! ――が、身体の出っ張り二カ所がここでもつっかえてしまい、――うわっ!
ヒュ、ゴン。ゴニュ? ドッ、シン!
……臀部を摩る頃には、なんとか強打が完了していた。熱い石床と私の、――やや大きめの尻に頭を挟まれ、気絶したようだ。
――にしても、武というもの関しては、つくづく無能だなと、情けない様相で尻を撫でつつ、改めて室内を見渡す。
縦に長いの室のようで、だが側面部分には大人一人分ほどの段差があり、さらに鉄柵によって中央通路と隔てられていた。どうやら先ほどの弓兵は、側面通路のやや高所から射撃をしていた様子だ。
自身は部屋の中腹の側面に降り立っていた。剣戟の行方を視線にて探るに、――! 三体の警邏が倒れており、戦闘は終了した様子であった。唯一膝を突いている人影へ、焦点を合わせる。
「ぅ?」
剣を杖代わりに、呼吸を整えている人影、――いや騎士は、光が降り注ぐような場景が描かれたフリューテッドアーマーを着込み、兜に関して、一般的なアーメットヘルムでは無く、グレートヘルムのごとき寸胴の形状であった。
背格好はおそらく、私より頭二つ分ほど大きく、鋼鉄製のアーミングソードと鉄の円盾を所持する。その似姿は、まさ、か――、
「あっ!」
気がつけば柵に乗り出して、ぶんぶん、っと大仰に腕を振って呼びかける。
念じた想いは通じなかったようだが、大弓の警邏がなぜ射撃してこないのかに疑問に思ってか、こちらへゆるりと兜を向ける。
「――おっ、おお! 貴女であったか。た、助かった。久しい、な」
山塞の頂上の渡橋以来の再会に、文字通り胸を躍らせる私は、だがどうも騎士ことソリスさんの動静が気になった。
付近で倒れ伏す警邏との大立ち回りや熱さによる心身の労は見てわかるが、それにしても、彼が剣を杖に膝を突くなどと。
「フゥ、ハァ」
やはり妙だ。――柵に胸を乗せつつ、はしたないが、娼婦のごとく足を振り、柵を跨ぎ飛び降りて、彼へと駆け寄ろうとするも、下に見える用水路のごとき溶鉄路が行く手を阻む。
梯子か階段はと探す内に、遠くから鉄が打ち鳴る音が聞こえてくる。別部隊か?
もう一度、彼へ視線を送るに、声を出すのも辛いのか、重そうにガントレットごと腕を持ち上げて、指にて扉を指し示す。
そこへ向かえと? ――だが自分だけが安全確保、などという思考には到底行き着かず、急ぎ走り――あっ、短いが梯子だ――を降りて駆け寄り、抱き起こそうと力む。
「ぬ、ぅ。婦女子に肩を借りるなど、騎士の、名折れよ」
今はそんなことを言っている場合ではないと、彼の腕と腋の間へしゃがみ入り、立ち上がろうとする。
――も、彼自身の重さに加えて鎧分が加わり、歯を食いしばって立ち上がろうとするも、汗が噴き出るばかりであった。
「う、んっ」
だがそれでも、絶対的な恩人のため、今奮起せずしていつやるか、っと悪魔の形相で歯を食いしばると、やがてガチャリと重い音と共に何とか立ち上がれる。
「わた、私は良いから、貴女は先に、あの、扉の部屋へ隠れ給え」
震える彼との小さな歩幅に合わせて歩くことにより、その言葉を拒否していることを示す。
「う、ぐぅ。すま――」
ガチャン。っと肩に力を入れて、甲冑が引き起こす金属音をわざと鳴らし、その謝罪の言葉を打ち消す。
礼節は美徳であるが、だが彼は、――うまく言えないが、もっと自身へ心を砕いて欲しいと思った。
鉄製の扉前まで辿り着くと、彼をそっと壁へ預ける。無意味に腕まくりをして気合いを混入した後、体当たりでぶつかる。先程聞こえた足音が、増援と仮定するならば、急を要する。
硬い鉄の扉と真逆な柔らかい身体は、驚くほどに役に立たなかった。――だが、大事な……お、恩人の窮地にて、気概を示さねば、女が廃るっ。
「んっ、ぐ、ふ」
およそ婦女子に似つかわしくない表情と息づかいを無様に晒しつつ、だが扉も根負けしたか、静かに開放できる。
ガコン。――粗い建築設計も手伝い、何とか二人して室内へと入れる。木炭など燃料材の貯蔵庫であろう室内にて、申し訳ないが彼を引きずりつつ、急ぎ扉を閉めて、奥へと運び隠れる。
「この、恩義は、我が剣にて、返、そう。――などと、は、はは。だいぶと格好悪いなぁ」
仰向けにて寝かせるに、鎧に大きな毀損は認められず、出血の後なども見当たらない。辛うじて剣と盾を握りつつ、息も絶え絶えな様子であった。豪胆なソリスさんにしては、やはり何か引っ掛かる。
「す、すまぬ」
いくども上下する胸の甲冑を見やりつつ、だが私は――。
「っ?」
どこだ? 無垢なる霊廟とは全く異なる場所にいることだけは瞬時に理解出来た。灰色の退色した雲が遥か頭上を殴るように早く流れいく。自分は城郭の、――いや塔の、突き出された縁側にいる様子であった。
手すりにあたる土塁から下を覗く。遥か下にて、どこからか湧き出ている黒い煙雲が不気味な雲海を形成して、下界のあらゆる情景を遮断していた。
視線を水平に戻すと、遥か遠方にて、自分がいるであろう塔と酷似したものが三、四本ほど見える。どれも土気色の城郭建築、――っというよりはもう一世代前の粗野な、あるいは原始的な建築方法であるような気がした。
変わった点が一つ。どの塔も最上層に巨大な窯のような建造物が据え付けてあり、その中で、巨魁な炎が、差し詰め業火のサラバンドを踊るがごとく、けたたましく燃え盛っていた。
飛び降る火の粉が目に入らぬよう、手をかざしつつ薄目にて、塔のさらに向こう側を視ると、白い群峰が薄ら見えるが、驚異的な距離感を感じた。
ここが地上より垂直に高い位置にある、特異な場所であることは認識できた。
「ふ、あ」
もう一度、自身が立つ塔の上層へかけて目をやる。押し並べて言うならば、壁の色は他の塔より黒くくすみ、旧く感じられた。各階層ごとの広さは不明瞭だが、都市の広場くらいはスッポリと収まりそうだ。また、頂部が灰色の雲に突き刺さり視えないことより、高さについては間違いなく他より抜きんでいる様相だ。
外観の目視は一旦区切り、塔内部への小回廊を覗き込む。内部壁面に一定間隔で設置された松明と、まるで塔内部から発せられるがごとき、熱の輝きのとでも言おうか、それらのおかげで、散骨洞とは真逆に充分以上の明度が得られそうであった。
早くもつたう汗を拭いつつ、おそらく、いや間違えないだろう、【焔の鐘塔】へと足を踏み入れる。
「うっ」
小回廊は直線的で、塔の中心へ向かっている感覚であった。
回廊の両側に、おおよそ十ヤード(※約九メートル)程の間隔で扉が設置されていた。人工物であろうこれらの内部であれば、詰所あるいは武具庫や物品置き場、可能性は低いが礼拝堂《カペレ》などが浮上した。――いずれにせよ、その一つ一つを無策に検める気にはならなかった。
燃える魔物の胃袋のごとき道を、さらに真っ直ぐに進むと、大きな空間へ繋がってゆくのがわかる。その途中で、ふと足を止める。
――ガシャ、ガシャン、ガシャ。
鎧を帯びた何者かの足音が聴こえる。建物の構造がよくわからず、反響の具合も不明のため、最も手近な扉を押し開けて飛び込み、見つかる前に慌てて閉める。
バタン。
姿を隠せて一安心する。――に、しても、とにかく喉が渇く。熱く乾いた大気が、かつてない程に身体中の水分を奪い蹴る。それにより、なけなしの水分は汗となり、全身を濡れ鼠のようにする。濡れた法衣は、身体に密着し、胸部や腰回りなど、身体の曲線を無意味にひけらかせた。こたびの巡礼において、熱さの苦悩は始終つきまとうだろうな、っと覚悟する。
室内を見渡すに、幾多の木箱が迷路を形成するがごとく積み重なっていた。万が一に備えて、隠伏する場所へ目星をつける。扉越しに足音が聴こえて来たため、忍び足にて奥方へと姿を消す。
「?」
部屋の隅奥にて、蓋の付いた藍色の水甕を認める。ゴクリ、と生唾を飲み込む。期待せずに、重い蓋をそっと外すと、内部には透明な水が並々と満たされているではないか。矢庭に飛びつく、――のをググッと我慢する。
毒や妙液である可能性がある以上、一旦、銀杯に注ぎ、くゆらせて飲むべきだ。
「っ」
最早、外の足音などに意識を割けていなかった。銀水の熟成を待つ忍耐の意志は、氷程度のもので、茹だる様な室内の熱によって、容易に溶解してしまった。
乾きは既に限界で、銀杯の浄化作用の有無を確認せず、震える手で栓を外す。筒の中には澄んだ液体が暗くも照り輝き、踊るように水面を震わせた。
――ゴクッ。ゴクッ!
お、美味しい。理性を取り戻した時に既に半分以上を飲み干していた。慌てて体調の異変を注視するも、どうやらただの純水であったようだ。剽軽骸骨殿がいたら何を言われているか想像も出来ない現状だが、小さくほころぶ。
喉を潤した後、再びなみなみと銀水を満たした後、廊下への警守を再開する。
「ぅ、ん」
廊下より物音は聞こえない。出来得るだけ静かに扉を開けて、猫から逃げ惑う鼠のように、忙しげに首を振りつつ、回廊の様子を伺う。
警邏? は広間へ戻ったのか、あるいは他の小部屋を巡回しているのか、いずれにせよ、今を逃してはなるまい。
大気そのものが熱源のような回廊を壁沿いに進むと、先ほど知った大きな広間に出た。
「ぁ!」
構造的に塔の中心部と思われた。広間の中心には町の鍛冶屋が容易に収まるほどの大穴が開いており、下層から上層への吹き抜けとなっていた。
手摺りが無いため、落下を危惧して近寄っての注視は行わなかったが、吹き抜けから上層を見上げるに、同じ構造がさらに上まで続いている様子であった。
下階も似た傾向だが、時折上がってくる火の粉の隆盛を感じるに、やはり下へ進む選択肢は無さそうだ。
視線を戻し、警邏がいなさそうな左側の回廊へ、一か八かの進入を試みる。早くも滝のような汗をが身体を伝いつつも、運よく小回廊へ入り込む。
先と同様、やはり無数の扉が並んでるが、その道のずっと先に小さな階段が視て取れた。
「っ」
肺に侵入する熱い大気を物ともせずに、全速力で駆け寄る。螺旋型の階段となっており、耳でもって上層の様子を伺いつつ、一段一段がやや大きめの階段を登りゆく。散骨洞ではひたに下へ進んだが、今回は上へ進まざるを得ない情勢だ。
次の階層は下とはやや異なり、ほぼ一つの室が階層の大半を占めているように思えた。中央の吹き抜けは相変わらずだが、まず用水路に通う水のごとく、燃えたぎる溶鉄が、冷え固まるのを拒絶するように、室のそこかしこの鉄の側溝を、捕食者のように這い進んでいた。それら炎の川の上を、熱せられた煉瓦の端が何ヵ所も架かっており、遮蔽物と言えば、鉄柵や中途半端な石壁くらいのものであった。
また重要な施設なのか、二カ所に溶鉄の泉が存在し、重装甲を着込んだ警邏が、溶鉄を汲み上げては特殊な壺へ注ぎ、二人一組で別箇所へと運搬していた。その用途も気になる所だが、連中の着ている鎧についても、興味が惹かれた。騎士が装着する物より、妙に流線型の形状をしており、それはかつての噂に聞く、遥か東方にて主君へ忠誠を尽くす、サムライと呼ばれる戦士らの甲冑の要素を包含している様に思えた。
「し、ぅ」
――にしても、やはりこの熱気には参る。喉や肺が焼き付くかのような熱に、参り気味に銀水を飲み、髪の汗を絞りつつ状況を精査する。
さっきから警邏と呼称しているが、そもそも侵入者たる存在を警戒していない様子であった。作業に取り掛かっていない警邏は数える程しかおらず、さらに立ち昇る陽炎は幻影の役割を果たし、視界をぼやかせた。
よし、っと低い姿勢のまま、連中の動きを特に観察しつつ、壁伝いに移動していく。
「ぅ、ふ」
家二件分ほど移動しただけで、汗が目に入る。また熱くて赤い枷が足により、歩行を妨げられるのは致し方なかった。
陽炎に揺れる眼前の先に、開いた扉が見て取れた。他の回廊や室へと続くものと思われ、さらに階段ならばしめたものと進む。
この灼熱の空間からの離脱を第一に目指すも、いささか行き当たりばったり過ぎる道程であることを、薄々感じてはいた。しかし、建物構造が分からず、見取り図も無い以上、任務を忠実に全うする警邏の行動範囲に用心しつつ、上層へ階段を探す他あるまい。
「っ」
開いた扉へ吸い込まれるがごとく入る。絶え間なく吐き出す荒い溜息を慰めるため、銀水を舐め、肩を上下させつつ周囲を見やる。
そこは資材置き場のようであり、燃えない鉄箱が、狭い空間へ敷き詰められていた。雑多に積まれたそれらを、非力な婦女子の手で動かすことも開けることも困難である一方、見上げた土気色の天井の一部に、妙な違和感を覚える。
――ザッザッザ。
絶え間なく耳へ入る、大部屋からの足音に警戒心を保ちつつも、やはり、天井の奇妙な不調和部分へ目が走る。他に目立った物は見当たらない。硬い鉄箱を足場に――熱っ――なん、何とか天井へ触れ得る場所まで移行する。
「ぁ」
細い腕に力を込めると、埃をこぼしつつも天井の一部分が外れる。やがて女か子供ならば、何とか潜り込めそうな穴が出来上がる。
――どうする? 大部屋へ戻っても、結局は熱と警邏共から、逃げ惑う危うい状況が続く公算が高い。ならば、暗く狭い天井裏を、鼠のごとく伏して進むのが良計であろう。
よいっしょ! 間口にて引っかかる、胸部と臀部に黙りつつも、頼りにならない腕力を頼りに身体を持ちあげて入り込む。
埃――っというか煤が散見されるも、汚れなどいとわず、芋虫が枝を這うように肘を用いて進む。
三度目の咳き込みを抑えた頃、聞き慣れない遠い音が耳へ入り込んでくる。
カーン、キーン。
「?」
鋭利な刃が互いを傷つけんと手早く、強く打ち付け合っているかのような鋭い音に聞こえる。音源を探るに、前方の格子よりこぼれ響いて来る気配があり、顔を近づけて下の室の様子を確認する。
格子の隙間へ目を落とすに、先の大広間とは異なった部屋であった。真下にて、警邏が、何やら鉄製の大弓を強く引き、射撃を行っている。角度的に標的は視認できないが、何かしらの敵対勢力に対してであろうか?
にしても、一体誰に? 詳細を望むも、覗き方をいかに頑張っても射線の先を知り得る事は出来なかった。その間も、先に聞こえたであろう鋭い音が、――そうか、剣戟か?
どう判断を行うのが正解なのだ。敵の敵は味方? そんな直線的に考えるのは危ういか。しかし、巡礼の道のり上、この警邏達は少なくとも障害だ。
ならば、――銀水を口に含み、出した答えは――。
ガッ、コン。
精一杯の力でもって格子枠を外す。敵であろう対象への射撃に気を取られているな。よし、それではっ、
「え、ぃ!」
頭上に対してはほぼ無警戒状態の警邏の兜を目標に、足先での打撃を目論み飛び降りる! ――が、身体の出っ張り二カ所がここでもつっかえてしまい、――うわっ!
ヒュ、ゴン。ゴニュ? ドッ、シン!
……臀部を摩る頃には、なんとか強打が完了していた。熱い石床と私の、――やや大きめの尻に頭を挟まれ、気絶したようだ。
――にしても、武というもの関しては、つくづく無能だなと、情けない様相で尻を撫でつつ、改めて室内を見渡す。
縦に長いの室のようで、だが側面部分には大人一人分ほどの段差があり、さらに鉄柵によって中央通路と隔てられていた。どうやら先ほどの弓兵は、側面通路のやや高所から射撃をしていた様子だ。
自身は部屋の中腹の側面に降り立っていた。剣戟の行方を視線にて探るに、――! 三体の警邏が倒れており、戦闘は終了した様子であった。唯一膝を突いている人影へ、焦点を合わせる。
「ぅ?」
剣を杖代わりに、呼吸を整えている人影、――いや騎士は、光が降り注ぐような場景が描かれたフリューテッドアーマーを着込み、兜に関して、一般的なアーメットヘルムでは無く、グレートヘルムのごとき寸胴の形状であった。
背格好はおそらく、私より頭二つ分ほど大きく、鋼鉄製のアーミングソードと鉄の円盾を所持する。その似姿は、まさ、か――、
「あっ!」
気がつけば柵に乗り出して、ぶんぶん、っと大仰に腕を振って呼びかける。
念じた想いは通じなかったようだが、大弓の警邏がなぜ射撃してこないのかに疑問に思ってか、こちらへゆるりと兜を向ける。
「――おっ、おお! 貴女であったか。た、助かった。久しい、な」
山塞の頂上の渡橋以来の再会に、文字通り胸を躍らせる私は、だがどうも騎士ことソリスさんの動静が気になった。
付近で倒れ伏す警邏との大立ち回りや熱さによる心身の労は見てわかるが、それにしても、彼が剣を杖に膝を突くなどと。
「フゥ、ハァ」
やはり妙だ。――柵に胸を乗せつつ、はしたないが、娼婦のごとく足を振り、柵を跨ぎ飛び降りて、彼へと駆け寄ろうとするも、下に見える用水路のごとき溶鉄路が行く手を阻む。
梯子か階段はと探す内に、遠くから鉄が打ち鳴る音が聞こえてくる。別部隊か?
もう一度、彼へ視線を送るに、声を出すのも辛いのか、重そうにガントレットごと腕を持ち上げて、指にて扉を指し示す。
そこへ向かえと? ――だが自分だけが安全確保、などという思考には到底行き着かず、急ぎ走り――あっ、短いが梯子だ――を降りて駆け寄り、抱き起こそうと力む。
「ぬ、ぅ。婦女子に肩を借りるなど、騎士の、名折れよ」
今はそんなことを言っている場合ではないと、彼の腕と腋の間へしゃがみ入り、立ち上がろうとする。
――も、彼自身の重さに加えて鎧分が加わり、歯を食いしばって立ち上がろうとするも、汗が噴き出るばかりであった。
「う、んっ」
だがそれでも、絶対的な恩人のため、今奮起せずしていつやるか、っと悪魔の形相で歯を食いしばると、やがてガチャリと重い音と共に何とか立ち上がれる。
「わた、私は良いから、貴女は先に、あの、扉の部屋へ隠れ給え」
震える彼との小さな歩幅に合わせて歩くことにより、その言葉を拒否していることを示す。
「う、ぐぅ。すま――」
ガチャン。っと肩に力を入れて、甲冑が引き起こす金属音をわざと鳴らし、その謝罪の言葉を打ち消す。
礼節は美徳であるが、だが彼は、――うまく言えないが、もっと自身へ心を砕いて欲しいと思った。
鉄製の扉前まで辿り着くと、彼をそっと壁へ預ける。無意味に腕まくりをして気合いを混入した後、体当たりでぶつかる。先程聞こえた足音が、増援と仮定するならば、急を要する。
硬い鉄の扉と真逆な柔らかい身体は、驚くほどに役に立たなかった。――だが、大事な……お、恩人の窮地にて、気概を示さねば、女が廃るっ。
「んっ、ぐ、ふ」
およそ婦女子に似つかわしくない表情と息づかいを無様に晒しつつ、だが扉も根負けしたか、静かに開放できる。
ガコン。――粗い建築設計も手伝い、何とか二人して室内へと入れる。木炭など燃料材の貯蔵庫であろう室内にて、申し訳ないが彼を引きずりつつ、急ぎ扉を閉めて、奥へと運び隠れる。
「この、恩義は、我が剣にて、返、そう。――などと、は、はは。だいぶと格好悪いなぁ」
仰向けにて寝かせるに、鎧に大きな毀損は認められず、出血の後なども見当たらない。辛うじて剣と盾を握りつつ、息も絶え絶えな様子であった。豪胆なソリスさんにしては、やはり何か引っ掛かる。
「す、すまぬ」
いくども上下する胸の甲冑を見やりつつ、だが私は――。
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