チェリークール

フジキフジコ

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【番外編】この手を離さないで

3.女友達

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晶と玲子が一緒に買い物に行った帰り、隣の家の前を通り過ぎたとき、中から最近越してきたばかりの住人が犬の散歩のために出てきた。

「ハーイ、アキラ!」

呼び止められて、晶は「ハーイ、ジョン!!」と嬉しそうに答え、通りすぎた道をわざわざ引き返して隣の家の門のフェンス越しに話しかける。

「今日はダーリンと一緒じゃないのかい?(英語)」
「ジョン、相変わらずカッコいいな(はぁと)。ね、今度、家に遊びに行ってもいい?!」

晶は、鉄のフェンスに前脚をかけて顔を覗かせているジョンの飼い犬の白いシェパードを警戒しながらも、精一杯キュートな微笑みを浮かべて言った。

「おや、綺麗な女性と一緒だね。晶のガールフレンド?驚いたな!君はゲイだと思っていたのにバイだったんだね。可愛い顔してやるじゃないか(英語)」
「携帯番号教えてよ、ジョン。オレ、平日の昼間ならだいたいあいてるからさ、ドライブいかない?オレが東京を案内してやるよ」

玲子はジョンと晶の噛み合わない会話に額を押さえながら、嫌がる晶を隣の家の門から引きはがし、家の中に連れて帰った。

「玲子、なんで邪魔すんだよ」
「晶、あなたね、少しは自覚しなさいよ?あなたには小田切っていうパートナーがいるでしょう。どうして、ちょっとカッコいい他の男に目移りしたりするのよ」
「ちょっと?!ちょっと、だって?玲子、おまえ視力大丈夫か?ジョンはちょっとどころじゃない、ものすごーく、カッコいい!オレ、外人はあんまり好きじゃないけど、イギリス人っていうのは品があっていいよな」
「論点はそこじゃなーい!」
「いてっ」
玲子にデコピンされて、晶は両手で額を押さえた。

クスッと笑ったあと、玲子は真面目な顔で嗜めるように言う。
「ねえ、晶。あなたは好きな人から愛されてるのよ。誰もがあなたと同じ幸運に恵まれるわけじゃないの。好きな人から愛されてるのに、他の人の愛まで望むのは傲慢じゃないかな」
「なんで?玲子は恋人がいたら、目移りしないって言うのか」
「しないわよ。他の人には興味もないわ」
「あ、なんかすげえ実感がこもった言い方だなあ。聞いてなかったけど、今彼氏いんの」
「残念ながら、仕事より魅力的な男と巡り合えないの」
「ふーん」

晶が知る限り、玲子には特定の恋人がいたことがない。
肩より少し長めの栗色の髪を内側に巻き、いつも品のよい、紺やグレーのどちらかと言えば地味な色のスーツを着ているのに華やかな雰囲気があり、見るからに仕事の出来るイイ女のお手本のような玲子に、恋人がいないことは不思議だった。
そして、ふとした瞬間に玲子が見せる横顔の寂しさが以前から気になってもいた。

「世の中の男たちも、見る目がないな。オレは、あんまり女の知り合いっていないけど、玲子より美人な女も、玲子よりいい女も知らない。オレがホモじゃなければ絶対、玲子に求婚するよ」
「まあ!晶にそう言ってもらえるなんて嬉しいわよ。たとえお世辞でも、ね」
「バーカ、オレはお世辞は言えない体質なんだ。昔、玲子、雅治のこと、庇ってくれたことあったろ。あんとき、オレ、玲子に惚れそうになったもん」

昔、雅治が司法修士生だった頃、雅治に告白した女の子が振られた腹いせに、雅治が男と付き合っていると、言い振らしたことがあった。
雅治は噂を否定することもなかったから、それが原因で離れていった仲間もいたという。
そのとき、玲子は陰口を叩いていた友人たちに言い放った。
「男が男を好きになってなにが悪いの。相手が女でも男でも人を好きになる気持ちに違いなんかないわ。そんなことを非難するのは本当の恋愛を知らない貧しい人間のすることよ」と。

人伝にそのことを聞いてから、晶は玲子を信頼し、以来玲子は数少ない女友達だ。

「そんなことより、夕食の支度しましょう。早くしないと小田切が帰って来ちゃうわよ」
「え~、オレも手伝うのか。雅治にキッチンに入るの、禁止されてるんだけど」
「聞いたわよ。台所、壊しちゃったんだって。いいわ、晶は、テーブルにお皿を並べて」

見かけによらず、玲子は料理の腕がいい。
ほとんど役には立たなかったが、晶も少しだけ手伝って、小田切家では滅多にないご馳走がテーブルいっぱいに並んだ。



***



「すごいな。これみんな、玲子が作ったのか。法廷に立って検事に噛み付いている姿からは想像出来ない」
帰宅した雅治も驚いた。

「デザートはオレも手伝ったんだぜ!卵白泡立てるのすげえ大変だったんだからな!」
雅治に褒められたくて、身を乗り出して晶が言う。

「晶、鼻の頭に粉がついてる」
笑いながら雅治が晶の鼻を指で払う。
「あれ、とれない。晶、じっとして。コラッ」
「いいよ、粉なんかついてても!」

嫌がる晶を両腕で拘束して、雅治は晶の鼻の頭をペロッと舐めた。
そんな二人を「いつまでたってもほんと、仲がいいわね」と玲子が冷やかした。

一流レストランのシェフも負けそうな料理とワインを3人で楽しみ、食後にエスプレッソを飲みながらリビングのソファーで寛いだ。
「今、雅治が担当している公判だけど、やっぱり司法取引するつもり?」
「いや、しない。検察側は証拠不十分を認識してるから取引持ちかけてるんだ。状況証拠だけで有罪に持っていくのは難しいさ、無罪を取れる」
雅治と玲子が仕事の話をはじめると、途端に晶は蚊帳の外におかれる。

そのことに気づいて玲子が「ごめんなさいね。つまらないでしょう、晶には」と晶を気遣う。

「気にしなくていいよ。オレは野球見てるから」
晶がそう言ったので、雅治と玲子はしばらく事件について意見を交換しあった。

そうしているうちに、いつのまにかテレビを見ていた晶がソファーで眠っていた。

「晶、寝ちゃったみたいよ。退屈させて、悪かったわね」
「いや、いつものことだよ。こいつ、テレビ見てるとすぐ寝ちゃうんだ。晶、風邪引くからベッドで寝ろ」
「…うーん…」
雅治が肩を揺すっても晶は起きない。

「しょうがないなぁ」
そう言いながら、慣れた動作で雅治が晶を抱き上げるのを、玲子は驚いたように見た。

「随分甘やかしてるのね。小田切こそ、法廷に立ってるときの姿からは想像出来ないわ」
「そうかな」
「どこがいいのよ」

腕の中の晶を見つめる雅治に、玲子が放った一言が思いがけず冷たく響いた。

「玲子?」
「ごめん!いやだわ、私ったら、なんだか二人に当てられちゃって、急に一人身の自分が可愛そうになったみたい。早くベッドに連れて行ってあげて。私ももう、休むわね。おやすみなさい」




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