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8章 神と巫女

不文律

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 妹のためという一つの感情を種火とし、燃え上がる。空となった心が影で埋め尽くされ、奔流は留まることなく足元から溢れ出した。

 力の矛先は二つ。

 ゼロとイチの繭と化したケイオス。

 そして、俺自身。

 幾万の腕がケイオスへと伸びる。地獄の亡者が這い寄り出で立ようであった。

 その一方で我が身を埋め尽くすように、締め付けるように、撫で回すように、覆い尽くしていく。

 覆われ尽くされた後、どうなろうと知ったことではない。

 魂をくれてやる。

 だが俺を喰らいたいならば奴を喰らえ。

 これは悪魔との契約ではない。魂を対価に利益を得るなんて生易しい取り引きではない。

 ならばなんなのか。

 悪ノリだ。

 命を懸けた疎遠だった昔馴染みとの熱狂。

 野郎絶対にぶっ殺すの精神。

 ――拳を握る。

 今から一緒に殴りに行こうか。

 覆い尽くされた。

 影の底。

 光のない世界なのに外の様子が手に取るようにわかる。

 影で形取られた幾万の腕が繭を殴りつける。

 殴られたノイズは黒い液に変わり崩れ落ちる。

 壊死。

 触れたものみな傷付けるとか、切れたナイフなんて古典めいた呼び方をされた頃もあった。

 随分とヌルい表現だったようだ。

 一つ一つの腕がノイズを剥がしていく。

 幾万のそれが重なり、瞬く間に中身が現れた。

 無機質な体躯ではなく子供の体躯。されど何度か目にした小生意気なそれではない。全身がゼロとイチの羅列でできていた。立体的なモザイクアート。人によっては掲示板文化で流行ったアスキーアートとでも言うのかもしれない。

 生まれ変わった後か、はたまたその最中か。

 ケイオスの目は瞑ったまま。

 影たちはケイオスへと腕を振る。

 だがその腕は空を切った。

 ケイオスはその場から動いていない。

 間違いなく腕はケイオスを捉えた。

 そのはずだった。

 二度三度続けて拳を叩き付ける。

 しかし、いずれも同じ結果に終わる。

 腕は確実にケイオスの座標を捉えていた。

 だがケイオスの身体に触れることができていなかった。

「今時の子は変身してる最中は手を出すなって不文律も知らないのか」

 ケイオスの声がした。

 奴が目覚めた。

「知ってたところで関係ないか。僕は魔王で敵側だ。邪魔者は潰すだけのお前らに説いたところで無意味だな」
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