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第三幕
第35話 インチキの暴露
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異常だ。天野も夕貴も、狂っている。
泣き叫ぶ陶子のことが痛々しく、織田は自分まで体がちぎれてしまいそうな気分になった。
「本当に正泰さんがいるって、ちゃんと確かめたくて。よく見えないから、不安で。……ごめんなさい、ごめんなさい」
汚れを払うかのように、陶子が泣きながら自分の体をたたく。何度も、何度も。
坂口が腰をかがめて、彼女と目線を合わせる。
人差し指を唇の前で立て、静かに、と合図する。慟哭を呑み込んだ陶子が、次の言葉を待つかのように坂口を見つめる。
「愛してるよ、陶子」
先ほどの男性の声がした。どこからかははっきりしないが、確かに聞こえた。
「正泰さん! 待って。お願い、待って!」
陶子が立ち上がり、天に向かって叫ぶ。誰もが見上げたが、そこには西陽の色が薄れつつある空が、いくぶん星をはらんで広がっているだけだった。
陶子はしばらく空を見上げていたが、もう亡夫の声は聞けないと知ると、地面に座り込んで泣きだした。その隣に、坂口がそっと寄り添う。
「彼は天にいる。あんたが、ちゃんとした手順で来てくれるのを願っている」
それでも陶子は、「置いていかれた」と泣き続けている。その耳に、坂口がやさしく語りかける。
「どうしても寂しいときは、二人で一緒に拝観した仏像を訪ねるといい。……とにかく、生きなさい。意味なんかわからなくても、生きなさい。生きて、あんたと、亡き夫の人生をいたわりなさい」
あれは確か、坂口安吾の一節だ。
『堕落論』の言葉が織田の脳裏に浮かぶ。「生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか」
櫓上の天野を、織田は睨みつけた。一時でも、この人はすごい、信頼できる、と思った自分が腹立たしい。目の下の濃すぎる隈も、厚ぼったい唇も、僧侶のくせに脂気のあるところも、何もかもが憎たらしく思えた。
司と愛美が来て、陶子をかばうように両脇に立ち、天野から見えない後方へ連れていく。天野は険しい表情のまま、虚勢を崩さない。
「ひどい奴だな、お前」
坂口が天野を見上げる。
「私は何もしていない。彼女の妄想だ。魔に憑かれて、夢と現実の区別がつかなくなっていたんだ」
「また魔か。何でもかんでも魔のせいにするのはやめろ!」
坂口が、いらついた声をあげ、後ろを指さす。
「お前さんが言っていた神社の魔、あれ、もうないぞ」
植え込みの向こうの屋根を見ると、さっきまでかかっていた黒い靄が、薄くなって空へと溶けていくところだった。禍々しく感じていたものがなくなり、兜の緒のような千木が、凛々しく空に映えている。
天野が、口を半開きにしたまま神社を見つめる。坂口がさらに畳みかける。
「夏越の祓が斎行されたんだ。調伏すべき魔とやらは、もういない。さあ、どうする」
空気が張り詰める。歯ぎしりをする天野の顔が、醜くゆがむ。
「お前こそが魔だ! 願主や人々のために行を修する私を、この私を、邪魔しようとする。それこそが魔の証拠じゃないか!」
天野が社長を指さして、言い放つ。すかさず、坂口もマイクを握って反論した。
「いいや、魔はお前だ! ……今、女性を軟禁しているだろう。髪の短い、二十代半ばくらいの」
坂口が目頭を左手でつまむ動作をしながら、言い当てていく。天野の後ろに控えている、夕貴の目つきが険しくなった。
「かわいそうに。煙にいぶされて……ん、火事か? 閉じ込められている部屋に、火が回ってきたぞ! こりゃいかん」
夕貴と天野が顔を見合わせ、慌てて振り返る。庵がある方向を凝視しているが、もちろん煙はあがっていない。
二人が背を向けている間に、織田はウィッグを取り、早がわり衣装用のワンピースをはぎ取った。津島がすばやくそれらを受け取り、バッグに詰め込む。
自然庵で着ていた紺色の作務衣姿になると、坂口のそばへ行き、地面に膝をついてうずくまった。
「天手力男神、助け給え!」
物々しい声で、坂口が言い放つ。
「大丈夫か、お嬢さん」
声をかけられ、織田は煙の充満した部屋からたった今出てきたかのように、咳き込んで荒い呼吸をしてみせた。
見上げると、天野と夕貴がこちらを向き直り、顔をこわばらせている。気おされないよう、立ち上がって二人を見据える。
「インチキだ!」
マイクを夕貴から奪い取って、ゆでだこのように真っ赤になった天野が叫ぶ。
「人ひとりを法力で空間移動させることなど、できるわけがない。子どもだましもいいところだ。……さくら、お前はこいつらのスパイだったのか。ただで済むと思うなよ」
「俺は『助け給え』と祈っただけだ。テレポーテーションさせたとは言っていない」
織田を隠すように前に立ち、坂口が続ける。
「インチキはお前だ。まず一つ目。お前、出家したのは本当だが、もう僧籍はないだろう」
まさかそんな根本的なところから騙されていたとは。織田は驚いて、坂口の後ろから天野と夕貴の反応を見た。
「なぜ知っているかって? 見ればわかる。お前さんが神仏の加護を失っているからだよ。どうりで、酷いことや訳のわからないことばかりするはずだ。僧侶じゃないんだもんな」
天野の目つきが険しくなり、わなわなと震えだす。
「あんなヒエラルキー構造に、何の意味がある! 私の能力を認めない愚か者たちに、なぜ従う必要がある。僧籍などという形骸化したものは、必要ない。私はこの能力だけで、十分やっていける」
取り繕う天野に、夕貴が寄り添ってうなずく。坂口があきれた口調で続ける。
「お前、本当に都合のいい部分しか勉強しなかったんだな。そういう勝手な奴がいたら教えが正しく伝わらないから、教団は事細かな戒や規律を定めているんだろうが。僧侶の肩書きを外して、袈裟も脱げ。立派な詐欺だぞ」
人々がざわめきだす。それをさえぎるように、坂口が声を張り上げた。
「二つ目」
夕貴を指さし、周りの人たちの視線が彼女に集まるのを待って、口を開く。
「昨日の夜、あのお嬢さんがこの会場で、何かを仕込んでいるのを見た」
泣き叫ぶ陶子のことが痛々しく、織田は自分まで体がちぎれてしまいそうな気分になった。
「本当に正泰さんがいるって、ちゃんと確かめたくて。よく見えないから、不安で。……ごめんなさい、ごめんなさい」
汚れを払うかのように、陶子が泣きながら自分の体をたたく。何度も、何度も。
坂口が腰をかがめて、彼女と目線を合わせる。
人差し指を唇の前で立て、静かに、と合図する。慟哭を呑み込んだ陶子が、次の言葉を待つかのように坂口を見つめる。
「愛してるよ、陶子」
先ほどの男性の声がした。どこからかははっきりしないが、確かに聞こえた。
「正泰さん! 待って。お願い、待って!」
陶子が立ち上がり、天に向かって叫ぶ。誰もが見上げたが、そこには西陽の色が薄れつつある空が、いくぶん星をはらんで広がっているだけだった。
陶子はしばらく空を見上げていたが、もう亡夫の声は聞けないと知ると、地面に座り込んで泣きだした。その隣に、坂口がそっと寄り添う。
「彼は天にいる。あんたが、ちゃんとした手順で来てくれるのを願っている」
それでも陶子は、「置いていかれた」と泣き続けている。その耳に、坂口がやさしく語りかける。
「どうしても寂しいときは、二人で一緒に拝観した仏像を訪ねるといい。……とにかく、生きなさい。意味なんかわからなくても、生きなさい。生きて、あんたと、亡き夫の人生をいたわりなさい」
あれは確か、坂口安吾の一節だ。
『堕落論』の言葉が織田の脳裏に浮かぶ。「生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか」
櫓上の天野を、織田は睨みつけた。一時でも、この人はすごい、信頼できる、と思った自分が腹立たしい。目の下の濃すぎる隈も、厚ぼったい唇も、僧侶のくせに脂気のあるところも、何もかもが憎たらしく思えた。
司と愛美が来て、陶子をかばうように両脇に立ち、天野から見えない後方へ連れていく。天野は険しい表情のまま、虚勢を崩さない。
「ひどい奴だな、お前」
坂口が天野を見上げる。
「私は何もしていない。彼女の妄想だ。魔に憑かれて、夢と現実の区別がつかなくなっていたんだ」
「また魔か。何でもかんでも魔のせいにするのはやめろ!」
坂口が、いらついた声をあげ、後ろを指さす。
「お前さんが言っていた神社の魔、あれ、もうないぞ」
植え込みの向こうの屋根を見ると、さっきまでかかっていた黒い靄が、薄くなって空へと溶けていくところだった。禍々しく感じていたものがなくなり、兜の緒のような千木が、凛々しく空に映えている。
天野が、口を半開きにしたまま神社を見つめる。坂口がさらに畳みかける。
「夏越の祓が斎行されたんだ。調伏すべき魔とやらは、もういない。さあ、どうする」
空気が張り詰める。歯ぎしりをする天野の顔が、醜くゆがむ。
「お前こそが魔だ! 願主や人々のために行を修する私を、この私を、邪魔しようとする。それこそが魔の証拠じゃないか!」
天野が社長を指さして、言い放つ。すかさず、坂口もマイクを握って反論した。
「いいや、魔はお前だ! ……今、女性を軟禁しているだろう。髪の短い、二十代半ばくらいの」
坂口が目頭を左手でつまむ動作をしながら、言い当てていく。天野の後ろに控えている、夕貴の目つきが険しくなった。
「かわいそうに。煙にいぶされて……ん、火事か? 閉じ込められている部屋に、火が回ってきたぞ! こりゃいかん」
夕貴と天野が顔を見合わせ、慌てて振り返る。庵がある方向を凝視しているが、もちろん煙はあがっていない。
二人が背を向けている間に、織田はウィッグを取り、早がわり衣装用のワンピースをはぎ取った。津島がすばやくそれらを受け取り、バッグに詰め込む。
自然庵で着ていた紺色の作務衣姿になると、坂口のそばへ行き、地面に膝をついてうずくまった。
「天手力男神、助け給え!」
物々しい声で、坂口が言い放つ。
「大丈夫か、お嬢さん」
声をかけられ、織田は煙の充満した部屋からたった今出てきたかのように、咳き込んで荒い呼吸をしてみせた。
見上げると、天野と夕貴がこちらを向き直り、顔をこわばらせている。気おされないよう、立ち上がって二人を見据える。
「インチキだ!」
マイクを夕貴から奪い取って、ゆでだこのように真っ赤になった天野が叫ぶ。
「人ひとりを法力で空間移動させることなど、できるわけがない。子どもだましもいいところだ。……さくら、お前はこいつらのスパイだったのか。ただで済むと思うなよ」
「俺は『助け給え』と祈っただけだ。テレポーテーションさせたとは言っていない」
織田を隠すように前に立ち、坂口が続ける。
「インチキはお前だ。まず一つ目。お前、出家したのは本当だが、もう僧籍はないだろう」
まさかそんな根本的なところから騙されていたとは。織田は驚いて、坂口の後ろから天野と夕貴の反応を見た。
「なぜ知っているかって? 見ればわかる。お前さんが神仏の加護を失っているからだよ。どうりで、酷いことや訳のわからないことばかりするはずだ。僧侶じゃないんだもんな」
天野の目つきが険しくなり、わなわなと震えだす。
「あんなヒエラルキー構造に、何の意味がある! 私の能力を認めない愚か者たちに、なぜ従う必要がある。僧籍などという形骸化したものは、必要ない。私はこの能力だけで、十分やっていける」
取り繕う天野に、夕貴が寄り添ってうなずく。坂口があきれた口調で続ける。
「お前、本当に都合のいい部分しか勉強しなかったんだな。そういう勝手な奴がいたら教えが正しく伝わらないから、教団は事細かな戒や規律を定めているんだろうが。僧侶の肩書きを外して、袈裟も脱げ。立派な詐欺だぞ」
人々がざわめきだす。それをさえぎるように、坂口が声を張り上げた。
「二つ目」
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