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危機

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番外編2 The Silent Observers

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『magnolia』番外編:2




The Silent Observers



男は立っていた。
MIS・U支部ビルの裏区画、真っ白な内壁に囲まれた、無機質な近代空間。
何も映さない硝子。何も話さない廊下。
空調ノイズだけが静かに鳴っている。

その静けさの中に、足音がひとつ、滑り込んだ。

「……どうも、お久しぶりでーす、真神さん」

男の声は、いつも通りの軽さを纏っていた。
だが、背筋の奥には、本人にしかわからない緊張がわずかに走っていた。

「ムチャクチャお忙しい方が、こんな場所に呼び出すなんて……もしかしてオレ、今日で“処理案件”です?」

「だったら、もっとやりやすい場所を選ぶよ」

返ってきたのは、あまりに淡々とした声。
その一言に、蝶世は「うげ」と口を歪めた。


「でも、まあ……直々のご指名とは。珍しいっスね。“カナちゃん”通さないなんて、記憶にないですよ」

「君に直接、頼みたいんだ」

「こっわ……てっきり人生の最終チャプターかと思いましたけど、まだ一段あったんスね?」

「終わりじゃない。ただ、始まりでもない」

「またそれっぽいこと言うなあ。詩人かよ」

男はそう言いながら、わずかに身構える。
真神がこのテンションのときは、だいたい洒落にならない。

「……んで、内容は?魔女?使い魔?掃除?ゴミ捨て?」

「一人、見張ってほしい。端末に情報を送ったから、君にも届いてるはずだ」
 
男は自分の携帯を開いた。
履歴書の写しの画像と数枚の画像。
大人しそうな青年が写っている。

「……“人間”……?」

「ああ。彼の日常をしばらく観察してほしい」

「……“消す”んじゃなくって?」

「違う。触れなくていい。見ているだけでいい」

「……はぁ?」

男は苦笑してみせた。冗談じゃない。
“ただの見張り”が命令されるなんて、まして、それがあの真神からだなんて聞いたことがない。

「何をそんなに……“待って”んです?もしかしてコイツ“喰いかけ”?」

「……違うよ。もしかしたら……の“保険”だよ。君に、それを任せたい」

「いや、オレ、そういう静かな探偵ごっこ、ホント苦手で……」

「でも、やるんだろう?」

「……やらないと消すでしょ?」

拗ねた子どものような口調に、真神はふっと口元を緩めた。 

「まあね……もし、彼に何かあったら」

真神の声がわずかに落ちる。

「そのとき、君は……どこまで責任を取れる?」

沈黙と共に、男の表情が、かすかに凍った。

「……ああもう……!わっかりましたよ!!見ます、見張ります。起きてから寝るまで、ぜぇーんぶスクショしてやりますよッ!!」

「ありがとう、彰彦(あきひこ)」

「全然嬉しくないし!あとカナちゃんにはちゃんと伝えてくださいね!俺コレ、真神さん直通案件だから!」

「……“主”には、もう伝えてあるよ」

「何でだよ!!」

 



そして、男の、沈黙と平穏の綻びを見定める「観察任務」が、始まった。
 

監視対象:白木 蓮。株式会社オートリ・企画部所属、男性、20代前半。

起床は6時前後。
朝食は摂らないか、コンビニのパン1個。
通勤路は徒歩+電車、特に寄り道なし。
勤務態度は真面目。昼休みは社内の片隅でパソコンや私物の雑誌を見て過ごす。

帰宅は20時前後。途中でコンビニかスーパーに立ち寄る。
買うのは主にペットボトル、惣菜、フリーズドライ食品。晩酌は無し。

以上、3日分の観察結果。

 

「……地味すぎだろ」

男は建物の屋上から双眼鏡を下ろし、思わず独りごちた。
風の強い午後。ジャケットの裾が煽られる。

下に見えるのは、アパートの小さな玄関と、自販機の横に置かれた植木。
そこに、何の変哲もない青年——白木蓮が入っていく。

「これで何を見ろってんだよ……」

肩をすくめながら、携帯端末を取り出す。
指が慣れたようにトークルームを開く。

――――――――――
📱《♡カナちゃん♡》
🕶️《オレ》

🕶️:ねえカナちゃん
🕶️:あの子ほんとになんもないんですけど
🕶️:飯食って会社行って帰って寝てるだけって

📱:それでいい
📱:そのまま続けて

🕶️:……えぇ
🕶️:え、なんか、逆に怖くなってきた

📱:わかる
📱:私もそう思う
📱:けれど分からない
📱:その“平凡さ”に意味があるのかも

🕶️:え、カナちゃんもおんなじなの!?嬉しい♡

📱:…………

🕶️:既読スルー悲しい。なんかレンレンね、今日、ポテサラじゃなくてプリン買ってたし
🕶️:その変化が逆に怖いっていうか

📱:……そういう変化が始まりかもしれない
後、そのあだ名?みたいなの真神さんの前では使わないで、締められると思う。

🕶️:そーなの!?怖いわ!!レンレン良いと思ったんだけどダメか~

📱:彼は……
📱:私たちが今まで一度も目にしたことのない“純粋なもの”かもしれない

🕶️:……あの人が“壊してない”の、初めてかもね

📱:ええ
📱:壊さず、囲っている
📱:まるで、それがいちばん価値あるものだと知っているみたいに
――――――――――

 

「……純粋、ね」

ビルの影に沈む夕陽を見ながら、男はつぶやく。

この街にも“人の形をとりながら、人でないもの”が跋扈する。
魔女やその使い魔たち。
そこに現れた、真神雪也。

自分たちが携わる“仕事”は、彼の通った後の、その情報操作や死体処理。
社会の底面でひっそりと動き、決して日の当たることはない。

そんな中にぽつんと現れた一人の男。
白木蓮。

見る限り、ただの会社員。
目立たず、騒がず、文句も言わず、ただ一日を生きている。

——けれど。
だからこそ、真神は彼を「囲っている」のだ。

 

ふと、朝の映像が脳裏をよぎる。

ゴミを出すために外へ出た蓮が、しばらく空を見上げていた場面。
季節外れの曇天。風が強く、ネクタイが揺れていた。

その時の蓮の顔が、どこか悲しげだった。


「……やっぱ、おかしいよ、あの人」

男はつぶやいた。
ただの観察対象にしては、胸に残るものが多すぎる。

雪也のあの目。
まるで「宝物を盗られる前の動物」のような、静かで、殺気に近い執着。


そして今、この“平凡な日常”が続いていること自体が、すでに危うい奇跡なのかもしれない。



五日目の朝。
曇天。風。前日よりも気温が下がっていた。

男は駅前の高架橋から、歩道を歩く蓮を見つける。

今日の彼は、少し違っていた。
ネクタイが緩い。足取りがやや鈍い。髪もわずかに乱れている。

そして何より、顔色が悪かった。

(熱でもあるのか?)

そう思って追っていると、蓮は途中で歩みを止め、
普段立ち寄らない雑貨屋のウィンドウをぼんやりと眺める。

ショーウィンドウの中には、白いマグカップが一つ。
その前に立ち尽くす蓮の表情は、寂しげで、そしてどこか——迷っていた。

(買い物じゃない。感情の置き場を探してる顔だ)

男はそう直感する。

そのまま数秒、蓮は立ち尽くした後、何も買わずに去っていった。

観察記録に書くべきかどうか迷うような、小さな、けれど確かな“変化”だった。


その夜。
男は日付と時間を添えて、蓮の様子を要約した報告書を作成し、送信した。

送り先は、真神雪也の端末。
主ではない。直接だ。

内容に迷いはなかったが、送信したあと、少しだけ落ち着かない感覚が残った。
データを送ってすぐに、画面に通知が一つだけ現れる。


【経過観察、感謝する】
【このまま任務遂行を継続するように。緊急時には直接連絡を】

それだけ。
感情も語りも、すべて剥がされたような簡潔なメッセージだった。

けれど、その簡潔さが逆に深かった。
まるで、「これ以上余計な事を知る必要は無い」とでも言われているようだった。

男はその画面をしばらく眺めたあと、ため息を吐いてスマホを閉じた。


「……白木、蓮」

男は、その名を小さくつぶやく。

平凡な会社員。優等生。
口数少なく、余計なことは言わず、上司の期待には応えようとする。
生活習慣は几帳面で、金遣いも堅実。日常のどこを切り取っても“ただの人間”。

だが、真神が自らの手で守る相手。

魔女たちを焼き払っても、使い魔を引き裂いても、眉一つ動かさない男が——
ただの社員に“観察任務”をつけ、何もしないよう命じる。

その意味は、ひとつしかない。

蓮は、雪也にとっての“例外”だ。
壊すでもなく、操るでもなく。
彼だけは、“そのまま”を保とうとしている。

その理由は、まだわからない。
けれど確信だけは残る。

——あの男は、“壊すことより恐ろしい形で”彼を所有している。

男は、彼の顔を直接また見る気がした。恐らく、次はもっと“近い距離”で。

風が吹いた。
街の灯りは、夜を照らしているはずなのに、どこか遠かった。

静観者の任務は、続く。

だが男は予感していた。
白木蓮の背後にうごめく何かが、やがてかたちを成し、牙を剥く時が来ることを。

真神雪也と、白木蓮。──その関係に変化が現れる時。
この静かな街に、本物の嵐が訪れる。

それは、今この瞬間すでに、始まっているのかもしれない。
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