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浮気なんて、ありえない

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「橋田! 次はあれに乗ろう!」
「うえ!?」
 小夜先輩は、私の手を強く引く。土曜日ということもあって、テーマパーク内に人は多い。それなのに、彼女はかなり強引だ。サックス奏者であるその体力を活かし、私を存分に振り回してくる。
「あの肉球のパンはなんだ!? 私がおごってやる、食べに行くぞ!」
 私の方を一度も振り返らず、手を繋いだまま、彼女は興奮気味に言う。私は元運動部だからこそついていけているけれど、仲が決裂したままの、運動が得意でもない後ろの二人はまったくついてこれていない。現に振り向いても、人ごみの中に彼女たちの姿は見えなくなっている。
「せんぱい、はやいです! 二人がずっと行方不明です!」
「気にするな! いつかきっと再会できる!」
「この人混みじゃ、永遠の別れです!」
 小夜先輩の勢いに、言葉一つ伝えるのも一苦労だった。もしかして、こういった姿勢が後輩に好かれるのか? 有無を言わさずがんがん前に進んでいけるようなエネルギーあふれる姿が、吹奏楽部女子たちを虜に……なんてことを考えて、やめた。今は望と咲先輩を見つけるべきなのだ。このままでは一度も一緒に、アトラクションすら乗れないまま終わってしまう。
「楽しいなぁ」
 不意に、小夜先輩は言った。私の手を引いたまま、ふわりとその匂いを漂わせながら。


「きっとあいつらも、二人で楽しんでいるに違いないぞ!」


 彼女は私に振り返り、笑って言う。
 そして、思った。
「先輩、まさか……」
 初めから、これが狙いだったのだろうか?
 あえて彼女たちを二人きりにして、このテーマパークの夢のような楽しい雰囲気に呑ませて。
 そうすれば、確かにあの険悪な雰囲気をなくすことができるかもしれない。
 やはり、この人はすごい。
 そう思ったとき。


「ちょっと、待ちなさい」
 目の前の人ごみから、彼女が現れた。
「のぞみ……」
 息を切らし、険悪な表情で。彼女は小夜先輩を睨む。
 ここはちょうど、自然に囲まれたエリアだ。すぐ傍には高所から水の中へと飛び込んでいくアトラクションがあって、今も楽しそうな悲鳴が聞こえてきている。
 小夜先輩は言う。
「どうした? 迷子にでもなったか?」
「大和を返して」
 先輩の顔を睨む望に対し、先輩はそのまま私と肩を組んで、指でぐりぐりと私の頬を押してくる。
「残念だったな。橋田は恋人といるより、もう私と遊んでいた方が楽しいみたいだぞ?」
「そんなこと、ありえない」
 ここまで怒っている望は、この歳になって初めて見たかもしれない。
 ずっと昔は、ぬいぐるみを取り合って大ゲンカしたこともあったけれど。
 それよりももっと沸々とした怒りが、今の彼女にはある。
「望ちゃーん、どこー? もう限界だよー……」
 遠くから、咲先輩の声がする。彼女は先ほどまでよりも柔らかい雰囲気で、人ごみの中から出てくる。疲労のせいもあるのかもしれない。私的には、小夜先輩の二人を仲良くさせる作戦が嵌ったのだと思いたい。
 私たちを見つけて駆け寄ってきた彼女に対し、望は威嚇するように言う。
「あんたもだよ、湯桃咲!」
 その威勢に、咲先輩は怯む。
 この場の誰もが黙ってしまう。その怒号のような言葉に、人ごみからの視線も一部集まる。
「告白ってなに? やまとは、私の彼女なの! 大親友なの! 男の子なんて好きになってほしくないって、ずっと思ってた。私を好きになってくれなくて、本当はすごくつらかった。浮気なんて、絶対してほしくない。私だけ見ててほしいの! 私を差し置いて好きになるとか、許さないですから‼」
 そんな風に訴える彼女の姿は、やはりこの九年間で一度も見たことがない。
 そして、つらくなった。やはりあの電車の中で、あんなことを言うべきではなかった。まさか、ここまで私を想ってくれていたなんて。
「のぞみ、」
 止めに入ろうとするけれど、咲先輩はすぐに反抗する。その巻き髪をふんと揺らし、動揺を内に隠すように。
「私だって、べつに盗ろうと思って告白したわけじゃないんですけどっ」
「じゃあ、今すぐ帰りなさいよ。本当に私たちを想うなら!」
「それは違うでしょ。私だって、大和ちゃんと仲良くなる権利くらいはあるはずよ。現に同じ部活で、実はもう結構仲良かったりするし」
「それが私は嫌なの!」
 二人の喧嘩は止まらない。私たち四人を見つめる周りの視線は、だんだんと増えてくる。まるで円状の見えない壁に囲まれたかように、人ごみは私たちを避けていく。
「ふ、ふたりとも、」
 私の情けない声じゃ、もう焼け石に水だった。
「私、おっぱい揉んでもいいですかって、やまとちゃんから直接頼まれたんだよ?」
咲先輩は言う。「なっ……!」
望は信じられないような顔をして、私に向かって叫ぶ。
「大和‼」
「ご、ごめんなさい!」
 咄嗟に深く頭を下げる。言い訳はできない。最低なセクハラ野郎だ、私は。
「落ち着きたまえよ。なにもそんなに熱くならんでも……」
 小夜先輩が仲裁しようとすると、望は言葉のひとつひとつを区切りながら、ねじ伏せるように言う。
「私には! 大和がっ! すべてなのっっ! 部外者は黙ってて!」
 そうして、二人はなおヒートアップする。
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