青は藍より出でて藍より青し

フジキフジコ

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【番外編】白い花の家

後編

ドシンという激しい衝撃音に気づいて居間に向かうと、綾瀬が襖を背に唇を拳で押さえて蹲っていた。
綾瀬の前に立つ桐生の後ろでは若松が渋顔で立っている。
「手紙を…オレに来た手紙、どこへやったんだよっ!」
綾瀬の手の中には封筒が握られていた。
たまたま学校から帰宅したときに郵便配達員から直接手渡しされた手紙は、金沢の祖母からだった。

「前にも書いたけど、返事がないって…、そんなもの受け取ってねえ!」
綾瀬のその言葉で事情は汲めた。
「手紙など知らん。金沢とは縁を切れと言ったはずだ」
「そんなこと、あんたに指図されたくない!」
「坊ちゃん!」
若松の厳しい叱責に、綾瀬の身体が震えた。
若松に目線で綾瀬を連れて行くように指示された葉月は、綾瀬の身体を支えながら起こす。
普段の綾瀬からは想像できない従順な態度で、葉月に促されるまま部屋を出た。
悔しそうに噛んだ唇には血が滲んでいた。


***


部屋に入ると綾瀬は先日葉月が渡した波多野の調査表を勢いに任せて破いた。
その行為を目の当たりにしてはじめて葉月は、綾瀬が波多野の情報を父親に渡すつもりがあったのだとわかった。
身体中から正直に怒りを発散していると、綾瀬も年齢相応の普通の少年に見える。
かける言葉がなくて、綾瀬の後ろに黙って立っていると、不意に振り返った綾瀬は葉月を睨んだ。

「おまえは…親父の跡でも継ぐつもりか。なんで、こんなところにいるんだよ」
分かりやすい八つ当たりの怒りを向けられても、葉月は少しも動揺しない。
「まだなにも、決めてません」
「だったらなんで来た」
「自分でもわからないんです。ただ、父からよくあなたの話を聞きました。滅多に人を褒めたことのない父が、綾瀬のことは手放しで褒めるんですよ。だから、あなたには興味がありました」
葉月の父は綾瀬を高く評価していた。
才に恵まれ人を惹きつける、生まれながらにして人の上に立つ人間だと。
けれど、同時に心配もしていた。
綾瀬が強さと同じ分だけ傷つきやすい脆さを合わせ持っていることを、見抜いていたのかもしれない。

「ふざけんな!」
瞳に怒りを込めて葉月を睨む。
感情を表に出すほどに妖しく美しさを増す少年に、いつのまにか葉月は目を奪われていた。
「勝手に期待されるのは迷惑だ。オレは、オレは認めない。ヤクザなんかになりたくない!」
叫ぶように言ったあと不意に膝を折って床に跪いた。
「綾瀬!」
駆け寄って顔を覗きこむと顔色は真っ青で、額に玉の汗を浮かべている。
喘息の発作のような状態に驚いた葉月は人を呼んだ。
綾瀬に興奮したときに呼吸の出来なくなるパニック症候群という持病があると知ったのはその時だ。


***


葉月の手の中には、綾瀬が祖母から受け取った手紙がある。
読んでおけと、若松から渡された。
一心に孫のことを心配する細やかな情愛のこもった手紙の文面の中に、母親の再婚を伝える箇所があった。
淡々と書いてあるようで、それでもその部分には書き手の躊躇いがわかるような気がした。

お母さんを堪忍してやってください。
決して尚紀のことを蔑ろにしているのではないのです。
離れて暮らすようになってからも、あなたのことを想わない日はありませんでした。
心が塞いだせいか、ここ数年は体調があまりよくありません。
お母さんには、支えになってくれる人が必要なのです。

綾瀬がどういう気持ちでこれを読んだのか、想像することは難しかった。



話がある、と若松に呼ばれた。
ついて来いと言われ従うと、若松は玄関を出て白木蓮の前に立った。
「坊には、母親のことは諦めてもらうしかない」
深いため息を吐きながらいきなりそう言った。
「佐枝子さんは、極道の女房になるには弱いおなごでなあ、どうしてもこの世界に馴染めんかった。愚痴や不満を言える女ならええんじゃが、佐枝子さんは内に内に溜め込んで、結局精神的に追いつめられてしまってなあ、金沢に返すしかなかった。そうかといって本来なら、跡取りの坊までは一緒に帰すことは出来ん。それをしたのは親父の温情だ。確かにあのとき、佐枝子さんから子供を取り上げることはきつかった。落ち着いたら、坊は引き取るつもりだったんじゃ」
葉月は黙って話しを聞いた。

「ところが金沢で老舗の旅館を経営している佐和子さんの父親というのがな、所謂地元の名士というやつなんだが、やたら威勢のいいじいさんでなあ、坊ちゃんともども自分の籍に戻してしまっての。弁護士つけて何年も揉めて、やっと3年前に親権がこっちに下った。だが、籍を戻すことを本人が頑として認めんのじゃ。佐枝子さんが再婚したのなら、調度ええ機会じゃ、坊には桐生に戻ってもらわんとのう」
なぜ葉月に話すのか理由は言わない。
「この白木蓮はな、佐枝子さんの実家の庭に咲いていたものを枝分けしたものなんじゃ。坊はどう思っておるのかわからんが、親父は佐枝子さんに心底惚れていたし、ロマンスちゅうのはあったんだぜ」
「ロマンス、ですか」
若松の、顔に似合わない単語に驚いてつい復唱してしまった。
「ロマンスだ。親父もあれで若い頃はなかなか男前だったからな、そりゃあ美男美女のカップルだった」
結局、どこまで真実でどこから妄想なのかわからない過去の思い出話を聞かされただけで、若松が何を言いたかったのかは、わからなかった。
この世界は目下の者から目上の者への質問は許されない。
自分で考えながら行動してゆくしかない。


***



発作を起こした日から綾瀬は自室に閉じこもってハンストをしている。
珍しいことではないのか、屋敷の人間は平然としている。
しかし葉月は気になって、ドアの外から呼びかけてみた。
何を言っても返事はない。

「お母さんを、恨んでいるんですか」
わざと挑発するようなことを言ってみると、案外近くから返事があった。
「バーカ、そんなに子供ガキじゃねえよ」
「じゃあ、寂しいんですか」
「おまえ!ぶっとばすぞ」
「恥ずかしいことじゃありませんよ。寂しいなら、寂しいと本人に言ってあげればいいんです。そう言って甘えればいい。あなたは自分で考えているより、ずっと子供です」
言った途端にドアが勢いよく開き、次の瞬間、葉月の頬が鳴った。
容赦のない平手打ちだったが、葉月はダメージを感じさせない余裕の表情で綾瀬を見つめる。

「オレに同情するな」
「期待も同情もダメなんですね。綾瀬は難しい」
「子守が嫌なら今すぐ出て行け。おまえなんか要らない」
「いいえ、オレは出ていきません。あなたの側にいます」
綾瀬が信じられないというように、目を見開く。
その綾瀬の目の前で、葉月は膝を折った。
まるで忠誠を誓う騎士のように。

「自分が何者なのか知りたいと、言いましたね。探して、見つけてください。それまで、あなたの側にいて力になります」
「見つける?何を、探す。それすら、わからないのに」

いずれにしろ、生きるということは、そういうものだと葉月は思う。
誰もが、何を探しているのかわからないまま何かを見つけたがっている。

「なんでしょうね。あなたの魂の片割れ、かもしれません。見つかったときに、それを探していたとわかるものじゃないでしょうか」

或いはそれが自分であってもいい。
それが運命なら、共に道を歩む覚悟はある。
綾瀬に出会い、変わりはじめた自分自身を葉月は感じていた。
「食事をしてください。終わったら話したいことが、あります」
「なんだよ」
「白木蓮の、ロマンスです」
よほど空腹なのか、それ以上は文句も言わず、ただ憮然としたポーズの綾瀬に微笑みながら葉月は答えた。





おわり

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