毒の微笑

チャイムン

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7.ギリアン子爵長女アーシアの旅立ち①

 五年前、アーシアが九歳の夏、エイダ侯爵家から帰ってきた我が娘を見てキースは「育ちとはこれほど違いを生むのか」と呆然とした。

 物静かで落ち着いた上品な所作、打てば響く才気、それでいて控え目な優しい気性。使用人への気遣いも細やか。
 エイダ侯爵家とギリアン子爵家では家格も当然だが資産も違う。気風も大きく違う。

 アーシアは侯爵家で望める最高の教育を受け、最高の待遇を受けて育った。

 エイダ侯爵家夫妻、ホルヘルとキルシュは堅実な性格で、資産家だが決して奢ることなく無駄を省いた質素倹約を心掛けた生活を営んでいた。
 度々厨房で手ずから料理し、刺繍だけではなく自ら小物から服まで仕立て上げる祖母キルシュに習い、アーシアは基本的な家政を教え込まれていた。

「状況はいつ変わるかわからないわ。例え市井に下ることになっても困らないだけの知識は必要よ。それに女主人は家政がどのように行われているか知る必要があるわ」
 キルシュはそう言うのだ。

 それでも茶葉から服装の生地仕立てに至るまで、子爵家にはできない上質なものを使用していた。

 付け加えると、アーシアの生活の資金は未だエイダ侯爵家が出しており、そのほとんどは九歳の頃からアーシア本人に任されていた。
「いずれ家計を司るのだから、まずは自分の賄いを管理することで準備する」という建前だが、その実はアーシアに不自由はさせたくない祖父母の心遣いでもあり、浪費家のヨランダに食い潰されないためであった。
 アーシアは祖父が出した資金をやりくりし、その詳細を毎月提出している。
 そしてその資金がなければ、キースはアーシアにドレスの一着も与えられない。キースが資金を出せば必ずヨランダとシンシアが我先にと要求し、結局アーシアに回るものがなくなるのだ。
 それはキースの心に棘となって刺さった。両親は妻を御せない自分を諫めているのだ。

 実際にヨランダの浪費で家計が厳しいのだ。エイダ家からはアーシア可愛さで別途資金援助を受けており、ヨランダとシンシアがアーシアを攻撃するたびに、キースは胆が冷えてたまらない。アーシアが祖父に訴えれば、資金援助は止められるだろう。

 今年になってカッツェの社交界デビューの準備の不手際があり、キースは直に父ホルヘルに厳重な叱責を受けた。
 カッツェの正装を仕立てるに当たって、シンシアとヨランダの我儘な横槍が入り、あわや正装の新調ができなくなりそうになったのだ。

 カッツェのために仕立て屋が入ると、シンシアが「あたしも!新しいドレスが欲しい!」と強請り、暴れた。宥めるキースの努力も空しくヨランダがシンシアと自分のドレスを作ってしまったのだ。そしてヨランダは言った。

「カッツェの正装はあなたが着たものを取り寄せればいいではありませんか」

 正装にも流行はある。しかし資金の工面がつかず恥を忍んで父に泣きついた。
 結果、エイダ侯爵家がカッツェの正装を調えてくれた。
 キースの力では望むべくもない最高のものを。

 普段からアーシアのものはエイダ侯爵家が調えている。だから一見地味で控え目なアーシアのドレスは生地から最高級。
 昔から控え目な服装を好んだアーシアは、今はおとなしやかな飾りと言えばサッシュ・ベルトだけのガブリエル・ドレスばかり着ていた。柔らかなシルクやリネン生地で色は白、ブルー、グリーンが主であった。

 実はこの胸下でサッシェをゆったりと結ぶガブリエル・ドレスは、アーシアの密かな悩みを隠すためでもある。

 ヨランダに似た小柄で細身のアーシアだが、昨年あたりから乳房が成長し始め、柳腰と相まって目立つことが恥ずかしくてならないのだ。
 なるべく胸のふくらみが目につかないように、毎朝サッシュの結び具合に苦心している。

 なるべくワレン王国で衣装を調えたいという主張は、日々変わっていく体つき故でもある。
 シーラン風のウェストを強調した上半身をぴったりと覆うドレスでは、あっと言う間にきつくなってしまうだろう。

(太りやすい家系なのかしら?ギリアンのお祖父様もヤスミン大叔母様も妹のシンシアもふくよかだもの。このまま膨らんでいけば、せっかく望んでくださったスリヤ殿下は後悔なさるかもしれない)

アーシアは不安に思うのだ。

 十四歳のアーシアは次女シンシアの十歳のお披露目会の後で隣国のワレン王国へ、表向き交流のため実際は仮の婚約者のためにワレン王国風の儀礼を学ぶために出立することになっている。
「仮」というのも表向きで、お相手の第三王子スリヤに強く望まれ求婚された実質的には「正式」なものだ。

 スリヤはアーシアより六歳年上、現在二十歳。何ごとも滑らかに進めば、留学から帰った一年後、アーシアは十七歳、スリヤは二十三歳で婚儀を行う運びとなる。
 アーシアは十歳のお披露目後、貴族の子女に課されている、十歳から十二歳までの子供同士の社交のお茶会を最低限しか催さず、また出席していない。
 最初の年は社交好きなヨランダが何度か取り仕切ったお茶会が催され、他家のお茶会にも参加を余儀なくされた。この社交シーズンが終わる前にアーシアは辟易してしまい、次の季節は自分が取り仕切れるようにエイダ侯爵経由で手をまわしてもらった。

 アーシアはこの初めてのシーズンで悟ったのだ。
 どんなに心を尽くしても、目立たぬようにしても、妬みや嫉みから逃げられないことを。
 ヨランダやシンシアに意味なく疎まれているように、ただ存在しているだけで自分を上げるために他者を下げる人種がいることを。

 自分で開くお茶会は極力、誰かが虐げられることないことのないように心を砕いた。
 家格を笠に着て意地の悪い言動を、家格が下の抵抗できない者に行う者がいるのだ。
 それを見つけるとアーシアはやんわりと場の空気を変え、どちらも不快にならないようにする術を学んだ。そして次からは意地悪な振る舞いをする者を招待することを避けた。招待もうまく口実をつけて断るようになった。

 アーシアのお茶会はほとんどをエイダ侯爵家で行っていたので、同じ年ごろの令嬢の憧れになっていた。

 しかしアーシアは極力社交を避け、勉学の時間を増やし、王都にいる間は王立図書館に籠るようになった。

 スリヤは三年前にシーランへ留学し、王立図書館でアーシアと出会った。
 十七歳のスリアと十一歳のアーシア。

 当時アーシアは近隣数か国語を学び、流暢ではないもののそれなりに話せた。
 今ではかなり巧みになっている。特にワレン国の言葉は。

 二人は度々図書館で会い、拙いながらワレン語で対応するアーシアを微笑ましく思ったスリヤは母国語を教えた。アーシアはシーラン語の古典を教えた。話すうちにお互いに好意を抱いた。
 スリアは好意以上の気持ちを抱き、(共に生涯を過ごすならばアーシアがいい)と求婚の意思を固めた。
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