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朱に交われば赤くなる
10.最後の仕事
葉月が出ていくと父親に聞いて、綾瀬は葉月の部屋を訪ねた。
綾瀬の方からこの部屋を訪ねることはほとんどなかった。
葉月の部屋には、綾瀬の部屋以上に物が少ない。
生活するのに必要最低限のものと、書籍。
まるで、いつでもここから出ていけるという葉月の意思表示のようで、だから、綾瀬はここに来たくなかった。
本棚の本を整理していた葉月は、綾瀬を見て穏やかに微笑した。
「行くのか」
「ええ」
葉月は去年の司法試験に合格していた。
もともと期限つきで綾瀬の面倒を見ていた葉月は、時期が来て出て行くだけのことだ。
引き止めることは出来ないと知りながら、綾瀬は思い当たることを言った。
「あの男のことは、おまえのせいじゃない」
「いえ、下村のことは、オレのせいです。本当に、申し訳ありませんでした。あのとき、あなたを守れなかったことだけは、悔やんでます」
「オレは、誰かに守って欲しいなんて期待したことなんかない。自分の身体くらいは自分で守る。たまには失敗もする。それだけだ」
そうですね、とどこか寂しそうな顔で言って、葉月は荷造りの手を止め、綾瀬の前に立った。
「あなたは強くなった。もう一人でも大丈夫ですね。安心しました。この世界に、未練を残さずにすみます」
「何言ってる。おまえにはそんなもの、最初からなかっただろ」
葉月は出会った頃から、人にも物にも執着というものを感じさせない人間だった。
まるで風に漂うように、生きているように。
葉月は綾瀬の言葉に苦笑を浮かべた。
「綾瀬、あなたはたまたまこの家に生まれたから今の自分があると思っている。けど、それは違います。あなたが今いる場所は、あなたが悩んで苦しんで、自分で決断し選んだ場所です。だからオレも。オレの、居場所を探します。綾瀬が、そうしたように」
執着がないわけじゃない。
むしろ葉月は自分の業の深さを知っている。
だからこそ、これ以上綾瀬の側にいられなかった。
「元気で」
言って、綾瀬の頬に掌で触れた。
掌にぬくもりを感じて、綾瀬は瞼を閉じた。
葉月の優しさは、本当の意味で肉親の愛情を知らない綾瀬にとって一番それに近かった。
葉月には反発も反抗も、した。
やり場のない苛立ちをぶつけるのに調度いい距離に葉月はいた。
けれど葉月は綾瀬の苛立ちも鬱積も、いつも必ず真っ直ぐに受けとめてくれた。
決して、反らすことはしないで。
だから誰よりも信頼出来たのだ。
葉月を、信じていた。
「……行くな」
言っては駄目だと理性で押さえながら、感情がそう言葉にさせる。
「葉月、行くな。オレを置いて行くな」
口にした瞬間に、綾瀬の目には涙が浮かんで、真っ直ぐに流れ落ちた。
葉月は息を飲んだ。
綾瀬の涙を見るのは、はじめてだった。
思わず、一生言うつもりのなかった言葉が溢れそうになる。
あなたを、愛していました。
衝動的に綾瀬を抱きしめようと伸ばした腕を、触れる寸前で止める。
一度でも抱きしめてしまったら、離せなくなる。
葉月はあまりにも、自制することに慣れていた。
そんな自分を心の中で笑いながら、指で綾瀬の頬を濡らす涙を拭った。
「乗り越えるんです。この先も、あなたの生きる道は険しい。こんなことくらいで泣いてはだめですよ」
「最後までお説教か」
瞳を涙で濡らしながら睨んでくる綾瀬が、はじめて会ったときの少年の姿にダブって見えた。
我儘で頑なな、手のかかる子供だった。
数年で美しい変貌を遂げながら、その本質は変わっていない。
変わらず、葉月の心を揺さぶる。
「元気でいてください。オレの望みはそれだけです」
微笑みながら、葉月は言った。
それ以上の言葉はもうなかった。
***
「司法試験に受かりました」
1年前、高谷に会いに行った葉月は変わらない穏やかな笑顔でそう切り出した。
「それを、わざわざ報告に来たのか」
「いえ、違います。あなたを、迎えに来ました。これは、桐生会長の意思でもあります」
「桐生捷三の?おまえは、どうなんだ」
「オレも、あなたには綾瀬の力になって欲しいと思います」
嘘ではなかったが、それが真意かどうかは、口にしている葉月にもわからなかった。
「自分が綾瀬の前からいなくなるから、オレを変わりにしようってことか」
「そうとられても仕方ありません」
「その程度のもんだったんだな。綾瀬に対するおまえの思いは。簡単に他人に譲ってやれる程度の」
一瞬だけ、高谷を見つめる葉月の目付きが変わった。
けれどそれは見間違いかと思うほど、短い間だった。
「そうですね、正直に言えば綾瀬を誰にも渡したくない。高谷さん、あなたにも。本当は、綾瀬の両手に手錠をかけて、檻の中に閉じ込め、自分一人のものにしたい。誰にも見せずに、誰にも触れさせずに、オレだけのものに。オレの欲望は、暗いんですよ。暗くて救いがない」
物静かに、夢を見ているように語る葉月に、高谷は驚いた顔を見せる。
高谷のその表情に満足したように、葉月は笑った。
「冗談ですよ?」
伝えることは伝えたというように、その日はそれだけの会話を交わしただけだった。
葉月の背中を見送りながら、高谷は呟いた。
「なにが冗談だ。マジな顔しやがって」
高谷を組に連れて来る。
それが、葉月が自分に課した最後の仕事だった。
そして高谷が来てから一年後。
相川葉月は組を去った。
綾瀬の方からこの部屋を訪ねることはほとんどなかった。
葉月の部屋には、綾瀬の部屋以上に物が少ない。
生活するのに必要最低限のものと、書籍。
まるで、いつでもここから出ていけるという葉月の意思表示のようで、だから、綾瀬はここに来たくなかった。
本棚の本を整理していた葉月は、綾瀬を見て穏やかに微笑した。
「行くのか」
「ええ」
葉月は去年の司法試験に合格していた。
もともと期限つきで綾瀬の面倒を見ていた葉月は、時期が来て出て行くだけのことだ。
引き止めることは出来ないと知りながら、綾瀬は思い当たることを言った。
「あの男のことは、おまえのせいじゃない」
「いえ、下村のことは、オレのせいです。本当に、申し訳ありませんでした。あのとき、あなたを守れなかったことだけは、悔やんでます」
「オレは、誰かに守って欲しいなんて期待したことなんかない。自分の身体くらいは自分で守る。たまには失敗もする。それだけだ」
そうですね、とどこか寂しそうな顔で言って、葉月は荷造りの手を止め、綾瀬の前に立った。
「あなたは強くなった。もう一人でも大丈夫ですね。安心しました。この世界に、未練を残さずにすみます」
「何言ってる。おまえにはそんなもの、最初からなかっただろ」
葉月は出会った頃から、人にも物にも執着というものを感じさせない人間だった。
まるで風に漂うように、生きているように。
葉月は綾瀬の言葉に苦笑を浮かべた。
「綾瀬、あなたはたまたまこの家に生まれたから今の自分があると思っている。けど、それは違います。あなたが今いる場所は、あなたが悩んで苦しんで、自分で決断し選んだ場所です。だからオレも。オレの、居場所を探します。綾瀬が、そうしたように」
執着がないわけじゃない。
むしろ葉月は自分の業の深さを知っている。
だからこそ、これ以上綾瀬の側にいられなかった。
「元気で」
言って、綾瀬の頬に掌で触れた。
掌にぬくもりを感じて、綾瀬は瞼を閉じた。
葉月の優しさは、本当の意味で肉親の愛情を知らない綾瀬にとって一番それに近かった。
葉月には反発も反抗も、した。
やり場のない苛立ちをぶつけるのに調度いい距離に葉月はいた。
けれど葉月は綾瀬の苛立ちも鬱積も、いつも必ず真っ直ぐに受けとめてくれた。
決して、反らすことはしないで。
だから誰よりも信頼出来たのだ。
葉月を、信じていた。
「……行くな」
言っては駄目だと理性で押さえながら、感情がそう言葉にさせる。
「葉月、行くな。オレを置いて行くな」
口にした瞬間に、綾瀬の目には涙が浮かんで、真っ直ぐに流れ落ちた。
葉月は息を飲んだ。
綾瀬の涙を見るのは、はじめてだった。
思わず、一生言うつもりのなかった言葉が溢れそうになる。
あなたを、愛していました。
衝動的に綾瀬を抱きしめようと伸ばした腕を、触れる寸前で止める。
一度でも抱きしめてしまったら、離せなくなる。
葉月はあまりにも、自制することに慣れていた。
そんな自分を心の中で笑いながら、指で綾瀬の頬を濡らす涙を拭った。
「乗り越えるんです。この先も、あなたの生きる道は険しい。こんなことくらいで泣いてはだめですよ」
「最後までお説教か」
瞳を涙で濡らしながら睨んでくる綾瀬が、はじめて会ったときの少年の姿にダブって見えた。
我儘で頑なな、手のかかる子供だった。
数年で美しい変貌を遂げながら、その本質は変わっていない。
変わらず、葉月の心を揺さぶる。
「元気でいてください。オレの望みはそれだけです」
微笑みながら、葉月は言った。
それ以上の言葉はもうなかった。
***
「司法試験に受かりました」
1年前、高谷に会いに行った葉月は変わらない穏やかな笑顔でそう切り出した。
「それを、わざわざ報告に来たのか」
「いえ、違います。あなたを、迎えに来ました。これは、桐生会長の意思でもあります」
「桐生捷三の?おまえは、どうなんだ」
「オレも、あなたには綾瀬の力になって欲しいと思います」
嘘ではなかったが、それが真意かどうかは、口にしている葉月にもわからなかった。
「自分が綾瀬の前からいなくなるから、オレを変わりにしようってことか」
「そうとられても仕方ありません」
「その程度のもんだったんだな。綾瀬に対するおまえの思いは。簡単に他人に譲ってやれる程度の」
一瞬だけ、高谷を見つめる葉月の目付きが変わった。
けれどそれは見間違いかと思うほど、短い間だった。
「そうですね、正直に言えば綾瀬を誰にも渡したくない。高谷さん、あなたにも。本当は、綾瀬の両手に手錠をかけて、檻の中に閉じ込め、自分一人のものにしたい。誰にも見せずに、誰にも触れさせずに、オレだけのものに。オレの欲望は、暗いんですよ。暗くて救いがない」
物静かに、夢を見ているように語る葉月に、高谷は驚いた顔を見せる。
高谷のその表情に満足したように、葉月は笑った。
「冗談ですよ?」
伝えることは伝えたというように、その日はそれだけの会話を交わしただけだった。
葉月の背中を見送りながら、高谷は呟いた。
「なにが冗談だ。マジな顔しやがって」
高谷を組に連れて来る。
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そして高谷が来てから一年後。
相川葉月は組を去った。
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