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1巻
1-2
お菓子が一番多かったが、文房具やブローチまで、とても気軽に渡してくるのだ。
特に、陽葵がある年の誕生日プレゼントにもらった花形のブローチを喜んでから、クリスマスやホワイトデーなど、ことあるごとに贈られた。おかげで、引き出しにちょっとしたブローチコレクションができたほどだ。それを陽葵は宝物にしていた。
(ぜんぶ、うちが貧乏だからかわいそうに思って、くれてたのかな)
陽葵は泣きながら、引き出しの中からブローチを入れている箱を取り出す。
きらりと光る美しいブローチたちも、急に色褪せて見えた。
好きな人がくれたプレゼントだと無邪気に喜んでいた自分が恥ずかしかった。
「こんなもの……!」
ブローチを掴むと、じゃらりと音がした。そのまま床に投げ捨てようとしたが、それもできなくて、結局、抱きかかえるようにしてうずくまった。
泣いて泣いて、夕食も食べずに祖母に心配されながら、泣き続けた。
疲れ果てて寝てしまうまで――
そして、彼から離れる決意をする。
(一輝は悪くない。ただ優しいだけ。でも、もう、そばにいるのはつらすぎる……)
翌日は目がパンパンに腫れていたのもあって、学校を休んだ。
切ったままだったスマホの電源を入れたら、一輝から何件も連絡が来ていた。
『ごめん。体調が悪いから今日は休むね』
メッセージを送った瞬間、すぐに既読がつき、返信がくる。
『大丈夫か? 体調悪いのに何度も連絡して悪かった』
『ううん。こちらこそ返事してなくてごめんね。でも、もう送迎はいいから』
そう返すと、すぐ既読はついたものの、しばらく間が空いてから返信が来た。
『それは体調がよくなってから話そう』
話すことなんてないのにと思いながら、陽葵は『りょうかい』とスタンプを送った。
仮病だったはずなのに、本当に熱が出て、うつらうつらしながら終日ベッドで過ごす。
祖母が何度か様子を見に来てくれて、おかゆを作ってくれた。
心配をかけて申し訳ないと思いつつ、その優しい味に、またほろりと涙がこぼれた。
翌朝はすっかり熱が引いて、しぶしぶ学校へ行く準備をする。
迎えに来なくていいと言ったのに、外に出ると一輝はいつものように車で迎えに来ていた。
「おはよう。もう大丈夫なのか?」
「おはよー。すっかり元気。ありがとう。じゃあ、私は駅に行くから」
彼の顔を見るとうっかり涙が出そうになるけど、それをぐっとこらえ平静を装って、陽葵は一輝に告げた。
一輝は切れ長の目で陽葵をじっと見て聞いてくる。
「なんでだ? なにか気に障ることをしたか?」
「違うの。えっとね……、ベンツに乗るとアレルギーが出るようになっちゃったの。蕁麻疹が出て、もうかゆくって」
理由を聞かれたらどう言おうかと昨夜考えた言い訳を明るく口にした。
「そうか。大変だな」
「そうなの。だから、私は電車で行くね」
一輝は不思議そうな顔をしたが自分のせいではないとわかったからか、深くつっこまず、すんなり引き下がってくれた。その様子に陽葵はほっとした。
しかし、翌日、家の前にはフェラーリが止まっていた。
「いやいや高級車がだめだから!」
「そうか。大衆車がいいか」
「そうじゃなくて……、く、車自体だめかも! だから、これからずっと電車で行くから」
陽葵が歩きだすとなぜか一輝まで並んで歩きだす。
彼から離れたいと思っての行動なのに、これでは意味がない。
「一輝は車で行けばいいじゃない」
「たまには電車で行くのも新鮮だ」
やんわりと断ったのに、一輝はそう言ってついてくる。
結局、一緒に通学することになってしまった。
しかも、満員電車で密着して、いつもより距離が近い。
彼は腕で囲いを作り、陽葵をかばって踏ん張ってくれていた。他の乗客に押されているからか、その頬を赤らめ、なにかに耐えるような顔をして、陽葵から目を逸らす。普段以上に寡黙だったのが、助かったような、気まずかったような、複雑な気分だった。
翌日、一輝は大衆車で迎えに来た。ピカピカの新車に見える。
(まさかこのために買ったの!?)
大衆車にお仕着せの運転手がミスマッチで気の毒だった。
「だから、車がだめになったんだってば!」
「でも、あの満員電車はきついだろう? とりあえず、試しに乗ってみてくれ」
そこまでされては断れず、陽葵はしぶしぶ車に乗り込んだ。
広い高級車と違い、大衆車は彼との距離が近い。
「わ、やっぱりムリ! 私、電車で行くから、一輝は車を使って」
陽葵は逃げ出した。なのに、彼は追いかけてくる。
「医者を呼ぶか……」
駅に向かいながら大真面目にそんなことをつぶやくから、観念して陽葵は直球で伝えた。
「あのね、もう送り迎えがいらないの。今までありがとう」
「いらない……? これからずっとあんな満員電車に乗るのか?」
「あと半年だから大丈夫だよ」
「バイクならどうだ?」
「バイク乗れるの!?」
「あぁ、昨年免許取ってたまに乗ってる」
「ぜんぜん知らなかった。だけど、バイクもムリ」
彼の背中にしがみつく自分を想像してみた。
(ムリムリ。そんなことしたら心臓が壊れちゃう)
陽葵はブンブン首を横に振った。
翌日も送迎を断って、徹底的に一輝を避けた。
連絡も自分からはしない。
「最近、高遠くんと一緒にいないね」
クラスメイトが不思議そうに聞いてきた。そう言われるほどに、今まで二人は自然と一緒にいたのだ。
陽葵は敢えて明るく笑ってみせる。
「だって、ただの幼なじみだもん。今までが一緒にいすぎたのに気づいたんだ」
「あんなイケメン御曹司、捕まえとけばいいのに」
「そんなことできないよ。ちょっと最近、そばにいるのがつらくなってきて……」
「そうなんだ。まぁわかる気がする。ハイスペックすぎるのも疲れるよね」
「まぁ、ね」
本当はそんな理由ではなかった。けれど、みじめすぎて言えず、その言葉を流した。
一輝の話をするだけで涙が浮かびそうになり、早く話を切り上げたくもあったのだ。
さんざん避けた結果、一輝からも連絡が間遠くなり、とうとう途絶えた。
自分が意図したことなのに、連絡が来なくなるとさみしくて陽葵は泣いた。
それからは、実家から離れた大学に行き、一人暮らしを始めたので、このところは一輝を見かけることすらなかった。
だから、一輝に会うのは本当に久しぶりだった。
成長した彼は高校のときからさらに背が伸び、凛々しさが増していた。昔は短めに切りそろえていた髪も少し長めで毛先を遊ばせていて洗練された色気がある。それだけでなく、なにごとにも動じないような大人の余裕が感じられた。
離れて久しいというのに陽葵の目は相変わらず彼に惹きつけられてしまう。
切ない想いがよみがえり、胸が痛んだ。
なにか言いたそうにじっと見てくる彼に、無言で頭を下げ、陽葵はそそくさと家の中に入っていった。
今日は陽葵が来るからなのか、駄菓子屋は閉じていて、その横のドアから実家に入る。
「ただいまー」
「おかえりなさい。忙しいのに悪かったね」
声をかけて靴を脱いでいると、落ち着かない様子の祖母に出迎えられた。なぜかその横には母方の叔母もいる。
こんな祖母の姿は初めてで、陽葵はますます心配になった。
玄関口ではあるが、尋ねずにはいられなかった。
「どうしたの?」
「それが……とりあえず、座ってから話すわ」
口ごもった祖母の顔色は悪い。
居間に行き、腰を落ち着けると、祖母が陽葵に麦茶を出してくれた。
まだ四月だというのに今日は初夏の暑さで、じんわりと汗をかいていた陽葵はさっそく喉を潤した。カランと氷が涼しげな音を立て、馴染みのある味が口の中を冷やしてくれる。
実家に帰ってきたなと感じて、ほっと一息ついた。
「それで、なにがあったの?」
陽葵は改めて祖母に目を向け、話を促す。しかし、よっぽど気まずいのかなかなか言い出さない。
「それが、ね……」
ちらりと陽葵を見た祖母はまたすぐ視線を落として黙り込む。
たまりかねた叔母が代わりに話し始めた。
「実はね、久志が借金を作って夜逃げしちゃったの。その連帯保証人にお母さんがなっていてね、返済を求められているのよ」
「叔父さんが!? 夜逃げって……。それで借金って、いくらなんですか?」
少しだったら貯金があると考えて、恐る恐る聞いてみた陽葵の耳に、とんでもない金額が飛び込んできた。
「一億よ」
「一億!? そんなお金あるはずが……」
その途方もない金額に愕然として、陽葵は顔色を失う。
しかし、叔母はなぜかにんまりとして話を続けた。
「そうなのよね。でも、そのお金を貸してくれた会社の社長さんがいい話をくれたの」
「いい話、ですか?」
借金絡みにいい話などあるはずがないのにと思って、不審の目を向けるが、叔母は本気でそう思っているようで、半ばうれしそうに陽葵に告げた。
「なんと、あなたが息子の嫁に来てくれるなら借金をチャラにしてもいいって言ってくれたのよ」
「私が嫁に? どうして?」
予想もしていなかったことを言われて、陽葵は目を丸くする。
自分が一億円と引き換えになるとは考えもしなかったし、そもそもどうして自分なのかわからない。
その答えはあっさりと叔母から出てきた。
「どうやらあなたを見初めたそうよ。世田さんって知ってるでしょう? あなたの会社の取引相手だって話よ」
その名前を聞いて、陽葵は思わず顔をしかめた。
「もしかしてセタマートの世田さん?」
それは昨日も無茶なことを言ってきたクライアントの担当者だ。陽葵の猫っぽい美人顔がとても好みだとよく誘われていたが、まさか本気だとは思っていなかった。
たまにこういうしつこい相手はいるし、のらりくらり躱していたが、お得意さんだから無下にもできなくて困っていたのだ。そういえば、セタマート社長の三男だということをちょくちょく匂わせていた。
(こんな手を使ってくるなんて……)
もともと信頼できない人だとは感じていたが、ますます評価が下がる。
そんな陽葵の心境を知らず、叔母は言い募る。
「そりゃあ、四十歳でちょっと歳上だけど、あなたももう二十七歳だし、そんなお金持ちのところに嫁げるなんてラッキーよ。それに、さんざんお母さんに迷惑かけてきたんだから、そろそろ恩返ししてもいいんじゃない?」
「私は迷惑かけられた覚えはないよ!」
祖母が声を荒らげて反論してくれるが、陽葵は叔母の言うことももっともだと感じた。
別にお金持ちに嫁ぎたいとは思わないが、苦労して自分を育ててくれた祖母の役に立つなら、それもいいだろうと思ったのだ。
(どうせ結婚したい人なんていないし……)
そう思いつつも、先ほど会った幼なじみの顔がふいに思い浮かんで、未練がましい自分にあきれる。
(好きな人と結婚しないのであれば、誰とだって一緒だわ)
陽葵が来る前から話し合っていたらしく、祖母はあきらかに反対だと分かる渋い顔をしており、賛成派の叔母ともめていたようだ。
祖母をチラチラと気にしながら、叔母が言った。
「とりあえず、お見合いしてみない?」
「……わかりました」
ほぼ覚悟を決めた陽葵が素直にうなずいたら、祖母が慌てたように止めてくる。
「陽葵、無理しなくていいんだよ? いざとなればここを売ったら――」
「そんなのだめよ! とりあえず、会ってみる。どうしてもだめだったらちゃんと断るから」
「本当かい? すまないね、久志のせいで……」
急に老け込んで小さくなったような祖母を見て切なくなり、陽葵は明るくなだめるように言った。
「大丈夫よ、おばあちゃん。なんとかなるわ!」
「そうよ。これでうまく収まるわ、お母さん。それじゃあ、世田さんに伝えておくわね」
叔母は喜び勇んでお見合いをセッティングし、翌週の土曜日に行われることが早々と決まった。
(よりによって世田さんと結婚することになるなんて……)
陽葵は暗い気持ちになったが、祖母に恩返しをするためならと腹をくくった。
お見合いの日、陽葵は実家で叔母に無理やり振袖を着せられた。叔母は上機嫌でせっせと陽葵の用意を手伝ってくれる。よほどこの縁を結びたいらしい。
「綺麗ね。やっぱり陽葵はこの色が似合うわ」
陽葵を見て祖母が言う。エメラルドグリーンの地の華やかな振袖は母のもので、色白ではっきりした顔立ちの陽葵をより引き立たせていた。
帯留めは、一輝からもらったペリドットのブローチだ。
ペリドットの石言葉は『希望』。困難な状況でも希望を持ち続け、前向きに進む力を与えてくれると言われている。陽葵はそれをなでて、勇気をもらった。
祖母は彼女を褒めながらも、ずっと顔を曇らせている。だから陽葵は意識的に明るく言った。
「ありがとう。お母さんの振袖、素敵よね。こんな機会でもないと着ないからうれしい」
「それもそうね。懐かしいわ」
「本当に綺麗ね。これでお見合いもうまくいくはずよ」
陽葵の言葉にせっかく祖母が気を取り直して眉を開いたのに、叔母がよけいなことを言うから、また祖母の表情が翳ってしまった。
(叔母さんったら、ちょっとは空気を読んでよ!)
叔母は悪い人ではないのだが、思い込みが激しくてマイペースなのだ。
「それじゃあ、行ってきます」
そう声をかけて一人で実家の玄関から出る。
略式にするため、会うのは本人たちだけなのだ。
ドアを閉め、振り向くと、目の前に一輝がいた。
休日の昼間だというのに仕事なのか、濃紺の三つ揃えスーツを着ている。
「っ!」
スーツ姿の彼は有能そうで、洗練された美しさがあり、見惚れるぐらいかっこいい。
(なにもこんな日に会わなくていいのに)
家が隣同士なので会ってしまうのは仕方がないものの、嫌な予定がますます憂鬱になった。
一輝を見るだけで、まだ切なさに胸がじくじくと痛むのだ。
「ひ、久しぶり」
「どこに行くんだ?」
さすがに無視するわけにもいかず、陽葵は挨拶をしたが、それに応えることもなく一輝はいきなり聞いてきた。無愛想がデフォルトな彼だが、それにしてもずいぶんこわばった顔をしている。
見合いとは言いたくなくて、言葉を濁して返す。
「ちょっと大人の事情で食事会に」
「見合いなんだろ? 母から聞いた」
「なんだ、知ってたなら聞かないでよ」
尋ねてきたわりに知っていたようで、一輝がそう言うから、陽葵はムッとした。
「あら、一輝くん」
二人がそんなやり取りをしていると、声が聞こえたのか祖母も出てきた。
「こんにちは。どうして陽葵はお見合いなんてすることになったのですか?」
「ちょっと、一輝!」
彼がいきなりデリケートなことを聞いてくるので、驚いた陽葵は慌ててたしなめようとする。
案の定、祖母は暗い顔になってしまった。
「それは私が悪いのよ……」
「おばあちゃんは悪くないわ!」
「でも、あなたが犠牲になるのは――」
「どういうことですか? なにがあったのか教えてもらえませんか?」
祖母をなぐさめようとしていたのに、一輝が割り込んでくる。有無を言わさないとばかりの圧を感じた。祖母はそれに頼もしさを感じたのか、胸のつかえを吐き出すように事情を語ってしまう。
「借金の形に陽葵が結婚しないといけないの……」
「え、借金の形ですか?」
「そうなのよ。息子の久志がね――」
陽葵が止める間もなく祖母は一部始終を語り始めた。
真摯な表情をした一輝は巧みな相槌で、状況をうまく聞き出していく。
「一億か……」
考え込むように顎に拳を当てた一輝はつぶやいた。
家庭の事情を赤裸々にされて恥ずかしくなった陽葵は話を打ち切るように言う。
「あっ、もう遅れそうだから、私、行くね!」
一輝が考えたってどうしようもない問題なのだ。
気まずい雰囲気にいたたまれなくなって陽葵は歩きだす。
「いってらっしゃい。本当に無理しないで」
「大丈夫よ」
祖母はそう言ってくれるが、陽葵は心に決めていた。
借金返済の代わりに結婚しようと。
それなのに、なぜか一輝も一緒についてくる。
「一輝も駅に行くの?」
車を使えばいいのにと思いながら聞くと、質問とは違う答えが返ってきた。
「一億なら、俺が払ってやる」
「はぁ? なに言ってるの!? 私たちはただの幼なじみじゃない。そんなことをしてもらう義理はないわ!」
カッとなって陽葵は叫んだ。
また同情されていると思い、腹が立って仕方なかったのだ。
しかし、一輝は冷静な声で諭すように言ってくる。
「解消する手立てがあるというのに、幼なじみが嫌な男と結婚して生涯を棒に振るのを見ていられない」
「嫌な男とは限らないじゃない」
「こんなことを言いだすやつは碌な男じゃないし、君の態度を見ていたらわかる」
正論を吐かれてグッと詰まるも、陽葵は首を横に振る。
「それでも、幼なじみというだけで、そんなことをしてもらうわけにはいかないわ」
「じゃあ、家族になればいいか? 結婚してくれ」
「……っ」
突然のプロポーズに陽葵の息が止まった。
(一輝と結婚!?)
迷惑な男から好きでたまらなかった男に相手が変わると思うと反射的に喜んでしまったが、すぐにそうじゃないと思い直す。
幼なじみを救うために結婚するなんて発想はどう考えてもおかしい。
「ど、どうして? なに言ってるのよ!」
そこまで憐れまれているのかと思うと反発心に火がついて、陽葵はつっかかるように言ってしまう。
しかし、一輝はそれを気にする様子もなく、さらりと答えた。一生のことだというのに。
「……親が早く結婚しろとうるさいんだ。だから、ちょうどいい」
一応、彼なりの理由があるようで、陽葵は昂った感情を落ち着けたが、それでも完全に納得はできなくて疑わしそうに尋ねる。
「そうだとしても、一輝なら引く手あまたでしょ?」
「だけど、誰にも心が動かないんだ。それだったら洸人たちとつるんでるほうがよっぽどいい」
「誰にも? 女性に興味ないってこと?」
「あぁ。親しくなりたいと思う相手はいなかった。陽葵だけなんだ。一緒にいて楽しいと思えるのは」
思いがけない回答に、陽葵は目を瞬いた。
唯一と言われるのはうれしいが、それ以上にある疑いが浮かんだからだ。
昔から一輝のそばにいるのは男性だけだったことを思い出す。特に名前の出た洸人は山科洸人という高校時代からの彼の親友で、いつも一緒にいるから妙な噂を立てられるほどだった。
――高遠くんと山科くんってセットで目の保養よね。
――本当。萌えるわ~。
――萌える? ちょっとなに妄想してるのよ!
――だって、山科くんはともかく高遠くんってほとんど女子としゃべらないでしょ? あんなにモテるのに彼女を作らないし。あやしいと思って。
――キャー。でも、あの二人なら許せる~!
当時は同級生を中心にひそかにそんなことをささやかれていた。
(あの噂って本当のことだったの? もしかして一輝って男性しか愛せない人だったりする?)
噂を笑い話としか思っていなかったが、それが真実だとしたら辻褄が合う。
どうりで陽葵以外の女の子には冷たかったはずだ。そして、こんな優良物件なのに、独身というのもそのせいかと納得した。
彼の両親は彼に女っ気がないのを心配して、結婚を急かしているのかもしれない。
それでも、陽葵にはまだためらいがあった。
どう考えても一輝が一億円を出す理由はないと思ったのだ。
同意しない陽葵を見て、一輝が焦れたように言う。
「君に俺の子どもを産んでほしい」
切羽詰まった声に驚いて、彼を見上げると、やけに熱い瞳とぶつかった。
「子ども?」
それを聞いて、一輝の意図がわかった。
いくら好きでも男性同士では子どもは作れない。つまり、タカトーを継ぐ者がいなくなってしまうのだ。
(だから、一億出すから私に子どもを産んでくれと言っているのね)
一輝のほうも親を安心させるための結婚というだけでなく、切実な理由があってのプロポーズなのだと腑に落ちた。
「つまり、子どもを産む代わりに、一億くれる契約結婚ってこと?」
「……そう考えてくれてもいい」
陽葵が聞くと、正解だったようで一輝はあっさりとうなずく。
自分で言ったくせに肯定されると陽葵は落胆した。
心のどこかで、好きだからという理由を待ち望んでいたのだ。
(そんなわけないのにね……。私はただ幼なじみだから気安いだけ)
昔は一輝と仲が良かったけれど、二人きりになってもまったく色っぽい雰囲気にはならなかった。
それがすべての答えだったのだ。
自分が恋愛対象ではないと改めて思い知らされてがっかりしながらも、陽葵は彼を見つめて考えた。
しつこい世田には嫌悪感しか覚えない。それなら、愛されないとしても一輝との契約結婚のほうが何百倍もいいに決まっている。
ためらいつつ、陽葵は口を開いて問いかけた。
「……本当に私でいいの? 一輝の子どもを産みたいっていう相手なんていくらでもいると思うけど」
「陽葵がいいんだ」
なぜか一輝が前のめりに断言するから、ドキッとする。
(ちょっと言葉の選び方を考えてよ! 勘違いしちゃうじゃない)
彼にそんなつもりはないのはわかっているのに、陽葵の心臓が早鐘を打つ。
特に、陽葵がある年の誕生日プレゼントにもらった花形のブローチを喜んでから、クリスマスやホワイトデーなど、ことあるごとに贈られた。おかげで、引き出しにちょっとしたブローチコレクションができたほどだ。それを陽葵は宝物にしていた。
(ぜんぶ、うちが貧乏だからかわいそうに思って、くれてたのかな)
陽葵は泣きながら、引き出しの中からブローチを入れている箱を取り出す。
きらりと光る美しいブローチたちも、急に色褪せて見えた。
好きな人がくれたプレゼントだと無邪気に喜んでいた自分が恥ずかしかった。
「こんなもの……!」
ブローチを掴むと、じゃらりと音がした。そのまま床に投げ捨てようとしたが、それもできなくて、結局、抱きかかえるようにしてうずくまった。
泣いて泣いて、夕食も食べずに祖母に心配されながら、泣き続けた。
疲れ果てて寝てしまうまで――
そして、彼から離れる決意をする。
(一輝は悪くない。ただ優しいだけ。でも、もう、そばにいるのはつらすぎる……)
翌日は目がパンパンに腫れていたのもあって、学校を休んだ。
切ったままだったスマホの電源を入れたら、一輝から何件も連絡が来ていた。
『ごめん。体調が悪いから今日は休むね』
メッセージを送った瞬間、すぐに既読がつき、返信がくる。
『大丈夫か? 体調悪いのに何度も連絡して悪かった』
『ううん。こちらこそ返事してなくてごめんね。でも、もう送迎はいいから』
そう返すと、すぐ既読はついたものの、しばらく間が空いてから返信が来た。
『それは体調がよくなってから話そう』
話すことなんてないのにと思いながら、陽葵は『りょうかい』とスタンプを送った。
仮病だったはずなのに、本当に熱が出て、うつらうつらしながら終日ベッドで過ごす。
祖母が何度か様子を見に来てくれて、おかゆを作ってくれた。
心配をかけて申し訳ないと思いつつ、その優しい味に、またほろりと涙がこぼれた。
翌朝はすっかり熱が引いて、しぶしぶ学校へ行く準備をする。
迎えに来なくていいと言ったのに、外に出ると一輝はいつものように車で迎えに来ていた。
「おはよう。もう大丈夫なのか?」
「おはよー。すっかり元気。ありがとう。じゃあ、私は駅に行くから」
彼の顔を見るとうっかり涙が出そうになるけど、それをぐっとこらえ平静を装って、陽葵は一輝に告げた。
一輝は切れ長の目で陽葵をじっと見て聞いてくる。
「なんでだ? なにか気に障ることをしたか?」
「違うの。えっとね……、ベンツに乗るとアレルギーが出るようになっちゃったの。蕁麻疹が出て、もうかゆくって」
理由を聞かれたらどう言おうかと昨夜考えた言い訳を明るく口にした。
「そうか。大変だな」
「そうなの。だから、私は電車で行くね」
一輝は不思議そうな顔をしたが自分のせいではないとわかったからか、深くつっこまず、すんなり引き下がってくれた。その様子に陽葵はほっとした。
しかし、翌日、家の前にはフェラーリが止まっていた。
「いやいや高級車がだめだから!」
「そうか。大衆車がいいか」
「そうじゃなくて……、く、車自体だめかも! だから、これからずっと電車で行くから」
陽葵が歩きだすとなぜか一輝まで並んで歩きだす。
彼から離れたいと思っての行動なのに、これでは意味がない。
「一輝は車で行けばいいじゃない」
「たまには電車で行くのも新鮮だ」
やんわりと断ったのに、一輝はそう言ってついてくる。
結局、一緒に通学することになってしまった。
しかも、満員電車で密着して、いつもより距離が近い。
彼は腕で囲いを作り、陽葵をかばって踏ん張ってくれていた。他の乗客に押されているからか、その頬を赤らめ、なにかに耐えるような顔をして、陽葵から目を逸らす。普段以上に寡黙だったのが、助かったような、気まずかったような、複雑な気分だった。
翌日、一輝は大衆車で迎えに来た。ピカピカの新車に見える。
(まさかこのために買ったの!?)
大衆車にお仕着せの運転手がミスマッチで気の毒だった。
「だから、車がだめになったんだってば!」
「でも、あの満員電車はきついだろう? とりあえず、試しに乗ってみてくれ」
そこまでされては断れず、陽葵はしぶしぶ車に乗り込んだ。
広い高級車と違い、大衆車は彼との距離が近い。
「わ、やっぱりムリ! 私、電車で行くから、一輝は車を使って」
陽葵は逃げ出した。なのに、彼は追いかけてくる。
「医者を呼ぶか……」
駅に向かいながら大真面目にそんなことをつぶやくから、観念して陽葵は直球で伝えた。
「あのね、もう送り迎えがいらないの。今までありがとう」
「いらない……? これからずっとあんな満員電車に乗るのか?」
「あと半年だから大丈夫だよ」
「バイクならどうだ?」
「バイク乗れるの!?」
「あぁ、昨年免許取ってたまに乗ってる」
「ぜんぜん知らなかった。だけど、バイクもムリ」
彼の背中にしがみつく自分を想像してみた。
(ムリムリ。そんなことしたら心臓が壊れちゃう)
陽葵はブンブン首を横に振った。
翌日も送迎を断って、徹底的に一輝を避けた。
連絡も自分からはしない。
「最近、高遠くんと一緒にいないね」
クラスメイトが不思議そうに聞いてきた。そう言われるほどに、今まで二人は自然と一緒にいたのだ。
陽葵は敢えて明るく笑ってみせる。
「だって、ただの幼なじみだもん。今までが一緒にいすぎたのに気づいたんだ」
「あんなイケメン御曹司、捕まえとけばいいのに」
「そんなことできないよ。ちょっと最近、そばにいるのがつらくなってきて……」
「そうなんだ。まぁわかる気がする。ハイスペックすぎるのも疲れるよね」
「まぁ、ね」
本当はそんな理由ではなかった。けれど、みじめすぎて言えず、その言葉を流した。
一輝の話をするだけで涙が浮かびそうになり、早く話を切り上げたくもあったのだ。
さんざん避けた結果、一輝からも連絡が間遠くなり、とうとう途絶えた。
自分が意図したことなのに、連絡が来なくなるとさみしくて陽葵は泣いた。
それからは、実家から離れた大学に行き、一人暮らしを始めたので、このところは一輝を見かけることすらなかった。
だから、一輝に会うのは本当に久しぶりだった。
成長した彼は高校のときからさらに背が伸び、凛々しさが増していた。昔は短めに切りそろえていた髪も少し長めで毛先を遊ばせていて洗練された色気がある。それだけでなく、なにごとにも動じないような大人の余裕が感じられた。
離れて久しいというのに陽葵の目は相変わらず彼に惹きつけられてしまう。
切ない想いがよみがえり、胸が痛んだ。
なにか言いたそうにじっと見てくる彼に、無言で頭を下げ、陽葵はそそくさと家の中に入っていった。
今日は陽葵が来るからなのか、駄菓子屋は閉じていて、その横のドアから実家に入る。
「ただいまー」
「おかえりなさい。忙しいのに悪かったね」
声をかけて靴を脱いでいると、落ち着かない様子の祖母に出迎えられた。なぜかその横には母方の叔母もいる。
こんな祖母の姿は初めてで、陽葵はますます心配になった。
玄関口ではあるが、尋ねずにはいられなかった。
「どうしたの?」
「それが……とりあえず、座ってから話すわ」
口ごもった祖母の顔色は悪い。
居間に行き、腰を落ち着けると、祖母が陽葵に麦茶を出してくれた。
まだ四月だというのに今日は初夏の暑さで、じんわりと汗をかいていた陽葵はさっそく喉を潤した。カランと氷が涼しげな音を立て、馴染みのある味が口の中を冷やしてくれる。
実家に帰ってきたなと感じて、ほっと一息ついた。
「それで、なにがあったの?」
陽葵は改めて祖母に目を向け、話を促す。しかし、よっぽど気まずいのかなかなか言い出さない。
「それが、ね……」
ちらりと陽葵を見た祖母はまたすぐ視線を落として黙り込む。
たまりかねた叔母が代わりに話し始めた。
「実はね、久志が借金を作って夜逃げしちゃったの。その連帯保証人にお母さんがなっていてね、返済を求められているのよ」
「叔父さんが!? 夜逃げって……。それで借金って、いくらなんですか?」
少しだったら貯金があると考えて、恐る恐る聞いてみた陽葵の耳に、とんでもない金額が飛び込んできた。
「一億よ」
「一億!? そんなお金あるはずが……」
その途方もない金額に愕然として、陽葵は顔色を失う。
しかし、叔母はなぜかにんまりとして話を続けた。
「そうなのよね。でも、そのお金を貸してくれた会社の社長さんがいい話をくれたの」
「いい話、ですか?」
借金絡みにいい話などあるはずがないのにと思って、不審の目を向けるが、叔母は本気でそう思っているようで、半ばうれしそうに陽葵に告げた。
「なんと、あなたが息子の嫁に来てくれるなら借金をチャラにしてもいいって言ってくれたのよ」
「私が嫁に? どうして?」
予想もしていなかったことを言われて、陽葵は目を丸くする。
自分が一億円と引き換えになるとは考えもしなかったし、そもそもどうして自分なのかわからない。
その答えはあっさりと叔母から出てきた。
「どうやらあなたを見初めたそうよ。世田さんって知ってるでしょう? あなたの会社の取引相手だって話よ」
その名前を聞いて、陽葵は思わず顔をしかめた。
「もしかしてセタマートの世田さん?」
それは昨日も無茶なことを言ってきたクライアントの担当者だ。陽葵の猫っぽい美人顔がとても好みだとよく誘われていたが、まさか本気だとは思っていなかった。
たまにこういうしつこい相手はいるし、のらりくらり躱していたが、お得意さんだから無下にもできなくて困っていたのだ。そういえば、セタマート社長の三男だということをちょくちょく匂わせていた。
(こんな手を使ってくるなんて……)
もともと信頼できない人だとは感じていたが、ますます評価が下がる。
そんな陽葵の心境を知らず、叔母は言い募る。
「そりゃあ、四十歳でちょっと歳上だけど、あなたももう二十七歳だし、そんなお金持ちのところに嫁げるなんてラッキーよ。それに、さんざんお母さんに迷惑かけてきたんだから、そろそろ恩返ししてもいいんじゃない?」
「私は迷惑かけられた覚えはないよ!」
祖母が声を荒らげて反論してくれるが、陽葵は叔母の言うことももっともだと感じた。
別にお金持ちに嫁ぎたいとは思わないが、苦労して自分を育ててくれた祖母の役に立つなら、それもいいだろうと思ったのだ。
(どうせ結婚したい人なんていないし……)
そう思いつつも、先ほど会った幼なじみの顔がふいに思い浮かんで、未練がましい自分にあきれる。
(好きな人と結婚しないのであれば、誰とだって一緒だわ)
陽葵が来る前から話し合っていたらしく、祖母はあきらかに反対だと分かる渋い顔をしており、賛成派の叔母ともめていたようだ。
祖母をチラチラと気にしながら、叔母が言った。
「とりあえず、お見合いしてみない?」
「……わかりました」
ほぼ覚悟を決めた陽葵が素直にうなずいたら、祖母が慌てたように止めてくる。
「陽葵、無理しなくていいんだよ? いざとなればここを売ったら――」
「そんなのだめよ! とりあえず、会ってみる。どうしてもだめだったらちゃんと断るから」
「本当かい? すまないね、久志のせいで……」
急に老け込んで小さくなったような祖母を見て切なくなり、陽葵は明るくなだめるように言った。
「大丈夫よ、おばあちゃん。なんとかなるわ!」
「そうよ。これでうまく収まるわ、お母さん。それじゃあ、世田さんに伝えておくわね」
叔母は喜び勇んでお見合いをセッティングし、翌週の土曜日に行われることが早々と決まった。
(よりによって世田さんと結婚することになるなんて……)
陽葵は暗い気持ちになったが、祖母に恩返しをするためならと腹をくくった。
お見合いの日、陽葵は実家で叔母に無理やり振袖を着せられた。叔母は上機嫌でせっせと陽葵の用意を手伝ってくれる。よほどこの縁を結びたいらしい。
「綺麗ね。やっぱり陽葵はこの色が似合うわ」
陽葵を見て祖母が言う。エメラルドグリーンの地の華やかな振袖は母のもので、色白ではっきりした顔立ちの陽葵をより引き立たせていた。
帯留めは、一輝からもらったペリドットのブローチだ。
ペリドットの石言葉は『希望』。困難な状況でも希望を持ち続け、前向きに進む力を与えてくれると言われている。陽葵はそれをなでて、勇気をもらった。
祖母は彼女を褒めながらも、ずっと顔を曇らせている。だから陽葵は意識的に明るく言った。
「ありがとう。お母さんの振袖、素敵よね。こんな機会でもないと着ないからうれしい」
「それもそうね。懐かしいわ」
「本当に綺麗ね。これでお見合いもうまくいくはずよ」
陽葵の言葉にせっかく祖母が気を取り直して眉を開いたのに、叔母がよけいなことを言うから、また祖母の表情が翳ってしまった。
(叔母さんったら、ちょっとは空気を読んでよ!)
叔母は悪い人ではないのだが、思い込みが激しくてマイペースなのだ。
「それじゃあ、行ってきます」
そう声をかけて一人で実家の玄関から出る。
略式にするため、会うのは本人たちだけなのだ。
ドアを閉め、振り向くと、目の前に一輝がいた。
休日の昼間だというのに仕事なのか、濃紺の三つ揃えスーツを着ている。
「っ!」
スーツ姿の彼は有能そうで、洗練された美しさがあり、見惚れるぐらいかっこいい。
(なにもこんな日に会わなくていいのに)
家が隣同士なので会ってしまうのは仕方がないものの、嫌な予定がますます憂鬱になった。
一輝を見るだけで、まだ切なさに胸がじくじくと痛むのだ。
「ひ、久しぶり」
「どこに行くんだ?」
さすがに無視するわけにもいかず、陽葵は挨拶をしたが、それに応えることもなく一輝はいきなり聞いてきた。無愛想がデフォルトな彼だが、それにしてもずいぶんこわばった顔をしている。
見合いとは言いたくなくて、言葉を濁して返す。
「ちょっと大人の事情で食事会に」
「見合いなんだろ? 母から聞いた」
「なんだ、知ってたなら聞かないでよ」
尋ねてきたわりに知っていたようで、一輝がそう言うから、陽葵はムッとした。
「あら、一輝くん」
二人がそんなやり取りをしていると、声が聞こえたのか祖母も出てきた。
「こんにちは。どうして陽葵はお見合いなんてすることになったのですか?」
「ちょっと、一輝!」
彼がいきなりデリケートなことを聞いてくるので、驚いた陽葵は慌ててたしなめようとする。
案の定、祖母は暗い顔になってしまった。
「それは私が悪いのよ……」
「おばあちゃんは悪くないわ!」
「でも、あなたが犠牲になるのは――」
「どういうことですか? なにがあったのか教えてもらえませんか?」
祖母をなぐさめようとしていたのに、一輝が割り込んでくる。有無を言わさないとばかりの圧を感じた。祖母はそれに頼もしさを感じたのか、胸のつかえを吐き出すように事情を語ってしまう。
「借金の形に陽葵が結婚しないといけないの……」
「え、借金の形ですか?」
「そうなのよ。息子の久志がね――」
陽葵が止める間もなく祖母は一部始終を語り始めた。
真摯な表情をした一輝は巧みな相槌で、状況をうまく聞き出していく。
「一億か……」
考え込むように顎に拳を当てた一輝はつぶやいた。
家庭の事情を赤裸々にされて恥ずかしくなった陽葵は話を打ち切るように言う。
「あっ、もう遅れそうだから、私、行くね!」
一輝が考えたってどうしようもない問題なのだ。
気まずい雰囲気にいたたまれなくなって陽葵は歩きだす。
「いってらっしゃい。本当に無理しないで」
「大丈夫よ」
祖母はそう言ってくれるが、陽葵は心に決めていた。
借金返済の代わりに結婚しようと。
それなのに、なぜか一輝も一緒についてくる。
「一輝も駅に行くの?」
車を使えばいいのにと思いながら聞くと、質問とは違う答えが返ってきた。
「一億なら、俺が払ってやる」
「はぁ? なに言ってるの!? 私たちはただの幼なじみじゃない。そんなことをしてもらう義理はないわ!」
カッとなって陽葵は叫んだ。
また同情されていると思い、腹が立って仕方なかったのだ。
しかし、一輝は冷静な声で諭すように言ってくる。
「解消する手立てがあるというのに、幼なじみが嫌な男と結婚して生涯を棒に振るのを見ていられない」
「嫌な男とは限らないじゃない」
「こんなことを言いだすやつは碌な男じゃないし、君の態度を見ていたらわかる」
正論を吐かれてグッと詰まるも、陽葵は首を横に振る。
「それでも、幼なじみというだけで、そんなことをしてもらうわけにはいかないわ」
「じゃあ、家族になればいいか? 結婚してくれ」
「……っ」
突然のプロポーズに陽葵の息が止まった。
(一輝と結婚!?)
迷惑な男から好きでたまらなかった男に相手が変わると思うと反射的に喜んでしまったが、すぐにそうじゃないと思い直す。
幼なじみを救うために結婚するなんて発想はどう考えてもおかしい。
「ど、どうして? なに言ってるのよ!」
そこまで憐れまれているのかと思うと反発心に火がついて、陽葵はつっかかるように言ってしまう。
しかし、一輝はそれを気にする様子もなく、さらりと答えた。一生のことだというのに。
「……親が早く結婚しろとうるさいんだ。だから、ちょうどいい」
一応、彼なりの理由があるようで、陽葵は昂った感情を落ち着けたが、それでも完全に納得はできなくて疑わしそうに尋ねる。
「そうだとしても、一輝なら引く手あまたでしょ?」
「だけど、誰にも心が動かないんだ。それだったら洸人たちとつるんでるほうがよっぽどいい」
「誰にも? 女性に興味ないってこと?」
「あぁ。親しくなりたいと思う相手はいなかった。陽葵だけなんだ。一緒にいて楽しいと思えるのは」
思いがけない回答に、陽葵は目を瞬いた。
唯一と言われるのはうれしいが、それ以上にある疑いが浮かんだからだ。
昔から一輝のそばにいるのは男性だけだったことを思い出す。特に名前の出た洸人は山科洸人という高校時代からの彼の親友で、いつも一緒にいるから妙な噂を立てられるほどだった。
――高遠くんと山科くんってセットで目の保養よね。
――本当。萌えるわ~。
――萌える? ちょっとなに妄想してるのよ!
――だって、山科くんはともかく高遠くんってほとんど女子としゃべらないでしょ? あんなにモテるのに彼女を作らないし。あやしいと思って。
――キャー。でも、あの二人なら許せる~!
当時は同級生を中心にひそかにそんなことをささやかれていた。
(あの噂って本当のことだったの? もしかして一輝って男性しか愛せない人だったりする?)
噂を笑い話としか思っていなかったが、それが真実だとしたら辻褄が合う。
どうりで陽葵以外の女の子には冷たかったはずだ。そして、こんな優良物件なのに、独身というのもそのせいかと納得した。
彼の両親は彼に女っ気がないのを心配して、結婚を急かしているのかもしれない。
それでも、陽葵にはまだためらいがあった。
どう考えても一輝が一億円を出す理由はないと思ったのだ。
同意しない陽葵を見て、一輝が焦れたように言う。
「君に俺の子どもを産んでほしい」
切羽詰まった声に驚いて、彼を見上げると、やけに熱い瞳とぶつかった。
「子ども?」
それを聞いて、一輝の意図がわかった。
いくら好きでも男性同士では子どもは作れない。つまり、タカトーを継ぐ者がいなくなってしまうのだ。
(だから、一億出すから私に子どもを産んでくれと言っているのね)
一輝のほうも親を安心させるための結婚というだけでなく、切実な理由があってのプロポーズなのだと腑に落ちた。
「つまり、子どもを産む代わりに、一億くれる契約結婚ってこと?」
「……そう考えてくれてもいい」
陽葵が聞くと、正解だったようで一輝はあっさりとうなずく。
自分で言ったくせに肯定されると陽葵は落胆した。
心のどこかで、好きだからという理由を待ち望んでいたのだ。
(そんなわけないのにね……。私はただ幼なじみだから気安いだけ)
昔は一輝と仲が良かったけれど、二人きりになってもまったく色っぽい雰囲気にはならなかった。
それがすべての答えだったのだ。
自分が恋愛対象ではないと改めて思い知らされてがっかりしながらも、陽葵は彼を見つめて考えた。
しつこい世田には嫌悪感しか覚えない。それなら、愛されないとしても一輝との契約結婚のほうが何百倍もいいに決まっている。
ためらいつつ、陽葵は口を開いて問いかけた。
「……本当に私でいいの? 一輝の子どもを産みたいっていう相手なんていくらでもいると思うけど」
「陽葵がいいんだ」
なぜか一輝が前のめりに断言するから、ドキッとする。
(ちょっと言葉の選び方を考えてよ! 勘違いしちゃうじゃない)
彼にそんなつもりはないのはわかっているのに、陽葵の心臓が早鐘を打つ。
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