恋風

高千穂ゆずる

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想いは滔々と

(3)

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 あなたもやっかいな子と関わったわね。
 先ほどから何度となく同じ言葉が喬一の頭を巡る。
 町医者に連れて行けない亮の診察を、母親に頼んだのだ。診察も終わり、帰る段になって発した科白がこれだった。 
 亮の首には包帯が巻かれてあり、痛々しい痣は幸いにも隠れていた。少々大袈裟なようではあったが仕方あるまい。くっきり残った指の跡を見るのは辛かった。このように隠してあれば、平静を装うこともできる。
 ただ───。
 一番衝撃を受けているのは、他ならぬ亮自身であり、喬一のそれとは比べ物にはならない。
 起きているのか。眠っているのか。傍目からでは判断できない。
 ぼんやりと半目を開けて、どこかしら遠くを見ている。
 嫌な汗が全身を隙間なく流れ落ちていく。拭いても拭いても溢れ出てくる。封印した記憶の中の闇のように、黒い染みがじわじわと広がりを見せ、言い知れない恐怖が喬一を襲う。
 亮の傍を離れるのが不安で堪らない。
 ようやく落ち着いた今の生活を脅かされたくはなかった。
 ベッドの端に投げ出されている亮の手を擦ってみた。反応が返ってこないのは重々承知しているが、触れずにいられなくて何度もその手を擦る。
 カチャリと短く金属音がした後、蝶番の軋む音が聞こえた。たぶん朝之だろう。
 亮を連れて戻ってくれたのが彼で、朝之もまた、亮のこの状態にショックを受けていた。
 血の気を失っている朝之の口から、この家へ来るまでの経緯を聞かされた。
 あの料亭にいた振袖の青年が朝之の恋人であること。彼が恨みを抱く鶯という兄……。そして──亮を殺そうとしたこと。
 恨みを晴らしたい兄はすでにこの世になく、そのぽっかりと空いた鶯という寄木細工の最後の一枚に、亮を嵌めてすべてを終わらせようとしたのだと言う。
 朝之は、いつもの彼らしからぬ沈痛な顔でそれを語った。
 ──どうだっていい。
 亮が生きてさえいてくれれば、それでいいのだ。母親が言ったみたいに、面倒な人間と関わったなどとはけして思わない。
 生きてさえいてくれれば、傷はいずれ癒える。幾ら時間が掛かったとしても、それすら乗り越えていける自信が喬一にはあった。
 すっ、と目の前が翳る。背後に朝之の気配がした。緊張して、言葉を選んでいる彼の思いをひしひしと背に感じる。
 大切なものを守りたいのは、この男も同じなのだ。
 なかなか言葉を発することが出来ずにいる彼の代わりに、喬一が先に口を開いた。
「オレは亮がいてくれればいいんだ。いつでも……こうして手の届くところにいてくれればいい。……オレはさ」
 ゆるゆると振り返り、泣きそうな表情でこちらをみつめている朝之を見た。
しばらく待つことになるかもしれないけど。
喬一は少し目を伏せた。
「オレは、気が長いんだ。また……こうやって……亮の傍にいて──もう一度オレを見てくれるまで……待つんだ」
 言葉の一つ、一章節を区切るように話し、言い終えると疲れた顔で、ベッドの上へ上半身を投げ出した。
 朝之はなにも言わない。言えないのだろうと思った。特に言葉が欲しいわけでもなかったし、責任を追及するつもりもない。そんなことをしたら、喬一は酷いと亮に泣かれてしまう。
「ああ──」
 喬一がふと笑顔を見せた。
「喬一?」
「ああ……泣いてもいいから、早く亮の声が聞きたい──な──」
 朝之は顔を顰めて、それから目を逸らした。
 投げ出されたままの色のない腕を、喬一は血色が良くなるようにと何度も擦っている。歯を食いしばり、泣き出しそうになるのを堪えた。
 朝之は、喬一に手を差し伸べた。頭を撫でてやりたいと思ったが、子供ではないのだからと思い直し、一度は伸ばした手をすぐに引っ込めた。
 燕のことも気になるところである。
 しかし、この二人を置き去りにはし難い。喬一が、心中などを考える性分ではないのはわかっているが、この二人を危ういまま放置するのはとても不安だった。
 背後の葛藤を感じたのか、喬一がぼそりと呟く。
 よく聞き取れなくて、顔を寄せた後、なんだと訊き返した。
「戻ってやれよ」
喬一は、やはり先ほどと同じ声量で呟いた。
「戻って……いいのか?」
 喬一がちらりと視線を寄越した。
「気持ちはわかるから……」
「言葉に甘えさせてもらうよ」
朝之は視線を落とし、また後で来るとも言った。
 喬一は口角を上げ、痛々しさを増すだけの笑顔を見せた。

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