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手術室の前で 春馬side
2.
しおりを挟む無言で手術中のランプを見つめたまま、ため息を吐いて肩を落とした。
蛍光灯の白さが、やけに肌に冷たく反射する。なのに額には、じっとりと汗が滲んでいた。
手のひらはずっと固く握られたまま。開こうとすると、かすかに震えていた。
秒針の進む音が酷く頭に響くのに、何分、何十分このベンチに体を縫い付けているのか時計を見るのが怖かった。
一秒の重さが、こんなにも重いものだったとは知らなかった。
ドアの向こうで、真那は……。
悪い想像ばかりが頭を過ぎる。不確かな妄想ばかりが巡るこの瞬間、ランプの光だけが、彼女が“向こう側”にいる事実を告げていた。
この赤い光が、消えることを願っているくせに……
同時に、消えてしまうのが怖かった。
もし、二度と——彼女が目を開けなかったら。
廊下の空調が、微かに鳴っている。
乾いた風が頬をなでるたび、傷のように思考をえぐっていく。
呼吸をするたび、胸の奥が締めつけられる。
どんなに手を伸ばしても、時間を引き戻すことはできないのに、あの瞬間、俺がもっと側にいたら……もし、彼女を社長室に呼ばなかったら……なんて、後悔が押し寄せる。
昨晩は俺の腕の中にいたのに——守れたはずなのに。
真那の声が、笑顔が、温度が、すでに遠いもののように思えた。
そんなはずはないのに。まだ何も、終わっていないのに。
祈るしかできない自分が許せない。
廊下の奥から小さく足音が響く。
この手術室に向かってきている事は、考えればわかるのに、目を向けられないでいた。
ただ、俺は——赤く光る扉を、じっと見つめ続けていた。
足音はすぐ隣で止まる。
「貴方は……一之瀬社長ですか?」
沈黙を破ったその声に振り返ると、そこには年配夫婦が立っていた。
男性は、蒼白な顔で額に汗を滲ませ、女性は胸元に小さなバッグを抱きしめるようにしていた。
(真那のご両親か……)
ベンチから立ち上がり、2人に挨拶をしようとしたその時、タイミングを見計らったように、手術室の扉が開く。
医師が静かに歩み出てきて、真那の両親に向き直った。
「ご家族の方ですね。手術は予定通り終わりました」
俺たちは一斉に医師と真那を交互に見た。
「脳挫傷があり、出血と腫脹への処置を行いました。予断を許さない状況です」
父親が小さくうなずいた。唇が震えているのが見える。
「……意識は、戻るんでしょうか」
母親の声は、今にも崩れ落ちそうなほど静かで、か細く震えていた。
医師は一瞬だけ言葉を選ぶように視線を落とし、それから顔を上げて答えた。
「意識障害が続いています。いつ目を覚ますかは、現時点では申し上げられません。数時間の可能性もありますし、もっと時間がかかることもあります」
その言葉に、母親は小さく口元を覆った。
父親はぎゅっと拳を握りしめ、顔を背ける。
「病室へ移します。状態が落ち着いたら、医師から再度ご説明します」
その言葉を最後に、ストレッチャーが再び動き出す。
真那は静かに運ばれていった。
彼女の父も母も、そして俺も……その姿を追いながら、声に出ない悲しみに支配された。
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