眠獅伝

七歩敦

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眠獅伝

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眠獅伝
 安寧のある日、我が国の太陽が隠れてしまわれた。民はこれを悼み涙し、群臣もまたその様であった。同じ頃、私は若き主の従者をしていた。
『今日、我が精神(たましい)が亡くなった』
と、静かに主は私にそのように仰った。私は、卑しきこの身からそれについて口にすることについてのおこがましさと多少のためらいを抱いたが、それらを含めて
『帝が御子様の精神であるならば、私の精神は、皇子様でございます。たしかに帝は現世(ここ)を去られましたが、御子様の御心には在らせられます』
 というもはや言葉による災難を避けるに相応しい範疇のものに留めたがその胸の内には、主の精神のよりどころの喪失などよりさらに気掛かりなことがあった。それは、主の身の上である。主は、去帝の四人の皇子の中の末子でありながら、唯一の正室の子である。従っては、この国における治天の君としての白羽の矢が立つことは、避けられぬ運命だからである。しかし、去帝は、その地位の継承の順を諚めた勅書はおろか継嗣の指名すら成さずに崩れた。つまり、去帝の遺児によって君の地を巡る争いが起こりうるのである。しかし主を推し擁護する臣の派もなく、主人においても、私のような卑しき身の従者のほかを除いては家来などおらず、他の皇子のような財も私兵も有してはいなかった。この私の憂いは現実となった。
 去帝が崩れて一年ののち、喪が明けると新たな帝が立った。万臣、万民は、万土において国家皇帝とその一族の弥栄を願い喜んだ。帝は第二皇子の慶仁(けいじん)がなった。第一皇子の律(りつ)は、慶仁を推す野蛮な臣に謀殺された。第三皇子の明(めい)は、流行り病にて死した。第四皇子の心、つまり我が主は、半ば左遷されたに近い扱いを受けることとなった。その理由は、三つある。まず皇帝の死により精神を病んだ主の母が自害し果てたこと、次に主を擁立しようとした者がなかったこと。そして慶仁の即位を揺るぎないものとした『勅書』が現れたことである。しかしその勅書なぞ嘘偽りであることは白日の元に明らかであったが、正当な”大義”の前に現れたとって付けた”大偽”を疑う者はいなかった。いや、疑う必要がなかったのだ。慶仁は、気が弱くうまく傀儡にすることができる。奸臣の言うがままに政治を行おうとする。都合が良いのだ。しかし打って変わって我が主は仁と正の義を抱き、不正を嫌い、真面目で勤勉な者であった。しかし未だ幼く未熟な部分があった。甘い蜜を吸いたがる大臣(むし)たちには、その存在を鬱陶しく思う者ばかりであった。慶仁、大臣の目論見通りその申すがままに政を行った。その一つに我が主を遠方の国境を防衛する軍の将軍に任ずる。つまり事実の左遷であった。しかし主は、それを兄君に訴えることなく、抗うことなく、ただ静かに受け入れた。
 我が主、勅命を奉じて夜がまだ明けやらぬ都を発つ。軍の将軍には似つかわしくない鎧に着られる幼い”将軍”を嘲笑する者もあった。また従者、護衛、その他供回りを含めて二百にも満たない行列であった。皇族の将軍が今までになかったわけではない。しかし記録上もっとも見窄らしいまるで罪人の配流の列に似た一行に護衛され主は遠方を目指す。主の一行を目にした民の中には、左遷だ。可哀想だ。と無数の刃を僅か十四の少年に向けて放った。少年は、静かにその幼さの抜けぬ眼でただ前を見ていた。主は、父を失い、母は精神を患い自害し、それだけでも堪えるものがありながら、彼を支え守ろうとする者はなく、受け継ぐべき父系の遺産は、大層な官職を与えられ兄やその奸臣から虐げられ奪われた。さようであるから、もはや主は都から離れるしかなかった。その処遇は、誰の目においても見るに耐えぬものがあった。『運命であった』などの言葉で片付けることのできないそれを私は、悲しく思った。これがこの少年の運命なのかと、あるべき姿なのかと。今この目に映る少年は、果たして正しい姿なのかと自分に問うたのであった。
最果ての京城の門を出てしばらくして列は、宿街に至った。その夜、主は、私を床に呼び付けた。私はこれに応じて参上した旨を伝え部屋に入った。すると主は、嗚咽をもらした。強く健気な主もやはり十四歳の少年なのであった。主は、言う
『父も母もない私は可哀想なのだろうか。私は何がために生きているのか。私はこれ以上何を失えばいい。一つ失えば連なって他も失う。私が非力だからか、私に価値がないからか。答えてくれ』
とこの難解な運命を紐解くに最適な言葉も当てられぬ悲しい境遇を嘆いていた。私は、僭越ながらと前置きをした上で
『私は、長く皇子に仕えて参りましたが、一度もその身を哀れだと思うたことはありません。かえってその御身も御心にも深く敬服しております』といい、続けて
『帝と大臣の行いは、罷り通る正義ではありません。天により今に裁きがあります』
『これが私の天命だったのか』
 悟りの境地かはたまた別の極地にたどり着いたような言葉に私は驚いた。
『皇子様、誰しもが己が天命を知りません。生まれ落ちたその日には泣くしかできぬ赤子であってもやがてその天命を知り、あるべき姿を追い求めた者が聖なる君主となりあるいは勇猛果敢な万軍の将となり、または知と徳に優れた賢者あるいは民の正義となるのです。生まれ落ちた場や身の処遇を恨むこともありましょう。己が非力を恨み、哀しみ、それに打ちひしがれ、立ち止まることもありましょう。されとて御顔を前へ向き、受け入れ、立ち向かい、それに打ち勝つことを繰り返し真の己を勝ち取るのです。己が存在や功績は周りが認めますが己の心の在るべきは、皇子様自身、その御心が決めるのです。』と語るほかなかった。主の苦悩を知ったその夜から三十五日の後、我々は国境の城に着いたのである。それよりは明くる日も明くる日も賊や外患戦い続けた。いつ終わるやも知らぬ悪夢に私は苦悩した。主も同様であった。
 時は流れ主が国境防衛の任についてより六年が経った。幼き少年は、聡明な青年となった。しかし主は都に呼び戻されることは一度としてなかった。
 そのような中、主は私を重要な職に取り立ててくださった。主の左においてそのお世話を司る職である。これは我が人生最大の名誉であった。しかしそのような尊き御方の存在は、主の兄や万民に忘れられていたのだろうか、否、彼らは忘れざるを得なかったのだ。主が国境にやられてすぐ、彼を正統な世継ぎであると主張する者もいた。しかし、皆あらぬ罪で処刑された。皆、それを恐れた。我が主は、その報を聞くたびに涙し、その度に兄を諌める文をしたため送った。書き出しは、決まって『親愛なる兄君様、お変わりありませんか』であった。己を左遷した兄への恨みつらみなどない純粋な兄を想う弟の手紙であった。しかし、これに一切の返事はなかった。今思い返せば、一度だけ、都より使いが来たことがあった。使者は、文を二度と寄越すなといった皇帝の意を主に伝えた。主の顔が沈み切ったのは言うまでもあるまい。私は、この使者の旨を聞いた際に凄まじき憤りを宿した。この胸を灼きつくそうとせんばかりの赤い感情は、都に蔓延る悪に対する嫌悪とも取れた。なんとしても都の奸臣を除き、皇帝を廃し、あるべき皇帝を位を取り戻さねばならないと思うた。しかし、それらの邪悪に抗う術は私にも主にもなかった。科せられた不条な理を首枷のようにつけられ、この辺鄙な国境の地に捕らえつけられている。それに抗うことはもはやできないのだろう。
このことについて幾年かの後に当時皇帝の座す(おわす)宮に仕えていた者から聞いた話であるが、この手紙は一度も皇帝には渡ったことはないと。私はさしずめ悪しき大臣の群れが、皇帝が気を変えて我が主を呼び戻すことがないように、我らの蜜吸を阻害する正義の帰還を実現させぬがための謀略に違いないと理解した。その時、思うた。主の兄を想う気持ちは、報われなかったのだ。届けられなかったのだ。哀れだ。あまりに惨すぎる扱いに私は言葉を失った。兄をひたすらに想う気持ちでさえも無に帰されるのかと。私が主であったらどうだろう。この仕打ちに怒らずにはいられようか、いやいられまい。私なら謀反を思うだろう。そんな卑しき私には、この仕打ちに幾度も耐え、幾度も静かに受け入れる崇高な主にいかなる言葉をもかけることが憚られた。加えて、兄もまた哀れなのだ。なぜなら弟の澄み切った直向きな気持ちを最後まで知ることはできなかったのだから。都の兄は、何を想うていたのだろうか。苦悩していたのか。弟を思うていたのか私の想像では、語ることも察る(はかる)ことも難しい御心のうちをいつか聞いてやりたいとさえ思うた。
 都より文止めの使者が来てしばらくしたある日、主は、死んだ。虚しく死んだ。苦しんで死んだ。綺麗で淡麗で繊細な主は、赤く染まった。自ら死んだのではない殺されたのだ。兄は弟を裏切った。奸臣に負けた、弟を疑った、あれほどの仕打ちをしながら最期は暖かく迎えることなく、ただ冷酷かつ残虐に殺した。私は、卑怯で汚く卑劣、下劣、この世の如何なる蔑む(さげすむ)言葉を贈ろうとも贈り足らぬこの世の中の塵を見た。私はこの怒りを今も忘れることができない。この発端は、主の元へ都より勅書が送られてきたことであった。勅書には、任を終え都に帰することが諚められ主はこれを喜ばしく思っていらっしゃった。またそれとは別に皇帝よりの親書が添えられていた。親書には、自身の妻の懐妊のほか伝えていなかった自身の継嗣の存在を告げる旨が記されていた。主は、甥の誕生を知らされていなかったのだ。この宣告は同時に皇帝の位にあるべき血統に戻ることはないということを告げているのだった。されど主は普通の叔父のように喜び笑みをこぼしていた。私は驚きにあわせてそれがこの上なく幸せであった。久しく見ることのできなかった主の笑みを私は私は今も忘れることができなかった。我ら護衛数百騎、従者その数六百は数える、主が籠は豪華絢爛にして国境の城より都を目指し出立した。主の側の衛士および用人を仰せつかった私に事あるごとに興味深い話をしてくださった。例えば、王が仁のある政治を行い泰平なときに現れる神聖な生き物である麒麟や瑞獣などの話、特に記憶にあるのは眠れる獅子の話である。眠れる獅子とは、その強大な資質や才を十分に発揮することができておらぬ者のことであると優しく、私に教えてくださった。そのとき私には、主が眠れる獅子であることの確かさを信じた。かつて主が辺鄙に追いやられた際に、私が己に問うたそれに的確に被せることができる言葉との出会いに、感動を抑えることができなかった。主ならば、聖君となる。瑞獣をも呼び寄せる我が国の太陽になると、我が精神は黄金に昂っていた。しかしそのような現実的理想は、水面の上の泡、朝露の如く儚く掻き消されたのである。それは、辺鄙を出ておよそ三十九日が経過したときであった。
 我ら一行は、予定より七日遅れた暮れの頃、都に入った。当然その報は、皇帝にも届けられた。皇帝は、ただちに使者を遣し(よこし)明日宮殿に昇るように主に申し付けた。主、これを了承した。その日の宵闇、私は主に召され寝室に入った。主は、最後に話しをしようと私に言い私を近くまで寄せた。
『最後とはなんでしょうか。皇太弟殿下』
『私は、明日死ぬやもしれぬ。もしそうであってもお前は悲しまないでほしい』
『なにをおっしゃいますか。そのような戯けたことなど休み休みおっしゃってください』
『戯言などではない』
その一言は、一瞬のように二人を静寂で取り囲んだ。ただ宵闇とその中を物憂げに歩く雨の足音が聞こえた。静かに重々しくされど優しいような違和を感じざるを得ないそんな雨であった。このとき主は何かを悟り、何かの境地に達していたのやもしれない。何も私もそのように感じていなかったわけではない。
『世の万物はどうやら人の産物は、その都合に依り成るようだ。我が命も両親の愛とひと時の快楽がもたらした都合の産物、また一重に兄の都合の前に消ゆるためのものだ。あの兄だから群臣に強く言い平らげることはそうそうできまい。いわば虎の穴、獣たちの巣食う檻の宮に入るわけで、無事であるほうが不自然ではないか』
『私はそうは思いません。殿下の考えすぎです』
『そう言うな。今日これからお前は私の言うことをすべて聞いて、はい。とだけ答えてくれ。私からの最後の命だ。仮にもしこれが杞憂であったとしても、これが詭弁であったとしても、杞憂でなく、詭弁でないものにして聞いてくれ。そうでもしなければ私は私で迎えるべくしてきた今生との別れを受け入れることができないのだ。今宵お前を呼び出したのは他でもない旧知の友たる、お前に遺勅を託したいのだ。頼む悲しんでくれるな。私はお前の笑った顔が好きだ。頼む』
 主はそういうといたずらにさみしく笑った。私は例えようのない悲しみに襲われた。これを承服しなければならないことをかなしく思うたのもある。私自身、己が好きな人、大切な人、かけがえのない人ら尊い人たちは、自然にその存在が普遍で永劫のものに感じられて仕方ない。漠然としたそれが願望であることを今ここに改めて突きつけられている。明日があって当たり前、明後日もその先もなぜかその人たちが幸せで生きているのが至極当然のように思うてしまう。明日もたった一秒の先をもわからぬ流転の流れに逆らうこの願望の儚さを今しがた理解した。誰しも運命には逆らえない。いずれ死ぬ。身分も年も性別も問わない唯一の平等の前に立つ我が主に私はなんというべきか言葉が見当たらないでいた。生きてほしい、運命に抗ってほしいなどといった脆い言葉ではその天命には逆らえない。いわば不可抗力的天命であるから、その履行の義務は出生に始まり死亡に終わる。この当然を儚い当然で包み隠そうとしてしまう。これは人が弱い生き物だからかはたまた恐怖からの逃避、喪失からの自衛であるのだろうか。私にはわからないでいた。
『何も生きたくないわけではない。この事への抗いを放棄したわけではない。己がすべてを諦めたわけではない。本望をいえば皇帝になりたかった。正統な血を継ぐ者として父の跡を継ぎ天地を治め、万軍に号令、民を慈しむそのようでありたかった。しかしこれは叶わなかった。ただしこれに悔いなどはない。もし私が今生に恨む事があるとすれば最後の最後でこのように兄を疑ってしまい私が死ぬことになると決めつけていることだ。最後の最後まで兄を信じきることができなかった。もし仮に私が明日死ぬことがなかったときは、お前が私を厳しく叱りつけてくれ私が兄を疑ったことを』
『はい』
『お前に叱られることもお前の施しのどれもが尊く儚いものであった。幼少にしてお前と出会い、共に山野をかけた。すべて楽しかった。お前と出会って共に過ごし早二十年は数えようとしている。お前と共に国境防衛の任務を与えられたときも同様であった。楽しかった。辛く苦しかったことも多かったが、我が人生に悔いはない。これもまたよかった』
『はい』
『先程、最後の命なぞと言ったが、これを最後の命としよう。我が愛臣の玉(ぎょく)、必ず生きてくれ。私を殺めた悪に屈することなく。そして恨むことなくただひたすらに生きてくれ。この哀しき主人のことをどうか忘れないでくれ。この歪みきった世界でたとえ仕える主人がここを早々に去っても、味方がいなくとも生きてくれ。幸せになるのだよ。私も私の天命を全うする。君も君が天命を全うするのだ。君の天命は旧友が見れなかった母国を見守ること、そして幸せになることだ。生きてくれ。君が生きていてくれるだけで私はただ、ただ嬉しい。』
 はい以外に放つ言葉の全ては主の命に逆らう罪であるから伝えたい言葉があっても話したいことがあっても口に出せぬ。人はいずれ死ぬ、その当たり前を、必然たる当たり前の到来を前にしてこれを許容できないでいる者がいる。それは他でもない私であった。あぁ天地神命の神よ、この現世にあらせられる万物の神よ。常に神を信じなかった愚かな私の願いをお聞き入れください。その対価なら我が命とて捧げましょう。願わくば哀しき我が旧友に慈悲を与え、混沌の天命からお救いください。此の方に幸せを与えてください、もう過酷な天命を背負い生きる必要がありませんように、天聖(あまのひじり)にて優しい光に包まれますように、我が魂の人(あるじ)に永劫の幸をお与えください、などという今まで一度としてすがらなかった神にまですがっていた。醜い。ここまで堕落したのかと、しかしその堕落すらも愛おしいほど主に敬服しきっていた。なぜここまですんなりと己が死を前にしてその死をも受け入れようとするのか、私には理解したくともできない極限の心理が存在していた。私が知るのは、受け入れ難い事実を前にして人が取る行動は二つ。潔くそれを受け入れるか、はたまた溺れる犬のようにそれに抗い続けようとするかのどちらかである。人は死という均等の天命を前にしてなお、生という恋人にすがりその足から手を離そうとはしない。そこにはプライドなどない生に執着した天命たる務めを果たそうとしない人間の獣としての醜さが表れる。しかし我が主は、今なお美しい、死をも前にしてもそれを抱き隠すほど清らかで一点の曇りもない。ここまでの美を私は知らなかった。今後出会うこともあるまい。外は激しめの雨と共に雷鳴が鳴り響いていた。雨音は私の堪えていた雨を代わりに降らせてくれていたようだった。

 晩の雷雨去りて永訣なる朝、吉日に相応せぬ曇天の中、皇太弟、宮殿に昇る。身なり精錬にして純潔なことまるで澄んだ鏡面の如き水面のようであった。風微かに吹き、枯葉を揺らし、我らが頬を伝う、全面の灰を照らす白き輝きは、朝堂に至った。不穏な空気がただようほかは変わりない朝であった。皇太弟、群臣の集う堂において、我ら従者を伴い入る。皇帝に向いて懇ろに久方の無沙汰を詫び、拝謁の礼を尽くし皇前に参じた。皇帝これを喜びその旨を弟に伝えた。皇太弟もこの再会を喜んだ。皇帝は長年の国境守護の任の功績に位を与える旨を告げ、勅書を従者に運ばせた。朝堂は密かに衛兵が取り囲み外への門はすべて閉じられていた。それと同時に切れ間から差し込んでいた日差しもまた雲の群れに隠れてしまっていた。皇太弟は、場の空気の異様さと妙な静寂に恐れをなすことなく堂々としていた。従者が勅書を読み上げ初めて間も無く朝堂には武装した兵が流れ込んだ。その数およそ百を数えた。彼らは私などには目もくれず獲物を捕らえた虎のように機敏に刃を無数に主を突き刺す。主の白の召し物には鋼とそれに滴る赤があった。またその口からはおびただしい赤が流れ、刃の集まりし場所は白き布地を波紋のように次第に赤が染めていった。皇帝は、ただ静かに俯いていた。群臣の幾人かも慈悲のないことだなどと言ったが誰一人として医者の一人をも呼ぼうとはしなかった。決まりきった台本の通りの流れであるかのように、またはそうするように法で定められているかのように。きっと彼らには良心がなかったのだろう。私は朝堂の床に倒れた主に駆け寄った。主はまだ微かに息をしていた。深い呼吸が次第に小さくなっていくのがわかった。主は死ぬのだと分かった。いや、わかりたくなかったがこの状況を前にして受け入れないことの方が困難であった。私は主を呼んだ、幾度も幾度も。されど返事はない。ただ微かに最期の呼吸を続けていた。私は赤に染まった主を抱え医者に見せようとした。希望なぞないのにそうすれば生き返るとさえ思っていた。皇帝の御前であることなど忘れていた。無数の兵を退け朝堂を飛び出した。制止しようとする兵もあった。しかし私はこれを威迫で退けた。あぁ主が死んでしまう。それだけしか考えることはできなかった。
 灰雲(はいうん)悲運に涙する。豪華絢爛たる宮殿にも雨の雫したたり音は人足を急がせる。主の頬にも雨が伝っていた。
『玉よ。私は助からない。この身体に突き刺さる無数の刃は私を離してはくれない。どうかここで死なせてくれ』
『殿下、喋ってはなりません。まだ方法は必ずあります』
『玉よ。お前も分かっているはずだ。我が体のどうしようもないことを。歩む足を止めてくれ頼む』
『殿下話してはなりません』
 主は私の手を赤い手で強く握った。止まれと言わんばかりに強く握った。その力みに私はついに足を止めてしまった。先刻までの焦りのほとんどを私は失っていた。私と主の体は降りはじめの雨の中に佇んでいた。主の衣はじわりじわり赤に染まっていった。それを見た私の身体から力が抜け、主を抱えたまま膝から崩れ落ちた。
『殿下、私は何もできませんでした。このように主が痛み苦しんでいても私には助ける術がありません。お願いです。私に今一度歩くよう命じてください。そして生きてください』
主をなんとかしてこの世に繋ぎ止める方法を探した。しかし主はどれも良しとしなかったのだ。雨は次第に強さを増した。
『玉、人は己が天命を知りしとき、これに抗ってはならぬ。それは必然の宿命であるからだ命を与えられた者の責務であるからだ。何があろうと私の魂はお前と共にある。人はこの身から離脱して死ぬのではない。忘却の中に落ちたとき始めて死ぬのだ。お前がいれば私は死なない。寸刻の別れだ。永訣の別れではない。夜が来てもすぐに明ける。冬が来たならば春は遠くない。そういうことなのだ』
 いつもなら紡げるはずの言葉が紡げないでいる。ただただ死に瀕した主を涙を浮かべて見守るしかできない。大切な人の喪失を前にしてただ何も出来ず己の無力さに打ちひしがれるばかりである。己にどんな言葉をかけて鼓舞しようとももう立ち上がることができないでいた。主よあなたを助けたいのだと。だから諦めるなと言いたくとももはや言えない。主の天命の完遂を阻害してはならない気がしたからだ。主はただ私の顔を見ていた。ただひたすらに我が眼から目を離さないでいた。そして我が手を強く優しく握った。そこにはまだ主の命を感じた。しかしそれは次第に炎が紅く燃え上がり、そして尽きようとするが如く弱まった。主の手から生きる力の離脱を感じた。雨のせいか、はたまた死の到来なのか分からなかった。ただわかったのは主はこの空が晴れ渡ることを見ることはできないということだ。そしてついに主は事切れた。私は次第に冷たくなっていく主をただ見守ることしかできなかった。弱い我が手からついにはその手がすり抜けて垂れた。このとき宮殿に獣の咆哮のような慟哭が駆け巡った。私のものだ。我が慟哭は、雨音に溶けた。何にも例えることのできない悲しみ、虚脱、怒り、憎しみ、憎悪、すべての負が私を包み込んだ。このやり場のない怒りをどこに向けようか。この胸を灼く悲しみをどこへやろう。行き場のない負のすべてに襲われた私とうってかわり主は安らかであった。神の最後の慈悲か、今日の慈雨が赤の旧友の体に素(もと)の彼を取り戻した。天命を全うし過酷から離脱した美しくただ儚い、優しく気高い、すべてを奪われ裏切りを受けてもなお己が体を形成する過酷な天命を全うした眠れる獅子は、目を覚ますことなく、深い眠りについた。


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