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バロック祭
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しおりを挟むどれほど飛び続けただろう。空中に残っているケグの微かな香りと月の光を頼りに、俺は彼の姿を探した。遠くの方で彼の黒い羽が一枚、また一枚と落ちていくのが見える。そのおかげでどうにかその後を追えてはいたものの、彼を捉えるには今日の夜はあまりに暗い。
空気はどんどん冷たさを増してくる。ふと、顔に冷たい粒がぽつぽつと当たった。俺はいつの間にか雪の中を飛んでいたらしい。眼下の景色は徐々に森から雪原へと変わってきている。その白さが月の光を反射して、いくぶんか夜の闇は晴れ出していた。そうして彼方に、ようやく豆粒ほどの彼の背中を視認する。彼は雪原から白が延々と続く山の中へと入っていく。俺はすぐさま速度を上げその場所を目指す。
彼をまた見失ったところで、俺は雪の上に降り立った。空より更に吹雪いているその山の中で、俺は目を凝らして彼を探す。俺の後ろには足跡がひとつ、またひとつと付いていく。
彼を見つけるのにそこまで多くの時間は要さなかった。坂になっている雪を上るにつれ、激しかった吹雪はいつしか弱まっている。その音が掻き消していた俺自身の足音がようやく聞こえるまでになった頃、崖の淵で彼の背中が見えた。
ひとりで項垂れているそのようすを見ると心が沈んだ。俺は尖った大きな岩の付近で足を止める。そして悩んだ。これ以上近づいて良いものなのか。俺がそうしたくとも、彼はそれを望んでいないかもしれない。
俺はその場で座り込む。彼とは数メートルの距離が空いている。
「ケグ」
彼の返事はない。ただ体表の羽根が風に揺れるだけで、その体勢すら変わらない。俺は首からかけていたギターを短く組んだ後ろ脚の上で構え、弦を弾く。エブリデイ・トゥ・シングの始まりを告げる最初の一音。楽しかったあのライブを少しでも思い出してほしい。そういう思いで、俺は続く旋律を更に弾く。
「やめろ!!」
彼は叫ぶ。俺の手はすぐに止まる。
「もう、聴きたくない」
先ほどの叫びとは打って変わって、彼の声は弱々しい。俺は慎重に言葉を考える。彼にとって、俺たちにとって何を言うのが最適か。
「ずっと勘違いしてた。君は自分に自信がないから弱気なことを言うんだって。そんな小さいことが理由じゃなかったんだね」
彼は何も言わない。ミニィクという親友のことを、彼はきっと今でも慕っている。彼は約束を守ろうとしていたのに、俺は彼をそそのかしてしまった。彼の友だちでありたかった。リーダーでありたかった。それなのに。
「どうやって俺が君の歌声を知ったか。話してもいい?」
罪が償えるとは思えない。しかし、すべきことはしなければならない。
俺はひとりのままでいるケグに語りかける。
「俺はあの日、今日みたいに君を目指して空を飛んでた。無意識だったかもわからないけどさ、君、空の上で歌ってたんだよ」
あのとき、俺は基地に置くインテリアを外部で調達してからミューボウルへと戻る最中だった。空の道の途中、不意に聞こえたその歌声に惹きつけられた。俺はしばらく音の方向を探し彼の背中を見つけて、空を飛びながらついそれに聴き入ってしまった。
「本当に楽しそうだった。雲で見えなくなるくらい高いところでさ、君のエブリデイ・トゥ・シングを聴いて、すごくわくわくした。君と仲間とライブができたらどれだけ楽しいだろうって、そのとき思った」
あのとき胸に湧いた高揚感。足りなかったピースがようやく見つかったような感覚。恐らく一生忘れることはできない。シルビアがあの日くれた、音楽と出会えた喜びのように。
「このギターにもたくさん助けられてきた。思い出は本当、数え切れないくらいある」
俺はギターのストラップを首からはずし、その柄を撫でる。火事から救ってくれたニーナには今後感謝と共に、謝罪も必要になる。
「でも、君が聴きたくないなら、もういらない」
俺はギターの柄を持って立ち上がる。後ろ脚と尻尾を使って歩き、近くにあった大きな岩の前へと立つ。俺がそれを振り上げた瞬間、ケグはこちらを振り向いた。
直後に響いた、木の激しく割れる音。叩きつけられたギターは原型をなくし、破片は辺りにいくつも飛び散る。ケグは目を見開き、残った柄を片手に握る俺を見る。
「お前……」
俺は彼へと歩いていく。目の前に立ち、その弱気になっている目をはっきりと見る。
「君がつらいなら、一生音楽ができなくなったっていい。だから……消えたいなんて言うな! どうしようもないなんて、そんな悲しいこと言うなよ! まだ君とやりたいことがいっぱいあるんだ。俺たちは一緒にいなきゃならないんだよ。じゃなきゃあんな最高のライブ、できるはずない!」
俺は、思うがままを言葉にする。
彼は俺の言葉が信じられないような顔をした後、目を伏せる。涙が滲むその場所を、彼は懸命に隠そうとする。
「なんで……」
悲しそうなその顔を見ると俺もつらくなる。しかし、今はきっとそれでいい。
「俺がお前に何かしたか? お前のギターを壊す価値なんて、俺のどこにあるってんだよ?」
彼の息は白く震えている。不安定なそれを支えてあげられるように、俺は柄を捨て、彼の翼へと手を添える。
「ずっと会いたかった人と会えた気分なんだ。君がいなくなったら、もう俺は俺じゃない」
生まれたときから、今日あんな風に最高のライブができるようになるまで、ずっと誰かに助けられて生きてきた。今度はきっと俺の番だ。だって、この世界の種族は昔から支え合って生きてきた。それぞれに役割があって、ドラゴンは力のない種族をその手で体を張って守ってきた。俺の手はごつごつしていて獣人種のそれと比べると醜いけれど、誰かを守るにはきっと適している。
彼の涙は寒さで個体となって雪の上に落ちていく。俺はその背中を摩り、その頬を撫でて涙を拭き取る。それが俺の役割だと思い、俺たちはしばらくそのままでいた。
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