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EP.8 約束は約束。
しおりを挟む「ん……横山……先生……?」
驚きを隠せない。
そう言った目で荒木さんは敬一さんを見つめていた。
「変な勘違いすんな。俺が守りたいのも支えたいのも愛してるのも妻だけだから。」
そういい、敬一さんは荒木さんから離れ自分の席に着いた。
『守りたい』
『支えたい』
『愛してる』
『妻だけ』
私の視界は一気に黒く染った。
分かっていたはずだった。自覚していたはずだった。
自分はただの都合のいい女だって。
なのに、なのに、私は目の前で平然と荒木さんにキスをしたその行為が許せなかった。
『抱かれた女』それだけのはずなのに、それ以上に期待してしまった自分が哀れだった。
キスでふやけてしまった荒木さんを他所に、溜まってしまった涙を2人に見られたくなかった私は急いで講師室をでたのだった。
不倫に幸せなんて訪れない。
いつかどこかで読んだことある、そんな覚えのある文章。
その通りだった。
というか何回かキスして1回寝ただけだしそもそも不倫カウントに入るのかさえもかなり怪しいけども!
彼氏に浮気され、彼氏を振り、不倫をし、不倫相手に振られる。
何やってんだろうなぁ……私受験生なのに……。
私はそんなことを考えながら、講師室の扉を思いっきり閉めエレベーターに向かって走り出した。
その時だった。
「あっ……ごめんなさい」
「こちらこ……って、春尾さん?!どうしたの?!」
「え……あ、氷川くん……!!」
前をよく見ていなかった私は、エレベーターからでてきた氷川くんとぶつかってしまったのだ。
「氷川くんっ……ど、どうしたの?」
私は泣き顔を見られたくなく、伏せながら彼に話しかけた。
「食事室に忘れ物しちゃって。ていうか、春尾さんこそどうしたの?!」
「なんでもないよ。ほんとに。」
「泣いてるのに『そっか』とはならないよ!!」
「本当に何も無いから!!も、もうすぐ授業始まっちゃうよ?!」
私はセーターで乱暴に目元を拭き、氷川くんに笑いかけた。
かなり無理のある笑顔で。
でもこれが今の私の精一杯だった。
「そんなことどうだっていいよ!!何があったの?!」
「だから大丈夫だよ!ね!」
「放っておけるわけないじゃないか!春尾さんは泣いてるところしか見たことがな」
「迷惑なの!!そういうの!!私が大丈夫って言ってるんだから...首突っ込まないでよ..……。」
「あっ...ごめん……。」
私は気づいたら力任せに彼を怒鳴りつけていた。
『どうして泣いてるの?』
『横山先生にヤり逃げされて』
言えるか???言えると思うか???言えないよ!!!普通に!!!!
氷川くんに悪気がないことはわかってるのに、上手くいかない腹立たしさを私は氷川くんにぶつけているだけだった。
「……ごめんなさい……。」
私がそう氷川くんに謝罪をしたその時、講師室から荒木さんが飛び出してきたのだった。
「春尾さん?!大丈夫?!」
「あっ……はい。……大丈夫です……。」
私は荒木さんの顔を見ずに、俯いたまま返事をした。
私は自分の心にこの時ほど素直だったことは無いんじゃないかと言うぐらい私は荒木さんの顔なんて1ミリも見たくなかった。
荒木さんは悪くない。
悪いのは勝手にキスをした敬一さん。
それでも私は彼を恨むことができず、行き場のなくなったこの思いを彼女を恨むことで清算するしかなかったのだ。
そんなことをモヤモヤと考えていると、荒木さんは私ではなく私をとびこえてもう1人の人物へと話しかけたのだった。
「ちょっと悠!何したのよ!」
「澪里もうちょっと静かに出てきた方がいいよ……。」
「今そんなこと話してないんですけど???」
「あー、春尾さん。僕達クラスメイトなんだよね。」
置いていかれてる私を気遣って氷川くんは荒木さんとの関係を私に伝えたのだった。
正直どうでもよかったが。
「あ……そうなんだ……じゃあ、あとはお二人で……」
私が2人に背を向けて歩き出すと、氷川くんは前のめりに私に叫んだ。
「まって!春尾さん!話がまだ!」
そんな氷川くんの肩をゴリゴリと掴み荒木さんは笑顔でこういった。
「させねーよ?」
そしてその後荒木さんは軽快な足音で私を追いかけてきたのだった。
「澪里なにか勘違いしてるよ……」
「春尾さーーん!待ってーー!!」
自分の名前に反応し振り返ると、長い綺麗な髪の毛を揺らしながら荒木さんは私を追いかけてきていた。
「っ……」
私は荒木さんの顔を見るだけで嫌悪感を抱いてしまう自分に苛立ちを覚えていた。
彼女ヅラにも程がある。
「さっきはあんなことになってごめんなさい。私もまさかあんなことされるなんて思ってなくて……。不快な思いさせちゃったよね……。」
荒木さんの言うあんなこととはたぶんあのキスの事だろう。
それ以外に私と荒木さんとの接点など無いに等しいからである。
「……いや別に……。」
私はローファーの先に着いた汚れを見ながら彼女に返事をしていた。
「春尾さんは彼氏いたことある?」
「えっ……あります……けど……」
それは皆さんご存知クソ原くんこと上原遥くん。ついこの間までの私にとってそのワードは1番の地雷ワードでもあった。
「そっか!……私ね、恥ずかしい話、彼氏が出来たことないの……。」
「……」
私が1番初めに感じたことは『お、おう。』という感情。
そして2番目が『こんなに綺麗でハキハキした女性に彼氏がいないなんてことは……』というどこか地雷を感じる感情。
「あ、別に横山先生が初恋ってわけじゃないからね!!」
「……」
私が黙っていると彼女は直ぐにこう言った。
「ちょっと歩こっか?」
そういうと荒木さんは俯いている私の手を握り無理やり歩かせたのだった。
____なんでこうなるかな。
私と荒木さんが歩いた先は近所の海だった。
なんでこうもみんな私を海に連れていくかな~!!!
いや確かに予備校があったところは海から近いところではあるし、敬一さんと来た海ではないけども、けども……!!!!
「さぁ、春尾さん!ここ座って!」
そういうと荒木さんは浜辺の階段の砂を手で払い私の座るであろう場所を差し出した。
「……あ、ありがとうございます……。」
「私ねぇ、今までずっっっと年上の人しか好きになれなくてね、だから生まれてこの方ずぅっっと既婚者の人ばっか好きになってたの。」
「……」
「だから、片思いでいることにも慣れたし、自制だって出来るぐらいの経験値はあったつもりだったんだけど……」
「……自制?」
「うん。……ほら、やっぱり横山先生には奥さんがいるわけで、奥さんがいる人とそういうことはしちゃいけないじゃん……?奥さんにも悪いし……。」
「うん……。」
非常に胸の痛む話だった。
私はどうだっただろうか。
初めて先生に抱かれた日、1度でもそんなことを考えただろうか。
その場の雰囲気と自らの性欲だけに身を任せ成り行きでそうなってしまったんじゃないか……?
「でも、春尾さんと横山先生が責任取るとか取らないとか話してるの聞いて、心のストッパーが一気にどっかいっちゃったんだよね。奥さんのことなんか頭から飛んでた。ただただ、先生が欲しいってそれだけしか考えられなかった。」
「……うん。」
「だから春尾さんに嫌な思いさせちゃったキスだって本当は嬉しかった。奥さんに対して取り返しのつかない事をしてしまった自覚はあるけど私は無かったことにはしたくないって今でも思ってる。」
「……うん。」
「ねぇ、春尾さん……。」
「……?」
「横山先生のこと、好きなの?」
「っ……!!」
言わなくちゃ……!!ちゃんと言わなくちゃ……!!あやちゃんと約束したこと、守らなくちゃ……!!今のままじゃやってる事は遥と同じだし、言うなら相手は既婚者だからそれ以上に最低なことしてるって自覚あるんだから……ちゃんと……きっぱり……!!
「春尾さんの想いは……?」
「…………………………いです。」
「ごめん……聞こえなかっ」
「全然好きじゃないですよ。先生と生徒の関係……それだけです。」
私が精一杯紡ぎ出したその言葉とは裏腹に、頬を涙が伝っいくのを感じた。
打ち寄せる波がまだ濡れてない砂を濡らして形を崩してしまうように、私の心がどんどん歪んでいくのを感じていたのだった。
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