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12.
「翔くん?」
「あ……」
――返事しなきゃ。
言葉に詰まると、有聖は「返事は?」と見つめてくる。そうすると、翔の体はうまく動けなくなってしまうのだ。
有聖は翔が答えるのを待っている。
「有聖、さんが……今、みたいに、俺のこと……見てる、ときとか。……先週の、ご飯のあと、も」
「ドキドキしたの? お尻叩かれるところだったのに?」
有聖の手がすっと伸ばされて、頬を撫でられた。触れられた瞬間、びりびりとした衝撃が走って腰が抜けそうになる。
「いやらしいね。お仕置きされると思って興奮しちゃうなんて。本当にお尻たたいちゃうよ?」
恥ずかしくて有聖の視線から逃げたいのに、俯きたくても頬に添えられた手がそれを許さない。
あの日初めて触った鞭の感触が、ショーで責められていた男の苦悶の表情が、脳裏にはっきりとよみがえる。
「……ない、で」
カラカラに渇いた喉が張り付いて、うまく声が出てこない。
「なに、翔くん、もう一度言って?」
「ひ、ひどく……しないで、くだ、さい」
有聖が目を大きく見開いた。
翔がこんなこと言うとは思っていなかったのだろう。翔だってこんなこと言ってしまった自分に驚いている。
「そんなこと言うと、本気にしちゃうよ?」
翔の真意を探るように有聖が言う。
もう一度頷いたら、もう後戻りできない。
心臓がうるさいぐらいにバクバクと脈うっている。乾いた唇をかんで、小さく、本当に小さく、翔は首を縦に振った。
「……わかった。今日もラストまでかな? 終わったら、僕のマンションにおいで。駅前の二十階建てのマンション、わかるかな? それとも、迎えに来て欲しい?」
「……大丈夫、です」
「うん。じゃあ、ちゃんと仕事して、僕のところへおいで。……ほら、あのお客さんが呼んでるよ」
「あ、今行きます!」
ぱたぱたと急ぎ足でテーブルに向かう。
翔の後ろ姿を見つめて、有聖の口元がきれいなカーブを描いていた。
――やっぱり帰ろう。
ここまで来るまで、何度そう思ったかわからない。
そのたびにさっきの会話がリプレイされて、とうとうここまで来てしまった。
――待ってるよ、翔。
帰り際、初めて君付けじゃなく呼び捨てにされた。住所と携帯番号が手書きされた紙を渡されて、あんな風に言われたら誰だって断れない。
それに、もう一時を回ってる。平日は零時まで営業しているのだが、閉店後に掃除や明日の準備があったから、こんな時間になってしまった。有聖がわざわざ起きて待っていると思うと、ドタキャンするのは申し訳ない。
そう自分に言い訳しつつ、有聖のマンションの入り口まで来たのになかなかインターホンが押せないでいる。
もうすでに心臓が早鐘を打っていて、体がしびれてきた。
大きく深呼吸を繰り返して、震える手でインターホンの部屋番号を押す。すぐに返事があって、翔が名乗ると、「待ってたよ。あがっておいで」と入り口を開けてくれた。
有聖の部屋は最上階で、最上階には一部屋しかない、いわゆるペントハウスというやつらしい。駅前のデザイナーズマンション、一フロアまるまる自宅なんて、すごく贅沢だ。
一体、何の仕事をしているのたろうか?
まさか、SMショーだけではここまで稼ぐことはできないだろう。
ポーンとなってエレベーターを降りると、目の前がすぐ玄関だった。
漆黒の重厚な両開きの扉の右端にインターホンがある。それを鳴らす前にカチャっと扉が開いて、有聖が顔を出した。
「いらっしゃい。どうぞ、入って」
スーツ姿ではなかった。部屋着なのか、ゆるいチノパンにざっくりしたサマーニット、シンプルな服装がスタイルの良さを際立たせている。
「わぁ、広い!」
通されたリビングルームは、翔のアパートよりも広い。家具は全てシックな黒でまとめられていて、この前テレビで見た『芸能人のお宅拝見』に出てきてもおかしくないような住まいだ。
「お疲れさま。何か飲む? ご飯は食べてきた?」
「あ、お茶があれば……。まかないは、食べて、きました」
「そう。冷たいのでいいかな? そこのソファにでも座って」
冷蔵庫が開いたり、閉まったりする音を聞きながら、キョロキョロと部屋を見渡す。
なんというか、すごく生活感の薄い部屋だ。翔のアパートとは大違い。雑誌も散らかっていないし、脱ぎかけのパジャマもない。
「はい、どうぞ、烏龍茶だよ」
マグカップを二つ持ってきた有聖が翔の隣に座った。
途端に、翔の体が緊張する。有聖の顔が見れなくなって、膝の上でギュッとこぶしをにぎった。
「そんなに緊張しなくていいよ。ほら、ちょっとこれ飲んで落ち着きなさい」
マグカップを手渡された。ひんやりした感触が気持ちいい。
一口、烏龍茶を飲む。思ったよりも喉が渇いていたようで、ごくごくと半分くらい一気に飲んでしまった。
「そう、いい子だ。大きく深呼吸して。いきなり引っぱたいたりしないから、安心していいよ。こういうことは、信頼関係が大事だからね。正直、今日は来ないかなと思っていた。連絡もなかったから」
「あ……」
そういえば、バイトが終わった後に連絡を入れる約束だった。店からこのマンションまで歩いて十五分ほどだが、深夜で何かあったら危ないからと言われていたのだ。
そんなことすっかり忘れていた。
「ごめん、なさい。……もう、寝るところだった?」
「いや、もう少し待っていようと思っていたよ。連絡しようとも思ったけど、僕は翔くんの番号知らないから」
「ごめんなさい。全然思いつかなくて……」
「うん、すっごく緊張してたんだよね。来てくれて嬉しいよ」
俯き気味の頭をくしゃくしゃとなでられる。
「ちょっと話しようか? 何か聞きたいことある?」
なんでもいいよ、と言われた。
聞きたいことはすごくたくさんある。だって、翔はまだ全然有聖のことを知らない。
「あ……」
――返事しなきゃ。
言葉に詰まると、有聖は「返事は?」と見つめてくる。そうすると、翔の体はうまく動けなくなってしまうのだ。
有聖は翔が答えるのを待っている。
「有聖、さんが……今、みたいに、俺のこと……見てる、ときとか。……先週の、ご飯のあと、も」
「ドキドキしたの? お尻叩かれるところだったのに?」
有聖の手がすっと伸ばされて、頬を撫でられた。触れられた瞬間、びりびりとした衝撃が走って腰が抜けそうになる。
「いやらしいね。お仕置きされると思って興奮しちゃうなんて。本当にお尻たたいちゃうよ?」
恥ずかしくて有聖の視線から逃げたいのに、俯きたくても頬に添えられた手がそれを許さない。
あの日初めて触った鞭の感触が、ショーで責められていた男の苦悶の表情が、脳裏にはっきりとよみがえる。
「……ない、で」
カラカラに渇いた喉が張り付いて、うまく声が出てこない。
「なに、翔くん、もう一度言って?」
「ひ、ひどく……しないで、くだ、さい」
有聖が目を大きく見開いた。
翔がこんなこと言うとは思っていなかったのだろう。翔だってこんなこと言ってしまった自分に驚いている。
「そんなこと言うと、本気にしちゃうよ?」
翔の真意を探るように有聖が言う。
もう一度頷いたら、もう後戻りできない。
心臓がうるさいぐらいにバクバクと脈うっている。乾いた唇をかんで、小さく、本当に小さく、翔は首を縦に振った。
「……わかった。今日もラストまでかな? 終わったら、僕のマンションにおいで。駅前の二十階建てのマンション、わかるかな? それとも、迎えに来て欲しい?」
「……大丈夫、です」
「うん。じゃあ、ちゃんと仕事して、僕のところへおいで。……ほら、あのお客さんが呼んでるよ」
「あ、今行きます!」
ぱたぱたと急ぎ足でテーブルに向かう。
翔の後ろ姿を見つめて、有聖の口元がきれいなカーブを描いていた。
――やっぱり帰ろう。
ここまで来るまで、何度そう思ったかわからない。
そのたびにさっきの会話がリプレイされて、とうとうここまで来てしまった。
――待ってるよ、翔。
帰り際、初めて君付けじゃなく呼び捨てにされた。住所と携帯番号が手書きされた紙を渡されて、あんな風に言われたら誰だって断れない。
それに、もう一時を回ってる。平日は零時まで営業しているのだが、閉店後に掃除や明日の準備があったから、こんな時間になってしまった。有聖がわざわざ起きて待っていると思うと、ドタキャンするのは申し訳ない。
そう自分に言い訳しつつ、有聖のマンションの入り口まで来たのになかなかインターホンが押せないでいる。
もうすでに心臓が早鐘を打っていて、体がしびれてきた。
大きく深呼吸を繰り返して、震える手でインターホンの部屋番号を押す。すぐに返事があって、翔が名乗ると、「待ってたよ。あがっておいで」と入り口を開けてくれた。
有聖の部屋は最上階で、最上階には一部屋しかない、いわゆるペントハウスというやつらしい。駅前のデザイナーズマンション、一フロアまるまる自宅なんて、すごく贅沢だ。
一体、何の仕事をしているのたろうか?
まさか、SMショーだけではここまで稼ぐことはできないだろう。
ポーンとなってエレベーターを降りると、目の前がすぐ玄関だった。
漆黒の重厚な両開きの扉の右端にインターホンがある。それを鳴らす前にカチャっと扉が開いて、有聖が顔を出した。
「いらっしゃい。どうぞ、入って」
スーツ姿ではなかった。部屋着なのか、ゆるいチノパンにざっくりしたサマーニット、シンプルな服装がスタイルの良さを際立たせている。
「わぁ、広い!」
通されたリビングルームは、翔のアパートよりも広い。家具は全てシックな黒でまとめられていて、この前テレビで見た『芸能人のお宅拝見』に出てきてもおかしくないような住まいだ。
「お疲れさま。何か飲む? ご飯は食べてきた?」
「あ、お茶があれば……。まかないは、食べて、きました」
「そう。冷たいのでいいかな? そこのソファにでも座って」
冷蔵庫が開いたり、閉まったりする音を聞きながら、キョロキョロと部屋を見渡す。
なんというか、すごく生活感の薄い部屋だ。翔のアパートとは大違い。雑誌も散らかっていないし、脱ぎかけのパジャマもない。
「はい、どうぞ、烏龍茶だよ」
マグカップを二つ持ってきた有聖が翔の隣に座った。
途端に、翔の体が緊張する。有聖の顔が見れなくなって、膝の上でギュッとこぶしをにぎった。
「そんなに緊張しなくていいよ。ほら、ちょっとこれ飲んで落ち着きなさい」
マグカップを手渡された。ひんやりした感触が気持ちいい。
一口、烏龍茶を飲む。思ったよりも喉が渇いていたようで、ごくごくと半分くらい一気に飲んでしまった。
「そう、いい子だ。大きく深呼吸して。いきなり引っぱたいたりしないから、安心していいよ。こういうことは、信頼関係が大事だからね。正直、今日は来ないかなと思っていた。連絡もなかったから」
「あ……」
そういえば、バイトが終わった後に連絡を入れる約束だった。店からこのマンションまで歩いて十五分ほどだが、深夜で何かあったら危ないからと言われていたのだ。
そんなことすっかり忘れていた。
「ごめん、なさい。……もう、寝るところだった?」
「いや、もう少し待っていようと思っていたよ。連絡しようとも思ったけど、僕は翔くんの番号知らないから」
「ごめんなさい。全然思いつかなくて……」
「うん、すっごく緊張してたんだよね。来てくれて嬉しいよ」
俯き気味の頭をくしゃくしゃとなでられる。
「ちょっと話しようか? 何か聞きたいことある?」
なんでもいいよ、と言われた。
聞きたいことはすごくたくさんある。だって、翔はまだ全然有聖のことを知らない。
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