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【完結編】天に在らば比翼の鳥
9.籠の鳥《前編》
真夜中、居間から話し声が聞こえた。
少し前、屋敷の前に車が止まる音で綾瀬の帰宅を知ったが、一人ではないらしい。
ありすはパジャマの上に上着を羽織って、居間に向かった。
居間の引き戸になっている障子は開けなくても常に庭に面した外廊下に向かって解放されている。
ソファに向かい合うように座っていたのは綾瀬と、クラブ華のママ、紗香だった。
「ありすちゃん、こんばんは。随分夜更かしなのね」
深夜だというのに着物姿で化粧崩れもなく、美しく施されたマネキンのような顔で紗香が言う。
「話し声が煩くて起きちゃったわ」
ありすは剣呑な声で言った。
「あら、ごめんなさいね」
「ありす、失礼だぞ」
綾瀬に言われて、顔を顰める。
「いいのよ。お年頃ですもの、難しい時期よ」
物分かりの良さをアピールするような紗香の態度に我慢出来ず、ありすは「おやすみなさい」と言って、自分の部屋に戻った。
紗香が帰ったのは、それから小一時間ほどたってからだ。
***
「なにをそんなに怒ってるの。三代目だって、大人の男よ。そういう相手は必要よ」
ありすの部屋で、そう諭すのは、少し前から桐生邸に住んでいる、三上香穂だ。
香穂は女子大生で、名目上はありすの家庭教師ということになっている。
香穂は長年青竜会の若頭だった若松が愛人に産ませた娘だ。
若松は5年前に亡くなった。
以来、香穂と母親の生活の面倒は組でみていた。
香穂は、ありすの話し相手として桐生邸に出入りしていたが、最近になって住み込むようになった。
桐生邸には今、井上由紀子という五十代の家政婦も住み込みで働いている。
由紀子は、ありすが初潮を迎えたとき、綾瀬や篤郎に知られないように必要なものを揃えて、的確な指導をしたことで、ありすの信任を得ることが出来た。
また、料理の腕も確かで、桐生邸の食卓クオリティは格段に上がった。
「別に怒ってないわ。ただ、紗香さんのこと、好きじゃないだけよ」
「ありすは三代目に近づく女は、みんな好きじゃないのね」
そう言って香穂は馬鹿にしたようにくすくす笑った。
「でも、綾瀬と紗香さんは、本当になんでもないのよ。綾瀬はただ、家に連れ込んでいるだけ」
「どうしてそんなことがわかるの。ありすの知らないところで、すっごく仲良くしているかもしれないわよ」
香穂はありすの耳元で、色っぽく、囁くように言った。
ありすを怒らせて楽しんでいる。
香穂にはそういう意地の悪いところがあった。
「綾瀬は、あの記事のことを気にしてるのよ」
数ヶ月前、週刊誌に綾瀬が血の繋がらないハーフの少女を養女にしてひとつ屋根の下一緒に暮らしていると書かれた。
直接的な言葉ではなかったが、その記事は、独身の綾瀬に少女を性的対象にする趣味があるのではないかという下衆な憶測が含まれていた。
「あの記事は、酷かったわ」
香穂は憤慨したように言った。
綾瀬が気にしているというより、その記事を重く受け止めて騒いだのは篤郎と真琴だった。
二人は、ありすのためにそんな悪評は捨て置けないと綾瀬に詰め寄っていた。
以来、綾瀬は世間に見せびらかすように紗香と外で会ったり、家に連れてきたりしている。
香穂を桐生邸に住まわせたのも、それが原因のひとつかもしれない。
「でも、ありすの推測通りなら、三代目はありすのことを、ちゃんと考えているのね。自分のことなら、外聞なんて気にしない人でしょう」
「そうかしら。綾瀬に、気にかけてもらってる実感なんてないけど」
香穂とお喋りを楽しんでいると、玄関が騒がしくなった。
誰か来たようだ。
廊下を歩く足音に、ありすは部屋を出た。
高谷だった。
「ありすか、久しぶりだな。少しは女らしくなったか」
「イヤらしい目で見ないで」
「口と態度が悪いのは相変わらずか」
「それに先月も会ったわ」
「そうだったか」
高谷はありすに関心なさそうに、足を止めず廊下を歩いていく。
ありすは後を追いかけた。
「昨夜、綾瀬が紗香さんを連れて来たわ」
「それで?」
「それだけよ」
ありすは探るような目で高谷を見た。
綾瀬と紗香は関係を結んでいない。
けれど世間的に青龍会代表の女ということになっている紗香に、言い寄る馬鹿な男はいないだろう。
だとしたら、紗香の相手は誰なのか。
紗香のような女が男に抱かれていないはずがない。
高谷ではないかと、ありすは勘繰っている。
愛情のない肉体関係を不潔だと思うが、歪な関係の原因に自分が関わっていることをありすは苦々しく理解していた。
「ありす、学校の勉強はちゃんとしてるのか」
「勉強して、なんになるの。日本から出られないのに。わたしは籠の鳥。そうでしょ?」
そう言われて、やっと高谷は足を止めた。
ありすは頭が良い。
望めば日本に行けない大学はないレベルだ。
だが、国外に出られないのではどんな職業に就いても一流の道は歩めない。
「そのことは、綾瀬にも考えがある。不貞腐れないで勉強するんだ」
「別に不貞腐れてなんか、ないわ。わたしは日本から出られなくても、平気よ」
それはありすの本心だった。
ありすの世界の中心は、綾瀬のいるこの場所だ。
「なら、いい」
短く言って、高谷は行ってしまった。
行き先は綾瀬の自室だ。
紗香は桐生邸に来ても、綾瀬の個室には入らない。
綾瀬の部屋に入るのは、家政婦を除けば篤郎と高谷くらいだ。
けれど篤郎は長くはいない。
高谷は何時間もいる。
ぴったり閉められた、桐生邸では珍しい洋式のドアを睨んで、「なにをしてるのか、わかったもんじゃないわ」と、ありすは毒づいた。
けれど本当は知っている。
綾瀬と高谷がそういうことをするのは、高谷のマンションでだ。
前に高谷のマンションに行ったとき、高谷の目を盗んで寝室を調べたことがある。
高谷がどんな女をベッドに連れ込んでいるのか興味があっただけだったが、ありすはベッドの枕に嗅ぎ慣れたフレグランスの匂いを発見した。
そこにははっきり綾瀬の痕跡が残っていた。
少し前、屋敷の前に車が止まる音で綾瀬の帰宅を知ったが、一人ではないらしい。
ありすはパジャマの上に上着を羽織って、居間に向かった。
居間の引き戸になっている障子は開けなくても常に庭に面した外廊下に向かって解放されている。
ソファに向かい合うように座っていたのは綾瀬と、クラブ華のママ、紗香だった。
「ありすちゃん、こんばんは。随分夜更かしなのね」
深夜だというのに着物姿で化粧崩れもなく、美しく施されたマネキンのような顔で紗香が言う。
「話し声が煩くて起きちゃったわ」
ありすは剣呑な声で言った。
「あら、ごめんなさいね」
「ありす、失礼だぞ」
綾瀬に言われて、顔を顰める。
「いいのよ。お年頃ですもの、難しい時期よ」
物分かりの良さをアピールするような紗香の態度に我慢出来ず、ありすは「おやすみなさい」と言って、自分の部屋に戻った。
紗香が帰ったのは、それから小一時間ほどたってからだ。
***
「なにをそんなに怒ってるの。三代目だって、大人の男よ。そういう相手は必要よ」
ありすの部屋で、そう諭すのは、少し前から桐生邸に住んでいる、三上香穂だ。
香穂は女子大生で、名目上はありすの家庭教師ということになっている。
香穂は長年青竜会の若頭だった若松が愛人に産ませた娘だ。
若松は5年前に亡くなった。
以来、香穂と母親の生活の面倒は組でみていた。
香穂は、ありすの話し相手として桐生邸に出入りしていたが、最近になって住み込むようになった。
桐生邸には今、井上由紀子という五十代の家政婦も住み込みで働いている。
由紀子は、ありすが初潮を迎えたとき、綾瀬や篤郎に知られないように必要なものを揃えて、的確な指導をしたことで、ありすの信任を得ることが出来た。
また、料理の腕も確かで、桐生邸の食卓クオリティは格段に上がった。
「別に怒ってないわ。ただ、紗香さんのこと、好きじゃないだけよ」
「ありすは三代目に近づく女は、みんな好きじゃないのね」
そう言って香穂は馬鹿にしたようにくすくす笑った。
「でも、綾瀬と紗香さんは、本当になんでもないのよ。綾瀬はただ、家に連れ込んでいるだけ」
「どうしてそんなことがわかるの。ありすの知らないところで、すっごく仲良くしているかもしれないわよ」
香穂はありすの耳元で、色っぽく、囁くように言った。
ありすを怒らせて楽しんでいる。
香穂にはそういう意地の悪いところがあった。
「綾瀬は、あの記事のことを気にしてるのよ」
数ヶ月前、週刊誌に綾瀬が血の繋がらないハーフの少女を養女にしてひとつ屋根の下一緒に暮らしていると書かれた。
直接的な言葉ではなかったが、その記事は、独身の綾瀬に少女を性的対象にする趣味があるのではないかという下衆な憶測が含まれていた。
「あの記事は、酷かったわ」
香穂は憤慨したように言った。
綾瀬が気にしているというより、その記事を重く受け止めて騒いだのは篤郎と真琴だった。
二人は、ありすのためにそんな悪評は捨て置けないと綾瀬に詰め寄っていた。
以来、綾瀬は世間に見せびらかすように紗香と外で会ったり、家に連れてきたりしている。
香穂を桐生邸に住まわせたのも、それが原因のひとつかもしれない。
「でも、ありすの推測通りなら、三代目はありすのことを、ちゃんと考えているのね。自分のことなら、外聞なんて気にしない人でしょう」
「そうかしら。綾瀬に、気にかけてもらってる実感なんてないけど」
香穂とお喋りを楽しんでいると、玄関が騒がしくなった。
誰か来たようだ。
廊下を歩く足音に、ありすは部屋を出た。
高谷だった。
「ありすか、久しぶりだな。少しは女らしくなったか」
「イヤらしい目で見ないで」
「口と態度が悪いのは相変わらずか」
「それに先月も会ったわ」
「そうだったか」
高谷はありすに関心なさそうに、足を止めず廊下を歩いていく。
ありすは後を追いかけた。
「昨夜、綾瀬が紗香さんを連れて来たわ」
「それで?」
「それだけよ」
ありすは探るような目で高谷を見た。
綾瀬と紗香は関係を結んでいない。
けれど世間的に青龍会代表の女ということになっている紗香に、言い寄る馬鹿な男はいないだろう。
だとしたら、紗香の相手は誰なのか。
紗香のような女が男に抱かれていないはずがない。
高谷ではないかと、ありすは勘繰っている。
愛情のない肉体関係を不潔だと思うが、歪な関係の原因に自分が関わっていることをありすは苦々しく理解していた。
「ありす、学校の勉強はちゃんとしてるのか」
「勉強して、なんになるの。日本から出られないのに。わたしは籠の鳥。そうでしょ?」
そう言われて、やっと高谷は足を止めた。
ありすは頭が良い。
望めば日本に行けない大学はないレベルだ。
だが、国外に出られないのではどんな職業に就いても一流の道は歩めない。
「そのことは、綾瀬にも考えがある。不貞腐れないで勉強するんだ」
「別に不貞腐れてなんか、ないわ。わたしは日本から出られなくても、平気よ」
それはありすの本心だった。
ありすの世界の中心は、綾瀬のいるこの場所だ。
「なら、いい」
短く言って、高谷は行ってしまった。
行き先は綾瀬の自室だ。
紗香は桐生邸に来ても、綾瀬の個室には入らない。
綾瀬の部屋に入るのは、家政婦を除けば篤郎と高谷くらいだ。
けれど篤郎は長くはいない。
高谷は何時間もいる。
ぴったり閉められた、桐生邸では珍しい洋式のドアを睨んで、「なにをしてるのか、わかったもんじゃないわ」と、ありすは毒づいた。
けれど本当は知っている。
綾瀬と高谷がそういうことをするのは、高谷のマンションでだ。
前に高谷のマンションに行ったとき、高谷の目を盗んで寝室を調べたことがある。
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