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彼女と。
アメリアとピアノ
本編『虐げられた公爵令嬢は好きに生きたい~え?乙女ゲーム?そんなの知りません~』のアメリアが、アトラータ帝国でレン(グレンフォード第二皇子)の婚約者になった後の話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アーニャ・パーソン伯爵夫人は、自国の第二皇子グレンフォードが連れてきた婚約者アメリア・ロックウェル公爵令嬢の事が気に入らない。
いや、違う。婚約者などではない!
まだ、婚約者内定、というだけだ。アメリアが気に入らない、という事には変わりはないが。
正式に発表すらされていないという事は、この娘を第二皇子の婚約者と認めていない者が多くいるからなのだろう。
そもそもアメリアは公爵令嬢でも何でもない平民の小娘だった筈だ。
実はロレアル国のディバイン公爵家の令嬢だったと聞いてはいるが、淑女教育どころか貴族教育ですらまともに受けずに育ったというではないか。
しかもどうやら噂によれば、ディバイン公爵家はいつお取り潰しになってもおかしくないほどに落ちぶれているらしい。
それなのに第二皇子の婚約者になる為だけに、皇弟閣下のロックウェル公爵家の養女となった身の程知らずな図々しい小娘なのだ。
国内でS級冒険者として名を馳せていたグレンフォード殿下がフラリと旅に出たのが三年前。
『外の世界を見てくる。』と言ってある日突然、旅に出たのは『いい加減婚約者を決めろ。』という皇帝夫妻の雷が落ちた後だったとか。
アトラータ帝国の皇帝夫妻には三人の息子が居るが、婚約者が居ない皇子はグレンフォードだけだった。
その皇子ももう二十六歳だ。結婚して子どもが居てもおかしくはない歳であるし、本来なら"結婚する気はない"と宣言していた第二皇子自らが結婚相手を連れ帰った事は喜ばしい筈だった。
相手が淑女でもない、教養も何もない娘で無ければ、だ。
グレンフォード殿下はアトラータ帝国の王族の中では、皇子らしからぬ変わり者と一部では言われてはいたが、気さくで見目も良くS級冒険者という強さと実力を持つお方だ。
国内でも貴族、平民を問わず人気の高い皇子であったが、加えてまだ婚約者もいない王族という事で、本人に結婚願望は無くとも特に独身の女性人気が高い人物だった。
だから!ウチの娘も第二皇子の妃の座を狙っていたのに!
アーニャ伯爵夫人の娘がこの言葉を聞いたら、サクッと否定していた事だろう。
いや、私は皇子妃の座なんて狙った事無いし、と。
兎に角、娘の本音を知らないアーニャ夫人は、突然の第二皇子の婚約内定の知らせとともに皇子妃教育の講師の打診が来た時に思ったのだ。
苦々しい気持ちになりつつも、何とかアメリアを婚約内定者の座から引きずり下す事が出来るのでは、と。
アーニャ伯爵夫人は元は公爵家の三女だった。公爵家も自身もそうだが、王族に嫁ぐ事を前提に教育を受けていた過去がある。それ故に王族に対しては並々ならぬ思い入れがあった。
私も本当は王族の一員だった筈なのに、と。
それが今や伯爵夫人だ。確かにパーソン伯爵家は建国以来の歴史のある由緒正しき血筋で、過去に王族からの輿入れもあった家柄だ。
だが、所詮は伯爵だ!
侯爵でも公爵でも無ければ、王族の方々と親しく付き合う間柄にもなれない。
だが、アメリアの皇子妃教育の講師をする事によって、アメリアを第二皇子の婚約者の座から引きずり下ろし、尚且つ自分の娘を婚約者の座に据える事が出来たなら、、、。
そう考えてしまったのは、過去の無念に思った気持ちが心に残っていたからだろうか。
アーニャ伯爵夫人が任されたのはピアノの講師としてだった。
ピアノを教えるだけでアメリアを婚約内定者の座から引き摺り下ろす事が出来るのか、は全くもって疑問しか浮かばないが、本人は出来ると信じていた。
だって、平民のような小娘がピアノが弾ける訳がない。それどころかピアノすら見た事もないだろう。
そこを楽譜を渡して、『弾けないならば皇子妃失格だ!』と言ってやるだけでいい。
それで本人も周囲も皇子妃になれる訳がなかったのだと気付くだろう。
アーニャ伯爵夫人はそう本気で思っていた。
たかがピアノが弾けないぐらいで皇子妃失格だなんて事になる訳ないじゃない!
彼女の娘が母親の杜撰で幼稚な計画を聞いていたなら、確実にそう言って全力で止めていた事だろう。
事が起こってしまえば、母親の責任だけでなく連座で責を咎められる事だってあり得るのだから。
ある意味、夢見る乙女のまま歳を取り続けている夫人の娘は超リアリストであった。
娘の嫁ぎ先を高望みし、持ち込まれる縁談に口を出し続けている夫人の娘は現在二十二歳で婚約者などいた事も無い。
『それもこれも母親の所為だ!』と言ってやりたい時もあったが、お陰で今は縁談の打診もほぼ来ず、娘は伯爵家の家令の息子と誰に邪魔される事なく現在進行形で愛を育んでいる。
知らぬは母親のみで、父親さえも娘と自身の友人であった家令の息子との恋を応援しているのだが。
まぁ、その話は置いておくとしてー。
アーニャ伯爵夫人は『さて、どう貶めてやろうか。』と目の前に居るアメリアを意地悪な気持ちで見やると楽譜を手に持ちながら挨拶をする。
「初めまして、アメリア様。
今日から皇子妃教育の一環としてピアノの講師を務めさせて頂くアーニャ・パーソンと申します。
アトラータ帝国では芸術にも力を入れており、それは王家の皆様も例外ではございません。
幼少の頃より秀でた音楽の才を披露されておりますわ。
ピアノなどは出来て当たり前、とされている程です。ですから伴侶となる婚約者に至っては数種の楽器を使いこなせてこそ、皇子妃として認められるのです。」
勿論、そんな事は無い。皇太子こそ趣味でヴァイオリンを嗜んでいるが、グレンフォードなどは楽器に触った事すら無いだろう。
何しろ物心ついた頃にはダガーナイフが遊び道具であり、騎士団に入り浸りのお子様だったのだから。
「・・・ピアノ。弾けるかな。」
アメリアの小さな呟き声をアーニャ伯爵夫人は聞き逃さなかった。これでは用意した楽譜も使う必要は無いだろう。
アーニャ伯爵夫人は口元がニヤけるの何度も抑え、素知らぬ顔でアメリアにピアノを弾くように促した。
「先ずはアメリア様の実力を確認させて下さいませ。」
「・・・・・・はぁ。」
アーニャ伯爵夫人に笑顔で背中を押され、何ともやる気のない返事をしてアメリアはピアノの前の椅子に座った。
久しぶりだな。
アメリアは人差し指でポーンと白い鍵盤を押した。
アメリアの後ろでクスリと夫人が笑ったが、前世に想いを馳せる彼女の耳には入ってこなかった。
前世の彼女の家は旧家と言われる家で、当時としては割と裕福な家だったと思う。
目と鼻の先にある幼馴染の道場に通い、中学校では剣道部に入って、と男顔負けの武道三昧であったが、小学生の頃、雄々しくなっていく娘を案じた母に強制的にピアノ教室に通わされた事があった。残念ながら半年しか続かなかったが。
あの時のガッカリしたような母の顔を大人になってからも覚えていた。
母の危惧していた"嫁の貰い手がない"は、皮肉にも大人になってからも続けていた剣道の合同稽古で見初められる事となった。
そうして偶然にも実家と同じような旧家に嫁いだ彼女は、まぁそれなりに嫁姑問題を抱えてはいたが概ね幸せな日々を送った。
第一子となる長女を産んだ時、夫は『剣道を習わせる!』と張り切っていたが、同居していた姑に『女の子らしい習い事にするべき!』と言われて母の顔を思い出した。
やがて娘が幼稚園生になる頃に彼女も一緒にピアノを習い始めた。
娘と一緒に習うピアノ教室は思いの外楽しくて、年に一度のピアノ発表会では親子で連弾を披露したりもした。
毎回、発表会に足を運んでくれる母に、思いがけない親孝行になったと感慨深く思ったものだった。
さて、アメリアとしてはピアノを弾くのは初めてだが、指は思い通りに動くだろうか?
ドレミファソラシド。
ドシラソファミレド。
右手で指を動かす。
うん、動くね。次は少し速く。その次は両手で。
これなら、まぁまぁ弾けそうだ。
ピアノ発表会で最初に弾いた曲は何だったっけ?
あぁ、『クシコス・ポスト』だ!
「おばちゃん、大人なのに私と同じ曲~?」
なんて、女の子に言われたっけ。
おぉっ。なんか楽しくなってきた!
運動会でもよくかけられていた曲だったよ、コレ。
懐かしくもあるメロディーにアメリアの心は弾むが、普段あまり感情が顔に出ないアメリアは無表情のようにも見える顔で弾いている。
はっ!?
なんでこの娘はいきなり弾ける訳?
しかも何、この曲?全く聴いた事がないわっ。
一体、どういう事なのよ!
アーニャ伯爵夫人は難なくピアノを弾きこなすアメリアに驚愕する。
前世の思い出に浸っているアメリアはアーニャ伯爵夫人の存在などスッカリ忘れて楽しげに弾き続けている。
ピアノってこんなに楽しいモンだったのねぇ。娘と初めて連弾した時も楽しかったなぁ。
確かあの曲はー。
「猫踏んじゃった、ニャー踏んじゃった
踏んづけちゃったら引っかいた
悪い~ニャーめぇ~、お仕置きだぁ
ニャー踏んじゃった、ニャー踏んじゃった
踏んづけちゃったら死んじゃった♪」
娘との思い出の曲を思い出しながら弾き出したアメリアは、知らず知らずの内に歌い出す。うろ覚えの適当な歌詞で。
見下していたアメリアのピアノの腕前に驚愕し暫し呆けていたアーニャ伯爵夫人は、アメリアの歌声でハッと我に返った。
ん?弾きながら歌っているの?
歌いながらも弾けますって自慢なのかしら!
んん?なんて歌っているの?
苦々しい気持ちでアメリアの歌声に聞き耳を立ててみる。
次の瞬間、楽しそうに歌うアメリアの途切れ途切れに聞こえる歌の歌詞にアーニャ伯爵夫人はまたもや驚く事になる。
「・・・・ニャー踏んじゃった、、、ニャー、引っかいた
・・・・悪いニャーめ、お仕置き
・・・ニャー、死んじゃった、、、」
ニャー?
・・・・もしかしてニャーって、アーニャ!?
悪い私はお仕置きされる、、、、死んじゃった、、、、。
・・・・・・・。
ヒィッ!
彼女は歌詞の意味を考えて思わずアメリアの背中を見る。
ヒィィィッ!!!
黒光りしているピアノにニヤリと微笑むアメリアの姿がっ!
見えた、、、、気がする。
わたくしっ、亡き者にされてしまうのっ!?
まさかっ、私がこの娘を貶めようとした事に気付いてるっ?
いっ、嫌よ!まだまだ生きていたいのよ。
お、お願いよ、誰かっ、誰かぁ~!!!
アメリアが気がすむまでピアノを弾き、後ろを振り返るとアーニャ伯爵夫人は具合の悪そうな顔でユラリと立っている。
長々と弾きすぎたかな?
「た、大変素晴らしい演奏でしたわ。
もう、もうっ、アメリアさんに指導する必要などありませんわっ。
で、ではわたくしはこれにて失礼させて頂きます。」
足が絡れこむように急足で部屋から出ていくアーニャ伯爵夫人の後ろ姿をアメリアは呆然として見送った。
何故だかピアノの授業は一回きりで終了のようだ。
一体、何故?
夫人の指導って、、、、?
意味不明の授業だったが、楽しかったのでまた弾かせて貰おう。
無表情の表情で内心はウキウキとしているアメリアは、ヴァイオリンの授業でも何故か会って早々に"先ずは弾いてみろ!"と言われる事になる。
ヴァイオリンの講師はレンの幼馴染だかのどこぞの公爵家のバツイチのご令嬢だった。
これまた強気なご令嬢は、何故だか王宮で働く文官たちの前でいきなり弾いてみろ!と言い出した。
お昼休みに無理矢理に中庭に呼び出された文官たちは気の毒そうにアメリアを見る。この性格に難のあるご令嬢がグレンフォードの妃の座を狙っていた事は有名だった。
そして自分よりも下の爵位の人間を見下し虐めるので有名な事も。
アメリアは相変わらず興味無さそうに言われた通りにヴァイオリンを持つ。
懐かしいな。
ヴァイオリンはピアノと違って習った年数はさほど長くはない。それこそ数ヶ月かけてやっと一曲弾ける、というぐらいの片手間で習うには中々上達出来なかったのも良い思い出だ。
ちゃんと弾けるのはー。
チャチャッ、チャッチャッチャ~、チャチャ、チャッチャチャラッラララ~♪
アメリアの渾身の一曲だった。
人前でアメリアに恥を欠かようとした公爵令嬢も、無理矢理に呼び集められた文官たちも唖然の腕前であった。
そして何やら忘れていた情熱が溢れて出てくるような、若かりし頃の夢を思い出すような、聴いた事も無い曲に己の心が熱く昂る不思議な感覚に文官たちは涙した。
アメリアが演奏していた場所は中庭だった。呼び集められた文官たち以外の人間もアメリアの演奏を耳にした者は多い。
その日の午後以降、文官たちの仕事に向けるやる気に満ちた姿は、アメリアの演奏を知らない者には引く程だったとか。
因みに皇子妃教育で王宮に来ていたアネットもちゃっかりとアメリアの演奏を聴いていた。
「アメリア様っ、凄いですわ!
もしかして子どもの頃からヴァイオリンを習っていらしたのですか?」
目をキラキラと輝かせアメリアを見るアネットにアメリアはポソリと言った。
「・・・・五十の手習い。」
「?・・・・ゴジュウノテナライ、、、ですか?」
この言葉にアネットはアメリアに対するモヤモヤとした聞くに聞けない疑問を持つ事になるが、それはまた別のお話で。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お読み下さりありがとうございます。
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アーニャ・パーソン伯爵夫人は、自国の第二皇子グレンフォードが連れてきた婚約者アメリア・ロックウェル公爵令嬢の事が気に入らない。
いや、違う。婚約者などではない!
まだ、婚約者内定、というだけだ。アメリアが気に入らない、という事には変わりはないが。
正式に発表すらされていないという事は、この娘を第二皇子の婚約者と認めていない者が多くいるからなのだろう。
そもそもアメリアは公爵令嬢でも何でもない平民の小娘だった筈だ。
実はロレアル国のディバイン公爵家の令嬢だったと聞いてはいるが、淑女教育どころか貴族教育ですらまともに受けずに育ったというではないか。
しかもどうやら噂によれば、ディバイン公爵家はいつお取り潰しになってもおかしくないほどに落ちぶれているらしい。
それなのに第二皇子の婚約者になる為だけに、皇弟閣下のロックウェル公爵家の養女となった身の程知らずな図々しい小娘なのだ。
国内でS級冒険者として名を馳せていたグレンフォード殿下がフラリと旅に出たのが三年前。
『外の世界を見てくる。』と言ってある日突然、旅に出たのは『いい加減婚約者を決めろ。』という皇帝夫妻の雷が落ちた後だったとか。
アトラータ帝国の皇帝夫妻には三人の息子が居るが、婚約者が居ない皇子はグレンフォードだけだった。
その皇子ももう二十六歳だ。結婚して子どもが居てもおかしくはない歳であるし、本来なら"結婚する気はない"と宣言していた第二皇子自らが結婚相手を連れ帰った事は喜ばしい筈だった。
相手が淑女でもない、教養も何もない娘で無ければ、だ。
グレンフォード殿下はアトラータ帝国の王族の中では、皇子らしからぬ変わり者と一部では言われてはいたが、気さくで見目も良くS級冒険者という強さと実力を持つお方だ。
国内でも貴族、平民を問わず人気の高い皇子であったが、加えてまだ婚約者もいない王族という事で、本人に結婚願望は無くとも特に独身の女性人気が高い人物だった。
だから!ウチの娘も第二皇子の妃の座を狙っていたのに!
アーニャ伯爵夫人の娘がこの言葉を聞いたら、サクッと否定していた事だろう。
いや、私は皇子妃の座なんて狙った事無いし、と。
兎に角、娘の本音を知らないアーニャ夫人は、突然の第二皇子の婚約内定の知らせとともに皇子妃教育の講師の打診が来た時に思ったのだ。
苦々しい気持ちになりつつも、何とかアメリアを婚約内定者の座から引きずり下す事が出来るのでは、と。
アーニャ伯爵夫人は元は公爵家の三女だった。公爵家も自身もそうだが、王族に嫁ぐ事を前提に教育を受けていた過去がある。それ故に王族に対しては並々ならぬ思い入れがあった。
私も本当は王族の一員だった筈なのに、と。
それが今や伯爵夫人だ。確かにパーソン伯爵家は建国以来の歴史のある由緒正しき血筋で、過去に王族からの輿入れもあった家柄だ。
だが、所詮は伯爵だ!
侯爵でも公爵でも無ければ、王族の方々と親しく付き合う間柄にもなれない。
だが、アメリアの皇子妃教育の講師をする事によって、アメリアを第二皇子の婚約者の座から引きずり下ろし、尚且つ自分の娘を婚約者の座に据える事が出来たなら、、、。
そう考えてしまったのは、過去の無念に思った気持ちが心に残っていたからだろうか。
アーニャ伯爵夫人が任されたのはピアノの講師としてだった。
ピアノを教えるだけでアメリアを婚約内定者の座から引き摺り下ろす事が出来るのか、は全くもって疑問しか浮かばないが、本人は出来ると信じていた。
だって、平民のような小娘がピアノが弾ける訳がない。それどころかピアノすら見た事もないだろう。
そこを楽譜を渡して、『弾けないならば皇子妃失格だ!』と言ってやるだけでいい。
それで本人も周囲も皇子妃になれる訳がなかったのだと気付くだろう。
アーニャ伯爵夫人はそう本気で思っていた。
たかがピアノが弾けないぐらいで皇子妃失格だなんて事になる訳ないじゃない!
彼女の娘が母親の杜撰で幼稚な計画を聞いていたなら、確実にそう言って全力で止めていた事だろう。
事が起こってしまえば、母親の責任だけでなく連座で責を咎められる事だってあり得るのだから。
ある意味、夢見る乙女のまま歳を取り続けている夫人の娘は超リアリストであった。
娘の嫁ぎ先を高望みし、持ち込まれる縁談に口を出し続けている夫人の娘は現在二十二歳で婚約者などいた事も無い。
『それもこれも母親の所為だ!』と言ってやりたい時もあったが、お陰で今は縁談の打診もほぼ来ず、娘は伯爵家の家令の息子と誰に邪魔される事なく現在進行形で愛を育んでいる。
知らぬは母親のみで、父親さえも娘と自身の友人であった家令の息子との恋を応援しているのだが。
まぁ、その話は置いておくとしてー。
アーニャ伯爵夫人は『さて、どう貶めてやろうか。』と目の前に居るアメリアを意地悪な気持ちで見やると楽譜を手に持ちながら挨拶をする。
「初めまして、アメリア様。
今日から皇子妃教育の一環としてピアノの講師を務めさせて頂くアーニャ・パーソンと申します。
アトラータ帝国では芸術にも力を入れており、それは王家の皆様も例外ではございません。
幼少の頃より秀でた音楽の才を披露されておりますわ。
ピアノなどは出来て当たり前、とされている程です。ですから伴侶となる婚約者に至っては数種の楽器を使いこなせてこそ、皇子妃として認められるのです。」
勿論、そんな事は無い。皇太子こそ趣味でヴァイオリンを嗜んでいるが、グレンフォードなどは楽器に触った事すら無いだろう。
何しろ物心ついた頃にはダガーナイフが遊び道具であり、騎士団に入り浸りのお子様だったのだから。
「・・・ピアノ。弾けるかな。」
アメリアの小さな呟き声をアーニャ伯爵夫人は聞き逃さなかった。これでは用意した楽譜も使う必要は無いだろう。
アーニャ伯爵夫人は口元がニヤけるの何度も抑え、素知らぬ顔でアメリアにピアノを弾くように促した。
「先ずはアメリア様の実力を確認させて下さいませ。」
「・・・・・・はぁ。」
アーニャ伯爵夫人に笑顔で背中を押され、何ともやる気のない返事をしてアメリアはピアノの前の椅子に座った。
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アメリアは人差し指でポーンと白い鍵盤を押した。
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あの時のガッカリしたような母の顔を大人になってからも覚えていた。
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そうして偶然にも実家と同じような旧家に嫁いだ彼女は、まぁそれなりに嫁姑問題を抱えてはいたが概ね幸せな日々を送った。
第一子となる長女を産んだ時、夫は『剣道を習わせる!』と張り切っていたが、同居していた姑に『女の子らしい習い事にするべき!』と言われて母の顔を思い出した。
やがて娘が幼稚園生になる頃に彼女も一緒にピアノを習い始めた。
娘と一緒に習うピアノ教室は思いの外楽しくて、年に一度のピアノ発表会では親子で連弾を披露したりもした。
毎回、発表会に足を運んでくれる母に、思いがけない親孝行になったと感慨深く思ったものだった。
さて、アメリアとしてはピアノを弾くのは初めてだが、指は思い通りに動くだろうか?
ドレミファソラシド。
ドシラソファミレド。
右手で指を動かす。
うん、動くね。次は少し速く。その次は両手で。
これなら、まぁまぁ弾けそうだ。
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なんて、女の子に言われたっけ。
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懐かしくもあるメロディーにアメリアの心は弾むが、普段あまり感情が顔に出ないアメリアは無表情のようにも見える顔で弾いている。
はっ!?
なんでこの娘はいきなり弾ける訳?
しかも何、この曲?全く聴いた事がないわっ。
一体、どういう事なのよ!
アーニャ伯爵夫人は難なくピアノを弾きこなすアメリアに驚愕する。
前世の思い出に浸っているアメリアはアーニャ伯爵夫人の存在などスッカリ忘れて楽しげに弾き続けている。
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確かあの曲はー。
「猫踏んじゃった、ニャー踏んじゃった
踏んづけちゃったら引っかいた
悪い~ニャーめぇ~、お仕置きだぁ
ニャー踏んじゃった、ニャー踏んじゃった
踏んづけちゃったら死んじゃった♪」
娘との思い出の曲を思い出しながら弾き出したアメリアは、知らず知らずの内に歌い出す。うろ覚えの適当な歌詞で。
見下していたアメリアのピアノの腕前に驚愕し暫し呆けていたアーニャ伯爵夫人は、アメリアの歌声でハッと我に返った。
ん?弾きながら歌っているの?
歌いながらも弾けますって自慢なのかしら!
んん?なんて歌っているの?
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次の瞬間、楽しそうに歌うアメリアの途切れ途切れに聞こえる歌の歌詞にアーニャ伯爵夫人はまたもや驚く事になる。
「・・・・ニャー踏んじゃった、、、ニャー、引っかいた
・・・・悪いニャーめ、お仕置き
・・・ニャー、死んじゃった、、、」
ニャー?
・・・・もしかしてニャーって、アーニャ!?
悪い私はお仕置きされる、、、、死んじゃった、、、、。
・・・・・・・。
ヒィッ!
彼女は歌詞の意味を考えて思わずアメリアの背中を見る。
ヒィィィッ!!!
黒光りしているピアノにニヤリと微笑むアメリアの姿がっ!
見えた、、、、気がする。
わたくしっ、亡き者にされてしまうのっ!?
まさかっ、私がこの娘を貶めようとした事に気付いてるっ?
いっ、嫌よ!まだまだ生きていたいのよ。
お、お願いよ、誰かっ、誰かぁ~!!!
アメリアが気がすむまでピアノを弾き、後ろを振り返るとアーニャ伯爵夫人は具合の悪そうな顔でユラリと立っている。
長々と弾きすぎたかな?
「た、大変素晴らしい演奏でしたわ。
もう、もうっ、アメリアさんに指導する必要などありませんわっ。
で、ではわたくしはこれにて失礼させて頂きます。」
足が絡れこむように急足で部屋から出ていくアーニャ伯爵夫人の後ろ姿をアメリアは呆然として見送った。
何故だかピアノの授業は一回きりで終了のようだ。
一体、何故?
夫人の指導って、、、、?
意味不明の授業だったが、楽しかったのでまた弾かせて貰おう。
無表情の表情で内心はウキウキとしているアメリアは、ヴァイオリンの授業でも何故か会って早々に"先ずは弾いてみろ!"と言われる事になる。
ヴァイオリンの講師はレンの幼馴染だかのどこぞの公爵家のバツイチのご令嬢だった。
これまた強気なご令嬢は、何故だか王宮で働く文官たちの前でいきなり弾いてみろ!と言い出した。
お昼休みに無理矢理に中庭に呼び出された文官たちは気の毒そうにアメリアを見る。この性格に難のあるご令嬢がグレンフォードの妃の座を狙っていた事は有名だった。
そして自分よりも下の爵位の人間を見下し虐めるので有名な事も。
アメリアは相変わらず興味無さそうに言われた通りにヴァイオリンを持つ。
懐かしいな。
ヴァイオリンはピアノと違って習った年数はさほど長くはない。それこそ数ヶ月かけてやっと一曲弾ける、というぐらいの片手間で習うには中々上達出来なかったのも良い思い出だ。
ちゃんと弾けるのはー。
チャチャッ、チャッチャッチャ~、チャチャ、チャッチャチャラッラララ~♪
アメリアの渾身の一曲だった。
人前でアメリアに恥を欠かようとした公爵令嬢も、無理矢理に呼び集められた文官たちも唖然の腕前であった。
そして何やら忘れていた情熱が溢れて出てくるような、若かりし頃の夢を思い出すような、聴いた事も無い曲に己の心が熱く昂る不思議な感覚に文官たちは涙した。
アメリアが演奏していた場所は中庭だった。呼び集められた文官たち以外の人間もアメリアの演奏を耳にした者は多い。
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因みに皇子妃教育で王宮に来ていたアネットもちゃっかりとアメリアの演奏を聴いていた。
「アメリア様っ、凄いですわ!
もしかして子どもの頃からヴァイオリンを習っていらしたのですか?」
目をキラキラと輝かせアメリアを見るアネットにアメリアはポソリと言った。
「・・・・五十の手習い。」
「?・・・・ゴジュウノテナライ、、、ですか?」
この言葉にアネットはアメリアに対するモヤモヤとした聞くに聞けない疑問を持つ事になるが、それはまた別のお話で。
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お読み下さりありがとうございます。
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