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12話

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夕飯を終えて、部屋に戻っると、サックスが、小さなテーブルを持ってきた。

「教えて?」

サックスと勉強をしている周りで、クウとアモスが走り回っていた。
急に静かになり、周りを見ると、疲れたクウとアモスが、ベットで寝ていた。
さっきまでは、うるさいと騒いでいたコアトルも、二人の近くで寝ている。
それを見て、二人で静かに笑った。

「…ねぇねぇ」

「ん?」

「兄ちゃんたちは、旅をしてるんでしょう?」

「そうだよ」

「今まで、どんな事があったの?」

純粋な輝きを放つサックスに、包み隠さず、全てを話した。
自分は、アルスメティア国軍の軍兵だった。
コアトルと出会い、仲間の裏切りで、犯罪者になった。
自分の身代わりを作り、誰にも知られないように旅に出た。
多くの魔物と仲良くなり、その中の魔物が死んだ。
カラフで、オルマに出会い、アモスと出会った。
クウを助け、カルマに出会った。
ゼンに出会い、ダレンシアでアリアに出会った。
父の事も、母の事も、イリヤの事も、全てを一つずつ話した。
サックスは、複雑な表情で聞いていた。

「色んな人が、いるんだね」

「そうだな。でも、俺は、エンさんやサックスのような人に出会える事が、すごく嬉しいよ」

「兄ちゃんたちは、これから何処に行くの?」

「パセナに行くんだ」

「パセナって…もう滅んでるよね?」

「それでも、行きたいんだ。そこで何があったか。そこに何があるか。それが知りたいんだ」

唖然としているサックスに、歯を見せて笑うと、サックスも、歯を見せて笑った。

「さてと。そろそろ、寝た方がいいんじゃない?」

「ん~…もう少し、話したいな」

「じゃ、場所を移そう」

テーブルを部屋の隅に置き、ベットで寝てるクウたちを見ながら、ゼンとサックスを連れて、エンとリリのいる部屋に向かった。
縫い物をしてるリリと、隣で、酒を飲んでいたエンは、ドアが開くと、酒の入ったカップを持ったまま、こちらに視線を向けた。

「勉強してたんじゃねぇのか?」

「そんな気分じゃ、なくなっちゃいまして。それなら、皆で話そうかと思いまして」

エンとリリの向かいに、サックスと並んで座った。

「じゃ、また飲もうや」

リリが、棚からカップを取り出して、テーブルに置き、エンが、カップに酒を注ぎ、リリがサックスのカップに黄色の液体を注いだ。

「それはなに?」

「父ちゃん特製、オンラジュースだよ」

オンラとは、黄色の果実で、温暖な気候の大陸で、よく採取されている。
一度、見付ければ、半永久的に、その場に実を付けるので、多くの町や村に流通している。

「一口どうぞ」

「頂きます」

サックスに、差し出されたカップを受け取り、顔に近付けると、柑橘系の爽やかな香りを鼻先を掠める。
カップに口を着けて、口の中にオンラのジュースを入れた。
最初は、酸っぱく感じたが、その中に、甘さがあり、飲み込むと、鼻から、また、爽やかな香りが抜ける。
しつこくない甘さ、爽やかな酸っぱさで、飲んでいてクセになりそうだ。

「ありがとう。美味しいね」

「そんなの当たり前だよ。父ちゃんの手作りなんだから」

「そっかぁ。いいね」

エンとサックスが、歯を見せ合って笑った。

「同じ顔して。何やってんだか」

リリが、笑いしながら、二人を見つめる。
そんな三人を見つめてから、カップの酒を一気に飲み、エンに向かい、真面目な顔を向けた。

「あと、どのくらいで、旅に出れますか?」

「なんだぁ?急にどうした?」

カップを見下ろして、中で、揺れる酒を見つめた。

「…知り合いに会ったんです。その人たちが、ハルバナに連れてくと言ってくれました」

「よかったじゃねぇか。じゃぁ、ちゃんと治ったら…」

「早く出たいんです」

「なんで、そんなに急ぐの?」

真っ直ぐ、エンを見つめた。

「その人たちも、世界から孤立してしまった存在なんです。いつまでも、ここに留まっている事が出来ないんです。それに、いつ、皆に迷惑が掛かるか…それなら、なるべく、早くハルバナに向かいたいんです」

「…兄ちゃん…」

「だがなぁ…あまり無理したら、傷が…」

「アルスメティアは、もうクリフ荒野にまで、軍兵を配置しています。ここ、ヒルメニまで、軍兵を配置するのは、時間の問題なんです」

三人の表情が、凍り付いたように固まった。

「皆の事を考えるならば、我らは、ここにいてはならない存在なのだ」

三人は、暗い顔をして、うつ向いてしまい、その姿に、胸の奥が締め付けられた。

「あと、どのくらいで、旅に出れますか?」

しばらく黙っていたが、静かにエンが告げた。

「…二、三日…」

エンは、顔を上げた。

「二、三日だ。それくらいには、あの子の傷も落ち着く。それまでは、待ってもらえ」

「分かりました。本当に、ありがとうございます」

テーブルに、頭が着きそうになる程、頭を下げると、ゼンも、頭を下げていた。
それを見つめる三人は、優しく微笑んでいた。

「んじゃ、楽しく飲もう」

それから、皆で、飲み直した。

「ねぇねぇ。また、さっきの話、聞かせてよ。ね?」

サックスにせがまれ、さっきと同じように旅の事を話した。
リリが驚いたり、エンが頷いたりして、時折、ゼンが、話に割って入って、三人に大笑いされた。
とても楽しく、居心地が良い。
だが、三日後には、ここを出る。
それからしばらくして、サックスが、大きなアクビをした。

「今日は、もう寝たら?」

「んん…おやすみなさい」

それに頷くと、サックスは、部屋から出て行き、それを見送ってから、残ってた酒を飲み干して立ち上がった。

「俺も、そろそろ寝ます。おやすみなさい」

ゼンと二人で、部屋を出て、部屋に向う廊下で、静かに呟いた。

「三日後には、出発しよう」

「分かった。アモスたちには、我から話しておく」

「ありがとう」

部屋のドアを開けると、気持ち良さそうに、手足を伸ばして寝ているクウと、その横で、仰向けになって寝ているアモスが見えた。
その格好をゼンと二人で、呆然と立ち尽くして見つめ、顔を見合わせ、どちらともなく笑った。
アモスを押して、隙間を作り、布団に入って、天井を見つめた。
これまでの記憶が、次々、頭の中に浮かんでくる。
エンたちとの出会いは、沢山のことを思い出させてくれた。
思い出に浸ってる内に、深い眠りに落ちていた。 
次の日から、サックスと一緒にいた。
一緒に仕入れに行ったり、保管庫で作業したり、店を手伝ったり、勉強したり、剣術を教えたり、本当に、様々なことをした。
サックスは、そのほとんどを吸収し、凄い子供になった。
出発前日、今日も、サックスと一緒に仕入れに来ていた。

「…これで大丈夫かな?」

「ちょっと待って…ん。大丈夫。帰ろう」

エンから、渡された紙と仕入れを確認してから、サックスと店に向かって歩き出し、店の前を通ろうとした時、ドアの前に立つ影を見付けた。
フォングだった。

「アックス~」

大きく手を振りながら、走ってきたフォングを見て、サックスの表情が曇った。

「真夜中に、迎えに来るから」

「え?出発は明日だろ?」

「昼間は動けないの」

「…い…ない…で…」

隣のサックスは、肩を震わせながら、下を向いていた。

「なに?なんて…」

「行かないで…行かないでよ!!」

今にも泣き出しそうに、目に涙を溜めて、顔を上げたサックスを見て、フォングは、辛そうな顔をした。
横に木箱を置いて、サックスの目線になるように中腰になる。

「ごめんな?それは出来ないよ」

「なんで?なんで出来ないの?今じゃなくてもいつか、連れてってくれる人が、必ず…」

「理由は、この前ちゃんと話したはずだよ?俺は…」

「頑張るから!!」

サックスは、力いっぱいに叫んだ。
下ろしたままで、両手を握り締め、涙を見せないように、下を向いて、肩を震わせるサックスを見下ろした。

「大きくなったら、絶対、連れてくから…頑張るから…だから…一緒に…」

「居れない」

顔を上げたサックスを見つめる瞳は、きっと何も写ってなかっただろう。
見上げるサックスの目元には、沢山の涙が溜まった。

「…兄ちゃんのバカ!!兄ちゃんなんか大っ嫌いだ!!」

走り去るサックスを見て、フォングは、慌てて叫ぼうとした。

「待っ…!!」

サックスを追い掛けようとするフォングの腕を掴んで引き止め、乱暴に閉まるドアの音が、辺りに響いた。

「…アックス…」

心配そうな顔をするフォングから視線を外し、腕から手を離した。

「港で待っててくれるか?必ず、行くから」

木箱を持ち上げて、店の裏口に向かうのをフォングは、見えなくなるまで見つめていた。
それから、一人で作業をした。
この日から、カウンターには出ないとことになっていたので、商品を取りに、エンが、保管庫に来るような形だった。
ある程度の作業を終えて、自宅の方に向かったが、家の前で、いつも遊んでいるはずのサナとエデンの姿もなかった。
ドアを開けて中に入ると、クウが、淋しそうに廊下に続くドアの前に座っていた。

「どうしたの?」

ドアを後ろ手で閉め、クウの横に、片膝を着いて聞くと、クウは、更に肩を落とした。

―みんな…おへやにいっちゃったの…―

「なんで?」

―さっくすが、なきながらかえってきて、そのまま、おへやにいっちゃったの…それをおいかけて、みんないっちゃったの…―

「クウは行かないの?」

―さっくす…くるしそうだった…にいたんと、けんかしたときの、くうみたいだったの。だから…いけないの…―

クウを、見つめてから目を閉じ、鼻で、小さく深呼吸を一つして、目を開けた。
クウを抱き上げ、ドアを開け、廊下を真っ直ぐに進んだ。
サックスが、こもってしまった部屋の前には、リリやアモスたち、エデンやサナもいた。
サナが気付き、リリの服を引っ張った。
リリも気付くと、申し訳無さそうな顔をして、うつ向いてしまった。
ドアの前に立ってノックをした。
返事なんて、返って来なかったが、もう一度、ノックした。

「サックス?…さっきは、ごめんな?」

部屋からは、物音一つしなかった。
ため息をついたリリに、振り返った。

「少し、席を外してもらえますか?」

「どうするの?」

「サックスと話してみます」

「…分かったわ」

リリが、サナとエデンを連れて、違う部屋に向かい、リリたちが部屋に入っていった。
ドアが、完全に閉まったのを確認して、サックスのいる部屋のドアに向き直った。

「サックス。俺の親友の事、まだ話してないよな?俺の親友とは、軍兵の育成所の時からの仲だった。色んな話もした。一緒に色んな事をした。バカな事して、教官に怒られたり、二人で、ドジ踏んでみたり、一緒に勉強したり。城の召し使いに、気に入られてしまって、困ってた俺を助けてくれたり。配属になった初日に、ヘマして、庇い合ったり。最高の親友。そんな親友。俺は、その親友を目の前で失った」

部屋の中から、微かに、布が擦れる音が聞こえた。

「俺が、仲間を助けようとした。そんな俺と、一緒に戦ってくれた。でも、俺のせいで、親友、シリスは死んだ。俺は、助けられなかった。だから…だから、俺は、もう誰も失いたくない。俺の為に、誰も傷付いて欲しくない。誰も、シリスのようになって欲しくないんだ」

また部屋の中から、布が擦れる音がし、床を見つめた。

「…俺は、皆、大好きだ。サックスも。大嫌いと言われても、ずっと大好きだから。こんな時に変な話して、ごめんな?…だけど、分からなくてもいい。俺の気持ちだから。…元気でな」

皆を連れて、リリたちの所に戻ると、エンも、今日は、もう店を締めたらしい。
ドアを開けると、リリに、サナが、エンには、エデンが、抱き付いて泣いていた。
ドアの閉まる音で、エデンとサナが、更に涙を流し、顔を歪めてしまった。
うつ向いたまま、振り返り部屋を出て、借りてる部屋にいることにした。
部屋に入り、クウをベットに下ろし、黙ったまま、荷物の整理をした。

「子供には、理解しきれないか」

「しょうがないよ。分かってはいるんだけど、気持ちがついていけないんだと思う。サックスは、余計にね。日頃から、我慢してる部分が多いんだと思うから、耐えられなくなったんじゃないかな」

「可哀想な事をしてしまったな」

「だが、仕方ない事だ」

「本当…最初に断ってれば、よかったんだろうな」

「そんな事を言ったら、キリがない」

「そう…だね。元は…俺が旅をしなければ、よかったんだろうな」

「お前は!!」

「分かってるよ?でも、そう言ってないと、また、八つ当たりしそうなんだ。ごめん」

皆、黙ってしまい、整理を終えると、ベットに寝転がった。
皆も、周りに、横になると、そのまま眠りに落ちていた。
夢を見た。
母と父に見付からないように、家を出て走り、その先に、ある家のドアを叩いた。
中から出てきたのは、幼い頃のイリヤだった。
二人で、手を繋いで走り出し、背の高い草むらをかき分けて、どんどん進む。
草むらの先には、彩り鮮やかな花畑が広がっていた。
その花畑で、花を摘んだり、花冠を作ったり、寝転んだりして遊んでいる。
振り返ると、イリヤが成長していた。
そのイリヤが、背中を向けて歩き出した。
イリヤが、どんどん遠くなる。
それを追うが、追い付けない。
どうしようもない感情が体の中を渦巻く中、急に、イリヤが立ち止まり振り返った。
その表情は、怒り、哀しみ、苦しみ、憤り、そんなような複雑な表情だった。
その名を呼びたくても、声が出ない。
その表情のまま、また背中を向けて歩き出してしまった。
そのまま立ち尽くし、ただ泣いていた。

「ふぐっ!!」

急に、胸が圧迫されて、息が詰まった。

「ご飯だよ!!」

「だよー!!」

サナとエデンが、二人で、胸の上に抱き付く形で乗ってた。

「分か…た」

起き上がり、ベットに座ると、二人に、じっと見つめられた。

「どうしたの?」

「本当に…行っちゃうの?」

二人は、あの後、しばらく泣き続けたのだろう。
エデンもサナも、目の周りが赤く、未だに、うっすらと、涙を溜めている。
二人の瞳を見つめ返して、優しく微笑んだ。

「行くよ」

「なんで…なんで、行っちゃうの?」

また、泣きそうになる二人の頭を優しく撫でた。

「また、ちゃんと会いに来る」

「本当?」

「本当。だから、もう泣かないで。な?」

歯を見せて笑うと、二人も、目にいっぱいの涙を浮かべながらも、歯を見せて笑ってくれた。

「さてと。行こうか?」

見つめたまま、不思議そうに首を傾げる二人と、一緒になって首を傾げると、サナが聞いた。

「何処に?」

それに、苦笑いしながら答えた。

「ご飯でしょう?」

「あ…忘れてた」

「わしゅれてた」

三人で、大笑いして、部屋を出た。
二人と手を繋いで、廊下を歩く。
エデンが、ドアを開けると、先に、アモスたちが来ていた。
リリとエンが、忙しそうに、調理場に出たり、入ったりしていた。

「手伝います」

「ありがとう。でも、大丈夫だから」

「でも…」

「いいから。座ってろ」

「座って」

「しゅわって。しゅわって」

サナとエデンに、手を引かれ、テーブルに近付いた。

―…にいたん―

クウの隣の椅子に、座らせられ、二人が、調理場に消えたのを確認してから、クウに顔を近付けて聞いた。

「皆…どうしたの?」

「我らが、来る前の生活に戻そうとしているのだ」

「そっ…か」

背もたれに背中を預けて、天井を見上げた。
それから、調理場から、次々に、料理が運ばれ、テーブルいっぱいになった。
やっと、リリたちが、座ると、食事を始めたが、サックスは、出て来なかった。
食事を終えて、部屋に戻り、荷物を持って、部屋を出た。
玄関を開けて、外に出ると、サックス以外の皆が、見送りに出て来た。

「今まで、本当に、お世話になりました」

振り返り、深く頭を下げると、エンとリリは、淋しそうに笑った。

「俺らも世話になった。楽しかったぞ」

「また、遊びに来てね」

サナとエデンが抱き付いて来た。

「絶対だよ」

「ぜったい」

「絶対来る」

二人の頭を優しく撫でると、二人は、リリとエンに抱き付いた。

「それじゃ…行ってきます」

四人に背を向け、港に向かって、歩き出し、顔だけを後ろに向け、何度も手を振った。
サナとエデンは、大きく腕を振り、リリは、小さく手を振り、エンは、何度も頷いていた。
見えなくなってから、四人は、家の中に戻った。
ベットの上で、布団にくるまり、鼻をすすり、涙が枯れたように出て来ない。
涙が流れ落ちた頬は、もう、乾き始めていた。
そんな風に、サックスは、一人で部屋にいた。
部屋の中に、ドアをノックする音が響いた。
黙ったままでいると、ドアが開き、足音が、近付いて来た。

「まだ、泣いてるのか?」

それは、エンだった。
エンの言葉に、返事もせずいると、ベットの縁に、エンが腰を下ろし、その重みに、ベットが軋んだ。
布団越しに、エンの手が、背中に置かれた。

「兄ちゃんに言われた。お前は、日頃から、我慢ばかりしてるんじゃないかって。すまんかったな。気付いてやれなくて」

その言葉に、布団の中から、少しだけ、顔を出すと、エンは、優しく微笑んだ。

「サナやエデンに、遠慮してたのか?」

サックスが、首を振った。

「俺らに、苦労させたくないのか?」

またサックスが、首を振ってから、掠れ声で答えた。

「…我慢…してない…」

エンは、少しだけ見えるサックスの頭に、優しく触れた。

「分かってない…だけなんじゃないか?」

サックスが、うつ向いて、布団を見つめ、それを見て、エンは、鼻で軽く笑った。

「お前、兄ちゃんに、ワガママ言ってたな?」

サックスが、勢いよく、顔を上げると、布団が腰の辺りまで、ずり落ち、完全にサックスの顔が見え、エンが、涙が乾いた頬に触れ、優しく微笑む。

「俺らにも、あんな風にしてくれ。家族なんだから」

また涙が、浮かんで頬を伝う。
サックスは、流れ落ちる涙を乱暴に拭いて、エンの腕を掴み、引っ張るように走り出した。
家を飛び出し、息の切れるも忘れて、エンの腕を引っ張って走り続けた。
暗闇の中、月明かりを頼りに、港を見回すと、大きな船の影が見えた。
目を凝らして、よく見ると、それは、あの海賊船だった。
立ち止まると、船の前から、一つの影が、こちらに、手を振りながら、近付いて来た。
月明かりの中、目の前まで来たフォングに微笑んだ。

「待たせたかな?」

「まだ。着いたばっかだよ」

「ならよかった。ありがとう」

「どういたしまして」

フォングは、優しく微笑みを返し、周りを見回して聞いた。

「フーリは?」

「エル様と一緒にいると思う」

「そっか」

会話が途切れ、気まずい雰囲気になると、フォングが、苦笑いした。

「じゃぁ、行こっか」

「あ…あぁ」

焦ったように返事をすると、フォングは、少し頼りなく笑ってから、船に向かい歩き出し、その後を追うように、船に乗り込んだ。
綺麗にされた廊下の両側にある部屋から、出入りしている船員に、頭を軽く下げる。
ただ真っ直ぐに進むと、目の前に、立派な木製のドアが現れた。
その前で、フォングは、立ち止まって振り向いた。
優しく微笑むと、フォングは、ドアに向き直り、大きく息を吸い込んでからノックした。

「入ります」

フォングの口調が、いつもと違った。
返事も待たずに、ドアを開けると、中には、椅子に座っているエルがいた。
そのエルが、向う机の前に、フーリが立っていた。

「彼を連れて来ました」

「お連れしました。入る前に言う。返事を聞いてから入る」

「すみません」

フォングが、頭を下げるのをエルは、苦笑いしながら、見ていた。

「もう、それくらいで、いいんじゃない?」

「まだまだです。大体、フォングは、基本がなってないんです」

「そう?前よりは、かなり良くなってると思うけど?」

「確かに…ここ数日は、かなり、必死になっていましたが…」

「今まで、していなかった事なのだから。そんな一気に出来ないわよ」

「しかし…」

「フーリ。あまり多くを望まない事よ?」

「…分かりました」

「ありがとうございます」

頭を下げたままのフォングに、フーリは、小さなため息をついた。
笑っていたエルが、急に、真面目な顔付きになって、立ち上がった。

「彼と二人で話がしたいの。席を外してくれない?」

その言葉を聞いて、二人は、頭を下げてから部屋を出て行き、ドアが完全に閉まり、二人っきりになると、エルが近付いて来た。
目の前で、立ち止まったエルは、頭を深々と下げた。
訳が分からず、半歩後退りをしたが、ずっと、頭を下げたままでいた。
意味を理解し、その肩をそっと叩いた。

「もういいんですよ」

頭を上げたエルの表情は、先程までと違い、悲しそうに歪んでいた。
エルから、視線を反らし、バックの中にいる皆をマント越しに見つめた。

「もう、終わった事ですから」

エルは、先程のフォングと同じような、頼りない笑顔をした。

「ところで、話ってなんですか?」

エルに視線を戻し、首を傾げて聞くと、エルは、無表情になり、うつ向いてしまった。

「…別に…何も」

「本当ですか?」

うつ向いていたエルは、しばらく黙っていた。

「…ただ、謝りたかった。酷い事をしたのを…それと、仲間を助けてくれた礼も…」

今にも消えてしまいそうな声で、呟くエルを見て、少し意地悪をしたくなった。

「あ~。だから、何もなしに乗せて頂けるんですね?」

イタズラっ子のような笑顔を見せると、エルは、目を細めて睨んだ。

「図星でしたかねぇ?」

大きくため息をついたエルが、両腕を上げ、手の平を見せて、降参のポーズをした。

「酷い人」

そのままのエルに、イタズラを思い付いた。

「では、何かあるんですか?」

眉を眉間に寄せ、ムッとした顔になったエルは、背を向けた。

「何もないわよ。まったく…ズルいんだから」

肩越しに顔を覗き込もうとして、顔を寄せて、更に聞いた。

「そうですか?」

ニヤリと笑うのを横目で、睨み付け、エルは、また、ため息をついた。

「もう…とにかく、何もしなくていいわ。それと仲間には、手を出したりしないでよ?」

「それはない」

マントで見えないバックの中から、アモスが声を出すと、小さく、コツンと、軽い音が聞こえた。
ゴソゴソと、バックが、動き出して、マントが揺れた。
それを驚いたエルは、ただマントを見つめていた。
ため息をついて、マントをよけ、中からバックを取り出した。
床に下ろすと、バックからアモスが、顔を出して見せ、エルが、納得したように頷いた。

「あの時、一緒にいた子たちね?」

コアトルとアモスが、バックから出て来たが、まだバックは膨らんでいる。
そのバックに、エルが、触れようと手を伸ばした時、腕に巻き付いていたゼンが、顔を前に出した。

「やめろ」

その声に、エルが驚き、手を引く。

「また、暴れては困るであろう」

「触れてくれるな」

コアトルまで喋ってしまい、エルは、完全に固まってしまった。
苦笑いしながら、床に置いたバックを持ち、肩に掛ける。

「皆、喋れるんです」

驚いた顔をしたままのエルは、声も出さず、ただ見つめているだけだった。
頬をポリポリと、掻いてから、アモスとコアトルを見下ろした。

「彼らの話は、また後日しますから。ね?」

目を細め、ニッコリ笑うと、エルは、何度も頷いた。

「出航、しなくていいんですか?」

エルは、時計を見て、慌てて部屋を出て行った。

「俺らは、甲板に行こうか」

アモスたちを連れて、ゆっくりと甲板に向かい、船員が、忙しそうに行ったり、来たりしている廊下を進んだ。
甲板に出ると、そこにも、忙しそうに動き回る船員がいて、邪魔にならないように、脇に反れる。
縁に手を着き、暗闇に染まった海を静かに見下ろした。
しばらく、そのまま見つめていると、甲板にいる船員に、知らせるように、汽笛が、鳴らされ、船は、静かに動き出した。
離れる港に、暗闇に浮かぶ山や町並み。
それらを見つめ、ここ、数日間の事を思い出していると、船が、徐々に加速し始めた。
港が遠くなり、町並みも見えずらくなると、海に、豆粒のような、小さな灯りが見えた。
その灯りは、船に近付いて来ていた。

「…ちゃ…に…ん…」

微かに、声が聞こえたような気がすると、甲板にいた船員が、武器を持って集まって来た。

「に…ちゃーん…!」

その声は、サックスの声に似ていた。

「構えて」

甲板に出て来たエルが叫び、周りにいた船員たちが武器を構えた。

「待って!!」

静止させ、船員たちは、構えたまま、その光を見つめていた。

「にいーちゃーーん!!」

声の主は、サックスだった。

「アモス!!」

ソードアックスを鞘から抜き、海に翳すと、船の周りに光が満ち、周りの景色が分かるようになった。
小さな灯りが船に近付き、光の範囲に入った。

「兄ちゃん!!」

小さな灯りは、エンの船だった。
きっと、エンが運転しているだろう、船の甲板にサックスがいた。

「絶対に!!また!!会おうね!!約束!!だからねぇーー!!」

小さな体で、サックスは、力いっぱい叫ぶ。

「絶対!!会いに来るからなぁーー!!」

サックスに見えるか分からないが、歯を見せて笑うと、サックスも、歯を見せて笑ってくれた。

「いってらっしゃーーい!!」

叫びながら、手を振るサックスに、手を振り返すと、エンの船が徐々に減速した。
光が届く範囲の外に出るまで、手を振り続けた。
海賊船の光が、見えなくなるまで、サックスは甲板にいた。
光が消え、辺りが暗闇に包まれると、エンが操舵室から顔を出して声を掛けた。

「帰っぞ」

「うん」

サックスが、静かに返事をすると、船は、旋回し、港に戻った。
夜風を浴び、体が冷えるのも気にせず、サックスが、ずっと、甲板で海賊船が、向かった方角を見つめた。

「帰ったら、飯食えよ」

「うん」

「暖かくすんだぞ」

「うん」

「明日からは、ちゃんと、店手伝えよ」

目元を袖で、乱暴に拭いたサックスは、エンを見た。

「ちょっとだけね」

歯を見せて笑うサックスを見たエンの豪快な笑い声が、暗闇の中に響き渡った。

「父ちゃん」

「ん?」

一頻り笑ったエンの声が消えた後、サックスが、暗闇を見据えたまま、頬を引き上げ、優しく微笑みを浮かべた。

「大きくなったら、海に出たい。海に出て、兄ちゃんに会いに行きたい」

エンが、驚いた顔をした。

「会いに来るって言っただろ。それまで、待ってな」

「違うんだ。俺が、すげぇ男になったのを兄ちゃんに見せたいんだ」

一瞬、驚いたが、すぐに、いつものエンに戻り、豪快に笑った。

「ガーッハハハ…やれんもんなら、やってみな。まぁ、お前なら出来るさ」

父に背中を押されたような、気がしたサックスは、胸を張った。
サックスと別れた後、ソードアックスを鞘に仕舞うと肩を叩かれた。
振り向くとエルが、優しく微笑んでいた。
周りにいた船員たちも、武器を下げ、優しく微笑んでいた。

「よかったね」

船員たちの隙間を縫うように、近付いてきたフォングに、頷いて見せると、安心したように微笑んだ。

「今日は、部屋で休みなさい」

フォングの後ろに立った、フーリの提案で休む事にした。

「私が、案内するね」

静かに頷き、フォングと並んで歩き出すのをエルたちに見送られた。
フーリが、エルに近付いた。

「不思議ですね」

エルが、横目で、フーリを見ると、フォングの背中を見つめたまま、更に続けた。

「今までの事が、まるで嘘のようです」

エルも、フォングの背中を見つめた。
その背中が、船内に消える。

「彼には、不思議な力があるのかもね」

「確かに。雷撃を放ったり、暗闇を作ったりと…」

「そうじゃないわ」

フーリの言葉を遮り、エルは、腕組みをして、暗闇の空を見上げた。

「彼自身が、秘めた力よ。彼は、人の上に立つべき人なのかもしれないわ」

「人の上に立つべき人…ですか?」

エルは、腕を組んだまま、甲板の床を見つめた。

「人の為を想い、人の痛みを知り、人を労り、人の為に怒り、人の為に泣き、人の為に力を使い、人の為に死ぬ覚悟がある。そして、全てを受け入れる事が出来る。そんな人が、上に立てば、どんな人でも幸せになれるかもね」

歩き出したエルの後をフーリが、追って、二人も、船内に入った。
廊下を進み、エルが、一番奥の部屋のドアを開け、フーリが、後から部屋に入ると、ドアを締めた。
エルは、置いてあるベットに腰を下ろした。

「さっきね?彼に頭を下げたの」

「…エル様…」

肩を落とすエルに、フーリが近付いた。

「殴られると思った。でも…逆に励まされたわ。しかも、ちょっと楽しかった」

フーリは、エルの様子に驚いた。

「楽しかった…ですか?」

「そう。変な気分だったわ。初めてよ。あんな男」

「そう…ですか」

「もっと早くに出会いたかったわ。そしたら、胸を張って、昼間に迎えに行けたのに」

「…彼は、自分は死んだ人間だと、言っていました」

その言葉に、今度は、エルが驚いた。

「どういう事?」

「裏切りに因って、罪人となった為、近くにあった死体を身代わりにしたそうです」 

「裏切りって…彼は、元々、何をしていたのかしら?」

「すみません。私は、そこまで聞いていません。フォングなら聞いているかもしれませんが、彼の事ですから、簡単には、話してくれないかもしれません」

「そうね。居場所も言わなかったくらいだものね」

「彼に、直接聞いてまいりますか?」

「ん~…素直に話してくれるかしら?」

「…分かりません」

「そうよね」

二人で、しばらく悩んでみたが、結局、フォングに聞いてみて、ダメなら、本人に、直接聞く事にして、その日は、眠りに落ちた。
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