理科部冒険記 〜実験結果は異世界転移〜

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プロローグ

第9幕・降水変人阿弥陀籤

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冷たい。廊下を駆け抜ける最中、まるで冷や水を浴びせかけられたかのような感覚が僕を襲った。

…或いは本当に冷や水を浴びせかけられているのかもしれない。

金属が擦れるような音が聞こえる。蛇口を捻った時の物に近い。目線を少し落とすと、僕の手の甲には数粒の水滴が乗っかっていた。

(雨…?いや、室内だしそれは無い…となると…)


…天井に目線を移すと、そこに貼り付いた金属製の突起から、霧状に水が散布されているのが見えた。

「…スプリンクラーだ…!良かった!」
僕は心から安堵した。

目線の先の火の手は徐々に弱まり、焼け焦げたカウンターテーブルが存在を主張し始めた。

「無事か!怪我人は居ないか!?」
前を走っていたリカブさんは、テーブルに膝を乗せ、その奥を覗き込んでいる。


「は…はい…無事です…!」
カウンターの奥からか細い声がした。

僕は急いでリカブさんの元に追いつくと、テーブルに手を着いて――

「――すいませんでしたぁっ!!!」
 ――空を切る音が聞こえる程に高速で頭を下げた。

「僕が魔法の天才だったばっかりに…なろう系主人公だったばっかりに…カウンターをうっかり爆破してしまい…」

「いや…ヨシヒコ君、どうやら君のせいじゃないみたいだぞ?」
上半身をテーブルと平行に保ったまま謝罪する僕の背中を叩き、リカブさんは言った。

「えっ?」
僕は戸惑いつつも顔を上げ、リカブさんが指差す先を見る。

するとそこには、白い長髪に翠眼をした女性の姿が見えた。
ワイシャツにネクタイ、黒いスリーブレスジャケットといった服装から、ここの職員さんで間違いなさそうだ。

…などと考えているうちに、職員さんは話し始めた。

「いや~、すいませんお客様…。作っていたカップ麺が爆発してしまいまして…。」

??????????

彼女の第一声が、疑問符の大名行列を引き起こした。
何をどうしたらカップ麺が爆発するんだ?

「…すいません、僕が試していた魔法のせいかもしれないです…。」

そうだ…冷静に考えれば、カップ麺が爆発を起こす可能性よりも、僕が天才魔導士として異世界転移してきた可能性の方がまだ現実的だ…。
そう思って、僕は引き続き謝罪の言葉を口にしたが――

「…今週に入って4回目ですよ…。どうすればカップ麺を爆発させずに作れるんでしょうか……料理の道は険しいですね…。」

 ――僕のせいじゃないわ、コレ。

ひとまず投獄される心配は無くなったが、それはそれとして何をどうしたらカップ麺が爆発するんだ?

あっ、そうか。この世界における"カップ麺"は、僕が知るカップ麺とはまた別の物を指している可能性が――

「…何をどうしたらカップ麺が爆発するんだ?」
横にいるリカブさんが呟いた。

なるほど、となれば残された可能性は一つ――

 ――この職員《ひと》、変な人だ。


「まあいい、職探しのサポートに料理の腕は関係無いからな。」
「えっ、リカブさん今なんて…まさか…!?」

リカブさんの言葉を受け、僕はテーブルに目線を移した。

卓上の融けかけたプラカードには"92,374"の数字が踊っていた。

「ひょっとして…貴女が……」
僕は職員さんと目を合わせる。

「はい!私がお客様の担当、92,374番カウンターの職員です!」
職員さんは満面の笑みで答えた。

・ ・ ・

焦げ臭いカウンターテーブルを前に、リカブさんは丸椅子に座り込む。

「…リカブさん…今からでも担当の人変えてもらいましょうよ…!」
僕は屈みながら、リカブさんに耳打ちした。

「ふむ…私は構わないが、それならもう一度受付に戻る事になるぞ?」

終わった!!! 詰んだ!!! 僕の就活!!!

最早残された選択肢は無い…。
僕は覚悟を決めて、リカブさんの横の丸椅子に座った。


「改めまして、私は92,374番カウンターの職員です!」
「あの…名前とかは無いんですか…?」

やる気十分といった感じの職員さんに、僕は恐る恐る問いかけた。

「…名乗る程の名はございません。」
「それハロワ職員が言うようなセリフなんですかね…!?」

妙にドラマチックな雰囲気を漂わせる職員さんに、開いた口が塞がらない。

「では私の事は、"92,374番カウンターの職員"を縮めて、"9万職員"とでも呼んで下さい!」
「大して縮まってないですよ…?僕のフルネームより長いですよ…?」

…何なんだ、この人は。
90kmもの距離を踏破して、疲労困憊になった僕の身体は、彼女に対するツッコミでさらに体力を奪われつつある。
このままではツッコミが原因で過労死しかねない。

「ところでお客様、念の為お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

職員さん改め9万職員さんが…そう呼ぶのが何だか馬鹿らしいが…とにかくそう言った。

「えっと…僕は吉田ヨシヒコです。」
「そして私がリカブ・インだ。」

「ありがとうございます。では早速、職業適性検査を受けて頂きますね。」
9万職員さんはそう言うと、何故かテーブルの下に潜り込んで、ガサゴソと漁り始めた。

「あの…何して…」
「ありましたぁ!」
僕が怪訝に思ったのも束の間、9万職員さんは机の下から飛び出した。

振り上げられた右手には、丸めた厚紙のような物が握られている。

「コレが…適性検査ツールです!」
9万職員さんはそう言うと、丸められた厚紙を広げ始めた。

僕は、徐々に展開されていく厚紙に目線を移した。
そこには、無数の線が平行に並んでいた。時折、2本の線を繋ぐように垂直に引かれた線も見える。

やがて、厚紙が完全に展開され、その全貌が明らかになる。コレは――

「――あみだくじ?」
…あみだくじだ。どう見てもあみだくじだ。

「…あみだくじ…ですよね?」
一応確認してみる。

「はい!あみだくじです!」
「あみだくじですの!?」
満面の笑み&自信満々で答える9万職員さんを前に、僕は驚きのあまりエセお嬢様口調になってしまった。

「適職診断にあみだくじか…珍しいな。」
一方でリカブさんは、呆れるどころか感心すらしている様子だった。

「珍しいとかの話じゃなくないですか!?こんなんで適職診断なんて出来る訳が…」
「まあまあ、やるだけやってみて下さいよ~!
ねっ?ねっ?」
9万職員さんがテーブルを飛び越しそうな勢いで詰め寄ってくる…。
まるで餌の時間を前にした犬みたいだ…。

「わかっ…分かりましたよ…やります!やりますから…!5番の線で!」
僕は遂に押し負けて、就職の運命を決する線を選び取った。

「5番の線ですね~!では…適性検査あみだくじ、開始です!」

9万職員さんの、黒い手袋越しでも細さを感じる指先が、5番の線上に下ろされた。

指先は線に沿って、徐々に厚紙の下方へと移動していく。
時折現れる横線が運命を揺さぶる。指先は直角に進行し、隣の線へと飛び移った。

「デンデデデデデン…デデデデデデデン…デンデデ――」

…9万職員さんがセルフBGMを口ずさんでいる。

「デンデデデデェ…イェェェイ!!!フゥゥゥ⤴︎︎︎」

…合いの手が物凄くやかましい。
というかこのセルフBGMいる?

そんな事を考えているうちに、彼女の指先は線の終点へと辿り着こうとしていた。


「…結果が出ました。ヨシヒコさんの適職は――」

彼女が指差す終点に綴られていた文字は――


「…えっ?"魔法少女"?」
 ――"魔法少女"だった。

「あっやべ」
9万職員さんが何か呟いている。

「9万職員さん…?今"あっやべ"って言いました…?」

僕がそう言うと、9万職員さんは高速で机の下に潜り込んでしまった。

「9万職員さん!?」
「何だ!?避難訓練か!?」

直後、机の下から手が伸び、適性検査ツールあみだくじを引きずり込んでいった。

…少しして、マジックペンの先が擦れるような音が聞こえてきた。
音が止むと同時に、9万職員さんが机の下から飛び出してきた。

「…結果が出ました。ヨシヒコさんの適職は――」
なんだか何事も無かったかのように仕切り直している…。
9万職員さんは、再び線の終点を指差した。

「"勇者"です!ヨシヒコさんには、勇者の素質があります!」
「…えっ?勇者?」

彼女の指差す先を見ると、そこにはマジックで塗り潰した跡と、明らかに手書きの"勇者"の文字があった。

「勇者だと!?凄いじゃないか、ヨシヒコ君!」
リカブさんは立ち上がって歓声を上げている。
「ちょっと待って下さい!明らかに書き換えましたよね!?」

9万職員さんは僕から目線を逸らして口笛を吹いている。
…白々しいな、この人。


"勇者"。ファンタジー作品には付き物の概念…この世界で"魔王"の単語を聞いた時点で脳裏には浮かんでいたが…重要なのはそこではない。

「そういえば、異世界から来た君は知らないんだったな。
"勇者"とは、"魔王と戦う使命を背負った、選ばれし者"であり、"魔王の脅威から人類を救う希望"の事だ。」
「いや…それは分かったんですけど…尚更あみだくじで分かるような物じゃなくないですか!?
それに…!あみだくじの結果だって書き換えたやつっぽいし…。」

真面目に解説してくれてるリカブさんには申し訳ないが、僕には到底納得できない。

「…もしかしてヨシヒコさん、魔法少女の方が御所望でしたか?」
「違いますよ…!それに、急に勇者とか言われても信頼できないですし…魔王と戦う使命なんて、僕は背負いたくありませんよ!」

この世界に来てから、滅茶苦茶な事が起こってばっかり…これ以上振り回されるのは、もう沢山だ。

「そんな…ヨシヒコさんには勇者の素質が…」
「それが怪しいって言ってるんですよ!大体、僕が魔王と戦わなくても、リカブさんが言ってた討伐隊がいるじゃないですか…!」
僕は怒気を帯びた声でそう言った。

「いや――」
その時、リカブさんが口を開いた。

「――"魔王討伐隊"の結成日は、来週だ。"組織"という物は、力ある分、素早く動く事は易くない。」

リカブさんは、僕を諭すような口調でそう言った。

「リカブさん、それって…」
「ああ、組織が動くのを待っていては、魔王軍による被害が拡大する…"手遅れになる"かも知れないという事だ。」

…リカブさんの言葉の裏には、複雑な感情が渦巻いているように思えた。
覚悟、正義感、焦り、それと――

「…ヨシヒコ君、私からの頼みだ。君が"勇者"の肩書きを背負ってくれれば、我々は個人事業としていち早く魔王討伐に向かう事が出来る。だから…勇者として、私と共に戦ってくれ!」
「リカブさん…。」

彼は真剣な眼差しをしていた。きっと、罪なき民間人が犠牲になるのが、許せないんだろう。
…本当は僕だって同じだ。差し迫った脅威から、人々を守れるのなら――


 ――ただ1つ、懸念している事があるとすれば…それは戦いに身を置く事の恐怖。
僕は、それを押し退けるだけの理由が欲しくなった。

「…9万職員さん。さっき、僕に"勇者の素質"があるって言ってましたよね。アレ、本当なんですか…?」
僕はたった1つ、質問をした。

「勿論です!ベテランスタッフの私が保証します!」
9万職員さんは自信ありげにそう言った。


この世界に来て大体1日。実に色んな物を見てきた。
西洋風の街、果てのないハローワーク、Tシャツ収集が趣味の変態……
その中で一際輝く、リカブさんの覚悟。

最早今の僕に、彼女の言葉を疑う動機は無かった。

「…分かりました…。僕は…勇者になります!」
僕は、覚悟を決めてそう言い切った。


「…! ありがとう、ヨシヒコ君…!」

リカブさんはそう言うと、握り拳を僕の方に突き出した。

「…今から私は、君のパーティの一員だ!これからよろしく頼む!勇者ヨシヒコ!」
「…はい!よろしくお願いします!」

僕も拳を握り、リカブさんの拳に触れた。


「ふっふっふ…お二人共、2人パーティじゃ心許ないのではないですか?」

9万職員さんは不敵な笑みを浮かべ、僕達の方を見つめている。

「何だと9万?もしかして、パーティメンバーの候補が居るのか?」
("9万"って呼ぶのか…最早ただの数字…)

「いいえ、違います…答えはこう!です!」

…? 9万職員さんが、机の下から何かを取り出した。
赤い珠が嵌め込まれた、杖のような物…コレってまさか…?

「私、副業で魔導士をしているんです!私も魔王討伐に連れて行って下さい!」
9万職員さんは、テーブルを軽々と飛び越えながら言った。
それより――
「ままま…魔導士…!?」

確かに戦士が居れば魔導士だって居るだろうけど…まさかハロワ職員が…。
何かイメージ壊れ……いや、今更か…。

「なんと…!君が仲間になってくれるのだな!実に頼もしい!」
リカブさんはまさに大歓喜といった様子だ。

「じゃあ…仲間の証として…"アレ"やりましょ!」
9万職員さんは、手を伸ばし、手の平を地面と水平に保ったまま言った。

「えっと…"アレ"とは?」
「全員で手の平を重ね合わせて、一斉に振り上げるアレですよ!」

ああ…アレか。全員で手の平を重ね合わせて、一斉に振り上げるアレか。

「ヨシヒコ君、やるぞ!アレ!」
リカブさんは既に、9万職員さんの手の甲に手の平を乗せていた。

「勇者様、1番上にどうぞ!」
(もう"勇者様"呼びなのか…)
そんな事を考えつつ、僕はリカブさんの手の甲の上に手の平を乗せた。

「――魔王討伐、するぞーーー!!!」
リカブさんが声を張り上げた。

「エイエイ――」
続いて9万職員さんが合図をする。

「「「オーッ!!!」」」
掛け声と共に、僕達は手を振り上げた。
蛍光灯に指先が照らされ、微かに光って見えた。


・ ・ ・


「ただ、まずはこの施設から抜け出さないとな。」
リカブさんの発言が、絶望的な事実を僕に突きつけた。

また…90km…歩くのかよ…!

「つ…疲れた…。」
「…流石に体力が限界のようだな。」
逆に何でリカブさんはピンピンしてるんだ…?

「アハハ、いっそタクシーでも呼んでみます?」
「9万職員さん、こんな時に冗談言われても、流石にツッコむ体力が…」

その時、廊下の奥で何かが光った。
光の方向に耳を澄ますと、エンジンが稼働するかのような聞き覚えのある音…間違いない、車の音だ。
まさか……!?


エンジン音が徐々に近く、大きくなっていく。
ヘッドライトらしき光の発生源に目線を移すと、そこにあったのは黄色で塗装された車体。フロントガラスには"空車"の立て札。
 ――間違いない、タクシーだ。


「お客さーん!乗っていきますか~?」
窓が開くと共に、運転手が僕達に声をかけてきた。

「ほ…ホントに施設の中をタクシーが走ってる…!そうか…広い施設だから、交通手段も整備されてるんですね…!」

そう感嘆しながら、9万職員さんを見ると、"えっ…なんでタクシー走ってんの…?怖…"とでも言わんばかりの表情をしている。
じゃあ何なのこのタクシー。マジで。

「どうした二人共、乗らないのか?」
…いつの間にかリカブさんは、タクシーの後部座席の右側に座り込んでいた。

「リカブさん!?なんでもう乗ってるんですか!?」
「心配するな、タクシー代は私が出すさ。」
ありがたいけど、そうじゃない。ありがたいけど。

「まあ、よく分かんないけど私も乗っちゃいますか。」
「9万職員さんまで!?どうして皆、こんな得体の知れないタクシーに躊躇なく――」

そう苦言を呈しそうになった時、この施設の果てしない廊下が目に映った。

「…折角タクシー来たんだし、乗るか…。」
この疲労には勝てない。僕は後部座席のドアを開けて、タクシーに乗り込んだ。


「ちょっとちょっとお客さん!助手席にはラジカセが置いたるんで座んないで下さいよー!」
…何やら9万職員さんが、運転手と揉めているようだ。

「じゃあ、後部座席の真ん中に座ればいいですか?」
「いやあ、そこシートベルト無いんですよー!」

運転手の言葉を受け、僕は真ん中の座席に目線を合わせた。
「ホントだ、シートベルト無いですね。」

「えーっ…じゃあどこの席に座ればいいんですかー?」
9万職員さんが不満げに言う。

「そうですね…じゃあ、トランクで。」
「えっ」


・ ・ ・


「――暗いよー!怖いよー!」
…後方から、9万職員さんのくぐもった声が聞こえる。

「あの…運転手さん、トランクに入れる位なら、まだシートベルト無い席の方が安全なんじゃ…」

「それでは発進します。舌を噛まないように気をつけて下さいねー。」
「あの――」


言い切る間も無く、タクシーは発進した。
その速度は徐々に増し、法定速度の概念すら忘れ去られた世界に辿り着いてしまった。
それは幼い頃に乗ったジェットコースターのようで、時折の浮遊感と、隙の無い不快感が全てだった。

窓の外を見ると、かつて踏破した廊下が、早回しの録画みたいに流れていた。

「…で、お客さん、どちらまで?」
「コーゴーセー平原まで頼む。」
リカブさんは猛スピードの車内でも平然と、行き先を答えている。

…一方で背後からは、9万職員さんの"あぁぁぁあぁをぁああわゎゎあわを"という声が聞こえてくる。

「とっ…ところでリカブさん、目的地のコーゴーセー平原って何があるんですか…?」
「魔王城だ。」
「へぇ~まおうじょ…魔王城!?」

「実は魔王城の位置は既に割り出されていてな。討伐隊から情報共有を受けたんだ。」
何だこの打ち切り漫画もビックリの展開の早さは…!

「じゃあ僕達、タクシー降りたらすぐ魔王との戦いになるんですか!?」
「そうだな。疲れたなら寝てていいぞ。着いた時に起こそう。」
緊張感の片鱗も見せず、リカブさんが言う。

「いや、こんな緊張感の中で寝られる訳…な……」




「おや…?」

「…フッ、どうやら、相当疲れていたみたいだな。」



To be continued
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