青は藍より出でて藍より青し

フジキフジコ

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【番外編】Tomorrow is another day

中編

閑静な高級住宅街の中にある桐生邸は、古風な佇まいにも関わらず、屋敷を囲う人相の悪い男たちのせいで、付近はいつも緊張感に包まれている。
最初は訪ねる度に戸惑った高谷も、最近は随分慣れてきた。

大きな門を潜り玄関に向かっていると、庭の方から恰幅のいい中年の男が歩いてきた。
植木の手入れでもしていたという作業着姿で、軍手をはめた手には金物のバケツを持っていた。
だが、植木屋にしては物腰や眼光に迫力があり過ぎる。
高谷はそれが、以前一度屋敷の中で見かけて、綾瀬から「若頭の若松だ」、と教えられた人物であることを思い出した。
若松はにこにこ笑いながら、高谷の目の前まで歩み寄ってきた。
「最近、よう見かける顔じゃのう。坊主、若の友達か」
坊主、と呼ばれて一瞬、ぎょっとしたが、なんとか高谷は平静を装った。
「ええ、まあ」
「ほう。背が高いのう。立派な体格じゃあ。それに、面構えも悪くない」
よく通る大きな声でそう値踏みされても、なにも答えられない。
「さすが、うちの若は見る目があるのう。難しい子だけどな、仲良くしてやってくれよ。頼んだぞ」
若松は満足そうにそう言うと、高谷の前を横切って、また庭の方に向かった。

玄関には若い男が出てきて、綾瀬の部屋ではなく居間に通された。
なんの説明もなく「ここで、お待ちください」と言われてから、二十分もした頃になって、やっと葉月が顔を見せた。

「お待たせしてすみません」
葉月の格好に高谷は目を白黒させた。
葉月は、白いシャツの袖を肘まで折り曲げ、なぜかエプロンをかけていた。
手には小さな盆を持ち、その上には一人用の土鍋と小皿がのっている。
「綾瀬が風邪をひいて、昨夜、熱を出したんです。今、おかゆを作っていたんです」
「あんたが?」
「そうですよ。さっき、目を覚ましたのでこれから食事してもらいます。会っていってください」
「風邪で学校、休んだのか。会ってもいいのか」
「熱は下がったので、もう大丈夫です。せっかくなので、どうぞ」
そう言われて、高谷は綾瀬の部屋に向かう葉月の後に続いた。

葉月の言ったとおり、綾瀬は目を覚ましていて、ベッドの上で背中を起こしていた。
高谷を見て、驚いた顔を見せた。
「高谷、どうして」
「おまえが休んだ理由、誰に聞いてもわかんねえから、気になった」
言ってから、なんとなく気恥ずかしくなり、口許に笑みを浮かべて「おまえでも、風邪とか引くんだな」と茶化した。
「どういう意味だ」
高谷を睨む綾瀬の目は、風邪のせいか普段と違う。
熱は下がったというが、瞳は潤んでいて眼尻は赤い。

ベッドの脇のテーブルに盆を置いた葉月は、綾瀬に「食事の前にパジャマを替えましょう。汗、かいたでしょうから」と言いながら、クローゼットの引き出しから、替えのパジャマとタオルを持ってくる。
ベッドにそれを置き、綾瀬のパジャマを脱がせようと伸ばした手を、綾瀬は拒んだ。
「自分でやる」
「そうですか」
葉月は気にしたようすもなく、綾瀬が脱ぐのを待っている。
綾瀬はパジャマのボタンに指をかけ、戸惑ったように高谷を見た。
その視線に気づいた葉月が笑う。
「恥ずかしいんですか。平気ですよ、男同士なんですから。ねえ、高谷さん」
「誰が恥ずかしいなんて言った。バカじゃねーの、おまえ」
悪態を吐きながら綾瀬はパジャマを脱ぎ、葉月は乾いたタオルで綾瀬の身体を軽く拭いて、新しいパジャマの袖を通すのを手伝った。
脱ぐのは自分で出来ると言った綾瀬は、着るときは葉月の助けを止めなかった。

綾瀬は食欲がないので食事はいらないと言った。
「何か胃に入れないと、薬が飲めないでしょう。また吐くことになりますよ」
葉月にそう窘められ、渋々といった様子で、葉月が作ったというおかゆを半分くらい口にした。
「美味しいですか」
葉月が聞くと、綾瀬は顔をしかめた。
「塩辛い。おまえには料理のセンスがない」
「味見はしたんですけどねえ。すみません」
味の良し悪しなどはどうでもいいというような、適当な謝罪を口にする葉月を、高谷は意外に思った。
容姿にも所作にも隙がなく、完璧に見える葉月だが、意外に大雑把なところもあるらしい。
「だから、お手伝いさん雇えばいいって、いつも言ってるじゃないですか」
「そういえば、この家で女のお手伝いさん、見たことないな」
高谷が口を挟むと、葉月は大きく頷いた。
「前に何度か雇ったことはあるんですけど、この人が気に入らなくて、すぐにクビにしちゃうんです。しょうがないので、ウチでは若い者が炊事も洗濯もやってます。相撲部屋みたいでしょう」
軽口を言いながらも、葉月は手を休めず、綾瀬に薬を飲ませる世話を焼いていた。
「もう微熱もないみたいですね。でも、もう少し休んでください」
綾瀬を半ば強引に布団の中にくるんで寝かせた葉月は、熱を確かめるために、額ではなく、耳の下に触れながら言った。
なんとなく、高谷は目を逸らした。
「もう、寝過ぎるくらい寝た。これ以上、寝られねえよ」
高谷を促して部屋を出て行こうとする葉月を、綾瀬はそう言って引き止めた。
「ダメですよ。高谷さんに風邪が移るといけませんから。今日はオレが、変わりにお相手します」
葉月は綾瀬にそう言い、高谷には「居間でコーヒーでも飲んでいってください。料理はダメでも、コーヒーは煎れられますから」と言った。
「大事にしろよ」
不満そうな綾瀬にそう声をかけて、高谷は綾瀬の見舞いを終えた。


***


葉月の言葉に嘘はなく、葉月が煎れてくれたコーヒーは美味しかった。
エプロンを外して、高谷の前に腰掛けた姿は普段の、高谷が知っていると感じる葉月だった。
けれどよく考えれば、目の前の、とてもヤクザには見えない秀麗な男のことは何一つ知らない。
高谷にわかるのは、葉月と綾瀬の間柄が、いやに親密だということくらいだ。

「あいつ、あんたには随分、甘えるんだな」
コーヒーカップを口元に運んでいた葉月は、意外なことを言われた、という目をカップ越しに高谷に向ける。
「甘えてましたか。オレは、あの人に甘えられてると感じたことはありませんが」
「そうかな。オレには十分、そう見えた」
葉月はコーヒーを飲む間、少し沈黙してから言った。
「確かに以前は、心を開いてくれたと感じたこともありました。でも、今は違います。綾瀬は、オレに裏切られたと思っている」
「裏切られた?」
「オレがこの家に来たのは4年前です。オレの父は、青竜会傘下の組の代表をしていて、オレが大学に入った年に、抗争で命を落としました。仇をとってくれた桐生会長に恩義があり、綾瀬の話し相手にと望まれてきたんです。そういった事情から、綾瀬はオレのことを自分と似ていると、思ったんでしょう」
はじめて聞く葉月の境遇に、高谷は驚いた。
見かけでそう見えなくても、葉月は表社会よりずっと裏に近い場所、いや、裏社会の真ん中で生きてきたのだ。
「けれど、オレと綾瀬では事情が違います。実は、父の組は別の男が継いでいます。オレには跡は継がせない、堅気になれというのが父の遺言で、母もそれを望んでいる。いずれは、オレは父のその遺言を守るつもりです。綾瀬はそれを知って以来、オレのことを許していません」
許していない。
その表現の激しさに、綾瀬の激しさと、むしろ逆に葉月に対する執着の大きさを感じた。
それは高谷には、綾瀬の意外な一面だった。

綾瀬は友人がいないわけではない。
学校では常に、高谷に絡んできたような取り巻きに囲まれている。
けれど綾瀬は彼らになにかを期待しているようにも執着しているようにも見えなかった。
ただ、つまらなそうに君臨しているだけのように思えた。
葉月とは随分な差がある。
では自分は綾瀬にとってなんなのだろう。
高谷は未だになぜ綾瀬があの日、自分を呼び止めたのか、わからない。
佐伯は「目的」を高谷に求めたが、それは高谷こそが知りたいことだった。

「あいつはオレになにを望んでる?」
ふと、湧いた疑問を葉月にぶつけてみた。
こんなふうに、葉月と二人だけで顔を合わせる機会はそうないだろうと思った瞬間に口にしてしまった。
葉月は高谷の顔をじっと見て、静かに首を振った。
「わかりません。綾瀬があなたの何に惹かれたのか、それがわかるのは綾瀬だけですから。ただ」
「ただ?」
「綾瀬はあなたなら、綾瀬が背負っているものを認めて、それでもなお、共に歩いてくれると直感で感じたんじゃないでしょうか。同情や哀れみや理解ではなく、認めてくれると」
「あんたはどうなんだ。綾瀬の側にいるのは同情からなのか」
「あの人の側にいることに理由なんて、ありません。側にいられる間は、あの人の苦しみを少しでも和らげてやりたいだけです」

毅然とそう口にした葉月には、もう綾瀬と別れる日が来ることがわかっているようだった。
そんなに辛そうな顔をして見せるくらいなら、離れる必要はないだろうと高谷は思ったが、言葉にはしなかった。
おそらく、葉月の選択肢にもそういう生き方はまだあるのだろうし、それは他人に意見される筋合いのものではない。
人生は選択の連続だ。
高谷もまた、綾瀬と出会ってから幾度かの選択をして、今、この場所にいる。
けれどまだ未来は少しも見えていない。


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