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第一幕
第8話 あれは魔? それとも
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「で、泣いて帰って来たのか」
社長の坂口龍平が、半分笑いながら言い放つ。
「泣いてなんかいません!」
会社に戻ってきた織田朔耶は、会議室のソファの肘かけに額をつけ、ふてくされてスカーフを頭からかぶった。
竹藪の黒い煤が、天野から聞いた魔のイメージとあまりに符合するため、恐ろしくなった織田は半狂乱で坂道を駆け下り、駅前で待っていた司に「助けて」としがみついてしまった。そして、なだめられながら電車に乗って帰って来たのだ。
「写真くらい撮ってくれば、どんなトリックか分析できたのに」
向かいに座る坂口の言葉に、取り乱した自分が今更ながら恥ずかしくなってくる。冷静になれば、あの煤も、緑の炎も、人工的に作り出せるはずなのだ。
「龍平兄さん、危ない橋を渡ってもらったのに、そんな言い方しないでくださいよ。一時間以上も隔離されて怖い話を植え付けられれば、無理もないんですから。ね、織田さん」
坂口司がフォローしてくれる。そういえば、どさくさにまぎれて彼にしがみついてしまった。弱いところを見られたのが情けないし、司が異性だったことを今さら思い出して、織田はスカーフで顔を隠したままうめいた。
「まあ、録音はきれいに取れてたし、状況もわかってきた。お手柄だぞ、そこのブルカかぶってる姉ちゃん」
社長の言葉に、織田はしぶしぶスカーフを取り、唇を噛んでうつむいた。
初校チェックのため待機していた社長と、徹夜明けで仮眠していたデザイナーの谷崎峻と永井遙香、それに司には、録音したものを聞いてもらい、状況を説明してある。もちろん、占いと加持代は、声を領収証代わりにして司に払ってもらった。
織田の潜入取材の間、司がファルスの名刺を持って近所に聞き込みをしていた。
それによると天野は、病気にかかった人に加持を勧めに来て、試しに依頼をすると「効果が半減するから病院に行くな、薬も飲むな」と強要するので、何度かもめたらしい。地区の常会に出席して、「町内の神社には魔が棲みついているから、今年の夏祭は中止にすべきた」と主張してひんしゅくを買った、とも。
「あの坂の下でナントカ祭の準備をしてた神社?」
織田が言うと、司が「そう、おんはら祭の神社」とうなずいた。
「おんはら祭って、何? 一般的なお祭なの?」
「ポスターに茅の輪が描いてあったから、たぶん夏越の祓だろうね。『おんはら』は、お祓いがなまったんだと思うよ」
夏越の祓なら知っている。毎年六月三十日に、心身の罪穢れや災いを取り除き、清浄な本来の姿に戻す祭祀だ。先月織田も、紙でできた人形で体をなでて息を吹きかけ、神職である司の神社でお祓いをしてもらった。
「夏越の祓って、六月末じゃないの? 和菓子の水無月を食べるし」
「昔は旧暦でやっていたんだよ。新暦でいうと、七月末から八月上旬かな。あの神社は、旧暦と新暦の折衷案として、七月末にお祭をするんだろうね」
話を聞いていた坂口社長が、首を左右に倒してパキパキ鳴らしながら言う。
「司、その神社、本当に魔がいたのか?」
普通のこととして話を進めようとするので、織田は思わず「へ?」と声をあげてしまった。司が怪訝な顔をすることもなく、自然に受け答えをする。
「いないと思いますよ。夏越の祓の前だから、まあ、アレですけど」
ああ、この時期はアレだよな、と坂口が得心したようにうなずく。
社長も神職資格を持っているとはいえ、この二人までオカルトめいた発言をすることに、織田は不安になってきた。
「オダサクは、天野のことをどう思った?」
坂口の問いに、織田は慎重に答えた。
「私が接した限りでは、天野って人、まったくのインチキでもない気がするんです。悪いことしようって感じじゃないですし。魔がどうのって話は、よくわかりませんが」
坂口が「あー」とうなる。
「天野は、自分には特殊な力があるって、信じ切ってる。だから、本人はインチキをしてるなんて思っちゃいないさ。だから周りにも信用されやすい。まあ、『魔が見える』なんて言うんだから、それなりに力はあるんだろう」
なあ、と坂口が言うと、司がうなずいた。
「やだなあ、社長も司くんも、さっきから非科学的なことを」
織田が眉をひそめると、坂口は後頭部をぼりぼり掻いて面倒臭そうな顔をした。
「科学で証明できなきゃ存在しないって方が、乱暴だと思うけどな。現代人が鈍感になりすぎてるだけで、そんなに特別なことじゃないし」
坂口が上半身を乗り出す。
「オダサク、共感覚って知ってるか?」
「音とか数字に色が見える、っていうアレですか」
「そうだ。……俗に神とか魔が見えるってのも、似たようなもんだと思っとけ。空気には流れや種類がある。海水には塩分の濃い部分と薄い部分があって、そのせいで海流が起こるのと同じようなもんだ。たまに、密度が高くて澄んだ空気のかたまりがある。見える人には、そいつが神様や善い精霊の姿に見える。共感覚者が、音を聞くと色を視認するみたいにな。逆に、よどんだ空気は魔に見える」
なるほど、と織田はうなずいた。そう言われると、受け入れられる。
「よどんだ空気のできる過程まで説明すると、眉唾モノに思われちまうから、このへんでやめとく。小生とかは、鼻で笑って一蹴するしな」
「確かに、小生さんって、宗教やオカルト的なものは信じなさそうですよね」
「ああ。大学時代に、それであいつと大喧嘩したんだ。神主のことを、『嘘のまじないで暗示をかけて人々に安心を担保する職業』とかぬかしやがったから」
社長は大学卒業後、専修学校で資格を取得した立派な神職なのだ。司と同様、現代人の宗教のとらえ方については言いたいことが沢山あるのだろう。
とにかく、と坂口が咳払いをする。
「人外のものが見えるとか、加持や気功で簡単な病気を治すなんてのは、特別なことじゃない。だから、それができる奴を『すごい』と手放しで信頼するな。そいつはただ単に『暗算が得意』とか『格闘技がうまい』程度の『すごい』だ」
そういえば以前、司にも似たようなことを言われた。坂口が続ける。
「繰り返して言うが、すごい人だからって、自分のすべてをゆだねてついていくなんてもってのほかだぞ。免疫のない奴ほど、ころっと信じちまうんだ」
だから、坂口はわざと、オカルトまがいの話をしてくれたのだろうか。自分の能力では把握しきれないことを天野が埋めてくれる、と盲信してしまわないように。
織田は素直に「はい」とうなずいた。
社長の坂口龍平が、半分笑いながら言い放つ。
「泣いてなんかいません!」
会社に戻ってきた織田朔耶は、会議室のソファの肘かけに額をつけ、ふてくされてスカーフを頭からかぶった。
竹藪の黒い煤が、天野から聞いた魔のイメージとあまりに符合するため、恐ろしくなった織田は半狂乱で坂道を駆け下り、駅前で待っていた司に「助けて」としがみついてしまった。そして、なだめられながら電車に乗って帰って来たのだ。
「写真くらい撮ってくれば、どんなトリックか分析できたのに」
向かいに座る坂口の言葉に、取り乱した自分が今更ながら恥ずかしくなってくる。冷静になれば、あの煤も、緑の炎も、人工的に作り出せるはずなのだ。
「龍平兄さん、危ない橋を渡ってもらったのに、そんな言い方しないでくださいよ。一時間以上も隔離されて怖い話を植え付けられれば、無理もないんですから。ね、織田さん」
坂口司がフォローしてくれる。そういえば、どさくさにまぎれて彼にしがみついてしまった。弱いところを見られたのが情けないし、司が異性だったことを今さら思い出して、織田はスカーフで顔を隠したままうめいた。
「まあ、録音はきれいに取れてたし、状況もわかってきた。お手柄だぞ、そこのブルカかぶってる姉ちゃん」
社長の言葉に、織田はしぶしぶスカーフを取り、唇を噛んでうつむいた。
初校チェックのため待機していた社長と、徹夜明けで仮眠していたデザイナーの谷崎峻と永井遙香、それに司には、録音したものを聞いてもらい、状況を説明してある。もちろん、占いと加持代は、声を領収証代わりにして司に払ってもらった。
織田の潜入取材の間、司がファルスの名刺を持って近所に聞き込みをしていた。
それによると天野は、病気にかかった人に加持を勧めに来て、試しに依頼をすると「効果が半減するから病院に行くな、薬も飲むな」と強要するので、何度かもめたらしい。地区の常会に出席して、「町内の神社には魔が棲みついているから、今年の夏祭は中止にすべきた」と主張してひんしゅくを買った、とも。
「あの坂の下でナントカ祭の準備をしてた神社?」
織田が言うと、司が「そう、おんはら祭の神社」とうなずいた。
「おんはら祭って、何? 一般的なお祭なの?」
「ポスターに茅の輪が描いてあったから、たぶん夏越の祓だろうね。『おんはら』は、お祓いがなまったんだと思うよ」
夏越の祓なら知っている。毎年六月三十日に、心身の罪穢れや災いを取り除き、清浄な本来の姿に戻す祭祀だ。先月織田も、紙でできた人形で体をなでて息を吹きかけ、神職である司の神社でお祓いをしてもらった。
「夏越の祓って、六月末じゃないの? 和菓子の水無月を食べるし」
「昔は旧暦でやっていたんだよ。新暦でいうと、七月末から八月上旬かな。あの神社は、旧暦と新暦の折衷案として、七月末にお祭をするんだろうね」
話を聞いていた坂口社長が、首を左右に倒してパキパキ鳴らしながら言う。
「司、その神社、本当に魔がいたのか?」
普通のこととして話を進めようとするので、織田は思わず「へ?」と声をあげてしまった。司が怪訝な顔をすることもなく、自然に受け答えをする。
「いないと思いますよ。夏越の祓の前だから、まあ、アレですけど」
ああ、この時期はアレだよな、と坂口が得心したようにうなずく。
社長も神職資格を持っているとはいえ、この二人までオカルトめいた発言をすることに、織田は不安になってきた。
「オダサクは、天野のことをどう思った?」
坂口の問いに、織田は慎重に答えた。
「私が接した限りでは、天野って人、まったくのインチキでもない気がするんです。悪いことしようって感じじゃないですし。魔がどうのって話は、よくわかりませんが」
坂口が「あー」とうなる。
「天野は、自分には特殊な力があるって、信じ切ってる。だから、本人はインチキをしてるなんて思っちゃいないさ。だから周りにも信用されやすい。まあ、『魔が見える』なんて言うんだから、それなりに力はあるんだろう」
なあ、と坂口が言うと、司がうなずいた。
「やだなあ、社長も司くんも、さっきから非科学的なことを」
織田が眉をひそめると、坂口は後頭部をぼりぼり掻いて面倒臭そうな顔をした。
「科学で証明できなきゃ存在しないって方が、乱暴だと思うけどな。現代人が鈍感になりすぎてるだけで、そんなに特別なことじゃないし」
坂口が上半身を乗り出す。
「オダサク、共感覚って知ってるか?」
「音とか数字に色が見える、っていうアレですか」
「そうだ。……俗に神とか魔が見えるってのも、似たようなもんだと思っとけ。空気には流れや種類がある。海水には塩分の濃い部分と薄い部分があって、そのせいで海流が起こるのと同じようなもんだ。たまに、密度が高くて澄んだ空気のかたまりがある。見える人には、そいつが神様や善い精霊の姿に見える。共感覚者が、音を聞くと色を視認するみたいにな。逆に、よどんだ空気は魔に見える」
なるほど、と織田はうなずいた。そう言われると、受け入れられる。
「よどんだ空気のできる過程まで説明すると、眉唾モノに思われちまうから、このへんでやめとく。小生とかは、鼻で笑って一蹴するしな」
「確かに、小生さんって、宗教やオカルト的なものは信じなさそうですよね」
「ああ。大学時代に、それであいつと大喧嘩したんだ。神主のことを、『嘘のまじないで暗示をかけて人々に安心を担保する職業』とかぬかしやがったから」
社長は大学卒業後、専修学校で資格を取得した立派な神職なのだ。司と同様、現代人の宗教のとらえ方については言いたいことが沢山あるのだろう。
とにかく、と坂口が咳払いをする。
「人外のものが見えるとか、加持や気功で簡単な病気を治すなんてのは、特別なことじゃない。だから、それができる奴を『すごい』と手放しで信頼するな。そいつはただ単に『暗算が得意』とか『格闘技がうまい』程度の『すごい』だ」
そういえば以前、司にも似たようなことを言われた。坂口が続ける。
「繰り返して言うが、すごい人だからって、自分のすべてをゆだねてついていくなんてもってのほかだぞ。免疫のない奴ほど、ころっと信じちまうんだ」
だから、坂口はわざと、オカルトまがいの話をしてくれたのだろうか。自分の能力では把握しきれないことを天野が埋めてくれる、と盲信してしまわないように。
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