淡青(一話完結)

魑魅魍魎

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淡青

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淡青
1.
 雪、雪、氷。あたり一面に広がる白銀の風景はもう見慣れたものとなったが、改めて見てみるとなかなかさびしいものである。自分とその相棒の権能によるものとはいえ、ついこの間大精霊としてこの地に降り立ったときとはずいぶんな変わりようだ。生き物のひとつやふたつ、いてもいいものではないだろうか。あまりにも味気がなさすぎる。
 此処、"峡谷"の統括を任された大精霊、それが自分と相棒だ。統括と言っても別段すごいことでもない。誰かから言われたわけでもないが、自分たちが任されたのは此処の管理であろう。しかし前述のとおり生き物の影もないのだ。特にすることもない、今日も相棒と話をする、寂しげなこの風景を見渡す。

 しかし、こんな凍てついた世界にも、何やら生き物が訪れるようになった。白く光り輝く小さな生き物の群れ。同じく白いその羽の存在を金の色が示している大きな生き物の群れ。白銀の世界に溶け込む生き物たちはこの寂しかった峡谷を鮮やかに各々おのおのの声で満たしていく。
 この声にももう慣れたある日、小さな焦げ茶の点が色のなかった世界に降り立った。

 峡谷の世界に封じられていた精霊を次々と開放していく焦げ茶は自由に飛び回る、様々な場所に蝋燭ろうそくの光を残して。
 次第に焦げ茶の数は増えていく。高く飛ぶ者、低く飛ぶ者。声の高い者、低い者。背の高い者、低い者。
 焦げ茶以外の色も増えていく。太陽の光を閉じ込めた黄、吸い込まれそうな青、他の光を拒む黒。
 いつのまにかこの峡谷はさまざまな生き物と色と音とで溢れていた。同時に自分のすべきこともいくぶんか理解した。この世界の精霊を開放すべく旅してまわる彼らに試練を、試練をいくつも通り抜けた者にはその証を与える。この地に降り立ったときとはまったく違う退屈のしない日常が自分と相棒を待っていた。

 彼らは自分たちにいろいろなものを教えてくれた。大精霊と言えど、なんでも知っているわけではない、寧ろこの地から離れることは許されないのだから他の世界の事はほとんど知らないのだった。孤島で生を受けて初めて羽をはばたかせたときの感動から、黒く恐ろしい竜の事まで。行ったことのない場所なのに、その場所のことをたくさん知っていることを嬉しく思い、また自由に羽ばたける彼らを羨ましくも思う。
 いつのまにか日ごとの試練を終えたあと自分たちの元へ立ち寄る彼らから聞く話を楽しみにしていた。
 彼らはいつも逢いに来てくれる。昨日も、今日も、きっと明日も。

2.
 ある日のことだ。日の試練を終えた小さな焦げ茶が自分たちのところへやってきた。何やら大事そうに手に光るものを柔く握っている。しばらく隅のほうでもじもじしていたが、決心したように焦げ茶は自分たちのもとへ駆け寄って口を開いた。
「──あ、あの...大精霊様...」
「どうした」
相棒は他の者と話をしているようだから自分が返事をする。
「すみません...あの...これ...大精霊様たちに...」
 小さな手が開かれ、中から金色に光る羽のついた小さな生き物が出てきた。此処の生き物ではないのだろう、この寒さでぐったりしてしまっている。
「これは?」
「えっと...雨林で捕まえてきたちょうちょ、です」
「ちょう、ちょ。なるほど、これがあの話に聞いていたものか」
「大精霊様たちはお仕事の都合で他の場所に行けないと聞いたので...せめて生き物だけでも、と」
 話を聞くと、石壺から出てきたものを捕まえて此処に来るまで試練の時もずっと握っていたらしい。なるほどそれもあってぐったりしてしまっているのだろう。そうこうしているうちに話を終えて他の者を見送った相棒が面白そうだとこちらへ駆け寄ってきた。物珍しそうにちょうちょを見つめた後相棒がつぶやく。
「ほう。これがちょうちょ」
「─っ、はい」
「しかし、此処の生き物ではないだろう。少し、いやかなり弱ってしまっている、元の生きていた場所に返したほうがいいのではないか」
 相棒はそう続ける。焦げ茶はその話の途中から手をわなわなと震わせている。
...おい。
 それはそうなるだろう。自分たちの事を思ってわざわざ此処まで大事に持ってきたのに、それを返せと言われてしまっては傷もつく。今更それに気づいたのか相棒はドキっとしてこちらに目をやった。
いや、そんな目で見られても...
 助けてくれ、と言わんばかりの視線に耐え兼ねてとりあえず焦げ茶に声をかける。
「すまない、相棒も悪気はないんだ。ただ少し不器用なだけで...気にしないでくれ」
「いえ...こちらこそすみません...勝手に持ち込んでしまって」
「気持ちはうれしいさ。しかし相棒の言った通り此処は少々ちょうちょには寒すぎる」
 そう言って焦げ茶の手からちょうちょを受け取って大精霊の権能の一部を使う。
「......わぁ...綺麗...」
「おいお前、ここで力を使ってそのちょうちょをどうするつもりなんだ」
「まぁ見ていろ」
 ちょうちょの色が金色から青みを帯びた色に変わっていく。氷の力によるものだ。ちょうちょは動きを一瞬ぱたりと止めてそのあと元気に羽ばたいてあたりをひらひらと飛び始めた。
「えっ」
「...あぁ、なるほど」
 焦げ茶が驚き、相棒は納得したような表情になった。権能の一部でちょうちょにこの環境に適応する力を与えたのだ。これで弱って消えてしまうこともないだろう。
「さあ。これでこいつはここでも生きていける。ありがたく受け取らせてもらうよ」
「は、はい...!ありがとうございます、ほんとうに!」
 焦げ茶の顔が一気に明るくなった。ちょうちょは焦げ茶と自分たちの間をひらひらと舞い続けている。このちょうちょは、日の試練を完了した者たちへの祝福を与える者としてここに居てもらおう。

 元気に飛び立っていく焦げ茶を見送った後、段差に腰を掛けて相棒と話す。
「いや、まさか捕まえてくるとは」
 相棒がちょうちょに目をやりながら驚いたような、嬉しいような声で話しかけてくる。
「ああ。さすがに驚いたな。しかし微笑ましい」
「そうだな。ははは」
「お前は笑い事じゃない。まったく、人に助けを請うのもいいが...」
「いや、すまない。お前は何かとそういうのが上手いからなぁ」
 あきれて笑い声が漏れる。大精霊ふたりの笑い声が円形の石造りの建物の中で反響する。今日はなんだかいつにも増していい気分だ。

 淡い青色のちょうちょは今も峡谷の試練を終えた者を祝福するように舞っている。寂しかった峡谷の風景はだいぶにぎやかになった。
 そこのあなたも、ぜひ訪ねてみては如何だろうか。
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