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第1章「仕事人間、異世界に立つ』編

第1話『おじさん、仕事を引き受ける。』

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 気がつくと俺は何もない場所で椅子に腰かけていた。…いや、正確に言うなら、と言うよりものであるが…。

「確か俺は仕事がひと段落して、久しぶりの休暇を満喫していたはずだが…」

 今の状況を把握するためにも、その前の記憶を思い出すことにした。あらゆる人材を育成する会社『ワークス』で育成担当を続けてきたベテラン社員である。まあ、肩書は『育成課課長』だが、課の管理責任者ではなくいち業務人員である。なので、当然ながら人材育成をする仕事をしている。ここ3ケ月の人材育成強化合宿を終え、ひと段落出来たと自宅でくつろいでいたはず…。

「拉致…?いや、俺をする意味が無い…よな?」

 そうなるとどういうことだ?まさか今流行りのだとでも言うのだろうか?別段、そう言う小説を読み込んだわけではないが仕事上それなりに知ったと言うくらいには精通している。俺の仕事は多種にわたる人材育成をする会社なので、あらゆる業種の知識はそれなりに持っているのだ。

「ここであれこれ考えても無駄だな。そのうち誰かが現れるだろう」
「お待たせしました」


 突然聞こえた女性の声。それと同時に姿が目の前に現れる。ほう…ここまで美しい女性を見たのは初めてだな。さすがは『女神様』と言うところか。

「いえいえ…それで、何様でございますか?」
「落ち着いていらっしゃいますね?急にこのような場所に呼ばれた人の姿とは思えまないです」
「それなりに驚きましたが…もなくはないかと」
「その適応力…さすがと言わせてもらいます。では、早速ですが話をさせてもらっても?」
「お願いします」
「率直に申し上げますが…ぜひやっていただきたいお仕事がありまして…」
「ほう…。仕事の依頼ですか」
「私の作った世界に文化を広めてもらいたいのです」
「文化ですか?それは俺の得意分野ではありませんが?」
「もちろん、文化を発展させろと言うものではなく、文化発展への足掛かりを作って欲しいと言うものです」
「足がかり…つまり基本的な知識を教えろと言うことですかな?」
「そうです。これは玄人知識よりも広い分野の職業の基本体形を知っている者のほうが良いと考えました」
「それで俺ですか。まあ、それなりに色々な職業の業務体形は熟知しておりますが」

 いろいろな職業の人材育成をするうえで、その職業について勉強するのは当たり前のことである。とは言っても俺たちが覚えるのはあくまで基本的なところまでだ。そこから先は仕事場で直に学んでいく。つまり俺たちの仕事は仕事先に迷惑がかからないように最低限の基本知識を学ばさせることなのだ。
 つまりは、色んな職業の基本知識を与え広げると言うことなのだろう。

「頼み事は分かりましたが、現実問題として俺が派遣されるところどういった場所なのでしょうか?」

 そう。これは大事なことだ。俺の常識が通じる場所なら良いんだが、そうじゃないならいろいろと問題が…。

「そうですね。アナタ方の世界で言うところの『ファンタジー』と呼ばれる世界ですね」
「……」

 うん。なんとなく分かっていたが、こうも予想通りだと何も言えん。


「それは、モンスターやら魔法やらがある世界と言うことですかな?」
「はい。そうなりますね」
「正直に申し上げて自分には荷が重いと思うのですが…」


 独り身であるので異世界に行くこと自体は問題は無い。
 が…この歳で今さら殺伐とした世界と言うのは少々遠慮したいところ。
 仕事自体は魅力的なのだがいかんせん命のやり取りをやると言うのはなぁ…。

「私も色んな方々の中からあなたを選んだのです。まずはその理由だけでも聞いていただきませんか?」
「…分かりました。まずはお話を聞きましょう」

 判断はそれからでも遅くないか。

「まず改め自己紹介からさせてもらいますね、神納勇利さん。私の名前は『ヴィヌス』と申します。『ヴェイロン』と言う世界の女神をしております」

 それからの話しはかなり長くなったので俺から割愛して説明すると、地球の神と交流のあったヴィヌスは地球の…と言うよりも日本で作られたゲームにハマったのだと言うこと。特にファンタジー系がお気に入りであった彼女は世界の創造神になった時、このゲームの様なファンタジー世界を作ったのだ。そこまでは良くありそうな感じではあるが…ここで女神・ヴィヌスはこの世界の根本を覆すことをしてしまったのだ。通常、モンスターがいると言うことは冒険者の様な野蛮な人種がいて当たり前なのだが…ヴィヌスは何故か争いが嫌いで、この世界の知恵ある種の性格を『温厚重視』に設定してしまったのだ。普通神は作った世界の種には干渉しないモノなのに、ヴィヌスはそこに手を加えたのだ。それが生み出す偏った異常な世界になるとも知らず…。
 結果から言うと、ヴィヌスの世界は平穏そのものであった。不自然なほどに…。
 どう不自然かと言うと、競争心と言うか闘争心と呼べるものが見られなかったのだ。人はある程度そう言った相手よりも優位になりたいといった感情があり、それが結果として発展を促してきたのだが…。そういう感情が抑制されていたためヴィヌスの世界は穏やかではあるが『国』と言うものが存在しない集落があちらこちらに点在するような不安定なものになってしまったのだ。それなりの衣・食・住が広まったのは『スキル』のおかげであった。だが結局そこからの発展はなく、困った末に特例として住人に干渉して元に戻したのだが、一度植え付けられた穏やか性格が邪魔をして当たり前の感情は戻りきらず国ができたのにも1000年の月日がかかったほどだ。通貨や店などができたのはここ100年くらいのことである。ようやくスタートラインに立ったと思ったのだが、一度安定するとそこからの発展もまた止まってしまったと言うわけだ。
 多種多様の種族が混在する世界なのに戦争の様な争いは一度も無いと言うのがこの世界の異常性を物語っていた。
 発展すればいいとは言えないが、それでも文化としては日本で言えば飛鳥時代くらいに入った程度くらいと言えるだろうか?まあ、世界観は和風ではなく洋風である町並みが多いらしいのだが…。

「つまり、俺は『カンフル剤』みたいなものか?」
「そう受け取っていただいても間違いではありませんが、誰でも良いと言うわけでもなくてですね…」
「まあ…その辺りは分かります」

 それだけ穏やかで競合性のないところに野心を持つ者が入り込めばどうなるか…。考えただけでも恐ろしい事態になるだろう。俺にもそれなりの出世欲はあるが、普通ならもっとあるのが人間なのだ。俺はこの歳になるとそう言うのとは無縁になるものだ。

「それにしても住人のスキルの認識不足も問題ですな」
「ええ…。初期段階のスキルはあくまでも恩恵でしかないんですけどね」
「まあ、説明を聞いたからこそ理解できたが…それを知らない者にとっては気づけにくいのかもな」

 この世界の『スキル』は言ってみれば『特技』としてこの世界の住人に認識された。本来はそういうモノではないのだが、その真相を教わる相手のいない住人たちにとっては勘違いしても仕方がないだろう。
 『スキル』とは、初めに得られるものは生きるための最低限のモノとしてヴィヌスの加護で与えられたもので、生きていく中で『スキル』は増えていくのだが、それはあくまでも初期スキルの延長と捉えられていた。実際はどんなスキルでも条件が合えば誰でも得られるのだが、そう言った研究もされていないので、住人の職業の選択は初期スキルに依存してしまっているのが現状なのだ。

「しかし、これは人生を賭けた大仕事になるな。正直な話、俺が生きているうちに成し遂げられるとは思えんのだが…」
「ですので、転移時には年齢を若返らせますし、寿命も伸ばすつもりです。もちろん、身体強化もしますし欲しいスキルも1つ与えます。あと必要最低限の物は渡しますので…」
「そうだな…では、どんなスキルでも取得しやすくできますか?」
「そうですね…『スキル取得(オート)』と言うのがあります。これなら普通の人よりもスキルの取得がしやすくなります」
「ではそれで、後は最低限の装備一式と資金は欲しいですな」
「用意しましょう」
「後…連絡は取れるのですか?」
「私とですか?普通はしてはいけないのですが…そうですね日記を渡しますので、そこに必要なことを書いていただければ夢の中に出ますので。あ、書く時には『日本語』でお願いしますね。それなら誰かに見られても分かりませんから」
「それじゃあ、筆記用具もついでに頼みなすよ」
「お礼を言わせてください…ありがとう、神納勇利さん」
「まだ始まってもいませんが…どういたしまして、女神・ヴィヌス様」

 その言葉を最後に俺の意識は薄れていった。
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