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第2話 傲慢王子の「生活改善」命令
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翌朝。
私は遅刻ギリギリの時間に飛び起き、状況を理解する間もなく会社へ行った。
夢だったのかもしれない。
そう思いたかった。
けれど、その日の夜。
ヘトヘトになってアパートのドアを開けた私は、言葉を失った。
「……は?」
部屋が、光り輝いていた。
床に散乱していた雑誌は綺麗に積み上げられ、フローリングは鏡のように磨き上げられている。脱ぎ散らかした服は洗濯され、干されている。
そして何より――
キッチンから、信じられないほど良い匂いが漂ってきていた。
「遅いぞ、社畜」
エプロン姿の金髪男が、腕組みをして仁王立ちしていた。
リオンだ。
彼は私の顔を見るなり、不機嫌そうに舌打ちをした。
「帰宅時間は六時と言ったはずだ。今は何時だ?」
「えっと……く、九時です……残業で……」
「言い訳をするな。貴様の働き方は効率が悪すぎる。無能な上司など切り捨てて帰ればいいものを」
正論すぎてグウの音も出ない。
彼は私をダイニングテーブル(といっても小さなちゃぶ台だが)の前に座らせると、ドン! と皿を置いた。
「食え」
「え……これ……」
そこにあったのは、冷蔵庫の余り物――
しなびたキャベツと卵、賞味期限ギリギリのベーコンで作られたとは思えない、黄金色に輝くスープとオムレツだった。
「毒見は済んでいる。まさか、昨日のような餌(コンビニ弁当)を食うつもりではあるまいな」
「い、いただきます……」
恐る恐る一口食べる。
――美味しい。
涙が出るほど優しい味がした。
冷え切った胃に、温かさが染み渡っていく。
「う……おいしい……」
「当たり前だ。俺は王宮の料理長ですら黙らせた舌を持っている。素材が悪くても、俺の『生活魔法』と腕にかかればこの程度造作もない」
彼はふんぞり返っているが、私のグラスに水がなくなると、無言ですっと注ぎ足してくれた。
食べ終わると、すぐさま次の命令が飛ぶ。
「次は風呂だ。湯は沸かしてある」
「えっ、うちの風呂釜、壊れててシャワーしか……」
「直した」
「直した!?」
「構造は単純だったからな。魔力を流せば新品同様だ。さっさと入れ。垢を落としてこい」
背中を押され、浴室へ放り込まれる。
湯船には、どこから調達したのかハーブのような良い香りが漂っていた。
お湯に浸かった瞬間、肩の力がふっと抜けた。
(……なんなの、これ……)
湯気の中で、私はぼんやりと考えた。
彼は不法侵入者だ。
態度はデカイし、口も悪い。
でも、ここ数年、誰かが私のためにご飯を作ってくれたことなんてあっただろうか。「お風呂に入って休め」と言われたことがあっただろうか。
「……あったかい……」
涙が一粒、お湯に落ちて消えた。
風呂から上がると、リオンは私の髪を見るなり眉を寄せた。
「座れ。乾かしてやる」
「えっ、自分でやります!」
「黙れ。貴様の手際は見ていられん。領民の身だしなみを整えるのも領主の務めだ」
彼は私を座らせ、ドライヤーを手に取った。
意外にも、その手つきは繊細で優しかった。
大きな指が私の髪を梳くたび、頭皮が心地よく刺激される。
ドライヤーの温風と、背後にいる彼の体温。
そして微かに香る、男の人の匂い。
ドキン、と心臓が跳ねた。
「……悪くない髪質だ。手入れさえすれば、もっと艶が出る」
耳元で低い声が響く。
私は鏡越しに彼と目が合い、慌てて逸らした。
三十路の独身女が、こんな年下のイケメンにドキドキするなんて。
バカみたい。
でも――。
「……あ、あの……ありがとう、リオン……様?」
「様はいらん。リオンでいい。……だが、礼を言う暇があるなら早く寝ろ。明日に備えて体力を回復させるのも義務だ」
彼はぶっきらぼうに言うと、スイッチを切った。
その横顔を見て、私は思った。
この奇妙な同居生活、案外、悪くないのかもしれない――と。
――けれど私は、まだ知らなかったのだ。
彼が言っていた「魔力が戻るまで」という言葉の、本当の意味を。
そして、この優しさが、獲物を美味しくいただくための「下準備」でしかなかったことを。
私は遅刻ギリギリの時間に飛び起き、状況を理解する間もなく会社へ行った。
夢だったのかもしれない。
そう思いたかった。
けれど、その日の夜。
ヘトヘトになってアパートのドアを開けた私は、言葉を失った。
「……は?」
部屋が、光り輝いていた。
床に散乱していた雑誌は綺麗に積み上げられ、フローリングは鏡のように磨き上げられている。脱ぎ散らかした服は洗濯され、干されている。
そして何より――
キッチンから、信じられないほど良い匂いが漂ってきていた。
「遅いぞ、社畜」
エプロン姿の金髪男が、腕組みをして仁王立ちしていた。
リオンだ。
彼は私の顔を見るなり、不機嫌そうに舌打ちをした。
「帰宅時間は六時と言ったはずだ。今は何時だ?」
「えっと……く、九時です……残業で……」
「言い訳をするな。貴様の働き方は効率が悪すぎる。無能な上司など切り捨てて帰ればいいものを」
正論すぎてグウの音も出ない。
彼は私をダイニングテーブル(といっても小さなちゃぶ台だが)の前に座らせると、ドン! と皿を置いた。
「食え」
「え……これ……」
そこにあったのは、冷蔵庫の余り物――
しなびたキャベツと卵、賞味期限ギリギリのベーコンで作られたとは思えない、黄金色に輝くスープとオムレツだった。
「毒見は済んでいる。まさか、昨日のような餌(コンビニ弁当)を食うつもりではあるまいな」
「い、いただきます……」
恐る恐る一口食べる。
――美味しい。
涙が出るほど優しい味がした。
冷え切った胃に、温かさが染み渡っていく。
「う……おいしい……」
「当たり前だ。俺は王宮の料理長ですら黙らせた舌を持っている。素材が悪くても、俺の『生活魔法』と腕にかかればこの程度造作もない」
彼はふんぞり返っているが、私のグラスに水がなくなると、無言ですっと注ぎ足してくれた。
食べ終わると、すぐさま次の命令が飛ぶ。
「次は風呂だ。湯は沸かしてある」
「えっ、うちの風呂釜、壊れててシャワーしか……」
「直した」
「直した!?」
「構造は単純だったからな。魔力を流せば新品同様だ。さっさと入れ。垢を落としてこい」
背中を押され、浴室へ放り込まれる。
湯船には、どこから調達したのかハーブのような良い香りが漂っていた。
お湯に浸かった瞬間、肩の力がふっと抜けた。
(……なんなの、これ……)
湯気の中で、私はぼんやりと考えた。
彼は不法侵入者だ。
態度はデカイし、口も悪い。
でも、ここ数年、誰かが私のためにご飯を作ってくれたことなんてあっただろうか。「お風呂に入って休め」と言われたことがあっただろうか。
「……あったかい……」
涙が一粒、お湯に落ちて消えた。
風呂から上がると、リオンは私の髪を見るなり眉を寄せた。
「座れ。乾かしてやる」
「えっ、自分でやります!」
「黙れ。貴様の手際は見ていられん。領民の身だしなみを整えるのも領主の務めだ」
彼は私を座らせ、ドライヤーを手に取った。
意外にも、その手つきは繊細で優しかった。
大きな指が私の髪を梳くたび、頭皮が心地よく刺激される。
ドライヤーの温風と、背後にいる彼の体温。
そして微かに香る、男の人の匂い。
ドキン、と心臓が跳ねた。
「……悪くない髪質だ。手入れさえすれば、もっと艶が出る」
耳元で低い声が響く。
私は鏡越しに彼と目が合い、慌てて逸らした。
三十路の独身女が、こんな年下のイケメンにドキドキするなんて。
バカみたい。
でも――。
「……あ、あの……ありがとう、リオン……様?」
「様はいらん。リオンでいい。……だが、礼を言う暇があるなら早く寝ろ。明日に備えて体力を回復させるのも義務だ」
彼はぶっきらぼうに言うと、スイッチを切った。
その横顔を見て、私は思った。
この奇妙な同居生活、案外、悪くないのかもしれない――と。
――けれど私は、まだ知らなかったのだ。
彼が言っていた「魔力が戻るまで」という言葉の、本当の意味を。
そして、この優しさが、獲物を美味しくいただくための「下準備」でしかなかったことを。
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