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第二幕
第30話 シーザー暗号の行方
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ファックス送信完了の電子音が聞こえてくる。SOSは発信された。
織田が安堵のため息を漏らすと、夕貴が早足で戻ってきた。織田の方を見ようともせず、持ってきた箱から薬草のようなものを出し、香炉にくべている。
「先生と私たちは、神社の魔を退治しに行くから。さくらさんの調伏は後ね」
ライターで火をつけると、ミントに似た強い匂いが漂い始めた。
「これは魔が嫌う匂いだから、体からいぶりだしたり、力を抑えたりできるの。先生が帰るまで、頑張って。魔に負けないでね」
夕貴が立ち上がって振り返る。まさか、この状態で置いていく気なのか。
「ちょっと待って」
「せめて灯りはつけていくね」
豆球だけをつけて、夕貴は出て行った。
バタン、と必要以上に大きな音が鳴る。天野たちの足音が遠ざかっていく。
「ちょっと!」
声が聞こえなくなり、人の気配も消えた。
淡いオレンジの照明に白い煙がたゆたう中、織田は縛られたまま取り残された。
なんとか縄をほどけないか、織田は両手を動かしてみた。ご丁寧に隙間なく縛られているから、結び目に指が届かない。
今度は縄から机の脚を抜こうと、背中で天板を押し上げた。が、それでは結び目を下から抜くことができない。何とか机を横倒しにしようとするが、案外重くてちっとも動いてくれない。
そうこうするうちに、薬草を焚く煙が充満してくる。
喉がひりつき、呼吸が浅くなる。酸素が必要だというのに、深く呼吸できない。煙が沁みるから、まともに目も開けられない。
暑さときつい香りで、頭が朦朧としてくる。
このままでは、熱中症か何かで倒れてしまう。
織田はいったん動きを止めて力をため、雄叫びと共に体当たりの要領で机を横倒しにした。机の脚から縄を抜くと、咳き込みながらうずくまる。
薄目を開けて、中腰のまま扉へと近づく。扉にもたれて立ち上がると、後ろ手のままで取っ手に指をかけ、勢いよく引っ張った。
だが、扉はびくともしない。鍵をかけているのだろう。
──もう、やだ。
香の煙のせいで酸素はいよいよ薄くなり、こめかみが締め付けられるように痛む。涙が流れてくるのは、煙のせいだけではなかった。
──なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ。
嗚咽がもれる。もう、立っている気力も残っていない。
織田は床にへたりこんで、扉に背中をもたせかけた。
隙間から、ほんの少しだけ、新鮮な空気が流れている。口を近づけて、それをむさぼるように吸った。泣いたら体力を消耗する、こらえろ、呼吸に集中するんだ、と自分に言い聞かせながら。
ここに閉じ込められてから、何分ほど経っただろう。
あのファックスは届いただろうか。すぐに助けに来てくれたとしても、会社から一時間はかかる。だとしたら、あと四十分か五十分か……。
呼吸とともに数を数えながら、時の流れを把握しようとする。息苦しさから、意識が途切れがちになってきた。
どれくらい意識が飛んでいたのだろう。遠くの方で、物音がした。
「誰かいますか」
聞こえた。確かに人の──津島の声だ。やはり、来てくれた!
ここです、と言おうとしたが、煙にやられて大きな声が出ない。織田はよろよろと立ち上がり、足で何度も扉を蹴りつけて音を鳴らした。
足音が近づいてくる。
「ここですね。……今開けます」
ガタガタと音がして、そっと扉が開いた。
久々の明るさに、目を細める。見上げる位置に、背の高い津島の顔があった。
「津島さ……」
新鮮な空気にむせ返り、織田は腰を折って咳き込んだ。
「今、ほどきます。じっとして」
津島が後ろに回り、縄を解く。ようやくいましめから解放され、凝り固まっていた手や肩を動かす。縛られていた手首は、赤黒く変色していた。
「他に危害を加えられたところは」
心配そうに顔を覗き込んでくる。芥川龍之介似の整った顔立ちに、一瞬胸がきゅんとなったが、今はそれどころではない。
「大丈夫です。それより、おんはら神社が」
織田は、ことのあらましを説明した。
「そちらは、坂口たちが手を打っています。昨日の夜、ここの女性が神社のあたりをうろついていたのを見たので」
加持をする部屋を写真に撮るため、津島が奥へ向かう。
織田は一直線に母屋の台所へ行き、蛇口の下に顔をやって、コップも使わず水をがぶ飲みした。冷蔵庫に飲み物は入っているが、何が混入しているかわからない。
汗で汚れた顔を洗うと、ようやく意識がしっかりとしてきた。
人心地ついたところで、カバンを取りにいく。
化粧が崩れたままだが、直している暇などない。金庫の中の財布と携帯は今は諦めることにして、織田は玄関へ向かった。
門のところで待っていた津島と合流し、外へ出る。あの手紙のことを思い出すと、どうしても彼のことを意識してしまう。が、ひとまず後回しだ。
砂利道に停めてある車の後部座席に荷物を置き、助手席へ乗り込んだ。運転席の津島がエンジンをかけ、車を発進させる。
「これから、おんはら神社へ行きますが、織田さんはどうしますか? 対峙するのが怖ければ、休んでいてもらっても……」
「もちろん、私も行きます。最後まで見届けさせてください」
津島がうなずく。
「役者がそろいましたね。……では、道化芝居の始まりです」
織田が安堵のため息を漏らすと、夕貴が早足で戻ってきた。織田の方を見ようともせず、持ってきた箱から薬草のようなものを出し、香炉にくべている。
「先生と私たちは、神社の魔を退治しに行くから。さくらさんの調伏は後ね」
ライターで火をつけると、ミントに似た強い匂いが漂い始めた。
「これは魔が嫌う匂いだから、体からいぶりだしたり、力を抑えたりできるの。先生が帰るまで、頑張って。魔に負けないでね」
夕貴が立ち上がって振り返る。まさか、この状態で置いていく気なのか。
「ちょっと待って」
「せめて灯りはつけていくね」
豆球だけをつけて、夕貴は出て行った。
バタン、と必要以上に大きな音が鳴る。天野たちの足音が遠ざかっていく。
「ちょっと!」
声が聞こえなくなり、人の気配も消えた。
淡いオレンジの照明に白い煙がたゆたう中、織田は縛られたまま取り残された。
なんとか縄をほどけないか、織田は両手を動かしてみた。ご丁寧に隙間なく縛られているから、結び目に指が届かない。
今度は縄から机の脚を抜こうと、背中で天板を押し上げた。が、それでは結び目を下から抜くことができない。何とか机を横倒しにしようとするが、案外重くてちっとも動いてくれない。
そうこうするうちに、薬草を焚く煙が充満してくる。
喉がひりつき、呼吸が浅くなる。酸素が必要だというのに、深く呼吸できない。煙が沁みるから、まともに目も開けられない。
暑さときつい香りで、頭が朦朧としてくる。
このままでは、熱中症か何かで倒れてしまう。
織田はいったん動きを止めて力をため、雄叫びと共に体当たりの要領で机を横倒しにした。机の脚から縄を抜くと、咳き込みながらうずくまる。
薄目を開けて、中腰のまま扉へと近づく。扉にもたれて立ち上がると、後ろ手のままで取っ手に指をかけ、勢いよく引っ張った。
だが、扉はびくともしない。鍵をかけているのだろう。
──もう、やだ。
香の煙のせいで酸素はいよいよ薄くなり、こめかみが締め付けられるように痛む。涙が流れてくるのは、煙のせいだけではなかった。
──なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ。
嗚咽がもれる。もう、立っている気力も残っていない。
織田は床にへたりこんで、扉に背中をもたせかけた。
隙間から、ほんの少しだけ、新鮮な空気が流れている。口を近づけて、それをむさぼるように吸った。泣いたら体力を消耗する、こらえろ、呼吸に集中するんだ、と自分に言い聞かせながら。
ここに閉じ込められてから、何分ほど経っただろう。
あのファックスは届いただろうか。すぐに助けに来てくれたとしても、会社から一時間はかかる。だとしたら、あと四十分か五十分か……。
呼吸とともに数を数えながら、時の流れを把握しようとする。息苦しさから、意識が途切れがちになってきた。
どれくらい意識が飛んでいたのだろう。遠くの方で、物音がした。
「誰かいますか」
聞こえた。確かに人の──津島の声だ。やはり、来てくれた!
ここです、と言おうとしたが、煙にやられて大きな声が出ない。織田はよろよろと立ち上がり、足で何度も扉を蹴りつけて音を鳴らした。
足音が近づいてくる。
「ここですね。……今開けます」
ガタガタと音がして、そっと扉が開いた。
久々の明るさに、目を細める。見上げる位置に、背の高い津島の顔があった。
「津島さ……」
新鮮な空気にむせ返り、織田は腰を折って咳き込んだ。
「今、ほどきます。じっとして」
津島が後ろに回り、縄を解く。ようやくいましめから解放され、凝り固まっていた手や肩を動かす。縛られていた手首は、赤黒く変色していた。
「他に危害を加えられたところは」
心配そうに顔を覗き込んでくる。芥川龍之介似の整った顔立ちに、一瞬胸がきゅんとなったが、今はそれどころではない。
「大丈夫です。それより、おんはら神社が」
織田は、ことのあらましを説明した。
「そちらは、坂口たちが手を打っています。昨日の夜、ここの女性が神社のあたりをうろついていたのを見たので」
加持をする部屋を写真に撮るため、津島が奥へ向かう。
織田は一直線に母屋の台所へ行き、蛇口の下に顔をやって、コップも使わず水をがぶ飲みした。冷蔵庫に飲み物は入っているが、何が混入しているかわからない。
汗で汚れた顔を洗うと、ようやく意識がしっかりとしてきた。
人心地ついたところで、カバンを取りにいく。
化粧が崩れたままだが、直している暇などない。金庫の中の財布と携帯は今は諦めることにして、織田は玄関へ向かった。
門のところで待っていた津島と合流し、外へ出る。あの手紙のことを思い出すと、どうしても彼のことを意識してしまう。が、ひとまず後回しだ。
砂利道に停めてある車の後部座席に荷物を置き、助手席へ乗り込んだ。運転席の津島がエンジンをかけ、車を発進させる。
「これから、おんはら神社へ行きますが、織田さんはどうしますか? 対峙するのが怖ければ、休んでいてもらっても……」
「もちろん、私も行きます。最後まで見届けさせてください」
津島がうなずく。
「役者がそろいましたね。……では、道化芝居の始まりです」
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