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青は藍より出でて藍より青し
卒業前夜〔2〕
数時間後、今度は高谷のアパートに綾瀬が訪れた。
「なんだよ」
「おまえが来たって、葉月が」
「別に用事があったわけじゃない」
「オレだって用事があるわけじゃねえよ」
そう言いながら、綾瀬は帰る気はなさそうだった。
高谷は、綾瀬を部屋に入れた。
「姉さんは」と綾瀬が聞くと、簡単に「夜勤」とだけ答える。
小さな台所には食事の出来る二人掛けのテーブルセットがあり、壁際の棚の上にテレビが置かれていた。
あとは左右対象に部屋が二つ並び、その一つが高谷の部屋だった。
はじめて来た高谷の部屋を、綾瀬は珍しそうに見回した。
「なんだよ、なんか珍しいか」
「すげえ、モノが多い」
本棚に並んだ本や、プラモデルやフュギュア、床に置きっぱなしの読みかけの雑誌を手にとったりじっと見たりしながら、綾瀬は感想を言った。
「おまえの部屋がなさすぎるんだよ」
壁には、アメリカ人のバスケプレーヤーのポスターが貼ってある。
「誰だ」
「マイケルジョーダンも知らないのか!おまえは」
呆れたように高谷は言った。
どんなにヤクザの組員たちに恐れられたり憧れられたりしていても、高谷にとって綾瀬は、マイケルジョーダンも知らない、非常識な同級生に過ぎない。
そう思うと、おかしくなった。
「悪いか」
怒ってそっぽを向きながら、綾瀬はそのまま高谷を見ないで口を開いた。
「…おまえは、本当に諦められたのか」
バスケットを。
綾瀬の視線の先には読みかけの雑誌がある。
それも、バスケの雑誌だった。
「多分、他人が思うより簡単にな。オレはきっと、境遇を受けいれることに慣れてるんだよ。私生児だったから、子供の頃からそうだったと思う」
そう言って、高谷は笑った。
「オレも、おまえのことをとやかく言えない。欲しいものを欲しがることが出来ない性質なんだ。オレたちは似てる」
それは違うと綾瀬にはわかっている。
子供の頃から父親がいないことで差別を受けたことも、母親の死も、夢を諦めなければならないことも、高谷はなにからも逃げずに受け止めただけだ。
それは高谷の強さであって、弱さではない。
「オレは、おまえとは違う。本当は逃げたくてしょうがないのに、それすら出来ない。逃げ出す勇気が、ないだけだ」
吐き捨てるように言った綾瀬に、高谷は近付いて言う。
「綾瀬。イヤなら、オレが一緒に逃げてやろうか。おまえを連れて、逃げてやる」
綾瀬は目を見開いた。
自分自身のためには逃げようとしない高谷が口にしたその言葉に。
けれど綾瀬は静かに首を振った。
「どこに逃げたって、オレはオレだ」
自分でいることからは、逃れられない。
「それでいい。おまえは変わる必要はない」
明日になれば。
明日になれば、二人の道は別れて、二度と交わることがないかもしれない。
ヤクザの世界は堅気の世界とは相容れない。
でも。
高谷が変わらなくていいと言ってくれたことは、これから先ずっと綾瀬を支え続ける。
涙が出そうになって、綾瀬は高谷に背中を向けた。
「邪魔したな。帰る」
まだ来たばかりで、突然帰ると言って玄関に向かう綾瀬を、高谷は追いかけた。
「待てよ、綾瀬」
綾瀬が玄関に降りる前に、後ろから腕を掴む。
綾瀬の動揺が、掴んだ腕から伝わった気がした。
綾瀬は、動かなかった。動けなかった。
高谷が引き止めたりするから、望みを、本当の望みを口にしてしまいそうで動けなかった。
高谷の手は、いつまでも綾瀬の腕を離そうとしない。
そのくせ、何も言わない。高谷はずるい。
「……用がないって言ったのは嘘だ」
唐突に綾瀬は言った。
そして自分の腕を掴んでいる、高谷の手に手を重ねた。
そっと、高谷の手を解いて振り返り、高谷の目を見る。
本当は何も言う必要はなかったのかもしれない。
高谷にはわかったはずだ。
綾瀬の望みが、もうわかっているはずだ。
けれど綾瀬は言わなければならなかった。
本当に欲しいものは心の底から求めなければ手に入らないのだから。
「…おまえが、欲しい」
二年前に高谷に言った同じセリフを、今度は震える唇で、苦しい心の内を曝け出すようにして言った。
「オレを抱けよ」
高谷は、手を伸ばして、綾瀬の手に触れた。
指を絡めながら、少しづつ引き寄せる。
怯えた猫をあやすように、高谷の行為は慎重だった。
やっと腕の中に囲って、綾瀬の耳元に唇を寄せる。
「命令するのか。おまえは本当に暴君だな」
囁きは痺れるような甘さを含んでいた。
そう、望まなければなにもはじまらない。
狂おしいほど欲しがって、手にいれたものにだけ意味がある。
高谷の背中にしがみつきながら、綾瀬は笑んでいた。
すぐ側にある別れを予感しながらも満ちたりて、幸福そうに。
「なんだよ」
「おまえが来たって、葉月が」
「別に用事があったわけじゃない」
「オレだって用事があるわけじゃねえよ」
そう言いながら、綾瀬は帰る気はなさそうだった。
高谷は、綾瀬を部屋に入れた。
「姉さんは」と綾瀬が聞くと、簡単に「夜勤」とだけ答える。
小さな台所には食事の出来る二人掛けのテーブルセットがあり、壁際の棚の上にテレビが置かれていた。
あとは左右対象に部屋が二つ並び、その一つが高谷の部屋だった。
はじめて来た高谷の部屋を、綾瀬は珍しそうに見回した。
「なんだよ、なんか珍しいか」
「すげえ、モノが多い」
本棚に並んだ本や、プラモデルやフュギュア、床に置きっぱなしの読みかけの雑誌を手にとったりじっと見たりしながら、綾瀬は感想を言った。
「おまえの部屋がなさすぎるんだよ」
壁には、アメリカ人のバスケプレーヤーのポスターが貼ってある。
「誰だ」
「マイケルジョーダンも知らないのか!おまえは」
呆れたように高谷は言った。
どんなにヤクザの組員たちに恐れられたり憧れられたりしていても、高谷にとって綾瀬は、マイケルジョーダンも知らない、非常識な同級生に過ぎない。
そう思うと、おかしくなった。
「悪いか」
怒ってそっぽを向きながら、綾瀬はそのまま高谷を見ないで口を開いた。
「…おまえは、本当に諦められたのか」
バスケットを。
綾瀬の視線の先には読みかけの雑誌がある。
それも、バスケの雑誌だった。
「多分、他人が思うより簡単にな。オレはきっと、境遇を受けいれることに慣れてるんだよ。私生児だったから、子供の頃からそうだったと思う」
そう言って、高谷は笑った。
「オレも、おまえのことをとやかく言えない。欲しいものを欲しがることが出来ない性質なんだ。オレたちは似てる」
それは違うと綾瀬にはわかっている。
子供の頃から父親がいないことで差別を受けたことも、母親の死も、夢を諦めなければならないことも、高谷はなにからも逃げずに受け止めただけだ。
それは高谷の強さであって、弱さではない。
「オレは、おまえとは違う。本当は逃げたくてしょうがないのに、それすら出来ない。逃げ出す勇気が、ないだけだ」
吐き捨てるように言った綾瀬に、高谷は近付いて言う。
「綾瀬。イヤなら、オレが一緒に逃げてやろうか。おまえを連れて、逃げてやる」
綾瀬は目を見開いた。
自分自身のためには逃げようとしない高谷が口にしたその言葉に。
けれど綾瀬は静かに首を振った。
「どこに逃げたって、オレはオレだ」
自分でいることからは、逃れられない。
「それでいい。おまえは変わる必要はない」
明日になれば。
明日になれば、二人の道は別れて、二度と交わることがないかもしれない。
ヤクザの世界は堅気の世界とは相容れない。
でも。
高谷が変わらなくていいと言ってくれたことは、これから先ずっと綾瀬を支え続ける。
涙が出そうになって、綾瀬は高谷に背中を向けた。
「邪魔したな。帰る」
まだ来たばかりで、突然帰ると言って玄関に向かう綾瀬を、高谷は追いかけた。
「待てよ、綾瀬」
綾瀬が玄関に降りる前に、後ろから腕を掴む。
綾瀬の動揺が、掴んだ腕から伝わった気がした。
綾瀬は、動かなかった。動けなかった。
高谷が引き止めたりするから、望みを、本当の望みを口にしてしまいそうで動けなかった。
高谷の手は、いつまでも綾瀬の腕を離そうとしない。
そのくせ、何も言わない。高谷はずるい。
「……用がないって言ったのは嘘だ」
唐突に綾瀬は言った。
そして自分の腕を掴んでいる、高谷の手に手を重ねた。
そっと、高谷の手を解いて振り返り、高谷の目を見る。
本当は何も言う必要はなかったのかもしれない。
高谷にはわかったはずだ。
綾瀬の望みが、もうわかっているはずだ。
けれど綾瀬は言わなければならなかった。
本当に欲しいものは心の底から求めなければ手に入らないのだから。
「…おまえが、欲しい」
二年前に高谷に言った同じセリフを、今度は震える唇で、苦しい心の内を曝け出すようにして言った。
「オレを抱けよ」
高谷は、手を伸ばして、綾瀬の手に触れた。
指を絡めながら、少しづつ引き寄せる。
怯えた猫をあやすように、高谷の行為は慎重だった。
やっと腕の中に囲って、綾瀬の耳元に唇を寄せる。
「命令するのか。おまえは本当に暴君だな」
囁きは痺れるような甘さを含んでいた。
そう、望まなければなにもはじまらない。
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高谷の背中にしがみつきながら、綾瀬は笑んでいた。
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