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豆腐小僧
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東京がまだ江戸と呼ばれていた頃に僕は生まれた。父と母はごく普通の町人で、僕たち家族は3人で長屋に住んでいた。部屋は6畳と狭かったけど、とても楽しい日々だったのを今でも覚えている。寺子屋で手習いを一通り学んだ僕は近くの豆腐屋で下働きとして働き始めた。当時、豆腐は江戸の人々のおかずとしてとても人気で、幼い頃から食卓に時折出てくる豆腐が大好きだった僕は豆腐作りの職人に強く憧れを抱くようになった。働き始めた当初は小柄な僕にとって、つらいことがたくさんあったけど、好きなことを学びながら働けることがとても楽しかった。やがて3年が経つ頃には親方にも認められ始め、豆腐作りを少しずつ任せてもらえるようになったけど、
『火事と喧嘩は江戸の華』
と言われるように、当時の江戸は民家が密集していたために火事が多かった。僕が10代後半だった頃にお店の近くでも大きな火事が起きた。大勢の人の流れに圧倒されながらも必死に逃げ続けたものの、親方たちと途中ではぐれてしまった。それでも江戸の狭い路地や大通りを無我夢中で走り続けた結果、いつの間にか僕はとある山の中にいた。神隠しにでも遭ったのかと戸惑いながら、民家を求めて歩き回った。しばらく山の斜面を彷徨っていると、麓に拡がる大きな集落とその周辺の田畑が目に入った。急いで集落のもとに駆け寄り、そこの住人らしき集団に近寄って声をかけたところ、
「っ⁉︎」
驚いたことに彼らは人ではなく異形の者たち、妖怪であった。どうやら僕は江戸の火事から逃げる途中で偶発的に彼ら妖怪たちが住む異界へと迷い込んだらしい。恐れ慄く僕とは対照的に、意外にも彼らは僕のような迷い込んでくる人間に慣れているようであった。その後、色々あって僕は妖怪たちと若干の人間たちが共存する不思議な里の一員として迎え入れられた。やがて、里での濃い妖気のせいなのか、もとからの体質のせいなのか分からないけど、気付いたら僕も妖怪になっていた。姿は人間の頃のままなのに、周囲の妖怪たちから
「おめぇ…、俺ら妖怪と同じ気配を纏っているの感じるぞ」
と言われて発覚した。里のみんなのために豆腐をよく作っていた僕は、童顔だったことから『小僧』、『豆腐屋』、『豆腐小僧』と呼ばれるようになった。時代が移り変わり、『令和』の世になった今は、異界にある里と行き来しながら関東圏内のとある地域で豆腐屋を営んでいる。妖怪になった僕は人間と比べて加齢による変化が乏しいので、怪しまれないように『変化の術』を使っている。これは里の者に教わったもので、普段は初老の男性に化けている。加えて最近では、駅近の雑居ビルで里のみんなと協力して飲食店を始めた。江戸時代の大ベストセラーである『豆腐百珍』をもとに豆腐を扱った料理を主軸とした居酒屋だ。それなりに高評価をいただいている。
* * *
5月中旬の夕方過ぎ。夕飯の買い出しに来られるお客さんの波が落ち着いた頃、見知った方がお店に来られた。彼だ。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、黒衣さん」
現れたのは、僕たち妖怪の間では名の知れた薬売りの黒衣漆黒さん。よく効く薬を自分で調合したり、仕入れたりして各地で売り歩いている。お店に来られるのは1ヶ月ぶりだろうか。
「久しぶりにこちらの豆腐で冷奴を食べたくなりましてね。2丁ほどください」
「へぇ…、それはありがたいですね」
にやけてしまう顔を隠し切れないまま、僕は黒衣さんが所望した豆腐を商品棚である専用の冷蔵庫から取り出した。しばらく世間話をして会計を終えると、僕はあることを思い出した。
「ああ、そうだ。ねぇ、黒衣さん」
「なんですか?」
「実は、うちの従業員で手荒れに悩まされているのが何人かいまして。なにか、良い塗り薬とかってありますか?」
「それでしたら、ちょうど最近調合したものでオススメな薬が1つありますよ」
黒衣さんはレジカウンターの隅でアタッシュケースを開くと、チューブのような物を取り出した。
「これは【柔肌類似再生ハンドクリーム】という塗り薬になります。寝る前に肌が荒れている部分に塗れば、翌朝には完治しいています。今は1つしかないので、サンプルとしてこれを従業員の方々に使わせてみてください。後日、私のほうにご連絡くだされば、必要な数をご用意できます」
「おや、それはすごいお薬ですね。ぜひ、お試しで使わせていただきたいです」
黒衣さんからお薬を貰った私は、お礼として商品の胡麻豆腐を何個かサービスした。
後日、駅近の店舗に赴き、サンプルであるハンドクリームを従業員たちに勧めてみた。すると、試しに使ってみた従業員全員がその効果に驚き、購入を希望してきた。その日のうちに黒衣さんに連絡してみたところ、3日後に届けてくれることになった。
(いっそのこと、従業員への福利厚生の1つとして半年に1回の支給制にしようかな。…希望者に対して)
『火事と喧嘩は江戸の華』
と言われるように、当時の江戸は民家が密集していたために火事が多かった。僕が10代後半だった頃にお店の近くでも大きな火事が起きた。大勢の人の流れに圧倒されながらも必死に逃げ続けたものの、親方たちと途中ではぐれてしまった。それでも江戸の狭い路地や大通りを無我夢中で走り続けた結果、いつの間にか僕はとある山の中にいた。神隠しにでも遭ったのかと戸惑いながら、民家を求めて歩き回った。しばらく山の斜面を彷徨っていると、麓に拡がる大きな集落とその周辺の田畑が目に入った。急いで集落のもとに駆け寄り、そこの住人らしき集団に近寄って声をかけたところ、
「っ⁉︎」
驚いたことに彼らは人ではなく異形の者たち、妖怪であった。どうやら僕は江戸の火事から逃げる途中で偶発的に彼ら妖怪たちが住む異界へと迷い込んだらしい。恐れ慄く僕とは対照的に、意外にも彼らは僕のような迷い込んでくる人間に慣れているようであった。その後、色々あって僕は妖怪たちと若干の人間たちが共存する不思議な里の一員として迎え入れられた。やがて、里での濃い妖気のせいなのか、もとからの体質のせいなのか分からないけど、気付いたら僕も妖怪になっていた。姿は人間の頃のままなのに、周囲の妖怪たちから
「おめぇ…、俺ら妖怪と同じ気配を纏っているの感じるぞ」
と言われて発覚した。里のみんなのために豆腐をよく作っていた僕は、童顔だったことから『小僧』、『豆腐屋』、『豆腐小僧』と呼ばれるようになった。時代が移り変わり、『令和』の世になった今は、異界にある里と行き来しながら関東圏内のとある地域で豆腐屋を営んでいる。妖怪になった僕は人間と比べて加齢による変化が乏しいので、怪しまれないように『変化の術』を使っている。これは里の者に教わったもので、普段は初老の男性に化けている。加えて最近では、駅近の雑居ビルで里のみんなと協力して飲食店を始めた。江戸時代の大ベストセラーである『豆腐百珍』をもとに豆腐を扱った料理を主軸とした居酒屋だ。それなりに高評価をいただいている。
* * *
5月中旬の夕方過ぎ。夕飯の買い出しに来られるお客さんの波が落ち着いた頃、見知った方がお店に来られた。彼だ。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、黒衣さん」
現れたのは、僕たち妖怪の間では名の知れた薬売りの黒衣漆黒さん。よく効く薬を自分で調合したり、仕入れたりして各地で売り歩いている。お店に来られるのは1ヶ月ぶりだろうか。
「久しぶりにこちらの豆腐で冷奴を食べたくなりましてね。2丁ほどください」
「へぇ…、それはありがたいですね」
にやけてしまう顔を隠し切れないまま、僕は黒衣さんが所望した豆腐を商品棚である専用の冷蔵庫から取り出した。しばらく世間話をして会計を終えると、僕はあることを思い出した。
「ああ、そうだ。ねぇ、黒衣さん」
「なんですか?」
「実は、うちの従業員で手荒れに悩まされているのが何人かいまして。なにか、良い塗り薬とかってありますか?」
「それでしたら、ちょうど最近調合したものでオススメな薬が1つありますよ」
黒衣さんはレジカウンターの隅でアタッシュケースを開くと、チューブのような物を取り出した。
「これは【柔肌類似再生ハンドクリーム】という塗り薬になります。寝る前に肌が荒れている部分に塗れば、翌朝には完治しいています。今は1つしかないので、サンプルとしてこれを従業員の方々に使わせてみてください。後日、私のほうにご連絡くだされば、必要な数をご用意できます」
「おや、それはすごいお薬ですね。ぜひ、お試しで使わせていただきたいです」
黒衣さんからお薬を貰った私は、お礼として商品の胡麻豆腐を何個かサービスした。
後日、駅近の店舗に赴き、サンプルであるハンドクリームを従業員たちに勧めてみた。すると、試しに使ってみた従業員全員がその効果に驚き、購入を希望してきた。その日のうちに黒衣さんに連絡してみたところ、3日後に届けてくれることになった。
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