チェリークール

フジキフジコ

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【番外編】I AM YOUR BABY

4.復讐

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晶にはわかっていた。
健は、あの男に復讐するつもりだ。
あの男、久保を殺した男に。

チームは主に十代の少年で構成されていた。
九頭龍は地場の暴力団とは関係しなかったが、他のチームのなかには、暴力団の養成所のようになってしまっているところもあった。

高校を卒業し、あるいは成人を機にチームを抜けると、そのまま組員になる。
そういうチームが恐喝や薬の売買で得た金銭を組に上納するのも慣例化していた。

九頭龍は暴力団からの誘いを一切断っていた。
チーム同士の小競り合いが起こったとき、バックにそういった組織がついているのは強い力になる。
けれど、リクスの方が大きい。
とくに七代目の頭、久保は、ヤクザとの係わり合いを堅く禁じていた。

そんな中、九頭龍に目をつけた小さな組が、チームの一人に自動車事故の言掛かりをつけ、暴行を働いた上、手を結めば示談にしてやる、と言ってきた。

話し合いの席で、久保は組員を殴って帰らせた。
面子を潰されたその組は報復に、久保を狙った。

埠頭の堤防の下から、久保のバイクと遺体があがったのは、凍えるような寒い日だった。
晶はその場にいたわけではない。
後からチームのメンバーから話を聞いた。

その時、健は、久保の冷たい亡骸を抱いて、人目も憚らず泣いたという。

横浜は、九頭龍が組に報復する、戦争になるという噂で持ちきりになった。
ところが、問題の組はさっさと解散し、組長は姿をくらましてしまった。
噂では捜査の手が伸びるのを恐れてタイに逃げたということだった。

誰もが竜崎健が久保康生の代わりに頭を継ぎ、報復行動に出ると信じていたが、健もチームを引退し街から姿を消した。

結果的に、混乱は起こらず、人々は驚くほど短い時間のうちにそんな事件があったことも忘れた。

世間にとっては、暴走族の一人が事故で死んだ、というだけのことだった。

晶は思う。
健だけが、あの時のまま、同じ時間の中にいる。
一人で大きすぎる哀しみを背負って、変わらない同じ憎しみを抱え、今、報復しようとしている。

健が路上で殴って怪我をさせた沼田耕一という男は、あのとき、久保を殺した組の組長だった男で、今は飲食店経営をしているらしいが、暴力団との関わりがないとは思えない。

そんな男に手を出せば、健が暴力団に狙われるかもしれないし、本懐を遂げて沼田を殺したところで、今度こそ刑務所行きだ。

晶は健の復讐を止めたかった。
あれはもう過去のことなんだと、健にわかって欲しかった。

「健、オレね、健に言われた通り、真面目に勉強して高校に行ったんだ。大学卒業して就職はしなかったけど、モデルをしたり、バーで働いたりした。雅治とは高校の時知り合って、10年付き合って結婚した。これって結構立派なことだよね?」

ぼんやりテレビを見ている健に聞くと、健は晶の方に顔を向けて「そうだな」と認めてくれた。
「晶にしては、上出来だ」
そう、笑いながら言った。

「だったら、オレのこと抱いて。約束しただろ?ちゃんとした大人になったら抱いてくれるって」

晶には、どんな言葉で説得すれば、健に復讐を止めさせられるのか、わからない。
抱かれたからと言って、それが出来るとは思っていない。
ただ、健の心を探り、心を変えたかった。

「バーカ。おまえには決まった人がいるだろ。晶にはもったいないくらい、いい男じゃねえか」
「雅治とは別れるから、いいんだ」
「思ってもないことを言うな。ベタ惚れしてるくせに」
からかうように言われて、晶は顔を赤くして「そんなこと、なんで、わかるんだよ」と、拗ねた。

「おまえを見ていれば、わかる。幸せそうだからな」
確かに自分は、幸せだった。
雅治を愛して、愛されて、健のことを忘れていた。

「オレ、いい奥さんじゃなかったんだ。家事はなんにも出来ないし、浮気してるし」
シュンとして晶が言うと、なにがおかしいのか健は声を出して笑った。
「おまえ、浮気はダメだろ。それは多分、康生の悪影響だな」

久保は自身で「来るもの拒まず」と公言していたほど、女性関係も、男性関係も派手だった。
誰からも愛され、誰をも愛した。
そういう男だった。

「オレ、あの頃より大人になっちゃったけど、この身体は久保さんが抱いたのと同じ身体だよ」
晶は、健の側に寄って、訴えるように必死な眼差しで言った。
健が愛した男が抱いた身体を、抱いて欲しいと。

「そうか、この身体を、あいつが、康生が抱いたんだな」
そう言って健ははじめて、晶の肩に遠慮がちに、そっと触れた。

「だけどな、康生は、案外おまえに本気で惚れてたんだぜ。おまえはそう思ってなくても」
言った後、自嘲するように口許をゆがめて、
「やめるか。死んだ人間の想いなんか聞かされても、重荷になるだけだな」と言う。

晶は首を振った。
「そんなことない。それにオレ、ちゃんとわかっていたよ。久保さんはオレを大事にしてくれた。健にフラれたこと慰めてくれて、健なんかやめてオレにしとけよ、って言ってくれた」
「ちっ、あいつ、そんなこと言ったのか」
「それに、久保さんは、健の気持ちだって知ってたよ」
健は晶の言葉に驚いたように眦を上げた。

健は久保を誰よりも愛していたけれど、想いを打ち明けることは遂になかった。
素振さえ見せていない。
わかっていたからだ。
久保が、健に抱かれることをよしとしないことを。

けれど、久保は健の気持ちを知っていた。
晶に、言ったことがある。
『オレは健に抱かれるわけにはいかない。あいつに甘えたり甘えられたり、そんな関係にはなりたくない。オレは、ただ並んでいたいだけなんだ。あいつと、同じ位置で、並んで立っていたい。なあ晶、オレはそう威厳のあるヘッドじゃねえし、プライドなんて大層なモンはあんまり持ってねえ。だけど、健に対するその気持ちだけが、オレのプライドだ。だいたいよお、オレのどこを見て抱きたいなんて思うんだろうなあ。晶、気をつけた方がいいぞ、健は本物の変態だ。Sかもしんねえ、いや待てMだったら怖ぇな』
久保が言った、様々な言葉を思い出しているうちに、晶の瞳には涙が浮かんで垂直にこぼれた。

「オ、オレ…オレだって、久保さんが死んだことは、すげえ、悲しかったんだ。まだ子供だったから誰も詳しいこと、教えてくれなかったけど…。それから、健がいなくなったことだって、悲しくて悲しくて、毎日泣いてた。だけど…健に言われた通り、都内の高校を受験しようと思って、通学に都合が良かった学校は、偏差値で10も足りなかったから、オレ、中3のときは必死で勉強した。でも、高校に入って、そこで雅治に出会って、雅治を好きになって、少しづつ、健のことも、久保さんのことも、忘れちゃったんだ。健を好きだったことも、久保さんに優しくしてもらったことも、あんなに、あんなに、悲しかったことさえ、健がずっと、忘れていないことを、オレは忘れちゃったんだ。ごめん、ごめんなさい…うっ、うう」

目の前で涙を流して嗚咽を漏らす晶を、健は、どうしていいかわからず、困った顔で見つめる。

「泣くな、晶。泣かなくてもいい。おまえはなにも悪くない。昔のことなんて忘れていいんだ」

優しい言葉をかけても晶は一向に泣き止みそうにない。
健は、覚悟を決めたようなため息を吐いて、晶の身体を引き寄せて、腕に抱きしめた。

晶は、健にしがみつくように大きな背中に腕を回した。
濡れた瞳のまま、健の顔を見上げる。
健は、手のひらで晶の頬の涙を拭った。

晶は、伸びをするように、健の唇に自分の唇を重ねた。

触れ合っただけの唇が離れたあと、健は、どこか諦めたように小さく笑って、聞いた。

「晶、本当に抱いても、いいのか」

晶は、ぎゅっと強く健の身体を抱きしめて、頷いた。



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