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第1章

⑫ 決戦! ミノタウロス

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「くくくくく。ぎったんぎったんにやられるまでの時間がちょっぴりだけ延びたな。だけどそれだけだ。お前たちの負けは変わらない」

「いづな! 私につかまりなさい!」

 さっきからちょっと様子のおかしいいづなに声をかけた。

「え? は、はい!」

 いづなは慌てて振り返ると、秋穂と同様、首に腕を回してしがみついた。

 私は、二人を抱えてできるだけの速度で後退した。

 この亜空間を出ることができれば、何とかなりはしないだろうか。

 食堂を出たすぐそこに、亜空間と本来の空間との境と思われる障壁のようなものがある。

 あれを通り抜ければ!



 ドン!

「くそ! 通り抜けられない」

「くくくくく、無理だね。この亜空間はそんな単純に出られるものじゃないぜ」

 ならば、亜空間がなくなるまで時間稼ぎをするか。

 あれはスマホで起動されていた。スマホの電池が切れれば、この亜空間も消えるのではないか。いや、そのスマホを壊せばいいんじゃないだろうか。

「スマホを探してるのかい? あれを偶然でも壊されたら困るからね。呑み込んで、俺の腹の中に入っちゃてるんだよね」

 ……なんてことだ。



『仙崎さん、迷ってる。だって、どうやったら勝てるかわからないんだもの。いづなさんが嫉妬するとこの剣は強くなるみたいだけど……はわわわ、だからって、そんな……!』



 ≪幸運の指輪≫の力を得た。そして、なぜか勇者の剣はこれまでにないほどに強力なオーラを醸し出している。

 これはチャンスに違いない。

 だが、ステータスには圧倒的な差がある。

 これで勝てるのだろうか?



 ミノタウロスはこちらに歩み寄ってきた。

 我々の間にある食堂のテーブルや椅子がいかにも邪魔と言わんばかりに蹴散らしながら。

 せっかくできた間合いが徐々にではあるが消えてゆく。

「くくくくくく」

 どうすればいいんだ!?



『勇者よ』

「!?」

『勇者アスランよ』

「だ、誰だ?」

 この声は秋穂にもいづなにも聞こえてはいないようだった。初めは空耳かと疑った。

「アスラン?」

『それこそが勇者であるそなたの真名。勇者アスラン』



 声は私の内部から響いてくる。

 一体なんだというのだ。

 すると、これまでに敵を倒して私に吸収されたのと同じ、だけど大きさが圧倒的に違う光が胸から出てきて空中で止まった。

 おそらくこれまでに吸収してきたすべての光に違いない。

 光はみるみる変化して人の姿になっていくと、神々しい光を背負ったいかにも女神らしい女性の上半身を映し出した。



『私こそが、そなたに勇者の力を与えし女神』

 その声は初めて聞くのに、聞き覚えのあるものだった。

『アスランよ、戦うのです。そなたが戦わなければいかなる者も守ることはできません』

「ですが、私は……」



「仙崎様、あなたは誰と会話を?」

「仙崎さん?」

 誰もいない中空を見つめて言葉を放つ私に、いづなも秋穂も怪訝な顔をした。



『そなたには、幸福と強き剣がすでにあります。あとはそなたの勇気のみ……』



 その言葉とともに,女神の姿はすっと秋穂の中に溶け込んでいった。

「秋穂さん?」

 秋穂の目は何かに憑依されたようにその意志を失っていた。

 ――いったい何が?

「アスランよ。勇者とは、勇敢なる者のことを言うのです」

「秋穂様?」

 いづなもその言葉が秋穂らしくないことを察したらしい。

 そして、秋穂は私の首に腕を回すと、そのまま顔を近づけてきた。



 え? え? え?



「秋穂様、まさか」

 いづなは目の前で起ころうとしていることを、黙って見てしまっていた。



 顔が近づいてくる。

 ――いや、唇が……

 いかん、いかん。ダメだよ。こんなことしちゃいけない。きみは人妻なんだから。

 あ! あそこに水田が、きみの夫が見てるじゃないか。

 いけないよ!

 そこまで拒否するなら、押しのけてしまえばいいのに、それはできなかった。

 女神の力?

 それとも私の意志の弱さだろうか?



 ぐぐぐいと近づいてくる。

 ああ、なんだかいいにおいがする。

 あああああ、でもいかん。いかん。いかん。いかん。いかん。いかん。いかん。いかん!

 あああああああああ、だけど、だけど…………

 唇が…………!



 ちゅっ。



『やりおった―!!!!』

 笛吹きケトルのようなピーという音が響いて、いづなの脳内が真っ白になった。



「あとはそなたの勇気のみです」

 そっと唇を離すと、にこりと秋穂が笑う。

 その直後、失われた瞳の輝きが取り戻され、はっと我に返る。

「…………!!?」

 そして急に真っ赤になる。

 ばっと私から離れて、背中を見せる。

 彼女はそれから何も言わなかった。



「くくくく。今生の別れは済ませたかね。スプラッタ劇場の始まりだ」



 ――かわいそうに、女神に操られたとはいえ、こんなおじさんと……

 という思いもあったが、それ以上に思うことがあった。

 ――ここまでしてもらって、まだ怯えてなどいられようか……

 秋穂に恥などかかせられない。

 私が勝つことで、彼女の献身は報われる。



 右腕は砕けたが、左手には≪幸運の指輪≫。そして勇者の剣は、さらにまがまがしさを増してその強力さを誇示している。



 ――あとは、私の勇気だ!



 突進して、敵の心臓を一発で貫く!

 勝機はこれしか見えない。

 私は剣を構えた。

 もはや迷いなど消えていた。



「!!」

 ミノタウロスも私の覚悟に気づいたらしい。

 一瞬、前進が止まった。

 私は剣で空虚を薙ぐ。

 剣ビームで周囲のテーブルや椅子が砕け散る。

 破片がミノタウロスの視界を奪う。

「こいつ!」

 それはこれまでの余裕とは裏腹に、警戒の色が混ざっている。

 だが、防御態勢をとる前に仕留める!

 音速の突進で、全体重をかけて突っ込む!



 バキィィン!!

 次の瞬間、私の剣はミノタウロスの胸に刺さっていた。

 しかし硬い! 剣先がわずかに刺さっただけだった。心臓には届いていない。

 皮膚が硬すぎるせいか、刺さった部分に亀裂が入っていた。



「くくくく、残念だったな。最後の攻撃と見たぞ。それでも、完全に目覚めていない勇者の力では私を倒すことはできない」



 ダメなのか? ダメなのか?

 ――いや、諦めてはならない!!



「うおおおおおおおおおお!」

 私はさらに突進した。

 剣がまたさらに食い込んで、亀裂が少しだけ広がる。

 繰り返せば行けるか!!?

 だが、左腕が!

 右腕はすでに砕けて用をなさない。ここで左腕までも砕けてしまったら、もはやいかなる攻撃手段もなくなる。

 …………それでも!!



「うおおおおお!」

「くくくく。それでは届かないのだよ」

 わずかに、わずかに剣が食い込んでいく。

 どこまで食い込めば倒せる!?



 ぐしゃん!



 左腕が砕けて、腕のあちこちから骨が露出した。

「ぐああああ!」

「仙崎様!」

「仙崎さん!」

「くくくく。もうMPもなくなって、回復することもできまい。おとなしくやられるがいい」

「まだだぁ!!」

 砕けた左腕を離し、刺さった剣の柄に頭突きを食らわせる。

 剣がまた少し食い込む。



「ぐお!? 諦めの悪い!」

「まだまだぁ!」

 がつん!

 続けざまに剣の柄に頭突きを食らわせる。

「ぐはぁ!」

 がつん! もう一発!

「この野郎!」

 ミノタウロスが腕を伸ばして私を捕らえようとするが、ギリギリの間合いを保ってさらに頭突きを食らわせる。



 ぐしゃ!

「くあ!」

 悲鳴を上げたのは私のほうだった。

 頭蓋骨にひびでも入ったのだろうか。

 激烈な痛みが額に走って、目前がゆがんで見えるほどに強烈な衝撃だった。

「くくくくくく。俺の肉体より、お前の頭が砕けるほうが先のようだな」

 そうかもしれない。

「頭まで砕ければ、もうまともに動くこともできまい。さあ、くるがいい」

 これ以上は勇気ではなく、ただの蛮勇なのではないだろうか。

 勝利のための行動ではなく、ただのやけっぱちの愚行――――。

 次を放てば、私は単に砕けて、すべてが終わってしまうのではないだろうか?



 もはやミノタウロスの圧倒的な守備力の前に、万策は尽きてしまった。

 ごめん、秋穂さん。

 あんな恥ずかしい思いまでさせて、私を勇気づけてくれたというのに……

 ごめん、いづな。

 私を勇者として、信じ続けてくれたというのに……

 次の攻撃を加えれば、おそらく私の頭は砕けてしまう。

 だからといって攻撃しなければ、私は敗れてしまう。



 そのときだった。



 それは偶然か、≪幸福の指輪≫がもたらしたのか、あるいは女神の意図によるものなのか。

 ひらひらと一枚の布が、剣の柄に舞い降りてきた。

 パンツだった――!

 いづなが私の顔を隠すために貸してくれたパンツだった!!

 それはたった布一枚にしか過ぎない。

 だけど、その一枚がクッションとなるならば、私の次の一撃は砕けることなく通じるのではないかという確信が訪れた。



 私は、このパンツにすべてを賭ける!!



「ふんがあああぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!!!!」

 頭蓋骨が砕けてしまったらどうなるのだろう。

 そんなことなど、考えても仕方なかった。



 ずがっ!!!



 最後の頭突きで、剣はミノタウロスの心臓を貫いていた。

「…………な、なんだと…………? こ、これが勇者の力なのか…………?」

 皮膚に広がっていた亀裂は全身を覆い、ミノタウロスは砕け散った。

「俺は、油断したのか……いや、違う……ぐはあああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

 それは、断末魔だったのだろうか。

 ミノタウロスは凄まじい光を放ち、黒い泡になって消えた。



 勢いを受け止める相手が消え、両腕が砕けて使えない私は、そのまま前のめりに倒れこんだ。

「仙崎様!」

「仙崎さん!」

 いづなと秋穂が駆け寄る。

「仙崎様。あなたはやはり勇者様です。素晴らしい戦いぶりでございました!!」

 そう言っていづなは私を抱え上げると、ぎゅっと抱きしめた。

「仙崎さん……」

 秋穂は言葉を探すように、私の砕けた左手を握った。

 そのとき、秋穂がはめてくれた≪幸運の指輪≫がぼろぼろと崩れ落ちた。

「あぁ……」

 それははかない夢でも見ていたような光景だった。

 おそらく、この戦いで幸運を使い果たしてしまったのだろう。

 秋穂の左手の指輪コピーも崩れ落ちた。



「勇者様の勇気が……勝利をもたらしました」



 いづなと秋穂は、私にこの上なくまろやかな笑みを捧げてくれた。
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