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階段を落ちると、そこは異世界だった
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修了証 間宮優。
さっき講習会場出口で手渡された修了証カードを、僕は何度も眺める。
(人生初の資格! その名も「甲種防火管理者」! なんかちょっと強そうな響きだぜ)
高校卒業後、僕は地元の工場に就職した。同期はほとんどが工業系高校卒だったから、危険物取扱者だのアーク溶接だのと何かしらの資格を持っていて、何もないのは普通科卒の僕だけだった。
(でも、今日からは違う! なんたって防火管理者だもんね! しかも乙種じゃなくて甲種!)
まあ甲種防火管理者は、二日間の講習を受け、効果測定が合格ラインの点数なら誰だって取れる資格なのだけれど、それは置いておこう。
自衛消防隊の地区長になって欲しいから、と講習を受けさせてくれた工場長に感謝しながら、僕はまた修了証を眺めた。
ガクッ。
右足が階段を踏み外す感覚に、僕は慌てて手すりをつかもうとしたが、もう遅い。
嗚呼、ながら歩きで見ていたのがスマホじゃなくて修了証って、カッコ悪い! どんだけ嬉しかったんだよ、僕。エレベーターが混むから階段に回ったのが徒になるなんて!
蒲田行進曲も真っ青の階段落ちの末、僕は意識を失った。
***
目が覚めると、そこは講習が行われていた会館の階段ではなく、だだっぴろい草原だった。近くに、町というより村という感じの集落がある。建物は木造かレンガ造りで、高さはせいぜい二階まで。鉄筋の建物は見当たらない。
水瓶を持った女性が、集落の方へ歩いて行く。髪の色はアニメキャラのように青く、服はいかにも村娘という感じのレトロなワンピースにエプロンだ。といってもコスプレのような感じはなく、生活感が滲み出ている。
(……これはもしや、異世界転移ってやつ?)
こういうときはお約束、とばかりに僕は声に出してみた。
「ステータス・オープン!」
視界の右端に、半透明のウインドウが現れた。
マミヤ・ユウ 能力:甲種防火管理者 Lev.1 ▷
は?
いやいやいやいや、確かに人生初資格で嬉しかったけど、異世界では何の役にも立たないでしょ、防火管理者! もっとこう、チートなスキルはないの?
草原でひとしきり転がって煩悶したあと、僕はとりあえず村へ向かうことにした。何か経験値を積めば、スキルが開放されるかもしれない。魔力とか、剣技とか。
村はさしずめ中世ヨーロッパ、いわゆるナー○ッパという雰囲気だ。果物を売る店先の値札は明らかに異国の言葉なのに、ちゃんと読めるし意味も分かる。翻訳コ○ニャクでも食べたのかな?
食堂らしき店の前に、メニュー表が掲げてある。知らない料理の名前もあるが、「川魚と季節の野菜の蒸し焼き」みたいに素材をどう料理したかがわかる書き方のものは、大体どんな食べものか想像がついた。
(そういやお腹がすいたな。なんか食べたいけど、こっちの世界のお金は持ってないし……)
「キャアア!」
食堂の裏手から、女性の悲鳴が聞こえた。黒い煙も見える。
火事だ!
僕は急いで建物の裏に回り込んだ。
黒い煙は、開けた窓から出ていた。どうやら厨房のようだ。
裏口の扉を、僕は開口部に立たないよう気をつけながらゆっくりと開けた。一酸化炭素ガスがたまった部屋に急に酸素がいくと、バックドラフトという爆発が起こるからだ。
もともと窓が開いていたからか、爆発はしなかった。僕は扉を開け放ち、袖で鼻と口を押さえながら身をかがめて中に入った。成人の頭くらいの高さは煙や一酸化炭素の濃度が高いが、中性帯という境目より下なら新鮮な空気が確保できるのだ。
「大丈夫ですか!」
僕は叫びながらあたりを見回した。煙で見えにくいけれど、どうやら火元は扉の近くに置かれた大きめの器らしい。すでに木製の台に燃え移っている。
「助けて! 油かすを入れた器が急に燃えだして」
煙の向こうから、女の人の声が聞こえた。さっきの悲鳴と同じ声だ。
これは、いわゆる「天かす火災」だ。揚げ物のかすを一カ所に溜めておくと、油分が酸素と反応して熱を放出し、自然発火してしまうのだ。
器に被さるようにして、白い服が燃えていた。どうやらあの女性が上着で叩いて消そうとしたらしいが、このせいで机に火が飛び、逆効果になったようだ。
「水はありませんか!」
厨房なら水があるはず、と僕は奥の女性に向かって叫んだ。
「水瓶の水は使い切っちゃって。……ああ、早めに補充に行けばよかった……死にたくない!」
女性が咳き込む。声が枯れていることから、煙を結構吸い込んでしまったのだろう。
「今すぐかがんで! 鼻と口を布で押さえて煙を吸わないように!」
注意しながら、僕はさっきまで講習を受けていた防火管理のテキストを思い返そうとした。火災を発見したら、ええと、ええと、まずは通報、避難、初期消火!
少し冷静になった僕は、あたりを見回す。煙でわからなかったけれど、僕が入ってきた扉の先、厨房とは垂直に交わる位置に、廊下が見えた。恐らく食堂のフロアへ通じているのだろう。
人を呼んでこようとしたちょうどそのとき、廊下からこちらへ大柄な男性が駆けつけてきて、炎と煙でふさがれた厨房の奥へと叫んだ。
「ターシャ、無事か!」
「店長! 助けて!」
「ああ、こんなに火が! すまない、『ボヤだしすぐに消せるから先にお客様の避難を』と言われても、まずはお前を助けていれば……」
そう言いながら、店長は蝶ネクタイをむしり取ってシャツをボタンごと引きちぎり、燃えさかる天かすの器をバフバフ叩き始めた。……この人めっちゃ筋骨隆々としてるな。でも、さすがにこれは筋肉では解決できない。
僕は彼に話しかけた。
「店長さん、店の人の避難は済んでいるんですよね? この近くに防火用水は? 軒先とかに水を溜めてあったりしませんか?」
「ああ、裏手に雨水を溜めてあるが……君はいったい」
「あ、えっと、――通りすがりの防火管理者です」
さっき講習会場出口で手渡された修了証カードを、僕は何度も眺める。
(人生初の資格! その名も「甲種防火管理者」! なんかちょっと強そうな響きだぜ)
高校卒業後、僕は地元の工場に就職した。同期はほとんどが工業系高校卒だったから、危険物取扱者だのアーク溶接だのと何かしらの資格を持っていて、何もないのは普通科卒の僕だけだった。
(でも、今日からは違う! なんたって防火管理者だもんね! しかも乙種じゃなくて甲種!)
まあ甲種防火管理者は、二日間の講習を受け、効果測定が合格ラインの点数なら誰だって取れる資格なのだけれど、それは置いておこう。
自衛消防隊の地区長になって欲しいから、と講習を受けさせてくれた工場長に感謝しながら、僕はまた修了証を眺めた。
ガクッ。
右足が階段を踏み外す感覚に、僕は慌てて手すりをつかもうとしたが、もう遅い。
嗚呼、ながら歩きで見ていたのがスマホじゃなくて修了証って、カッコ悪い! どんだけ嬉しかったんだよ、僕。エレベーターが混むから階段に回ったのが徒になるなんて!
蒲田行進曲も真っ青の階段落ちの末、僕は意識を失った。
***
目が覚めると、そこは講習が行われていた会館の階段ではなく、だだっぴろい草原だった。近くに、町というより村という感じの集落がある。建物は木造かレンガ造りで、高さはせいぜい二階まで。鉄筋の建物は見当たらない。
水瓶を持った女性が、集落の方へ歩いて行く。髪の色はアニメキャラのように青く、服はいかにも村娘という感じのレトロなワンピースにエプロンだ。といってもコスプレのような感じはなく、生活感が滲み出ている。
(……これはもしや、異世界転移ってやつ?)
こういうときはお約束、とばかりに僕は声に出してみた。
「ステータス・オープン!」
視界の右端に、半透明のウインドウが現れた。
マミヤ・ユウ 能力:甲種防火管理者 Lev.1 ▷
は?
いやいやいやいや、確かに人生初資格で嬉しかったけど、異世界では何の役にも立たないでしょ、防火管理者! もっとこう、チートなスキルはないの?
草原でひとしきり転がって煩悶したあと、僕はとりあえず村へ向かうことにした。何か経験値を積めば、スキルが開放されるかもしれない。魔力とか、剣技とか。
村はさしずめ中世ヨーロッパ、いわゆるナー○ッパという雰囲気だ。果物を売る店先の値札は明らかに異国の言葉なのに、ちゃんと読めるし意味も分かる。翻訳コ○ニャクでも食べたのかな?
食堂らしき店の前に、メニュー表が掲げてある。知らない料理の名前もあるが、「川魚と季節の野菜の蒸し焼き」みたいに素材をどう料理したかがわかる書き方のものは、大体どんな食べものか想像がついた。
(そういやお腹がすいたな。なんか食べたいけど、こっちの世界のお金は持ってないし……)
「キャアア!」
食堂の裏手から、女性の悲鳴が聞こえた。黒い煙も見える。
火事だ!
僕は急いで建物の裏に回り込んだ。
黒い煙は、開けた窓から出ていた。どうやら厨房のようだ。
裏口の扉を、僕は開口部に立たないよう気をつけながらゆっくりと開けた。一酸化炭素ガスがたまった部屋に急に酸素がいくと、バックドラフトという爆発が起こるからだ。
もともと窓が開いていたからか、爆発はしなかった。僕は扉を開け放ち、袖で鼻と口を押さえながら身をかがめて中に入った。成人の頭くらいの高さは煙や一酸化炭素の濃度が高いが、中性帯という境目より下なら新鮮な空気が確保できるのだ。
「大丈夫ですか!」
僕は叫びながらあたりを見回した。煙で見えにくいけれど、どうやら火元は扉の近くに置かれた大きめの器らしい。すでに木製の台に燃え移っている。
「助けて! 油かすを入れた器が急に燃えだして」
煙の向こうから、女の人の声が聞こえた。さっきの悲鳴と同じ声だ。
これは、いわゆる「天かす火災」だ。揚げ物のかすを一カ所に溜めておくと、油分が酸素と反応して熱を放出し、自然発火してしまうのだ。
器に被さるようにして、白い服が燃えていた。どうやらあの女性が上着で叩いて消そうとしたらしいが、このせいで机に火が飛び、逆効果になったようだ。
「水はありませんか!」
厨房なら水があるはず、と僕は奥の女性に向かって叫んだ。
「水瓶の水は使い切っちゃって。……ああ、早めに補充に行けばよかった……死にたくない!」
女性が咳き込む。声が枯れていることから、煙を結構吸い込んでしまったのだろう。
「今すぐかがんで! 鼻と口を布で押さえて煙を吸わないように!」
注意しながら、僕はさっきまで講習を受けていた防火管理のテキストを思い返そうとした。火災を発見したら、ええと、ええと、まずは通報、避難、初期消火!
少し冷静になった僕は、あたりを見回す。煙でわからなかったけれど、僕が入ってきた扉の先、厨房とは垂直に交わる位置に、廊下が見えた。恐らく食堂のフロアへ通じているのだろう。
人を呼んでこようとしたちょうどそのとき、廊下からこちらへ大柄な男性が駆けつけてきて、炎と煙でふさがれた厨房の奥へと叫んだ。
「ターシャ、無事か!」
「店長! 助けて!」
「ああ、こんなに火が! すまない、『ボヤだしすぐに消せるから先にお客様の避難を』と言われても、まずはお前を助けていれば……」
そう言いながら、店長は蝶ネクタイをむしり取ってシャツをボタンごと引きちぎり、燃えさかる天かすの器をバフバフ叩き始めた。……この人めっちゃ筋骨隆々としてるな。でも、さすがにこれは筋肉では解決できない。
僕は彼に話しかけた。
「店長さん、店の人の避難は済んでいるんですよね? この近くに防火用水は? 軒先とかに水を溜めてあったりしませんか?」
「ああ、裏手に雨水を溜めてあるが……君はいったい」
「あ、えっと、――通りすがりの防火管理者です」
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