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第『2』話

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 ある日の夕暮れ時であった。
慶次は仕事を終えて後は退社時間を待つばかりであった…ふとデスクに置かれた新聞に目が止まりトップニュースだけでもと目を通していた。
そこで気になる記事を見つけた。

「隕石が接近していたのか…下手したら地球滅亡じゃねえかよ……何処の世界も上に立つものは大事な事は直ぐに秘密にしやがる…しかしこんな奇跡が起きるなんて…まだ神も捨てたもんじゃねえななぁ……そうは思わんかね?かなちゃんや……」
「え?あぁ…うんそうだね!びっくりだったよ……」
「………そうか…上に立つと言えばあの国の大統領は脳梗塞で緊急入院したらしいな…今夜手術みたいだぜ?」
「へえ……そう…なんだ」

 いつものような能天気さが感じられない返事だった。
何やら唸りながらPCに向って作業していた。

「…お前が…仕事をしている…だと?」
「む…私だってちゃんと仕事してるもん!」

 眉間に皺が寄っていた……マジで詰まっているらしいな…
こんな時はそっとしておいてやるか…

「そうか 頑張れよ…僕は定時だからもうあがるわ…」
「………帰るんだ……」
「…おう…じゃあまた明日な」
「……ホントに帰っちゃうんだ」
「……何が……言いたい」

 思い返せば俺は朝から来週使うプレゼンの資料と格闘し、ゆみちゃ……田中課長にOKを貰った……
任務完了だ…今日の僕は誇っても良いくらいの仕事をしたと思うんだ。
 その隣で…こいつ何してたっけ……

『アビちゃん…縦の6番がわかんないよ!』
『お前…俺今仕事してんだろうが!』
『もう!…人が困ってるのに……』

 その手には『月間クロスワード』が握られて……
え?僕が悪いの?
いやいや…僕悪くないな!

「まぁ…何だ…頑張れよ!」

 そう言って席を立つが今にも泣きそうな顔でこちらを見てくる……
他に優秀な同期の知り合いがいる筈なのに何故俺を頼る……

「…何だよ…何詰まってんだよ。」
「アビちゃん……見積書が間に合わないよ……」
「な…なんだと!?」

アドバイスでもしてやろうかと気軽に声をかけたらとんでもない答えが帰って来たな…

「三日前にやってると言ってたじゃないか!」
「うん…でも明日やろうと思ってたら……そのまま今日になっちゃった」
「これだからゆとりは!」
「……アビちゃんだってゆとり世代じゃんか!」

 普段なら笑って自宅に直帰する事を選択しただろうが…これは笑えない!!
何故ならこいつの見積書は来週のプレゼンに必要不可欠であるからだ。

「直ぐにメールで送れ!お前はそっちのページをやってろ!」
「え……あ…うんわかった!」

いつもなら何かしろと言えば文句を言う癖に…何故こういう時だけは素直なのか……

先程電源を落としたばかりのPCを再び立ち上げる………
送られてきたメールを開き、内容を確認する……ほぼ白紙じゃねえかよ……

「……なんで5社分あるんだ?お前の担当は2社の筈だろう?」
「えっと…まみちゃんが風邪で休みだったから…それも引き受けたの」
「…ほう……偉いなお前は!自分の仕事も片付けられない癖に人の仕事まで背負込むとか…」
「はう…今日のアビちゃんは優しくないよぅ…」
「ほぼ無関係の僕を巻き込むお前のほうが優しくないけどな!!」

 そう言いながら手を貸す自分がなんとも甘い奴だと内心毒づいていた。

(ラプラス)
(んにゃ!?)
 
 彼は自分のデスクトップに向かい『念話(マインドトーク)』で語りかけた。
それは彼のデスクトップの端に丸まっていた32ドットで描かれた猫のような生き物……数式の悪魔『ラプラス』であった。

(仕事だ…)

 彼の言葉に反応し丸まっていた猫が立ち上がり首を回し大きく伸びをした……何処か懐かしさを感じた。
(ご主人様…今日の就業時刻は終わってるのにゃ)
(……それは僕の話でお前は関係ない)
(にゃんですと?)

 画面の中の猫の尻尾が大きく膨れ上がった………ピコーンと効果音も鳴った。

(御主人様ちゃんと雇用契約を結びましょうにゃ!)
(なん…だと?)

 使い魔のくせに労働法をかじってやがる……毎日少しの魔力を譲渡する代わりに難しい演算処理やプログラムの構築をさせている……本人も難しい数式を構築するのが楽しくて報酬は要らないとか言ってたのに……
普段ネット内部の電脳世界に滞在しているだけあって恐ろしい速さでこの世界の常識を吸収している……

(よかろう内容を提示してみろ……)
(流石はご主人様なのにゃ! 勤務時間はご主人様と同じが良いのにゃ!時間外での労働は追加報酬がほしいのにゃん!)
(因みに希望する追加報酬とは何だ?)
(欲しいゲームがあるのにゃん!それを買ってきてインストールして欲しいのにゃん!)
(……いいだろう……物で釣られるのなら…ちょろいな…おまえ)
(やったーガンバルにゃん!)
 
 しかし問題はある…本来もうすぐ帰宅する筈の慶次が本日は残業申請等していないのだ……無許可の残業は認めない……今時なんてピュアな会社なのだろうと関心する反面、この件は確実に課長である由美ちゃんに関わってくるな……
 そこに突如社内メールが届いた……このタイミングで?……差出人を確認する……
差出人は課長だった

 恐る恐る顔を上げて課長の方を見てみると、どこぞの司令官のように両肘をつきその鋭いまなざしは目の前のパソコン睨み付けていた。
視線を画面に戻しメールを開く……そこには簡潔に、しかし判り易くこう書かれていた。

『提出待っています』

 おそるおそる課長を窺う……その眼鏡は眩い光を放ちその瞳は窺えなかった。

(でもサービス残業とか…逆に迷惑を…)

 そんな考えの中 再び社内メールが届いた……課長だった。
本文は無いが添付ファイルがあった……予感めいたものを感じつつ添付を開くと……
申請した覚えの無い電子残業申請が課長の許可印付きで返信されていた。

(…何故?…え?何これ?魔法?課長…魔法使いなの?)

 どちらにせよ上司の許可でちゃったよ……俺がやんなきゃなんないのか……
やり切れない理不尽さを感じながらもキーボードを叩く

 目標の数値を入力すると後はラプラスが最適な数値を弾き出す。
元々の担当であるまみちゃんこと伊藤真由美女史は途中まで仕上げていたので後は簡単だ。

(…問題はこいつか…)

 隣で唸っているゆとり女子を見やると机の上に指先で小さく魔方陣を描いた。

『時間停止(タイムストップ)』

その瞬間世界中の時間が停止した………5分だけ。
全盛期の頃なら2.3週間止められたのにな……

「今のうちに作業を終えておくか…ラプラス……おーいラプラス?……ラプラスさん?」

どうやら電脳世界も時間が停止しているらしい。

「畜生!この世界嫌いだ!嫌いだ!いつか破壊してやる!!」

 自分に思考加速と演算能力上昇の魔法かけるとキーボードをひったくり数値を入力した。
それを素早くメールで送信状態にして時間が動き出せばこちらにメールとして送られるだろう。

全ての準備が終わったところで5分が経過し、手元に届いたメールを開く。

「なんだよお前ちゃんとやってるじゃないか」
「えっ?」
「一緒に添付してきてるぜ?ほら」
「えっ?えっ?」
「何だ…やればできるじゃないか!じゃあ課長に送っておくからな」
「えっ?えっ?うん……」

早く家に帰りたいのでかなちゃんには考える隙を与えない……
素早くメールを課長に送り届ける。

チラリと課長に目配せするとメガネの奥で
『よくやった』
と褒めてくれたような気がした。
それと同時に社内メールが届いた……
課長からのお褒めのメールかな?

本文は無く添付が一件だけあった。

 先ほど同様予感めいたものを感じつつ添付を開く。
先ほどの残業申請の取り消し申請だった……課長の承認済みの……時間が停止した世界ではこれ作成した覚えは無かったんだが……
おそるおそる課長を見ると彼女の眼は『早く帰れ』と言っていた……はい、帰ります。

「よかったな!次からはちゃんとやっとけよ!また明日な」
「……待って」

彼女の横を通り抜けようとして服の裾を掴まれた。

「ごめんね…ありがと……何かお礼するから」

 別にどうでもよかったのだがここで恩でも売っておけば今度困った時に助けてもらえるかな…こいつ人脈結構あるし。

 そんな意味合いを込めて『期待せずに待ってるよ』と軽く言っておいた……本当に軽い気持だったのに………





(ご主人様…報酬を忘れてないですか?)
(…て…お前何かしたのかよ?)

帰りの電車の中でラプラスが話しかけてきた…基本こいつらは俺の使い魔に当たるので念話で常に会話が可能だ。

(お前一緒に時間停止してたよな?な?)
(あれはご主人が悪いのにゃ…魔法効果解除指定に私をいれててくれなかったのにゃ!)
(お前がPCに入ってたのが悪いんだろうが…今の僕は物体の中の人物まで指定できないんだよ!)
(……でもご主人の計算式まちがってたにゃ)
(…え?)
(だから送信する瞬間に手直ししたにゃ!だからご褒美にゃ!)

言われた箇所の記憶をさかのぼる……指摘どおりに間違っていた。

(…仕方ない…良いだろうどうせ帰り道だからな)
(やったのにゃ!ご主人の為に中古で良いのにゃ!!もうネットで調べて予約したあるのにゃ!)
(……仕方ないな……)

 前世ではラプラスは猫耳獣人だった…森で拾ったのだが実験中に数式を覚えていつの間にか俺を凌ぐ演算能力を身に付けていたのだ。
この世界ではその姿を頻繁に晒す事は出来ないが あのピコピコと動く猫耳と尻尾を思い出し懐かしい気持になった。
思えば前世では戦いに明け暮れていて十分に構ってやる事も無く、褒美なんてやった事も無かった。
こんなに喜んでくれるならもっと早くに何か褒美をやれば良かったと思うのだった。












と……思っていた時期もありました。

(ラプラス!てめえ!何だこれは!!)
(ご褒美の中古のゲームだにゃ!2980円ならお買い得だにゃ!)
(…そうじゃなくて……)

「お待たせしました…我孫子慶次様ですね?こちらの商品で間違いないですね?」
「………」

ショップの親父の手の中の商品を見て俺は硬直した。

「いや~なかなかマニアックですね~私もこのメーカーの奴は好きなんですが…内容がハードすぎてなかなか万人受けしないですからね~しかしこの『スペシャルパック』に目をつけるとは…これ内容が凄すぎてユーザーがドン引きでねシリーズ1から3までとファンディスクがついてるやつなんですよ!」

 そう言って親父はカウンターに中身を並べ始める。

『お兄ちゃんと妹の○○○』
『もっとお兄ちゃんと妹の○○○』
『さらにお兄ちゃんと妹の○○○~そして伝説へ~』

(るああああぷうらあああすうううううう!!!なんでエロゲなんじゃあ!!!!)
(ご主人にはこの世界では妹君がおられるにゃ……どのように接して居られるのか勉強をしようと思ったのにゃ!!)
(普通です!僕は普通に接してます!!伝説になんかならないですよ?こんな事してたら伝説どころか警察来ちゃいますから!!)
(うそにゃ!ご主人が女性とひとつ屋根の下で暮らしていて何もしない筈がないのにゃ!)
(この世界では違うんだよおおおおおおおおおおお!!)

カウンターでは親父のエロゲ武勇伝が続き脳内ではラプラスの黄色い声が響いていた。

もうアレだ…爆裂魔法でも唱えてこの周囲一帯を焦土にするしかない……いや…焦土は不味いな…この近くに取引先もあるし…魔獣召喚も…駄目だ駄目だ!!この世界に魔獣なんか呼んだらそれこそ明日の新聞一面トップだよ!!
……よし…雷撃だ……このビルに雷を落として停電にしてこの親父の記憶を消去しよう……ラプラスは…帰ったらお仕置きだ…うんそうしよう。

熱弁を振るう親父の前で魔力を練る……目標はこのビルの屋上にある避雷針……そこから少し右に曲げて配電盤を直撃させれば停電だ……この親父には『服従(サーバント)』の魔法で俺の名前と記憶を忘れさせて速攻で帰宅だ…よし!完璧だ!!

幸運な事に店内にはほかに客が居なかった…親父の熱い語らいも終わりを告げた……

「じゃあお客さんお会計……」
「天竜召喚轟雷竜(サモン・サンダードラゴン)』!!」

 










「一体どうした!!電気が供給されていないぞ!?」
「それが…落雷の影響で…発電所にトラブルが……」
「自家発電機はどうした?」
「それが…一台が…先ほどの落雷で」

 Drクレイブはこの状況に絶望した……いくら自分が名医と呼ばれていても医療機器が十分に使えない状況でこの手術を成功させるのは非常に困難だった。

「患者(クランケ)の容態は?!」
「今のとこの安定していますが……やや血圧が低下していま…ああ…モニターもダウンしました!」

最近の医療機器の進歩は目を見張るものがある…かつては難病とされた病気も早期発見・治療が行えるのだ。
不可能といわれた手術もこの最先端の医療機器のお陰とも言えるのだ。
その困難な手術を順調に行い最後に患部を切除し縫合すればこの手術は成功だった。

発電機も壊れ看護婦の持つペンライトだけが頼りだった。
高層ビルの屋上付近にあるこの手術室から周囲を見ても町全体が停電している事は明らかだった。
激しく降る雨が月明かりさえ期待できない事を告げていた。

「…せめて明かりさえあれば……ああ神よ!」

 その時激しい轟音がビルを襲った。
天を駆け巡る雷…まるで生き物の様に空を動き回りその顎(あぎと)で襲い掛からんとばかりに地上目掛けて急降下したのだった。
その数は4つ
この手術室のあるビルを囲む様に周囲の4つのビルの屋上に落雷したのだった。

「おおおお!見える!明かりだ!!」

  Drクレイブは歓喜した 4つの雷は天からの柱のように地面に伸びて周囲を真昼の様に照らしていた。

「今のうちにオペを続行する!君は酸素を繰り続けろ!トーマス!患者(クランケ)の呼吸に注意してろ!」

Drクレイブは己の指先に全てを集中させた……この命を救うのだ!!











「…え?何だって?」
「………いえ…何でも無いです…」

 訝しげな親父の言葉に慶次は項垂れ懐からカードを取り出した。

「…翌月払いで……袋は三重に梱包してください」
「…ああ…スタンプカード…作るか?」
「……はい……」

 親父から商品を受け取った慶次はそのまま帰宅する。

「まいどあり…兄ちゃん…あんまりゲームばかりやりすぎるなよ?」

 親父のやさしい言葉が胸にしみた。




(ラプラス…今後はこういった類のゲームは禁止だ)
(え~にゃんでですか!お兄ちゃんなんですよ?妹と○○○にゃんですよ!?)
(だからだよ!俺はおにいちゃんだよ!妹とは○○○なんてしないんだよ!)

 こんなもの僕のマイエンジェルに見つかってみろ!気まずいじゃねえか!家族で団欒中にドラマで濡れ場になるよりも気まずいよ!

(……ご主人がそう言うなら…わかったにゃ…そのゲームも返品していいにゃ)
(……折角買ったんだ……一度くらい遊んでからにしろ……)
(え?いいのかにゃ?わーいご主人大好きにゃ!)
(…だから今度貸せよな)
(了解だにゃ!)

家路へと急ぐ慶次の上では巨大な街頭モニターがニュース速報を流していた。

『…共和国の大統領の緊急手術が終わり無事に成功したとの速報です』
『今あそこの都市は記録的な嵐で停電したとも言われ非常に心配されていましたが…』
『ではこの手術を担当したクレイブ医師のコメントです』

カメラのフラッシュに興奮した様子で語るDrクレイブのコメントに記者たちの質問は集中した。

後に彼のコメントで非常に興味深い一説が有名になった。

『私は幸運だった…大統領も幸運だった…何故なら彼は天に生きる事を許され…私は彼を救う事を許された…そのために神は4匹の竜を遣わされたのだ…』と

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