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運命の秋
新しい日々・15
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最終的には上機嫌となったサイード老人に文字通り背を押されながら、コーは星の境界をくぐった。光の世界との、数刻ぶりの遭逢。眩しい光に満ちていた世界は、今は丸みを帯び始めていた。先に下界したシンシアが、伸びをしながらコーを迎える。午後4時を少し過ぎたころ。コーは、澄んだ空気に身を震わせた。
「売上は、まずまずだ」
二人に続いて星の世界から出てきた老人が、満足そうに唸った。それもそのはず、結局、コーとシンシアでそれなりに値段のする果実酒を空けてしまったのだ。コーとしては、飲むにしても含む程度にしようと考えていたのだが、シンシアに勧められるがまま、それなりの量を飲んでしまった。
酒を飲むということは想定外ではあったが、良い面もあった。厳しい主人と掟によって統治される星の世界を訪れる者は少なく、普段は殆ど売上が立っていない。だから、少なくとも売上という一点に関して言えば、コーとシンシアはそれまでの怠慢の禊ぎを済ませることができた。それに・・・。
「うまく乗せられちゃったわ」
そう言ったシンシアは、楽しそうに笑った。この三人の間で、シンシアがこういう顔を見せることは少ない。こういう振る舞い方は、どちらかと言えば宿屋の看板娘としてのシンシアの顔だ。もちろんコーは、どちらか一方だけが本当ということではなく、どちらも彼女の持つ顔だと思っている。
「旦那を巻き込んでいたくせに、良く言うわい」
「それは、お互い様だよ。ね、コー?」
シンシアの言葉に、コーは小さく頷いた。シンシアの言う通り、確かにお互い様なのだ。シンシアは、これからコーと共に森を越え、コーの自宅へと戻ることになっている。そして、アルバンお手製のカレーに舌鼓を打ちながら、くだらない話に花を咲かせることになるだろう。
思い切って誘ってはみたものの、実際のところ、色よい返事を貰って驚いた。シンシアの母親、ネットが娘の願いを二つ返事で認めてくれたのも意外だった。大車輪の働きをしている彼女が休みを取るのは、宿屋の主としては痛いはずだ。
しかし、働きづめの娘を見てきた母親としては、望ましいことだったのだろう。真面目で責任感の強すぎるシンシアは、こういうタイミングでもないと休ませることができないと思ったのかもしれない。
いずれにしても、シンシアとの時間がまだ続くというのは、喜ばしいことだ。実際、これから待ち受けている楽しい時間を思うと、知らず知らずのうちに頬が緩んでしまう。そんなコーに気づいたのだろうか、呆れたような口調で老人が言った。
「まあ、旦那は喜んでいるようだ」
「私も嬉しいわ。アルバンにも会えるし」
「駆け引きのつもりか?旦那に愛想をつかされるぞ」
「余計なお世話です」
シンシアが、大げさに右手を振り上げて見せた。老人は老人で、少しおどけた仕草で両手で頭を覆う素振りをした。いつものじゃれ合いだが、老人がこんな陽気な素振りをすることは珍しい。老人の奇行を微笑ましく眺めていると、コーの視線に気づいたサイード老人は、今度はコーに舌鋒を向けた。
「まあ、旦那に駆け引きを理解する余裕はなさそうだが」
予想外に飲みすぎてしまったコーの腕には、赤い斑模様が出始めている。言うまでもなく、顔は真赤である。外見から見れば、コーはすでに満身創痍である。ただ、体が熱いということはあれど、気分が悪いということはなかった。
「勘弁してよ、サイード。見た目ほど酔ってないよ」
「その見た目だけで、野鳥に絡まれそうだがな」
「大丈夫だと思うけど」
苦笑いしたコーの頬を、一陣の風が撫でる。昼間は暖かいと言ってもおかしくない気温だったが、もう10月も終わりと言う頃。天空の主役が帰り支度を始めると、肌を刺すような冷気が顔を出し始める。吹き付ける風に顔をしかめながら、サイード老人が小さく身震いしていった。
「冷えてきたな」
「そうだね、もう秋も終わりだから」
「コー、もう行きましょう。凍えちゃうわ」
シンシアが、両手を自分の体を巻き付け、身を縮める。吐く息も、白い。自分が寒いからという言い方だが、その実、サイード老人を気遣っているのだ。サイード老人に直接的な心配を向けるとへそを曲げることがあるから、シンシアはときどきこういうものの言い方をする。コーは、小さく頷いて答えた。
「そうだね。暗くなる前に帰る方がいい」
「それじゃ、サイード。また来るね」
シンシアの言葉に、サイード老人が黙って頷いた。二人はそんなサイードに向かって別れの挨拶をし、歩き始めた。寂れた街はずれには、コー達のほかに、寒空の下を歩く者は無い。一人で往くなら少しばかり寂しい家路になったかもしれない。しかし、今日は違う。隣には、素敵な道連れがいるのだ。
踏みしめる砂利道が、小さく、しかし確かに音を立てる。しばらく歩いてからコーが振り返ると、遠くにはまだ、腰の曲がった老人の姿が見えた。二人が立ち止まって振り返ると、やがて、遠くの小さな影はゆっくりと動き、星麗亭の中へと消えていった。その小さな影を見送りながら、シンシアがポツリと言った。
「楽しんでもらえたかしら」
先ほどまでとは打って変わった声色に釣られ、コーは思わず隣の友人に目をやった。美しく長い黒髪が風で靡きながら、夕日の中で黄金の輝きを放っている。今の彼女の様子からは、先ほどまでの高揚感は感じられない。コーは、シンシアの方へ向き直って、努めて明るい声で言った。何となく、そうしたいと思ったのだ。
「勿論。それに、僕たちも、楽しかった」
「うん、そうね。私たちも、楽しかった」
シンシアが、明るい声で繰り返した。夕日を背に受けたその表情は読みづらい。だが恐らく、いつもの笑顔がそこにある。彼女の背後に広がる茜色の空には、鳥たちの群れが穏やかに流れていくのが見える。
彼らも、一日を終えてねぐらへと戻るのだろうか。もしかしたら、行先は同じかもしれない。根拠はないが、なぜかそんな気がした。小さくなっていく鳥の群れから目を離したコーは、同じく空を見上げていた友人に向かって呼びかける。
「さあ、それじゃあ軽い運動といこうか」
「うん。いい酔い覚ましになりそうね」
シンシアは、準備完了とばかりに、両手で腰を軽く叩いて見せた。コーも、同じ仕草で応える。日の入りまでに家に戻れるかどうかは怪しいところだが、星たちの宴が始まる前には戻れるだろう。
小さな家では、アルバンが、カレーを準備して待っている。今頃、鼻歌でも歌いながら支度を始めているに違いない。シンシアが一緒についてくるとは思っていないだろうから、きっと喜ぶだろう。コーが歩き出すと、小さな影がその背中に続く。二人の足元で舞い上がった砂ぼこりは、吹き抜ける風に攫われていった。
「売上は、まずまずだ」
二人に続いて星の世界から出てきた老人が、満足そうに唸った。それもそのはず、結局、コーとシンシアでそれなりに値段のする果実酒を空けてしまったのだ。コーとしては、飲むにしても含む程度にしようと考えていたのだが、シンシアに勧められるがまま、それなりの量を飲んでしまった。
酒を飲むということは想定外ではあったが、良い面もあった。厳しい主人と掟によって統治される星の世界を訪れる者は少なく、普段は殆ど売上が立っていない。だから、少なくとも売上という一点に関して言えば、コーとシンシアはそれまでの怠慢の禊ぎを済ませることができた。それに・・・。
「うまく乗せられちゃったわ」
そう言ったシンシアは、楽しそうに笑った。この三人の間で、シンシアがこういう顔を見せることは少ない。こういう振る舞い方は、どちらかと言えば宿屋の看板娘としてのシンシアの顔だ。もちろんコーは、どちらか一方だけが本当ということではなく、どちらも彼女の持つ顔だと思っている。
「旦那を巻き込んでいたくせに、良く言うわい」
「それは、お互い様だよ。ね、コー?」
シンシアの言葉に、コーは小さく頷いた。シンシアの言う通り、確かにお互い様なのだ。シンシアは、これからコーと共に森を越え、コーの自宅へと戻ることになっている。そして、アルバンお手製のカレーに舌鼓を打ちながら、くだらない話に花を咲かせることになるだろう。
思い切って誘ってはみたものの、実際のところ、色よい返事を貰って驚いた。シンシアの母親、ネットが娘の願いを二つ返事で認めてくれたのも意外だった。大車輪の働きをしている彼女が休みを取るのは、宿屋の主としては痛いはずだ。
しかし、働きづめの娘を見てきた母親としては、望ましいことだったのだろう。真面目で責任感の強すぎるシンシアは、こういうタイミングでもないと休ませることができないと思ったのかもしれない。
いずれにしても、シンシアとの時間がまだ続くというのは、喜ばしいことだ。実際、これから待ち受けている楽しい時間を思うと、知らず知らずのうちに頬が緩んでしまう。そんなコーに気づいたのだろうか、呆れたような口調で老人が言った。
「まあ、旦那は喜んでいるようだ」
「私も嬉しいわ。アルバンにも会えるし」
「駆け引きのつもりか?旦那に愛想をつかされるぞ」
「余計なお世話です」
シンシアが、大げさに右手を振り上げて見せた。老人は老人で、少しおどけた仕草で両手で頭を覆う素振りをした。いつものじゃれ合いだが、老人がこんな陽気な素振りをすることは珍しい。老人の奇行を微笑ましく眺めていると、コーの視線に気づいたサイード老人は、今度はコーに舌鋒を向けた。
「まあ、旦那に駆け引きを理解する余裕はなさそうだが」
予想外に飲みすぎてしまったコーの腕には、赤い斑模様が出始めている。言うまでもなく、顔は真赤である。外見から見れば、コーはすでに満身創痍である。ただ、体が熱いということはあれど、気分が悪いということはなかった。
「勘弁してよ、サイード。見た目ほど酔ってないよ」
「その見た目だけで、野鳥に絡まれそうだがな」
「大丈夫だと思うけど」
苦笑いしたコーの頬を、一陣の風が撫でる。昼間は暖かいと言ってもおかしくない気温だったが、もう10月も終わりと言う頃。天空の主役が帰り支度を始めると、肌を刺すような冷気が顔を出し始める。吹き付ける風に顔をしかめながら、サイード老人が小さく身震いしていった。
「冷えてきたな」
「そうだね、もう秋も終わりだから」
「コー、もう行きましょう。凍えちゃうわ」
シンシアが、両手を自分の体を巻き付け、身を縮める。吐く息も、白い。自分が寒いからという言い方だが、その実、サイード老人を気遣っているのだ。サイード老人に直接的な心配を向けるとへそを曲げることがあるから、シンシアはときどきこういうものの言い方をする。コーは、小さく頷いて答えた。
「そうだね。暗くなる前に帰る方がいい」
「それじゃ、サイード。また来るね」
シンシアの言葉に、サイード老人が黙って頷いた。二人はそんなサイードに向かって別れの挨拶をし、歩き始めた。寂れた街はずれには、コー達のほかに、寒空の下を歩く者は無い。一人で往くなら少しばかり寂しい家路になったかもしれない。しかし、今日は違う。隣には、素敵な道連れがいるのだ。
踏みしめる砂利道が、小さく、しかし確かに音を立てる。しばらく歩いてからコーが振り返ると、遠くにはまだ、腰の曲がった老人の姿が見えた。二人が立ち止まって振り返ると、やがて、遠くの小さな影はゆっくりと動き、星麗亭の中へと消えていった。その小さな影を見送りながら、シンシアがポツリと言った。
「楽しんでもらえたかしら」
先ほどまでとは打って変わった声色に釣られ、コーは思わず隣の友人に目をやった。美しく長い黒髪が風で靡きながら、夕日の中で黄金の輝きを放っている。今の彼女の様子からは、先ほどまでの高揚感は感じられない。コーは、シンシアの方へ向き直って、努めて明るい声で言った。何となく、そうしたいと思ったのだ。
「勿論。それに、僕たちも、楽しかった」
「うん、そうね。私たちも、楽しかった」
シンシアが、明るい声で繰り返した。夕日を背に受けたその表情は読みづらい。だが恐らく、いつもの笑顔がそこにある。彼女の背後に広がる茜色の空には、鳥たちの群れが穏やかに流れていくのが見える。
彼らも、一日を終えてねぐらへと戻るのだろうか。もしかしたら、行先は同じかもしれない。根拠はないが、なぜかそんな気がした。小さくなっていく鳥の群れから目を離したコーは、同じく空を見上げていた友人に向かって呼びかける。
「さあ、それじゃあ軽い運動といこうか」
「うん。いい酔い覚ましになりそうね」
シンシアは、準備完了とばかりに、両手で腰を軽く叩いて見せた。コーも、同じ仕草で応える。日の入りまでに家に戻れるかどうかは怪しいところだが、星たちの宴が始まる前には戻れるだろう。
小さな家では、アルバンが、カレーを準備して待っている。今頃、鼻歌でも歌いながら支度を始めているに違いない。シンシアが一緒についてくるとは思っていないだろうから、きっと喜ぶだろう。コーが歩き出すと、小さな影がその背中に続く。二人の足元で舞い上がった砂ぼこりは、吹き抜ける風に攫われていった。
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