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背伸びとブラックコーヒー
そっちの方がよっぽど特別
しおりを挟む「花火大会、一緒に行きませんか」
五月蝿いのも暑いのも人が多いのも嫌いなくせに、怜さんは意外とそういうのが好きだ。
楽しければいいんだよって、去年一緒に祭りに行った時は射的に本気を出していた。
だから今年もって誘った台詞は、「あー、ムリ」の一言で呆気なく跳ね除けられた。
「予定ある」
目線は手元のアイスコーヒーに落とされたまま、ミルクもガムシロも入れないくせにストローで無意味にそれをかき回している。
興味のなさが態度によく出ていた。
誰とですか?友達?
なんて疑問が口をつきそうになって、直前で飲み込む。重い男だと思われたくなかった。
いつ終わってもいいと思っているはずなのに、ついこの人に嫌われたくないという気持ちが働く。
「…わかりました」
聞き分けの良い犬を演じれば怜さんは機嫌が良さそうに微笑んで、向かいに座る俺の頭を軽く撫でた。
「かわいー、朔良」
脈絡もなく、どこか甘さを纏った声音がひとりごとのように呟く。
かわいい、って。
怜さんはよく俺にその言葉を使うけど、こっちは言われる度に自尊心のような何かに傷が付く。
子ども扱いのようにも思えたし、それこそ本当にペットのように扱われている気もした。
怜さんの方が可愛いじゃないですかって、押し倒してぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。しないけど。
俺は怜さんに、傷一つだってつけたくない。
「別に、可愛くないでしょ」
「素っ気ねーな。俺にかわいいって言われたら、他のヤツはもっと喜ぶけど?」
俺の気持ちなんて何一つ知らないままの怜さんは、そう言って揶揄うような表情を見せた。
本当に、どれだけこの人は無神経なんだろう。
いつもそう。簡単に他の人間を引き合いに出して、平気で比べてみせる。
この人のこういうところが嫌いだ。
他ってなに。誰のこと言ってんの。
付き合ってるなら、恋人なら、俺だけでいいはずなのに、この人に俺だけだったことなんてない。
「へー、そう」
じゃあその他のヤツに言ってやればいい。
すぐに誰かと比較すんのマジで最低だから。
言ってやりたい言葉はいくらでもあるのにそのどれもが声にならずに喉の奥に滞留する。
そんな自分にも苛ついて、誤魔化すように目の前のアイスコーヒーに口をつけた。
オーダー通りに提供された何の変哲もないコーヒーが今日はやたらと苦く思えて、もうとっくに慣れたはずだったのに表情が崩れそうになる。
一緒に置いていかれた小皿にはご自由にどうぞとでもいうようにミルクとガムシロがいくつか乗せられていた。素直にそれを混ぜればいいのに、わざわざコーヒーを頼んだ意味がなくなるから結局そのまま飲み干した。
ここがいつもの喫茶店だったなら。
あの先輩は今日もまた、勝手に俺の前にクリームソーダを置いただろう。
シュワシュワと泡の弾けるメロンソーダの上にバニラアイスを乗せて、きっと少し得意げな顔で笑う。
そんないつものお節介が今目の前にあれば、なんて縋るように考えてしまったのはあの先輩のせいだった。
辛い時に限ってそばに来て明るく笑うから、刷り込みのようにあの居心地の良さを求めてしまいそうになる。
「あー、もうムリ。タバコ吸いたい、公園寄らせて」
カフェを出て少し歩いた頃、今日一日あまり煙草を吸えていなかった怜さんはとうとう限界を迎えたらしい。
急に立ち止まったかと思えば有無を言わさず俺の手を取って公園の中に入っていく。
丁度よく木陰に置いてあるベンチに座って、「世の中って喫煙者に優しくねえよな。どこにも喫煙所ねーし」と愚痴をこぼしながら取り出した煙草に火を付ける。反対の手にはきちんと携帯灰皿が用意されていて、ポイ捨てをしていても違和感はないのに意外とそういう所はきちんとしてるんだよな、と本人に言ったら怒られるようなことを思った。
「煙草なんて、百害あって一利なしを体現したようなものですからね。嫌いな人の方が多いし、多数決で淘汰されていくものですよ」
さっきまで居たカフェも勿論禁煙だった。
「俺だって好きで吸ってるわけじゃねーよ、やめらんねーから吸ってるだけ」
ふう、と気怠げに吐き出された煙が宙に消える。
「そうなんですか?好きなんだと思ってた」
「んなわけねーだろ、金はかかるし肺は汚れるし最悪じゃね?」
いいことなんもねーよ、ってケラケラと可笑しそうに笑う姿にこの人の軽薄さが詰まっていた。
笑わなくてもいい場面でほどよく笑う人だ。
「ニコチンは依存性が強いから。本気でやめたいなら俺が一緒に手伝いますよ」
「えームリ。俺が何回禁煙失敗したと思ってんだよ。朔良にはわかんねーだろうけど、やめたくてもやめらんねーの」
依存ってこえーよ、って。
そんなのは俺の方がよく知ってた。
怜さんが煙草をやめられないのと同じように、俺だって怜さんを好きでいることをやめられない。
こうしてまだ隣にいることがその答えだった。
煙草なんかよりもっとずっと強い依存性に絡め取られて、いつまでも抜け出せない。
「つか、マジであっちーな。溶けそう」
苦々しく顔を歪めた怜さんのこめかみを汗が伝い落ちていく。あまり日に焼けていない肌は熱で赤みを帯びていた。
夕方から夜に移り変わっていく時間帯、8月頭の空はまだまだ昼のように明るく気温も高いままだ。どこの学校も夏休みに入っているだろうに、気温が高すぎるせいか公園には子どもどころか俺達以外に人の姿はなかった。
まあ、こんな中外で遊んでたら熱中症になるか。
「怜さん汗似合わないね」
垂れ落ちる汗を指先で拭ってあげると、怜さんは何故か楽しそうに笑みを浮かべた。
「なにそれ褒めてる?」
「いや、褒めてもないし貶してもない。綺麗だとは思うけど」
「なんだそれ。朔良の感性ってたまに独特でワケわかんねー」
「それ褒めてる?」
怜さんの真似をして返したら「うん褒めてる」ってやたらと素直な言葉が返されて予想外のそれにちょっと戸惑う。
「朔良のそういうとこが好き」
混じり気のない黒の瞳に愛しさみたいなものが滲んで、それからふっと緩やかに細められる。
その手の中で握られた心臓が痛い。
這い上がってようやく抜け出せるかもと思った瞬間、呆気なく底まで突き落とされる。
「…俺は怜さんのそういうとこが嫌い」
逃げ出したくて目を逸らした。
空っぽな愛の言葉も嫌だけど、本当みたいな態度で好きだと言われるのもそれはそれで困る。
あなたの中に一応は俺へと向く想いがあるんだってわかるから。それが欲しくて堪らなくなる。
そんな言葉ならもっと欲しい、そういう笑い方ならもっと見せて欲しい。
もっと、ずっと、本当は。
いつまでだって怜さんのそばにいたい。
「恋人に好きって言ったら嫌いが返ってくるんだ」
傷付いちゃった、って。
ひとりごとのように落ちた呟きに逸らした視線を戻したら、遠慮のない手つきで後頭部を掴まれた。
ぐっと引き寄せられた先で弧を描いた瞳と目があう。
いつもの香水と、ほんの少し汗の匂い。
ぶつかるように唇が重なって、仕返しのように歯を立てられる。
「っい…!」
走った痛みに口を開くと待っていたように舌が入り込んできて、ゆっくり歯列をなぞったり上顎をくすぐったりと好き勝手に動いていく。
ぬるりと絡め取られた舌に苦味が広がる。
今の今まで吸っていた煙草の味とさっき飲んだコーヒーの味。
怜さんとするキスはいつも苦い。
「…っ、」
苦いって、思っちゃう自分が嫌で。
その度になんか傷付くって言ったら、怜さんはどんな顔をするだろう。
「…っ、まっず」
「ははっ、いい気味」
唇が離れて真っ先に文句を言うと、怜さんはこのうえなく楽しそうに笑った。マジで性格悪いこの人。
「最低」
「うん、知ってる」
言いながら伸ばされた指先が俺の頬を撫でて離れていく。少し濡れた感触に汗を拭われたのだと知る。
「朔良も汗、似合わねーな」
たまに見せる、驚くほど素直な笑い方。
ズルくて綺麗で気を抜いたらうっかり泣いてしまいそうで、バレないように小さく息を吐き出した。
言葉がこぼれ落ちそうになる。
好きも嫌いも愛してるも。全部正しくて、でもそのどれもが相応しくない。
怜さんに伝える言葉を、俺はいつも探していた。
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