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15 手鏡と手がかり

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 依頼人はがりがりに痩せていたが、よく見るとまだ若かった。大学生だと言った。

「オカルト……の、ユーチューブチャンネルをやってて……」

 ちょっとした肝試しの延長で始めた。少しずつ人気が出てきて、チャンネル登録者も数百名になった。色々なリクエストも入り出した。それで、要望の多かった「くねくね」というのを調べることにした。
 東北での目撃証言の多い、正体不明の、白く踊る何か。出ると噂のあった集落に行ってあれこれ尋ねたり、野宿をして張り込んだ。

 3日ほど経ったある日、男は諦め加減で水田を眺めていた。遠くのあぜに誰かが歩いているのが見えた。真っ白な服。宇宙服みたいだ。

 なんだあれ。

 除染作業のニュースが頭に浮かんだ。作業員が着ていた服にそっくりだった。頭、顔まですっぽりと覆われた、着膨れする服。農薬でも撒くのかな?

 あんな装備で撒くような農薬を被ったらたまらない。男は風向きを確かめるため、テントの外に這い出した。そしてその白い服の人を振り返った。

 遠くの畔にいたはずのその白い人が、手前の田んぼの向こうにいた。

 こっちに近づいて来ている。思ったより早く。より近くで見ると、作業服のような凹凸がほとんどないのがわかった。着ぐるみ? こんなところで。何かの練習?

 その時、さっきまでうるさいくらいだったカエルの声が、少しもしないことに気がついた。ぞっとした。でも、男は迷った。とんでもない怪異じゃないか? 録画するか? 逃げるか? もしこれが、くねくねなら、とんでもない再生数になるんじゃないか……。
 テントの中に目をやり、ゴープロに手を伸ばした。振り向いて白いものの位置を確認しようとした。

 テントの入り口いっぱいに、白い顔がへばりついていた。

「うわああああああああ」



 それから、記憶がない。気がつくとテントの中で大の字に寝ていた。ゴープロを見てみたが、電源が入らない。強烈な吐き気がした。手ぶらで帰ることになるが、もうどうでもよかった。ほうほうのていでテントを畳み、家に帰った。

「家に帰ってからも、それからおかしくて。配信してると、視聴者から、もう一人いるよね、とか。人影が映ってるよ、とか」

 食欲もなくなった。何を見ても吐き気がする。眠ると誰かが耳元で何かを呟く。やばいと思った。

「で、お祓い終わったんだ? たしかに、すっきりしたな」
「鏡に入って頂いています」
「で、どうすんの? これ」

 男は目の前に置かれた手鏡を指さした。

「お祀りしてください」
「そんなんできないよ? え? ここで引き取ってくれるんじゃないの?」
「神様なので、ここではお祀りできないです」
「神社なんだろ?」
「ここにはここの神様がもう居られるので、別な神様をお預かりすることはできないんです」
「うるせえ! チビ!」

 男はすっくと立ち上がった。

「そんなもん、絶対持って帰らねえからな!」

 言うなり、男は社を飛び出て雨の外に走り出した。

「ちょっと!」

 イチカが慌てて追おうとしたが、男はもう車に乗り込んでエンジンをかけたところだった。

「あーあ。どうしよう」

 鏡を振り向く。うちでは祀れない。こんな得体の知れない神様を、白羽様のお社に入れておくなんてできない。スズシロがどこにあったのか、錦の小袋にその鏡をしまった。

『大丈夫だ』
「え、でも。何? 袋に入れとけばいいの?」
『いや。見てみろ』

 白い鼻先が鳥居を指す。すると黒い車が通りかかった。見覚えのある車だ。

「あれ?」

 少しスピードをゆるめ、また通り過ぎていく。10分ほどの間にそれを何度も繰り返す。

『そろそろ観念するはずだ』

 車はついに鳥居の横に止まり、項垂れた男が出てきた。

『渡してくることだな。この袋をつけてやれ。何もしなくても当分は出てこないだろう。出て来てからのことは知らん。自分で何とかすることだ。言ってやれ』
「もし、お祀りするなら?」
『できれば、神棚に上げて毎日挨拶し、水を取り替える。今はまがかみだが、鎮まれば招福してくれるかも知れない。まあ、あの男には無理そうだがな』

 鳥居に手を合わせて念仏を唱えている男に、雨の中近づく。男は傘を差し掛けたイチカを見て「ひい」と軽く叫んだ。

「あんた、あんたは人間なんだろうな? おい、出られないんだよ。どんなに進んでもここに戻って来ちまうんだ」
「これを受け取って頂ければ、帰れます。神棚に上げて、毎朝お参りし、お水をあげてください」
「ホントだな?」

 男は袋を受け取り、憮然と車に乗り込んで、そのまま雨の中に消えて行った。


『あれが、神様憑き』

 スズシロがいつの間にか隣にいて、その車を見送った。神社に向かって並んで歩き出す。スズシロは土砂降りの中でも不思議と濡れない。

「あんな怖いのも神様なんだ」
『お前も初めに白羽様に怯えておったろうが』
「白羽様は何もしないじゃん。あの神様、憑きっぱなしだとあの人、死んじゃうんじゃないの?」
『また無礼なことを言うな。白羽様は何もしていないんじゃない、この一帯にかかる全てのことをなさっているのでお忙しいのだ。まあ、あの神が暇なのはその通りだが』
「鏡に、閉じ込めたの? 俺」
『閉じ込めたのとは少し違う。もともとあの男の体が依代よりしろだったが、鏡を依代にすることにした、ということだ。鏡はよかった。入りやすい』
「よりしろ」
『よりしろ、というのは、神界のものが人界に入らねばならない時に、姿を借りるもののこと。言っただろう、我々が人に見えるように姿を作るのはとても大変だと。もともと人の目に映っているものの中に入ることで、姿を作らなくても人の目に見えるようになる』
「じゃあもしかして、白羽様は御神体が依代ってこと?」
『そう』
「スズシロは?」
『私にも御神体があるだろうが。掃除する時見ているだろう?』
「あの石ころ?」
『黙れ』
「あの人は俺と同じで神様が見える人なの?」
『違う。もともと何も見えないタイプだな。自分で神界に飛び込もう、神界のものを見ようとしていたのなら、人に興味のある神界のものたちは面白がって注目してしまう。あれは、「神が俯いた」のだ。簡単に言うと』
「神様があの人に顔を見せてあげたってこと?」
『そう。それで繋がって、依代にされてしまった』
「これからあの人はどうなるの?」
『まあ、あの神が機嫌のいいうちはおとなしいんじゃないか。いろんなものを招くかも知れんが、あの男にしてみれば、依代になっている時より少なくとも体調はいいはずだ。機嫌が悪くなったら……』
「悪くなったら?」
『周囲を巻き込んで障りがあるだろう。仕方がない。身から出た錆というやつだ。おそらくその時は、もうこの神社との縁もない』
「……」

 家に入ると、サハラが青い顔で待っていた。

「大丈夫?」
「大丈夫。終わったよ」
「何が憑いてたの? あの車、何回も何回も来てなかった?」

 彼女は窓から見ていたらしい。一通り説明する。彼が神様憑きだったこと。鏡に入れた神様を受け取りたがらなかったから、この神社の神様が足止めしたこと。

「私には見えなかった……」
「言っただろ、俺に見えるのとサハラにしか見えないのがあるって」

 それにしても、まあ運が良かった。あれで鏡に入ってくれなかったら何もできなかった。

 着替えて居間に腰を下ろすと、スズシロも座布団に座って油揚げを待った。サハラはスーツを脱いで、台所できつねうどんを作り始めた。

「姉ちゃんも、あんなのを祓おうとして、失敗したってこと?」
『そうだ』
「うまく、別な依代に入れられなかったとか?」
『お前、スイのお祓いを全く覚えていないのか』
「え?」
『まあ、お前はスイと見ているものが違うからな。相対したのが今のお前だったら、うまく収まっていたかもな』
「………」
「何か言った?」

 サハラがきつねうどんを二つと、油揚げを一皿持って来た。自然な動作でイチカの前にきつねうどん、その隣に油揚げを置く。
 イチカがスズシロのためにそうしていたら、何か言う前にサハラもそうしてくれるようになった。

「いや、何でもない。ありがとう」

 姉ちゃんのお祓い……。

 だしの効いたきつねうどんを食べながら、イチカはスイのことを考えていた。彼女はいつも出かけていた。
 そう、スイは、家でお祓いはしていなかった。だからかえってイチカにはスイのイメージが、家から出るときの巫女の格好をした後ろ姿しかない。じいちゃんは? どうしていたんだっけ……。

 じいちゃんは……、一緒に姉を見送っていた。誰かが姉のことを車で迎えに来て……。

 ──さあ、スイちゃん、行きましょうね。
 ──はぁい! じゃ、行ってくるね、イッチ。

 ──ねえ、じいちゃん、あの、ねーちゃんのことを連れてく人、誰?

 ──スイの、お母さんだよ。

 ──じゃ、俺の母ちゃん?

 ──イチカのお母さんではないんだ……。

「今日、おいしくない? ちょっと味薄かったかな」
「あっ! いや、おいしいよ。ごめん、考え事してて」

 深く考えたことがなかった。イチカは思い出した。スイと自分は、母親が違ったんだ。姉ちゃんは、月に何回か、スーツを着た綺麗な女の人が迎えに来て、お祓いに出かけて行った。そうそう。テレビカメラが入ったこともあったはずだ……。

 テレビ台の中に突っ込まれたゲームパッケージの中を漁る。あの時、できたVTRを渡されていた。祖父は一度も見なかったけど、捨てるとも思えない。

「イチくん?」
「ちょっと、姉のことで思い出したことがあって……」

 埃を被ったDVDケースの中に、簡易なCDケースに入ったディスクがあった。「突撃!あなたの隣の怪異 特別編」と油性ペンで書き殴ってある。これだ。





 


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