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1巻
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プロローグ
シャレードはそっと押し倒された。
銀色の艶やかな髪がぱさりとシーツの上に広がる。
それはまるで月の光が射したようにきらめいた。
彼女の可憐な花のような唇はもの言いたげに開かれ、普段は澄みわたる湖のごとき瞳が揺らいで、ラルサスを見上げる。
「シャレード、綺麗だ……」
ラルサスは思わず言葉を漏らした。
その美しさは、初めて会ったときと同じく、彼の心を魅了してやまない。
耳もとでささやかれて、シャレードはぴくりと反応してしまう。でも、敢えて沈黙を保った。
そんな様子を窺いつつ、ラルサスがシャレードの服を丁寧に脱がせていく。
シャレードはされるがままになっていたが、下穿きを脚から引き抜かれるときに、くちゅっと水音がして、カッと顔が熱くなった。
あらわになったシャレードの身体を、ラルサスが賛美するように見つめてくる。
その身体は優美な線を描き、透き通るような白い肌は情欲のため、ほんのりと色づいている。形のよい胸の先端はかわいらしく尖り、銀色の繁みは蜜でしっとり濡れていた。
クッと喉奥を鳴らしたラルサスは、いつも以上に熱い瞳をしている。
その瞳に見つめられるだけで、シャレードの身体は潤いを増した。
そっと伸ばされた手に、宝物に触れるように触れられて、シャレードは身を震わせる。その手は彼女の髪の毛を梳き、身体の線を辿るようになでて、彼女にむずがゆいような官能の波をもたらした。
さらにラルサスは、額に口づけ、頬に口づけ、耳朶を齧り、首筋を舐める。
熱い息がシャレードの肌をくすぐり、彼の熱情が伝わってきた。
(身体が熱い……)
ほてる身体を持て余して、シャレードはそれを逃がそうと身じろぎする。その拍子に揺れた胸の先端をラルサスの指がなぞり、摘まんだ。
「ぁんっ」
思わず漏れた声にシャレードは両手で口をふさぐ。
「我慢しなくていいのですよ?」
彼女の手の甲に口づけを落とし、ラルサスはささやいた。
そう言われても、恥ずかしい声を出したくなくて、シャレードは唇を引き結んだ。
ラルサスはそんな彼女の右胸の尖りを親指で何度もなでたり押し込んだりする。そのたびに快感が蓄積していき、シャレードの下腹部を疼かせた。
手で愛撫しながら、ラルサスは愛しげにシャレードの身体に唇を落としていく。
彼の唇に、手つきに、シャレードの身体は煽られていった。
彼女の心も身体も歓喜していた。
そう、心も。
悔しいことに、触れられているとわかってしまう。
ラルサスに惹かれ、彼に抱かれるのを喜んでいる自分に気づいてしまう。
でも、それを認めるわけにはいかない。
自分は王太子の婚約者なのだから。
シャレードは鈍った思考の中、必死で自分を抑えていた。
認めてしまったら、想いがあふれてしまうかもしれないから。
「ふぅ、うっ……、あっ……」
そんなことを考えている間にも全身をなでられ、ラルサスの指が繁みの中の尖りに触れると、我慢していたのにシャレードは声を漏らしてしまう。
ピリリと痺れるような快感が全身に広がり、腰が跳ねた。
自分でも触れたことのないところなのに、ラルサスは的確に快感を与えていく。
そこを弄られるほどに愛液が滴り落ちて、シーツを濡らしているのが見なくてもわかる。
(早く早く、もっと……)
意識をしっかり保っていないと、そんな淫らな言葉がこぼれそうになってしまう。
「んっ、あぁんっ!」
とうとうラルサスがシャレードの秘められた場所へ指を入れたので、彼女は身をくねらせた。
中を擦られて、それが求めていた刺激だと悟り、腰を揺らす。シーツを握りしめる。
それだけでも刺激が強いのに、親指で外側の愛芽までくるくるとなでられると、シャレードはたまらず「あーッ、あぁーーッ」と背を反らせて達した。
涙がにじんだ目じりをラルサスの舌が這う。不埒な手は乳房を捏ね、中に入る指は増やされて、広げるようにうごめいた。
(ダメ、あんっ、気持ちいい、いや、なの……、あぁ、でも、気持ちいい……気持ちいい気持ちいい、いい……)
シャレードはどんどん快楽に溺れていき、ラルサスが指を抜くと不満げに彼を見上げた。
ラルサスはくすりと笑い、「少し待って」と彼女の頬を指先でなでて、服を脱ぐ。
鍛えられた褐色の身体が美しい。しかし、その中心にそそり立つものを見て、シャレードはこくりと唾を呑み込んだ。
身体がそれを欲して、わななく。
ラルサスが彼女に覆いかぶさるように身をかがめた。
「シャレード、愛してる……」
吐息がかかる距離でささやかれる。
シャレードはハッとして、彼の翠の瞳を見上げた。
その切なく訴えるような声に、彼女の心は激しく波立った。
第一章
そこは黄金の空間だった。
白い壁の全面を蔦や花をかたどった金のレリーフが覆い、それを巨大なシャンデリアがまばゆい光で照らす。さらに数多の鏡がその金色の光を反射し増幅して、贅を尽くしたゴージャスな空間を演出していた。
ここは、権威あるファンダルシア王国の宮殿。
その大広間で、ラルサス・ヴァルデ王子を歓迎する舞踏会が開かれていた。
シャレード・フォルタス公爵令嬢は、婚約者のカルロ王太子にエスコートされ、ラルサスに紹介されるところだった。
彼は隣国ヴァルデ王国の第三王子で、この国に留学に来たばかりだ。
エキゾチックな褐色の肌に、切れ長だが目尻が少し垂れた優しげな目、そこにはまった深い翠の瞳で、シャレードを見つめてくる。
非常に整った目鼻立ちもさることながら、そのまなざしにシャレードの目は惹きつけられた。
(印象的な方……)
軽く会釈したはずみに揺れた髪は、とてもめずらしいピンクがかったパール色だ。
服装も独特で、膝を隠すほど長い上衣は立襟の部分から裾まで華やかな刺しゅうで彩られ、そこからスリムなズボンが覗く。その衣装は、スラリとした長身のラルサスをより魅力的に見せていた。
(この国にはいない、めずらしいお姿だからかしら?)
そんな容姿をした彼の情熱的な視線に、シャレードの胸はざわついた。
それでも、普段から感情を抑えることに長けている彼女は、静かな目でラルサスを見返す。
「こちらは私の婚約者、シャレード・フォルタス公爵令嬢だ」
カルロの紹介に、シャレードが美しいカーテシーで挨拶をすると、なぜかラルサスは目を見開いて、固まった。
不審そうに「なにか?」とカルロが問いかける。
ラルサスはすぐ美麗な笑みを浮かべ、弁解した。
「いえ、失礼いたしました。こんな美しい方にお目にかかったことがなくて……」
社交辞令だとわかっていても、シャレードの心臓が跳ねた。しかし、それに返されたカルロの言葉に、スーッと心が冷えていく。
「シャレードは見た目だけはいいからな」
カルロはあざけるように笑った。
その言いぐさに、ラルサスは眉をひそめる。
(いつものことだわ)
シャレードは顔色を変えなかった。王や王妃はやれやれという顔をしたが、注意はしない。
ラルサスは気づかうようにシャレードを見た。
どうやら会ったばかりの彼女のために憤ってくれているらしい。
シャレードはカルロの蔑みに慣れていた。しかし、いつまで経っても傷つくことには慣れない。
胸を痛めながらも平静を装うのが常だったが、ラルサスの反応に心がなぐさめられた。
大丈夫だと微笑みを浮かべると、ラルサスはそっと溜め息をついて、深追いしないでくれた。
感謝のまなざしを向け、シャレードは口を開く。
「初めまして、王子殿下。シャレード・フォルタスと申します。ダンバー王立学校でご一緒させていただくことになりますので、なにかありましたら、気軽にお申しつけくださいませ」
「ラルサスとお呼びください。この国の文化に不慣れですが、こちらこそ、よろしく頼みます」
ラルサスがふんわりと笑った。
それは草原をなでて吹くさわやかな風のようだった。彼の笑顔に周囲の女性が反応して、ハッと息を呑んだり、うっとりとした溜め息を漏らしたりした。
シャレードも例外ではなく、めったに動揺しないはずの彼女の心も波打った。
音楽が始まり、カルロとシャレードがファーストダンスを踊りはじめる。
濃い黄金色の髪のカルロと銀髪のシャレードは、見目麗しく、似合いのカップルに見えた。
しかし、彼らは外見同様、内面も対照的だった。
ハンサムだがどこか緩い雰囲気のカルロに対し、冷たいとも評される美貌を持つシャレードは真面目で、堅苦しいとしばしばカルロに揶揄される。
踊り慣れているので見栄えはするが、ダンスにもそれが表れていた。よく見ると、おざなりにリードするカルロに、シャレードがきっちりとステップを踏んでついていっているのがわかるに違いない。
一曲終わると、カルロはシャレードを離し、さっさとお気に入りの男爵令嬢のもとへ行った。
(相変わらず、私の立場など考えもしないのね)
カルロが彼女を蔑ろにするのは何年も前からだ。
そして、シャレードが、好奇心、同情、冷笑などの視線を浴びるのもいつものことだった。
慣れているからといって、もちろん気分がよいものではない。
シャレードはそっと溜め息をつき、壁際に向かおうとした。
そこへ褐色の手が差し出された。
「踊っていただけませんか?」
目線を上げると、ラルサスが微笑んでいた。
少し垂れた目は細められ、柔和な表情ながら、その翠の瞳は先ほどの熱量を維持したままだった。
──この手を取ってはいけない。
なぜだかそんな気がして、シャレードはためらった。しかし、断る理由はなく、王子である彼に恥をかかせるわけにもいかない。シャレードは「喜んで」とラルサスの手に自分の手を重ねた。
ジン……
心地よい痺れが走ったような気がして、シャレードは手を引っ込めそうになるが、その前にラルサスにやわらかく掴まれる。
「ありがとう」
笑みを深めたラルサスは一礼すると、シャレードの腰に手を回した。
音楽が始まり、二人は踊り出した。
「ダンスがお上手なのですね」
彼のリードが踊りやすくて、シャレードは感心した。すると、ラルサスは甘やかに微笑む。
「そうですか? それはうれしい。私の国にはこうして踊る習慣がないので、留学前に必死に練習したのです」
「そうとは思えないほど、お上手です」
「それはあなたがうまくリードしてくれるからです。ありがとうございます」
「いいえ、私も踊りやすいです」
自分勝手なリードのカルロに比べ、ラルサスはシャレードを気づかい、うまく誘導してくれる。
ポツポツと会話を交わしながらも、二人は惹かれ合うように、ひたっとお互いを見ていた。
シャレードがターンをした瞬間、その瞳と同じ水色のドレスがふわりと広がった。花が咲いたかのような可憐さに、ラルサスは息を呑んだ。
より視線が熱くなり、二人の視線が絡み合う。
初めてとは思えない息の合い方で、シャレードとラルサスは美しく踊った。
(ダンスが楽しいなんて、久しぶりだわ)
そう思ったシャレードだったが、曲が終わると、何事もなかったかのように一礼して、すっとラルサスから離れた。
ラルサスは一人になった途端、他の令嬢たちに囲まれた。しかし、その目はシャレードを追っていた。
シャレードは給仕に飲み物をもらうと、いつものように壁の花になって、ぼんやりと広間を眺めた。
王太子の婚約者をダンスに誘おうという猛者はおらず、親しい友人もいない彼女はいつも一人だった。一方、カルロは次々とかわいらしい令嬢を捕まえて、ダンスをしている。
グラスを傾けながら、シャレードはただひたすら舞踏会が終わるのを待った。
翌日、ラルサスがダンバー王立学校の教室に入ったとき、その容姿に女子生徒が色めきたった。
ここには貴族しかいないが、昨日の舞踏会は上流貴族しか招かれていなかったので、ラルサスを初めて見た者が多かったのだ。
今日の彼はヴァルデ王国の伝統衣装を脱いで、ブレザーの制服を着用している。
騒がれるのには慣れているラルサスは、よそいきの顔でふっと微笑んだ。
その甘いマスクに心を撃ち抜かれた女子生徒が多数。それをおもしろくなさそうに見ている男子生徒も多くいた。
一つ歳上のカルロはこのクラスではないが、もしこの場にいたらラルサスに注目が集まる状況に機嫌を損ねていたかもしれない。
シャレードはなんの感情も見せずに、ただ自分の席に座っていた。
「ラルサス・ヴァルデと申します。このたびは名高いダンバー王立学校で皆さまとともに学べる機会をいただけたことをとてもうれしく思います」
自己紹介をするラルサスをシャレードは窓際の席で静かに眺めた。
しかし、ラルサスはそんな彼女をすぐに見つけたようだ。
熱い瞳が向けられて、シャレードは戸惑った。さりげなく視線を外す。
(どうしてかしら? 彼を見ると心がざわつく)
ちらっと視線を戻すと、まだ彼はシャレードを見ていた。
二人はしばし見つめ合う。
彼の熱が伝わってくるようで、冷たそうと称されるシャレードの体温が上がった気がした。
ラルサスの人気はすごかった。
休憩時間ごとに女子生徒に囲まれ質問攻めにあっていたラルサスを、他人事だと思いつつも、シャレードは遠目に眺めていた。すると、なにを思ったのか、彼は昼休みになるとすぐシャレードのもとへやってきた。
「シャレード嬢、よかったら、校内を案内してもらえませんか?」
ラルサスの言葉に女子生徒がざわめいた。
シャレードはクールな水色の瞳でラルサスを見上げる。
方々から刺すような視線を浴びて、正直迷惑にも思った。
「王子殿下ならば、喜んで案内してくれる方がいくらでもいるのではないでしょうか?」
「あなたは喜んで案内してくれないのですか?」
ちらっと遠巻きに見ている女性たちを見てシャレードが言うと、ラルサスがからかうように首を傾げた。
軽くウェーブした髪がさらりと揺れる。
ハンサムな彼の誘いを喜ばない女性はめずらしいのだろう。
翠の瞳がシャレードの反応を見て、おもしろそうにきらめいた。
それを綺麗だと思いながら、シャレードは首を振る。
「いいえ。ただ、私より適任がいるのではないかと思ったのです」
「あの中から、一人なんて選べませんよ。それに変に誤解される行動を取りたくない」
「なるほど、それで相手の決まっている私が都合がいいと思われたわけですね」
シャレードは納得してうなずいた。
王太子の婚約者として、留学生の王子をもてなすのも仕事のうちかもしれないと思ったのだ。
「それでは、まず食堂にご案内しましょうか」
「頼みます」
シャレードはラルサスと連れ立って教室を出た。
嫉妬や好奇な視線を背中に感じながら。
ダンバー王立学校は、校内では生徒は平等であるべきだという理念を掲げている。そのため、王族といえども特別なサロンが用意されることなく、食堂で食事をとることになっていた。
そのせいで、シャレードにとって食堂は居づらい場所だった。
彼女がラルサスと食堂に入ると、両脇に女子生徒を侍らせたカルロがいた。
ちょうど女子生徒がカルロにスプーンを差し出し、食べさせているところだった。
パクリと食べたカルロはにやけて、彼女の耳もとに口を寄せた。なにを言われたのか、彼女は赤くなり、今度は反対側にいた女子生徒が対抗するようにカルロにスプーンを差し出した。
(やっぱり今日も……)
それは日常風景だった。
ラルサスも気づいて、目を瞬いた。
シャレードは恥ずかしく思ったが、なにも言わず、料理の置いてあるカウンターに向かった。
ラルサスはなにか言いたげだったが、シャレードは気づかないふりをして、食堂のシステムについて説明しはじめる。
「こちらでお好きな料理をお取りください。並んでない料理でも、調理人に声をかけると用意してもらえます。食べ終わりましたら、こちらにトレーを戻してください」
「そうですか。シャレード嬢はなにを食べますか?」
「王子殿下、私に敬称は不要です」
「それなら、私もラルサスと呼んでください、シャレード。ここでは身分は関係ないのでしょう?」
親しげなラルサスに、シャレードは一瞬戸惑ったが、うなずいた。
王子と呼び続けても、彼が皆に馴染めないと思ったのだ。
「承知いたしました、ラルサス様。私は日替わりランチにします」
「それでは、私も同じものにします」
チラチラと見られる中、二人は料理を載せたトレーを持つと、中庭に面した席に腰かけた。
窓からの陽射しにシャレードが目を細めると、ラルサスもまぶしそうな表情をした。
「場所を移しましょうか?」
シャレードが気をつかうと、ラルサスは首を横に振って、微笑みながら答える。
「ここの陽射しはやわらかいですね。私の国の陽光は苛烈で、とても日向にはいられません」
「ヴァルデ王国は気温が高いと聞きますが、やはりこの国とは違いますか?」
「そうですね。ここよりずっと暑くて乾燥しています。緑もこんなにないですね」
ラルサスは窓の外に広がる中庭を愛でるように見た。
新緑が特に美しい時期だったが、ラルサスの瞳も同じ美しい色をしているとシャレードは思った。
「食後に中庭に出てみますか?」
「はい、ぜひ!」
ふと思いついて提案すると、ラルサスは顔をほころばせた。その表情を見て、シャレードは胸が高鳴るのを感じた。常日頃ではありえないことだった。
互いの国の文化や風習の違いなどを話しながら、食事を終えた彼らは中庭に出た。
「シャレードは私の国のことをよく知っているのですね」
「いいえ、ただ本で読んだことがあるだけです。ラルサス様こそ、この国の習慣のをよくご存じです」
「留学する前に叩き込まれました。失礼があったらいけないですからね」
そんな話をしながら歩く庭園は、心地よい風がそよぎ、花の香りが漂っている。
丁寧に手入れされている花壇には、青や紫、赤、桃色、黄色……さまざまな色の花が咲き乱れ、目を楽しませてくれた。
ラルサスは、遠国には大使として訪問したことがあっても、このファンダルシア王国には訪れる機会がなかったと言う。隣国だけに、今までは父王か兄王子が訪れていたそうだ。
「この国は豊かですね。このように幾種類もの花をいっせいに目にするのも初めてです」
楽しげに笑みを浮かべたラルサスにつられて、シャレードも頬を緩めた。
ヴァルデ王国は砂漠が多く、オアシス以外ではファンダルシア王国ほどの木や花を目にすることはできない。それゆえ、ラクダやロバ、羊を飼って遊牧生活を送る者が多い。国家事業としては、鉱物採掘に力を入れ、外貨を稼いでいる。最近、この鉱物の需要が伸びて彼の国も富んできているが、この国の豊潤さとは比べ物にならない。
「私の国では水が貴重なので、こうした噴水やカスケードを贅沢に感じます」
「そう思ったことはありませんでした」
水しぶきがきらめく噴水や優雅な流れを作るカスケードを見て、そんな感想を持つとは想像もしなかった。
「こうした文化の違いを感じることができるのが留学の醍醐味ですね」
ラルサスは白い歯を見せて破顔した。
少し話しただけで、興味深い話題がどんどん出てきて、二人は楽しく語らいながらそぞろ歩いた。
「そろそろ戻りましょう」
時計を見たシャレードが声をかけた。
あっという間に時間が経ち、午後の授業の時間が迫っていた。
名残り惜しそうなラルサスに、シャレードは「中庭は逃げません」ときっぱり言って急かす。
その言い方がおかしかったのかラルサスが笑い出したので、シャレードはしまったと恥ずかしくなった。カルロをせっつく癖がついていて、つい同じように言ってしまったのだ。
ラルサスに気に障った様子はなく、シャレードはほっとした。
「授業が終わったら、校内の他の場所も案内してください」
教室に入る前にそう言われて、心が浮き立ってしまった。
午後の授業が終わると、待ちかねたようにラルサスはシャレードのもとへ来た。
「続きをお願いします」
「はい。承知いたしました」
ひそひそとささやき合う声を無視して、シャレードは校内案内を再開した。
講堂、医務室、職員室、音楽室を回る。
王立学校なだけあって、それぞれの設備は贅沢で、音楽室などはしっかり防音がされているのはもちろんのこと、優れた音響を実現するために計算して作られていた。
「音楽室は放課後に申請すれば使用できます」
「シャレードはなにか音楽をするのですか?」
「趣味でフルートを少しだけ」
「フルート! それはぜひとも聴いてみたい」
ラルサスは興奮したように声をあげた。
シャレードは音楽が好きだったが、にべもなく断った。
「人様に聴かせられるレベルではありません」
少し肩を落としたラルサスに、さすがに愛想がなかったと反省し、シャレードは口を開いた。
「ラルサス様はなにか楽器を弾かれるのですか?」
彼はにこりとして答える。
「私はディルルバを少々」
「まぁ、貴国の伝統楽器ですね」
「ご存じでしたか」
「もちろんです。いつか聴いてみたいと思っておりました」
音楽が好きなシャレードは楽器にも興味があった。
留学生が来るということで調べていたヴァルデ王国についての資料の中に、ディルルバのことも書いてあった。細長い胴体に張った弦を弓で弾くディルルバの絵を見て、どんな音を出すのか、気になっていたのだ。
めずらしく熱のこもったシャレードの話し方に、ラルサスは小首を傾げた。
「私の拙い演奏でよろしければ、今度お聞かせしましょうか?」
「いいのですか⁉」
本当にディルルバが聴きたかったシャレードは目を輝かせた。
静かな湖面に光が差したかのような、まぶしいくらい美しいシャレードの表情に、ラルサスは目を瞠った。
うなずきかけたシャレードだったが、ラルサスの表情を見てハッと我に返り、「機会があれば……」とトーンを落として答えた。
きらめいたシャレードの瞳は、もとの凪いだ湖のように戻った。
ラルサスはそれを残念そうに見ていた。
シャレードはそっと押し倒された。
銀色の艶やかな髪がぱさりとシーツの上に広がる。
それはまるで月の光が射したようにきらめいた。
彼女の可憐な花のような唇はもの言いたげに開かれ、普段は澄みわたる湖のごとき瞳が揺らいで、ラルサスを見上げる。
「シャレード、綺麗だ……」
ラルサスは思わず言葉を漏らした。
その美しさは、初めて会ったときと同じく、彼の心を魅了してやまない。
耳もとでささやかれて、シャレードはぴくりと反応してしまう。でも、敢えて沈黙を保った。
そんな様子を窺いつつ、ラルサスがシャレードの服を丁寧に脱がせていく。
シャレードはされるがままになっていたが、下穿きを脚から引き抜かれるときに、くちゅっと水音がして、カッと顔が熱くなった。
あらわになったシャレードの身体を、ラルサスが賛美するように見つめてくる。
その身体は優美な線を描き、透き通るような白い肌は情欲のため、ほんのりと色づいている。形のよい胸の先端はかわいらしく尖り、銀色の繁みは蜜でしっとり濡れていた。
クッと喉奥を鳴らしたラルサスは、いつも以上に熱い瞳をしている。
その瞳に見つめられるだけで、シャレードの身体は潤いを増した。
そっと伸ばされた手に、宝物に触れるように触れられて、シャレードは身を震わせる。その手は彼女の髪の毛を梳き、身体の線を辿るようになでて、彼女にむずがゆいような官能の波をもたらした。
さらにラルサスは、額に口づけ、頬に口づけ、耳朶を齧り、首筋を舐める。
熱い息がシャレードの肌をくすぐり、彼の熱情が伝わってきた。
(身体が熱い……)
ほてる身体を持て余して、シャレードはそれを逃がそうと身じろぎする。その拍子に揺れた胸の先端をラルサスの指がなぞり、摘まんだ。
「ぁんっ」
思わず漏れた声にシャレードは両手で口をふさぐ。
「我慢しなくていいのですよ?」
彼女の手の甲に口づけを落とし、ラルサスはささやいた。
そう言われても、恥ずかしい声を出したくなくて、シャレードは唇を引き結んだ。
ラルサスはそんな彼女の右胸の尖りを親指で何度もなでたり押し込んだりする。そのたびに快感が蓄積していき、シャレードの下腹部を疼かせた。
手で愛撫しながら、ラルサスは愛しげにシャレードの身体に唇を落としていく。
彼の唇に、手つきに、シャレードの身体は煽られていった。
彼女の心も身体も歓喜していた。
そう、心も。
悔しいことに、触れられているとわかってしまう。
ラルサスに惹かれ、彼に抱かれるのを喜んでいる自分に気づいてしまう。
でも、それを認めるわけにはいかない。
自分は王太子の婚約者なのだから。
シャレードは鈍った思考の中、必死で自分を抑えていた。
認めてしまったら、想いがあふれてしまうかもしれないから。
「ふぅ、うっ……、あっ……」
そんなことを考えている間にも全身をなでられ、ラルサスの指が繁みの中の尖りに触れると、我慢していたのにシャレードは声を漏らしてしまう。
ピリリと痺れるような快感が全身に広がり、腰が跳ねた。
自分でも触れたことのないところなのに、ラルサスは的確に快感を与えていく。
そこを弄られるほどに愛液が滴り落ちて、シーツを濡らしているのが見なくてもわかる。
(早く早く、もっと……)
意識をしっかり保っていないと、そんな淫らな言葉がこぼれそうになってしまう。
「んっ、あぁんっ!」
とうとうラルサスがシャレードの秘められた場所へ指を入れたので、彼女は身をくねらせた。
中を擦られて、それが求めていた刺激だと悟り、腰を揺らす。シーツを握りしめる。
それだけでも刺激が強いのに、親指で外側の愛芽までくるくるとなでられると、シャレードはたまらず「あーッ、あぁーーッ」と背を反らせて達した。
涙がにじんだ目じりをラルサスの舌が這う。不埒な手は乳房を捏ね、中に入る指は増やされて、広げるようにうごめいた。
(ダメ、あんっ、気持ちいい、いや、なの……、あぁ、でも、気持ちいい……気持ちいい気持ちいい、いい……)
シャレードはどんどん快楽に溺れていき、ラルサスが指を抜くと不満げに彼を見上げた。
ラルサスはくすりと笑い、「少し待って」と彼女の頬を指先でなでて、服を脱ぐ。
鍛えられた褐色の身体が美しい。しかし、その中心にそそり立つものを見て、シャレードはこくりと唾を呑み込んだ。
身体がそれを欲して、わななく。
ラルサスが彼女に覆いかぶさるように身をかがめた。
「シャレード、愛してる……」
吐息がかかる距離でささやかれる。
シャレードはハッとして、彼の翠の瞳を見上げた。
その切なく訴えるような声に、彼女の心は激しく波立った。
第一章
そこは黄金の空間だった。
白い壁の全面を蔦や花をかたどった金のレリーフが覆い、それを巨大なシャンデリアがまばゆい光で照らす。さらに数多の鏡がその金色の光を反射し増幅して、贅を尽くしたゴージャスな空間を演出していた。
ここは、権威あるファンダルシア王国の宮殿。
その大広間で、ラルサス・ヴァルデ王子を歓迎する舞踏会が開かれていた。
シャレード・フォルタス公爵令嬢は、婚約者のカルロ王太子にエスコートされ、ラルサスに紹介されるところだった。
彼は隣国ヴァルデ王国の第三王子で、この国に留学に来たばかりだ。
エキゾチックな褐色の肌に、切れ長だが目尻が少し垂れた優しげな目、そこにはまった深い翠の瞳で、シャレードを見つめてくる。
非常に整った目鼻立ちもさることながら、そのまなざしにシャレードの目は惹きつけられた。
(印象的な方……)
軽く会釈したはずみに揺れた髪は、とてもめずらしいピンクがかったパール色だ。
服装も独特で、膝を隠すほど長い上衣は立襟の部分から裾まで華やかな刺しゅうで彩られ、そこからスリムなズボンが覗く。その衣装は、スラリとした長身のラルサスをより魅力的に見せていた。
(この国にはいない、めずらしいお姿だからかしら?)
そんな容姿をした彼の情熱的な視線に、シャレードの胸はざわついた。
それでも、普段から感情を抑えることに長けている彼女は、静かな目でラルサスを見返す。
「こちらは私の婚約者、シャレード・フォルタス公爵令嬢だ」
カルロの紹介に、シャレードが美しいカーテシーで挨拶をすると、なぜかラルサスは目を見開いて、固まった。
不審そうに「なにか?」とカルロが問いかける。
ラルサスはすぐ美麗な笑みを浮かべ、弁解した。
「いえ、失礼いたしました。こんな美しい方にお目にかかったことがなくて……」
社交辞令だとわかっていても、シャレードの心臓が跳ねた。しかし、それに返されたカルロの言葉に、スーッと心が冷えていく。
「シャレードは見た目だけはいいからな」
カルロはあざけるように笑った。
その言いぐさに、ラルサスは眉をひそめる。
(いつものことだわ)
シャレードは顔色を変えなかった。王や王妃はやれやれという顔をしたが、注意はしない。
ラルサスは気づかうようにシャレードを見た。
どうやら会ったばかりの彼女のために憤ってくれているらしい。
シャレードはカルロの蔑みに慣れていた。しかし、いつまで経っても傷つくことには慣れない。
胸を痛めながらも平静を装うのが常だったが、ラルサスの反応に心がなぐさめられた。
大丈夫だと微笑みを浮かべると、ラルサスはそっと溜め息をついて、深追いしないでくれた。
感謝のまなざしを向け、シャレードは口を開く。
「初めまして、王子殿下。シャレード・フォルタスと申します。ダンバー王立学校でご一緒させていただくことになりますので、なにかありましたら、気軽にお申しつけくださいませ」
「ラルサスとお呼びください。この国の文化に不慣れですが、こちらこそ、よろしく頼みます」
ラルサスがふんわりと笑った。
それは草原をなでて吹くさわやかな風のようだった。彼の笑顔に周囲の女性が反応して、ハッと息を呑んだり、うっとりとした溜め息を漏らしたりした。
シャレードも例外ではなく、めったに動揺しないはずの彼女の心も波打った。
音楽が始まり、カルロとシャレードがファーストダンスを踊りはじめる。
濃い黄金色の髪のカルロと銀髪のシャレードは、見目麗しく、似合いのカップルに見えた。
しかし、彼らは外見同様、内面も対照的だった。
ハンサムだがどこか緩い雰囲気のカルロに対し、冷たいとも評される美貌を持つシャレードは真面目で、堅苦しいとしばしばカルロに揶揄される。
踊り慣れているので見栄えはするが、ダンスにもそれが表れていた。よく見ると、おざなりにリードするカルロに、シャレードがきっちりとステップを踏んでついていっているのがわかるに違いない。
一曲終わると、カルロはシャレードを離し、さっさとお気に入りの男爵令嬢のもとへ行った。
(相変わらず、私の立場など考えもしないのね)
カルロが彼女を蔑ろにするのは何年も前からだ。
そして、シャレードが、好奇心、同情、冷笑などの視線を浴びるのもいつものことだった。
慣れているからといって、もちろん気分がよいものではない。
シャレードはそっと溜め息をつき、壁際に向かおうとした。
そこへ褐色の手が差し出された。
「踊っていただけませんか?」
目線を上げると、ラルサスが微笑んでいた。
少し垂れた目は細められ、柔和な表情ながら、その翠の瞳は先ほどの熱量を維持したままだった。
──この手を取ってはいけない。
なぜだかそんな気がして、シャレードはためらった。しかし、断る理由はなく、王子である彼に恥をかかせるわけにもいかない。シャレードは「喜んで」とラルサスの手に自分の手を重ねた。
ジン……
心地よい痺れが走ったような気がして、シャレードは手を引っ込めそうになるが、その前にラルサスにやわらかく掴まれる。
「ありがとう」
笑みを深めたラルサスは一礼すると、シャレードの腰に手を回した。
音楽が始まり、二人は踊り出した。
「ダンスがお上手なのですね」
彼のリードが踊りやすくて、シャレードは感心した。すると、ラルサスは甘やかに微笑む。
「そうですか? それはうれしい。私の国にはこうして踊る習慣がないので、留学前に必死に練習したのです」
「そうとは思えないほど、お上手です」
「それはあなたがうまくリードしてくれるからです。ありがとうございます」
「いいえ、私も踊りやすいです」
自分勝手なリードのカルロに比べ、ラルサスはシャレードを気づかい、うまく誘導してくれる。
ポツポツと会話を交わしながらも、二人は惹かれ合うように、ひたっとお互いを見ていた。
シャレードがターンをした瞬間、その瞳と同じ水色のドレスがふわりと広がった。花が咲いたかのような可憐さに、ラルサスは息を呑んだ。
より視線が熱くなり、二人の視線が絡み合う。
初めてとは思えない息の合い方で、シャレードとラルサスは美しく踊った。
(ダンスが楽しいなんて、久しぶりだわ)
そう思ったシャレードだったが、曲が終わると、何事もなかったかのように一礼して、すっとラルサスから離れた。
ラルサスは一人になった途端、他の令嬢たちに囲まれた。しかし、その目はシャレードを追っていた。
シャレードは給仕に飲み物をもらうと、いつものように壁の花になって、ぼんやりと広間を眺めた。
王太子の婚約者をダンスに誘おうという猛者はおらず、親しい友人もいない彼女はいつも一人だった。一方、カルロは次々とかわいらしい令嬢を捕まえて、ダンスをしている。
グラスを傾けながら、シャレードはただひたすら舞踏会が終わるのを待った。
翌日、ラルサスがダンバー王立学校の教室に入ったとき、その容姿に女子生徒が色めきたった。
ここには貴族しかいないが、昨日の舞踏会は上流貴族しか招かれていなかったので、ラルサスを初めて見た者が多かったのだ。
今日の彼はヴァルデ王国の伝統衣装を脱いで、ブレザーの制服を着用している。
騒がれるのには慣れているラルサスは、よそいきの顔でふっと微笑んだ。
その甘いマスクに心を撃ち抜かれた女子生徒が多数。それをおもしろくなさそうに見ている男子生徒も多くいた。
一つ歳上のカルロはこのクラスではないが、もしこの場にいたらラルサスに注目が集まる状況に機嫌を損ねていたかもしれない。
シャレードはなんの感情も見せずに、ただ自分の席に座っていた。
「ラルサス・ヴァルデと申します。このたびは名高いダンバー王立学校で皆さまとともに学べる機会をいただけたことをとてもうれしく思います」
自己紹介をするラルサスをシャレードは窓際の席で静かに眺めた。
しかし、ラルサスはそんな彼女をすぐに見つけたようだ。
熱い瞳が向けられて、シャレードは戸惑った。さりげなく視線を外す。
(どうしてかしら? 彼を見ると心がざわつく)
ちらっと視線を戻すと、まだ彼はシャレードを見ていた。
二人はしばし見つめ合う。
彼の熱が伝わってくるようで、冷たそうと称されるシャレードの体温が上がった気がした。
ラルサスの人気はすごかった。
休憩時間ごとに女子生徒に囲まれ質問攻めにあっていたラルサスを、他人事だと思いつつも、シャレードは遠目に眺めていた。すると、なにを思ったのか、彼は昼休みになるとすぐシャレードのもとへやってきた。
「シャレード嬢、よかったら、校内を案内してもらえませんか?」
ラルサスの言葉に女子生徒がざわめいた。
シャレードはクールな水色の瞳でラルサスを見上げる。
方々から刺すような視線を浴びて、正直迷惑にも思った。
「王子殿下ならば、喜んで案内してくれる方がいくらでもいるのではないでしょうか?」
「あなたは喜んで案内してくれないのですか?」
ちらっと遠巻きに見ている女性たちを見てシャレードが言うと、ラルサスがからかうように首を傾げた。
軽くウェーブした髪がさらりと揺れる。
ハンサムな彼の誘いを喜ばない女性はめずらしいのだろう。
翠の瞳がシャレードの反応を見て、おもしろそうにきらめいた。
それを綺麗だと思いながら、シャレードは首を振る。
「いいえ。ただ、私より適任がいるのではないかと思ったのです」
「あの中から、一人なんて選べませんよ。それに変に誤解される行動を取りたくない」
「なるほど、それで相手の決まっている私が都合がいいと思われたわけですね」
シャレードは納得してうなずいた。
王太子の婚約者として、留学生の王子をもてなすのも仕事のうちかもしれないと思ったのだ。
「それでは、まず食堂にご案内しましょうか」
「頼みます」
シャレードはラルサスと連れ立って教室を出た。
嫉妬や好奇な視線を背中に感じながら。
ダンバー王立学校は、校内では生徒は平等であるべきだという理念を掲げている。そのため、王族といえども特別なサロンが用意されることなく、食堂で食事をとることになっていた。
そのせいで、シャレードにとって食堂は居づらい場所だった。
彼女がラルサスと食堂に入ると、両脇に女子生徒を侍らせたカルロがいた。
ちょうど女子生徒がカルロにスプーンを差し出し、食べさせているところだった。
パクリと食べたカルロはにやけて、彼女の耳もとに口を寄せた。なにを言われたのか、彼女は赤くなり、今度は反対側にいた女子生徒が対抗するようにカルロにスプーンを差し出した。
(やっぱり今日も……)
それは日常風景だった。
ラルサスも気づいて、目を瞬いた。
シャレードは恥ずかしく思ったが、なにも言わず、料理の置いてあるカウンターに向かった。
ラルサスはなにか言いたげだったが、シャレードは気づかないふりをして、食堂のシステムについて説明しはじめる。
「こちらでお好きな料理をお取りください。並んでない料理でも、調理人に声をかけると用意してもらえます。食べ終わりましたら、こちらにトレーを戻してください」
「そうですか。シャレード嬢はなにを食べますか?」
「王子殿下、私に敬称は不要です」
「それなら、私もラルサスと呼んでください、シャレード。ここでは身分は関係ないのでしょう?」
親しげなラルサスに、シャレードは一瞬戸惑ったが、うなずいた。
王子と呼び続けても、彼が皆に馴染めないと思ったのだ。
「承知いたしました、ラルサス様。私は日替わりランチにします」
「それでは、私も同じものにします」
チラチラと見られる中、二人は料理を載せたトレーを持つと、中庭に面した席に腰かけた。
窓からの陽射しにシャレードが目を細めると、ラルサスもまぶしそうな表情をした。
「場所を移しましょうか?」
シャレードが気をつかうと、ラルサスは首を横に振って、微笑みながら答える。
「ここの陽射しはやわらかいですね。私の国の陽光は苛烈で、とても日向にはいられません」
「ヴァルデ王国は気温が高いと聞きますが、やはりこの国とは違いますか?」
「そうですね。ここよりずっと暑くて乾燥しています。緑もこんなにないですね」
ラルサスは窓の外に広がる中庭を愛でるように見た。
新緑が特に美しい時期だったが、ラルサスの瞳も同じ美しい色をしているとシャレードは思った。
「食後に中庭に出てみますか?」
「はい、ぜひ!」
ふと思いついて提案すると、ラルサスは顔をほころばせた。その表情を見て、シャレードは胸が高鳴るのを感じた。常日頃ではありえないことだった。
互いの国の文化や風習の違いなどを話しながら、食事を終えた彼らは中庭に出た。
「シャレードは私の国のことをよく知っているのですね」
「いいえ、ただ本で読んだことがあるだけです。ラルサス様こそ、この国の習慣のをよくご存じです」
「留学する前に叩き込まれました。失礼があったらいけないですからね」
そんな話をしながら歩く庭園は、心地よい風がそよぎ、花の香りが漂っている。
丁寧に手入れされている花壇には、青や紫、赤、桃色、黄色……さまざまな色の花が咲き乱れ、目を楽しませてくれた。
ラルサスは、遠国には大使として訪問したことがあっても、このファンダルシア王国には訪れる機会がなかったと言う。隣国だけに、今までは父王か兄王子が訪れていたそうだ。
「この国は豊かですね。このように幾種類もの花をいっせいに目にするのも初めてです」
楽しげに笑みを浮かべたラルサスにつられて、シャレードも頬を緩めた。
ヴァルデ王国は砂漠が多く、オアシス以外ではファンダルシア王国ほどの木や花を目にすることはできない。それゆえ、ラクダやロバ、羊を飼って遊牧生活を送る者が多い。国家事業としては、鉱物採掘に力を入れ、外貨を稼いでいる。最近、この鉱物の需要が伸びて彼の国も富んできているが、この国の豊潤さとは比べ物にならない。
「私の国では水が貴重なので、こうした噴水やカスケードを贅沢に感じます」
「そう思ったことはありませんでした」
水しぶきがきらめく噴水や優雅な流れを作るカスケードを見て、そんな感想を持つとは想像もしなかった。
「こうした文化の違いを感じることができるのが留学の醍醐味ですね」
ラルサスは白い歯を見せて破顔した。
少し話しただけで、興味深い話題がどんどん出てきて、二人は楽しく語らいながらそぞろ歩いた。
「そろそろ戻りましょう」
時計を見たシャレードが声をかけた。
あっという間に時間が経ち、午後の授業の時間が迫っていた。
名残り惜しそうなラルサスに、シャレードは「中庭は逃げません」ときっぱり言って急かす。
その言い方がおかしかったのかラルサスが笑い出したので、シャレードはしまったと恥ずかしくなった。カルロをせっつく癖がついていて、つい同じように言ってしまったのだ。
ラルサスに気に障った様子はなく、シャレードはほっとした。
「授業が終わったら、校内の他の場所も案内してください」
教室に入る前にそう言われて、心が浮き立ってしまった。
午後の授業が終わると、待ちかねたようにラルサスはシャレードのもとへ来た。
「続きをお願いします」
「はい。承知いたしました」
ひそひそとささやき合う声を無視して、シャレードは校内案内を再開した。
講堂、医務室、職員室、音楽室を回る。
王立学校なだけあって、それぞれの設備は贅沢で、音楽室などはしっかり防音がされているのはもちろんのこと、優れた音響を実現するために計算して作られていた。
「音楽室は放課後に申請すれば使用できます」
「シャレードはなにか音楽をするのですか?」
「趣味でフルートを少しだけ」
「フルート! それはぜひとも聴いてみたい」
ラルサスは興奮したように声をあげた。
シャレードは音楽が好きだったが、にべもなく断った。
「人様に聴かせられるレベルではありません」
少し肩を落としたラルサスに、さすがに愛想がなかったと反省し、シャレードは口を開いた。
「ラルサス様はなにか楽器を弾かれるのですか?」
彼はにこりとして答える。
「私はディルルバを少々」
「まぁ、貴国の伝統楽器ですね」
「ご存じでしたか」
「もちろんです。いつか聴いてみたいと思っておりました」
音楽が好きなシャレードは楽器にも興味があった。
留学生が来るということで調べていたヴァルデ王国についての資料の中に、ディルルバのことも書いてあった。細長い胴体に張った弦を弓で弾くディルルバの絵を見て、どんな音を出すのか、気になっていたのだ。
めずらしく熱のこもったシャレードの話し方に、ラルサスは小首を傾げた。
「私の拙い演奏でよろしければ、今度お聞かせしましょうか?」
「いいのですか⁉」
本当にディルルバが聴きたかったシャレードは目を輝かせた。
静かな湖面に光が差したかのような、まぶしいくらい美しいシャレードの表情に、ラルサスは目を瞠った。
うなずきかけたシャレードだったが、ラルサスの表情を見てハッと我に返り、「機会があれば……」とトーンを落として答えた。
きらめいたシャレードの瞳は、もとの凪いだ湖のように戻った。
ラルサスはそれを残念そうに見ていた。
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