MASK 〜黒衣の薬売り〜

天瀬純

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夜桜見物 《妖怪たち》

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 妻は今日、出張で出掛けている。せっかく桜が綺麗に咲き誇っているのに、一緒に見られないのが残念だ。ベランダから見える公園の巨大な桜の木が、街灯でいい感じにライトアップされていて実に綺麗だ。ふと時計を見ると、時刻は午後7時34分。

(ん~、もう少し頑張るか)

医療系の出版社や医療機器メーカーからのイラストの依頼をいくつか抱えていた私は、寝るまでにある程度作業を進めることにした。納期にはまだ時間があるが、何が起こるか分からないため保険をかけておきたくなってしまう。とはいえ、紆余曲折あった人生の末に好きなことを生業にすることのできる充実さの有り難みを考えれば、苦でもない。そう思うと、作業が捗る。

「ふう…。こんなものかな」

腕時計で時間を確認してみると、時刻は午後11時47分。

(風呂に入ろう)

風呂場に行き、湯船にお湯を入れている間、私はベランダに出て夜桜見物をすることにした。

(ほんと、桜はいい)

妻が帰ってくる頃には少し散ってしまっているのではないか、と少し心配になってしまう。

(ちょっと見に行ってみるか)

風呂は自動で湯を張ってくれているので溢れる心配はない。私は上着を羽織って出掛けることにした。絵描きならではの職業病なのか、桜を眺めながらスケッチできるようにタブレット端末とそれに対応する専用のペンを持って公園に向かった。さすがに遅い時間だったため、マンションを出て公園に行くまでに誰にも会うことがなかった。

「おお……」

いつもベランダから見下ろしていた桜の木は、近くに来て見上げてみると、上手く言葉で言い表すことができないと悟ってしまうほど見事であった。しばらく眺めていると、

「おや、先客がいらっしゃいましたか」

振り返ると、黒いスーツにこれまた黒い布マスクを着用している若い男性が立っていた。手には、黒い鞄のような物を持っている。

(このあたりの住人かな?)

とりあえず、軽く会釈しておいた。すると、

「おひとりでいらしたところ申し訳ありません。ちょっと、これから私の友人たちが夜桜見物に来るのですが、よろしいですか?」

(随分と律儀だな。…というか、この時間に花見?)

「構いませんよ。ここは私の土地ではなく、公園ですので」

「ありがとうございます」

男が私に一礼すると、彼の後ろにある公園の入り口付近から楽器の音色が聞こえてきた。それも1つどころではない。

(こんな夜更けに音楽だなんて、近所中から苦情が来るだろうに…)

無数の楽器の音が徐々に近づいて来るが、近所の住人たちが窓から覗いたり、公園に怒鳴り込んできたりする様子はなかった。

「あれは…⁉︎」

暗闇の奥から現れてきた者たちは、異形の集団であった。昔、レンタルビデオ店で借りたアニメ作品で似たような者たちを見たことがある。

『おお、綺麗な桜じゃ』

『ほんとだぁ~』

『今年も見事よのぉ』

『酒じゃ、酒じゃ』

(妖怪だ‼︎…信じられない)

「皆さ~ん、こちらで~す」

スーツ姿の男が異形の者たちに向かって手を振る。

(友人って、妖怪たちのことかよ⁉︎)

「驚かせてしまい申し訳ありません。彼らとは仕事関係で知り合いまして。あ、そうそう。私、医薬品関係の営業をしております、黒衣漆黒と申します」

「はあ、そうですか…」

職業と名を紹介した男は、しばらく私を眺めた。

「ん~、拝見させていただいたところ、イラストレーターでいらっしゃいますか?」

「⁉︎」

「いやぁ、長く営業しておりますと人間観察が得意になりましてね」

(妖怪とつながりのある製薬企業の営業って何だ⁉︎)

『おお、漆黒殿。久しいのぉ』

『漆黒さん、今宵はいい酒を持って来ましたぞ』

『おや、人間もいる』

『ほんとだ』

気付くと、周囲を無数の妖怪たちが私と彼を取り囲んでいた。

「皆さん、お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです。こちらの方は先ほど偶然お会いした絵描きの方になります。よろしくお願いします」

『ほぉ~、絵師か』

『今宵の花見は賑やかになりそうだのう』

黒衣と名乗った男の紹介のおかげで、妖怪たちに暖かく迎えられた私は彼らの宴に混ざることになった。戸惑いもあったが、彼らは非常に友好的であり、なにより目の前の光景が全て驚きの連続であったので、自然と私も大いに楽しむようになった。猫又が勧めてきた『またたび酒』、河童が持ってきた『きゅうりの漬け物』や妖狐自慢の『いなり寿司』。どれも実に絶品であった。

(この光景を描きたいな)

大きな桜の木の下で妖怪たちが大宴会を催す光景は、私の絵描きとしての本能を奮い立たせた。宴会の輪から少し離れたところにある公園のベンチに座り、早速私は目の前の様子を持っていたタブレット端末に描き始めた。これほどの非日常の世界をスケッチするという可笑しなことはないので、描くのがすごく楽しい。色は帰ってから塗ることにして、ひたすら描き続けると、

「いい絵ですね」

漆黒殿と妖怪たちに慕われている彼が、いつのまにか私の後ろからタブレット端末を覗き込んでいた。

「出来上がりましたら、その絵をください」

その言葉を聞いた直後に、私の意識は遠のいた。

「……ん」

気がつくと、私は自宅のリビングのソファで寝ていた。あたりを見回して、テーブルの上に置いてあったタブレット端末に妖怪たちのスケッチが残っていないか確認してみた。

「…あった」

夢ではなかったようだ。しばらく呆然としていたが、テーブルの上に置いてある紙袋に目がいった。

(なんだ、これ?)

開けると陶器製の瓶と手紙が入っていた。手紙には、

『昨夜は私どもの花見に参加していただき、誠にありがとうございました。この手紙と一緒に袋に入っております瓶は【常時鍼灸治療】という塗り薬でございます。絵描きの方は手先が疲れたり、肩が凝ったりして大変だと伺いましたので、ぜひ使ってみてください』

紙袋の中を確認してみると、彼のものと思われる名刺が入っていた。興味深いから、いつか連絡してみよう。

* * *

* * 

* 

 あの不思議な夜桜見物から2ヶ月が経った。変わらず私は家事全般を担当して忙しい妻をサポートしつつ、イラストレーターとしていくつかの案件を抱えていた。黒衣という男から薬をもらったあとに少し時間がかかったものの、あの日見た妖怪たちの絵を完成させた私はデータを薬と一緒に同封されていた彼の連絡先にメールで送った。すると翌日には、見知らぬアドレスからメールがいくつか届いた。読んでみると、どれも絵に関するお礼であり、あの日の花見に参加し、私の絵に偶然描かれていた妖怪たちからであった。

(妖怪たちもスマートフォンとか持っているのか)

その後、医療関係のイラスト以外にも妖怪たちからの依頼を時折請け負うようになった。
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