ラーク -時のほし-

真中 はじめ

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第7話

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夕食の後、要の話でああでもないここでもないと、賑わった食卓も多恵子のしみじみと絞り出された「本当――不思議だねぇ~」の一言で終わりを告げた。










ベッドに横になり、今日のことを思い返す。
今日は信じられないくらい充実して――そして楽しかった。
正直、明日が来るのが待ち遠しいなんて日がくるなんて思いもよらなかった。この二日間は明日美のだらだらと過ぎていった二年間よりも遥かに濃い。
ただ喜びの反面、色んなことが一気に駆け足でやってきて、首をかしげることが多すぎてこのままでは、頭の位置が変わりそうだった。

――疑問は増えてく一方なのだ。
  

明日美は時計をみて、目を瞑る。
すると、慣れない一日に疲れがどっと押し寄せた。もう寝なくちゃ――
こんな日は会える気がした。明日美が行き詰まると話をきいてくれるあの子に――――









 







「久しぶり」
「やっぱり!会えると思った」


葉が生い茂る見事な大木。脇には石に縁取られた小さな澄んだ池。
そして大木の下で真っ白な猫が、こちらに目もくれず本に視線を落としていた。
見慣れたこの景色の中で、綺麗な白色のこの猫を、シロと呼んでからもう随分と経つ。
シロはまだ本に視線を落としたまま、眠そうにあくびをする。
「ここのところ、珍しく本が更新されて眠れない」
「シロ、あの――」
「まって。言わなくても大丈夫。ここに書いてある」

器用に張りのある肉球でページを捲(めく)る。その容姿はどうみても猫だというのに、その様は、実に人間くさい。
しばらくしてシロは読み終えると、やっと本から視線を上げ、明日美を見る。

「その要とやら――明日美と同じなんじゃない?」
「どういうこと?――」

明日美はその言葉の意味がわかったが、どこかでシロと私の考えてることは違うかもしれないと、否定した。浮かび上がるひとつの可能性を、シロの口から出されれたらきっと確定してしまうような気がして怖かったのだ。
だけどもう一方で、この違和感が普通であるはずがないんだとも確かに思えた。
聞きたいような、聞きたくないような、そんな矛盾が親しい仲に緊張の糸をピンと張らせた。

「なにか特別な力をもってる――とか」

予想していたのに、初めて聞く真実のように目を開いた。そしてそれに合わせるように、大木の葉がザッと音を立て振るい落ちた。
猫は落ちた葉に埋もれ、うんざりしたように「それやめてよね」と葉の中から毒づく。

「あのね、いつも言ってるけど、ここは明日美の夢なんだよ。落ち着いてくれなきゃ困るよ」

ここは明日美の夢の中だ。
心を乱すとき、決まってこの大木の葉が落ちる。落ち葉はすぐに消えない。だが、気づくと風に吹かれたようにどこに消えている。そして気持ちを持ち直すと木にまた葉がつくのだ。
寒くなったり、暖かくなったり、風が吹いたり、雨が降ったり、ここは穏やかでいて、変動する。

それがわかるのも、シロにこうやって迷惑をかけてきたからだ。――しかし、例外なく毎回埋もれるシロ。お決まりの流れに悪いと思いながらも、口元を緩ませてしまう。
こうなるのをわかっているなら、木の下にいなきゃいいのに。

「ごめん」
軽く謝ると、シロはそんな明日美の考えが、透けて見えたようだった。こんもりと盛り上がった落ち葉の中から抜け出すと、しなやかな前足で、鬱陶しそうに本についた葉を払った。
「まったく」
シロは恨めしそうに呟く。
「あのさ、いくら新しい友達ができたからってひど過ぎじゃない?」

ここにいる限りシロには嘘を付けないし、ついてもばれる。
浮かれた今日のこともシロにはお見通しであり、今のような動揺も、葉が落ちなくとも鋭いシロには手に取るようにわかるのだ。
ただ、本気でため息をつくシロに焦った。いつもと同じ軽い口調であったが、友人ができたから、シロをないがしろにしてるようには思われたくなかったのだ。


「そんなつもりじゃ……ごめんね」
「わかってる」

明日美は先ほどの軽い口調を改めて謝る。
目を掻きながら、さも当然というように言い放つシロに明日美は肩透かしを食らう気分だった。

「何年いると思ってるの?これはたんなる僕の反撃。やられっぱなしは癪に触るからね」
その清々しいほどに堂々としたシロに、明日美は勝てそうにないと、つくづく思った。











「――要くんがわたしと同じ力持ってるって本当?――本当そんなことがあり得るの?」
必死に探し物しているときに答える第三者のように、まるで他人事と言った様子で話す。
「うん。世界は広いし――どこかにはあるんじゃないの?」
「そんな、適当な!」
明日美の言葉に、シロはムッと眉間にしわを寄せ、呆れたように答える。
「あのさ、ぼくも明日美がなんなのか未だによくわからないけど、こうやって話してるのはただの妄想じゃないでしょ。別に、他にもそういう人がいたって不思議じゃないんじゃない?」
前足を舐め、鬱陶しいというように、顔を掻いた。
明日美は自分の力が思い込みなんかじゃない、そう思ったのはシロとの出来事があってからだ。
シロは明日美の力の理解者であり、被害者、なのだ――

「ぼくって、明日美と出会ったとき車に轢かれて瀕死の状態で倒れてたよね」
今まさに思ってたことを話題に出され、明日美はどきっと胸が鳴った。
――シロには嘘がつけない。それどころかこうやって見透かされているようで、居心地が悪くなるときがある。
全てを知っていてくれて、側にいてくれる。その存在は大切で失いたくないけれど、綺麗なところだけを見せれたらどんなにいいものか――そう思う時もある。触れてほしくない話題を出されたときは特に思うのだ。

何も答えないわたしの顔を一瞥すると、シロはため息が出そうな顔をして話を続ける。

「そして明日美が僕を見つけてくれた。いま思うと、あの時のぼくってかなりグロかった気がするのに、よく平気だったね」
正直、この話は好きじゃない。
好きじゃいどころか、心の奥底に封印して一生出したくないくらいなのだ。押し寄せてくる罪悪感と得体の知れない恐怖に潰されてしまいそうになるから。

六歳の時、姉の今日子と遊んでいた、あの時の記憶――

明日美は五つ上の今日子が大好きだった。
面倒見がよく、明るい今日子には友人がたくさんいて、明日美の憧れだった。そんな人気者の今日子が、遊んで欲しいとせがむ妹に根負けして、友達よりも明日美を優先してくれた。それが子どもながらに嬉しかったのをよく覚えている。
公園に行き、まだ誰もいない公園を二人だけで貸切って遊んだ。そしてその帰り道、明日美は子猫を見つけた。ひどい怪我をして、苦しそうな子猫を――

「そして、明日美がぼくを触ったら――」

そう、触れたところから、傷が薄くなっていくようだった。
明日美は信じられなかった。だが、戸惑ったのは一瞬だった。何故こんなことができるのか、今起きてることは現実なのか――そんなことよりも、事故に合い、悲惨なシロの姿がかわいそうで、なんとかしなくちゃと強く思った。

だからどうか――どうか治るようにもっと、もっと。「助けて」と強く強く願ってしまったんだ。

「傷が治っていった。それに言い難いような懐かしさに包まれた――あんなに痛かったのに、痛みも遠のいってたし」

本の落ち葉はとっくに払い切ったというのに、見えない何かを払うように本を撫で、「だけどさ」とシロは続ける。

「傷は癒えていったけどぼくの寿命じゃ、とても治せる傷じゃなかった。子猫だったぼくは立派な成猫せいびょうになって、死んじゃったよね」

死。いつ聞いてもその事実に罪悪感に押しつぶされそうになる。
「明日美、もうやめて!」放心していた姉が、気づいたように叫ぶ声がまだ重く耳に残っている。
怖い――その時、初めて知った。これはただの思い込みなんかじゃない。力が本当に存在しているんだということに――。
触れた手から血の気が引いていき、チカチカと目眩がしそうなくらいに、色んな感情が駆け巡った。
傷が綺麗になった子猫は、成猫になっていた。そしてあっという間に死んでしまった。
その事実から、その場から、とにかく逃げ出したくなったのに、逃げ出すどころか、指先ひとつすら動かせず、声すら出せずにただ立ち尽くした。
足元に葉がぱらぱらと雪のように――涙のように落ちていく。

「全部、明日美のせい」

シロが冷たい声色で言葉を落とす。その言葉は心の奥底まで突き刺さるようだった。
明日美はあの時と同じように伏せた顔を上げられなかった。

「――て言ったら、満足するわけ?もういい加減にして欲しいよ」

シロはため息を漏らし、いつもより呆れた雰囲気を強めた。シロはやれやれ、というように顔を横に振った。

「なんで、ぼくがこんな面倒くさい話しするかわかる?ぼくがなにを話しても信じない明日美に腹が立つからだよ。――それとも毎回聞かないと罪悪感は薄れないの?」

そう、この話は何度も聞いた。
明日美が力に対して恐怖を感じる時、消極的にうじうじとしているとき、そしてシロに罪悪感を感じる時。何度もシロはこの話をした。

全てに消極的になってしまった原因であり、トラウマ。――そして、上手くいかないときの言い訳でもあった。
こんな力がなかったら――そう思ったときもある。シロはいい加減、そんな明日美に呆れているのを知っている。

シロとこうやって会えるのも嬉しい。だけど、何度言われようと、この言葉だけは認めてはいけないような気がした。
明日美は確かに感じたあの力で、どうにかできたはずだと――そう思わずにはいられなかった。


「あー、うんざりする。――何度も言ったようにぼくはどっちみち死んでた。神様だって無理なの。あの怪我はどんなに時間を進めたって治せないからね。致命傷なの……!」
シロは苛立つように尻尾を振りながら、丁寧に説明する。

「急に出てきた要――どう考えたっておかしいでしょ。明日美がまだ普通の子どもだと思ってるなら、バカだね。大バカ。明日美の嫌う不思議をもったやつ――そんなやつが現れたら、またトラウマができるかもしれないのに」

ただ、聞き漏らさないように聞く。猫ながらに真剣な表情をするシロを見つめながら。

「いつまでも古いトラウマにしがみついてたら、きっと痛い目みるよ――」
――だからいい加減、気にするな。そう言いたげにシロはそっぽを向く。

「大体、明日美の罪悪感って一体なんなの?そんなものただのおごりでしょ。思い上がりだよ」

そっぽ向いたまま、言う言葉は口は厳しいものなのに、言えば言うほどにシロの優しさで胸が痛くなるようだった。

シロは正しい――
こんなものは思い上がりだ。でもどうしたって、自分の無力さが許せない。許してはいけないと思う。
被害を受けたのはシロで、いつまでも後悔していることで嫌な思いをさせている。本末転倒だ。――だけど、どうした後悔は消せない。

シロ大きなため息をついた。
「ぼくだって、傷つけるのわかってて、えぐるようなことしたくないんだけど……」

弱々しいシロの声に、とことん明日美は自分が嫌になる。
弱々しい様子で招き猫のように明日美を呼ぶ。
暗い気持ちを引きずりながら、招かれるままシロの所へ向かうと――――思いっきり顔を引っ掻かれた。

「――痛っ!」

引っ掻かれた頬がじんじんと熱を持つを持つように痛む。
シロは自慢の爪に銃を撃った後のように息を吹きかけ、かけていないか呑気に確認していた。

「いきなり、なにするのっ?!」

明日美は頬の痛みに、どうなっているのか確認する勇気もなく、手で押さえながら、シロに怒りをぶつける。

――一体、何だというんだ!

「ちゃんと言ったでしょ?」
「なにが!?」
「傷つけるのわかってて、えぐるようなことしたくない、って」

「――――っ!!」

それは、会話の流れじゃなかったの?!

「ほら、また思い上がり。ぼくの言葉を信じない明日美に、どうしてぼくがそこまで優しくしなくちゃならないのさ」

明日美はそんなシロを見てはっとした。頬の痛みで、胸の痛みが薄れていることを。
もしかしたら、このために――?

「シロ――」
「今度、ぼくの前で鬱陶しい空気出したら、また引っ掻くから。――今度は皮膚の薄いところを」

「………………あ、うん。ごめん」

ただ、やっぱりそれは思い上がりなのかもしれないと、明日美は思った。











「とにかくさ、要ってやつには気をつけなよ」

シロは素直じゃないけど、一番に明日美を考えてくれる。
長い付き合いだからそれくらいは明日美でもわかった。

「でも――要くん変な子だったけど、悪い子に見えなかったよ」

「バッカだなぁ。明日美は単純。悪い子じゃなければ、なにも影響はないって?誰なのさ、力の有無で騒いでた人は」

「……私です…………」

「そもそもトラウマ克服以前に、わざわざ面倒くさい話題を引っ張りだしたのは、ムカつくってだけじゃなくて、力について言いたかったのもある。――この力ってぼくが思うに〝時間〟と関係してると思うんだ」
「うん」
「実際に使える明日美がいるなら、他にいてもおかしくはないでしょ?――例えば要は予知みたいな真似ができた、とか」

シロは歩き出し石飛び乗る。そして、池を覗いた。

「――そんなことってあるのかな?」
「……あのさぁ、いい加減にしてくれる?」
シロは池から視線を外し、明日美を睨む。
「あ、つい…………ごめんなさい」
また、池を覗き込むと、シロは澄んだ水面を前足で揺らして乱した。
乱れた水面に映るシロは、形を失い、白く歪んでいる。
「――でもただの猫だったぼくが夢の中で生きてる。おまけに喋れるし、明日美のことが手に取るようにわかる。この池や本を通してね」


落ち葉の近くにある本を、明日美は見た。
本を読めば過去のことが――池を覗けば今のことがわかる。シロはずっと前にそれを教えてくれた。



「それに比べたら、よくあることなんじゃないかな」
乱れた水面で形を失っていた白い固まりが、シロになってこたえていた。
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