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第232話 当主の隠れ家とは

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「あれ、ここは……?」

眉間にしわを寄せて、建物をジッと眺めるロッシェ。
エリントの町の西部にたたずむ、綺麗な白の外観。
そこを訪れる人々は。
老若男女、様々。
何回考えても同じ答え。
ロッシェはたまらず、クライスに尋ねる。

「ここって、〔診療所〕だよな……?」

「でなけりゃ何に見える?」

素っ気無く返される返事。
窓から覗こうにも、められているガラスが曇っていて中が見えない。
入り口に回り込むと。
辛うじて、補助に付いている女性の姿が。
とても清潔そうな、白い服を身に付けている。
服の外からボタンが見えないのは、もし取れた時に薬等へ混入しない為の配慮。
同じ理由で、袖にも襟にもボタンは無い。
やはり、どう考えても診療所だ。
本当にこんな所で、当主は過ごしているのか……?
ロッシェは、再びクライスへ問う。

「この中に居るんだな?」

「間違い無いさ。」

自信たっぷりのクライス。
こいつがそう言うのなら、居るのだろう。
じゃあ、患者として入院しているのか?
それとも医者か?
『入れば分かるさ』と、建物の中へ入って行くクライス。
平然と入り口をくぐるので、呆気に取られたロッシェは出遅れた。
『ま、待ってくれよー』と慌てて後に続く。
その中では。



廊下は普通の民家よりも幅が広く、両脇に診察待ち用のベンチらしき物が置かれている。
その中を行き交う患者。
怪我人は殆ど居ない。
戦火が本格化していないと言う事だろう。
持病の薬を貰いに来たらしい老人と。
転んで擦りむいた膝の傷の手当てをジッと待つ、少年と母親。
その他に数人、診て貰うのを待っている。
この中に当主が……?
ジロジロ見て来るロッシェを、気味悪がる患者。
『い、いやー、似ている顔だなあと思ってつい……』と適当に誤魔化す。
観察しても、ロッシェには誰がそうなのか見当も付かない。
早く答えを知りたい。
その気持ちが、クライスのローブの裾を掴ませていた。
ギュッと引っ張るロッシェ。
焦らしてもしょうが無いだろ、さっさとしろよ!
そう言いた気。
ロッシェの様子に満足したらしい。
クライスは、或る部屋へ足を向ける。
廊下を進んで行くと。
医者の居る突き当りの診察室では無く、その右手前に在る部屋へずかずかと入り込むクライス。
『おいおい、大丈夫かよ』と思いながら、恐る恐る付いて行くロッシェ。
『困ります、勝手に入られては!』と女性の声がしたが、気にせず部屋の奥へと進む。
そして、様々な薬が置かれている机と棚。
その前で作業をしている男に、クライスは声を掛ける。



「失礼を承知でお尋ねします。貴方がこの辺りを統べるノイエル家当主、〔テイワ・オブス・ノイエル〕様ですね?」



ギョッとするロッシェ。
それは無いだろう?
こんな所で働いている人が、当主だなんて……。
そう思って、男の顔色を見ると。
同じ様にギョッとした顔付き。
あっさりと正体を見破られ、困惑の表情に見える。
『何者!』と、さっきまで健気な助手を務めていた女性達が2人。
クライスと男の間に割って入る。
手刀を構えるその姿は、騎士の様な凛々しさを感じさせる。
本職はそっちなのだろう。
当主の警護。
助手はカモフラージュ。
それをあっさり看破するこの男は一体……?
そう疑っている。
そこでクライスは懐に手を入れる。
ナイフでも取り出すと思ったのか、体を硬直させる女性達。
しかしそれが1通の封筒と分かり、ホッとする。
女性達の内1人に、封を手渡すと。
『どうぞ、お読み下さい』と会釈するクライス。
つい癖で、追従するロッシェ。
下げなくとも良い頭を下げる。
女性は『特に変わった物では無い様です』と報告をし。
中に入っている紙を取り出すと、それを男に渡す。
最初流し見をしていた男は、何時しか食い入る様に読んでいた。
読み終わると、膝間付いて畏まる。
そしてクライスに告げる。

「私こそ、当主のテイワです。お待ちしておりました。」

そして女性達を部屋の外へ出し、見張りを命ずる。
奥の部屋に居る医者は、何も気付かず診療を続けている。
部屋の隅へ移動し、ひそひそ話をし始める当主と2人。

『ひえーっ、本当に当主様だったのかよ!』

感心するロッシェ。



状況を的確に把握すれば、自ずと答えは出る。
ヒーケルの町長は錬金術師だった。
テューアを守っているのも、錬金術師。
ならこの辺り一帯を治める当主として、必要な資質は?
そう、《錬金術に精通している》事。
それを理解していなければ、住民を束ねられない。
だから当主も、錬金術師であった方が。
何かと都合が良い。
一帯の自治にも、門の監視にも。
それなら、居場所を掴まれない為に何処へもぐり込むか?
錬金術を生かせて、つ人の出入りが自然である場所。
診療所内に在る、薬局の様な部屋。
そこで働く薬剤師。
部下が患者を装って訪ねて来ては、近況を報告する。
隠れるには、正に打って付け。
ここまで、ロッシェに解説するクライス。
一部始終を傍で聞いて、感服するテイワ。
なるほど、確かに心強い援軍だ。
白いカラスがもたらした手紙の通り。
しかも、あの《幻》とうたわれたお方。
実は、宗主家の人間が来ると分かって。
『その技が目の前で拝見出来る』と、内心楽しみにしていたのだ。
クライスがテイワへ、話を切り出す。

『エッジス行きを、了承して頂けますね?』

『勿論!願ったり叶ったりです!』

錬金術師にとって、宗主家の人間は皇帝よりも偉い。
それをまざまざと見せつけられ、実感するロッシェ。
改めて、『とんでもない奴と旅をしてるんだな、俺は』と考える。



「さて、了承も下りたし。さっさと向かうか……。」

部屋の隅で縮こまっている状態から、立ち上がるクライス。
続いてテイワ、そしてロッシェ。
鎧を着ているので、多少動作が遅れる。

「本来なら、同行したいのですが……。」

残念そうにうつむくテイワ。
薬剤師なら他にも居る。
しかし当主の代わりは居ない。
家族は本来の屋敷で、留守を守っている。
エリントを今、離れる訳には行かない。
折角宗主家直々に、お教え頂けるチャンスが……。
当主と言う立場と。
錬金術師と言う職業の狭間で。
複雑な気持ちのテイワ。
その切実な思いを感じ取ったのか。
クライスは一旦廊下へ顔を出し、本物の患者の様子を見ると。
部屋へと戻り、紙とペンを借りる。
そしてスラスラと、何かを記入して行く。
それは何枚にもわたり。
書き終えると、疲れた様子で右腕を回す。
そして紙をテイワへ差し出す。

「これは薬のレシピです。この辺りで取れるであろう物で作れる様、組み合わせています。どうかこれでご勘弁を。」

クライスが書いたのは、薬の調合の仕方。
地域性を考慮して、遠くから取り寄せなくてもこの辺りで賄える材料にしてある。
その内容は。
服用するタイプや湿布、塗り薬や子供用まで。
幅広い。
薬売りとして十分やっていけるレベル。
それを代わりに残して行く事にした。
これなら、この地域へ役立てられるだろう。
そうクライスは考えた。
錬金術の実地訓練は、また気が向いた時でも。
そんな感覚。
紙を凝視し、隅から隅まで覗き込むテイワ。
この短時間で、これ程の内容を書き込むとは。
何と言う知識の量。
それも、私達がウォベリから動けない事を考慮して。
何と有り難い事か……!
紙を胸に抱え込むと、深々と頭を下げるテイワ。
その肩に、優しく手を置くクライス。
一言、『頼みましたよ』。
その言葉で、胸が一杯になるテイワだった。



診療所を後にする、クライスとロッシェ。
隠れ家と言う都合上、見送りは無い。
逆にその方が安心するクライス。
錬金術師は、宗主家の人間と知るや皆畏まる。
窮屈で仕方が無い。
その点、相棒がロッシェだと気が楽だ。
何せ、一人の人間として扱ってくれる。
そこに上下の差は無い。
対等な関係。
それがクライスには心地良かった。
能天気な振りして、その辺りだけは鋭いロッシェ。
こいつがそう望むなら、そうしよう。
それが騎士道ってもんだ。
そうだろ、先生?
同じ空を眺めているであろう、遠くに居るトクシーへ。
思いを馳せるロッシェだった。



診療所から真っ直ぐ北へ。
そこには、エッジスへと通じる街道の入り口があった。
やっとここまで来たか。
そう感慨に浸る間も無く。
クライスとロッシェは、エッジスへと向け。
相変わらずうねっている柵を後にした。
目的地は、もう目の前。
一体、何が待ち受けているか。
2人には想像も付かなかった。
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