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第1話(2)
しおりを挟むその国には絶対的な権力を有する国王があった。
政ごとは宰相を頂点として行われていたが、国王が一言物申せば、宰相が決め事であってもあっさりと覆る。宰相は弁えている。国王の怒りを買わぬように。
その国王には、幾人か子があった。
いまだその子の誰も立太子はされていないものの、国の貴族の縮図から見れば、誰がその地位に近いか憶測はされていた。
国王には、国王に次ぐ地位にある王妃がいる。国王が王太子であった時代に、国内最大権勢を誇る侯爵家の息女が順当に王太子妃となった。
しかしながら、婚姻からは何年か子ができずに、王太子妃は己が一族の伯爵家から一人の娘を夫に差し出した。側妃は程なく王子を一人産んだ。
王太子妃のほうも、めでたくも数年後に王女を産み、翌年にも王子を産んだ。
側妃は身を弁え、公けの場への出席はせず、王太子妃に準ずる立場を貫いた。
第一王子は、日々静かに過ごしていると知られていた。
父が国王となってからは社交場や夜会への出席は多くはなく、すでに成人したが妃はまだ迎えていない。弁えておられるのだろうと貴族たちはささやいた。
さる商会の使者である男は、本日は真っ先にその第一王子へと謁見を果たした。立太子されていないとはいえ、長子優先はこの国でも常識とされており、その可能性がある限りは側妃子であってもやはり一番に訪れよと主人の命があったからだ。
使者が携えたのは、絶版となった書物の初版本や、希少な書物を幾点か。使者にはその価値は難しいものだったが、金貨を何十枚と積んでも手に入りにくいものであったと主人は苦労話をしていた。
その話を、謁見の間として利用された王宮の奥まったところにある図書部屋のひとつで使者は第一王子に楽しんでもらえるようにと語った。
使者は話しながら次第に謁見の興奮から醒めていき、気持ちが落胆していた。
第一王子は、使者がこの図書部屋に入ったときから読書卓の一つについて座ったまま使者の挨拶にうなずきだけで返し、読みかけていた本にまた目線を戻していた。使者の話も、その姿勢のまま、聞いているのだかわからない。
とにかくも、使者は目的であった希少本の献上に成功した。読書が趣味な第一王子への大切な献上品である。第一王子の近くに控えていた幾人かのうちの側人の一人が荷を捧げ持っていた従者に近寄り、贈り物を受け取った。
第一王子は使者が下がるまで、結局一言も発しなかった。それがこの国の身分制でもあるのだと、使者は身が震えるように実感していた。
王族がただの一庶民に声をかけるだけでも畏れ多いことである。ましてや、一度は目線を使者に向け、うなずきまで返してくれた。使者は第一王子はなんとお優しい方かと感じ入った。本来なら直接来なければならなかった主人の体調不良が悔やまれる。
貴人の顔を長く見ることは許されない身で、視線を少々下げたままだった使者は気づかない。
第一王子の顔に表情は見られず、最初の挨拶のあとは一度も書物から視線を移さなかったことを。
使者は第一王子の謁見から辞したあと、少し間を置いて、第一王女へ謁見を控えていた。
今度の謁見の間は、さすがに図書部屋といったところではなく、小さめの謁見用の部屋が用意されていた。
使者は約束の時間から待たされていた。
遅れる旨は先触れがあったため、個椅子を用意されたが丁寧に固辞し、献上品を持つ従者と共に立って待っていた。
貴族女性は、男を待たせるものだ。この国の女性は男性の下に置かれるほど地位は低くはない。それでも男女の能力の差はあるもので、女性が男性に侮られないための常識的行動であった。だが今回は謁見の時間が定められていたのだから身支度のせいではない。単純に身分の差によるものだ。
使者の足の感覚がおかしくなり始めたころ、ようやく侍女と護衛騎士が現れ、謁見の間の奥、薄布の向こうを歩く小柄な影が訪れた。
使者と従者は深く頭を下げ、侍女の静かな声がかりで顔を上げた。
薄布に映る影は、女性とわかるものだ。使者の近くにいる侍女がまた声を出して促してくれたため、使者は用意していた挨拶から始めた。
薄布の向こうから甘い香りが漂ってくる。花を基調とした香料は以前主人が第一王女に献上したものであり、それを知っていた使者は感動を覚えた。
甘い香り。ときおり身動く薄布の向こうの影。
高揚は使者の意思とは関係なく込み上げてくる。
なんと気遣いにあふれた王女殿下であろう。
挨拶と口上を終えた使者は大層気分が上がっていた。そこへ思いがけなく、
「大義であった」
薄布の向こうから、なんと、優しげで麗しい声がかかった。
「ははっ!」
使者は自然と畏まり、片膝をついて頭を垂れていた。
まだ成人前の少女の年齢でありながら色香の漂う声音に、使者の胸は熱かった。
侍女が贈り物である高級化粧品一式を従者から受け取っていた。これでまた新たなお墨付きを得て、事業を拡大できる。
お品のご説明はすぐにでも待機させている者を寄越しますと申し出ると、侍女はうなずいた。
あの化粧品類は、極上の材料を使用しているため、まだ王族への献上分しか作成されていない。現在の社交界の華筆頭が、この第一王女であった。流行を作るのはここからだ。
第一王女は声を出したあと、すぐに謁見の間から退出していった。
使者は何度か第一王女へ謁見を果たしていたが、王女殿下の尊顔は知らぬままだ。これが王族女性の作法だと思っていた。
使者は、最後の謁見を前に、気を引き締め直した。
同日に三件の謁見を果たすのは幾度か経験していたが、この順番で助かったと思っている。初めからこの緊張感のままでは身が保たない。
王子王女殿下への謁見だからこそ、まだ使者の身分での登城が許されていた。これが国王陛下夫妻であれば、どんな体調であろうと主人が罷りこさなくてはならないのだ。だからと言え、殿下たちへの謁見が気楽なものというわけではない。
これからの謁見は、なおのこと、少しの間違いも許されない。
いままでは王城にある一角での出来事だった。
使者はいま、かなりの距離を歩いていた。先導する侍従のあとをついて。背後には三人の騎士がついてきている。王城へ足を踏み入れるのは簡単なことではない。先導を少しでも外れれば、背後の無表情の騎士たちは、無表情で愚者を斬り捨てることだろう。
だが使者が緊張感を持って恐れているのは背後の騎士ではなく、これから会う人物だ。
王城には、王族が住う空間以外に、近衛の騎士たちが利用する場所もある。詰所や訓練所は表面からはわからない場所にあるが、他者の踏み入れは許されない。王城の回廊を渡る者が視線をあちらこちらに移すことさえも。長い時間を歩かされる使者は、いつも試されている。
騎士が出入りする空間の一つ手前には、騎士の長たる者や責任者が執務する部屋がある。騎士は体だけを動かすだけではなく、書類仕事も幾分かはある。
そういった部屋の一つを、第二王子は日々を過ごすものの一つに使っていた。
王城の煌びやかさはないが、重厚な調度品や家具、専門書がぎっしりと詰まった書棚、それ以外にも、あらゆる武器がわかりやすく収められている棚、そういうところで第二王子は使者を待ち構えていた。
使者は侍従に促されて、従者とともにその部屋へ入室する。他の者は入ってはこない。その空間にはいるのは一人。
第二王子は成人前だが、体格はすでに大人のものに近い。筋骨逞しいものではないが、俊敏そうな筋力があるのが衣服の上からもわかる。
第二王子はいつも笑みを浮かべている。いまも長剣の手入れをしながら、口元は笑っている。
使者は緊張する。その笑みが深くなればなるほど、緊張は増す気がする。
挨拶と、ご機嫌をうかがう口上は、他の殿下たちのように滑らかにはいかないが、それを悟られてはならない。
今回の捧げ物は、名工作の新剣だった。第二王子の得物を、なぜ自分が使者のときにと、話しながら使者は思った。従者も両手で捧げ持つ手が微少に震えている気がする。
執務机に直接斜めに腰掛けていた第二王子は、持っていた剣を鞘に収めて卓上に置くと、使者のほうへと歩んできた。使者はわずかに肩をびくつかせてしまう。
頭を下げたままの視界に、使者が持つ剣を第二王子が手にしたのを横目で見る。
勢いよく鞘走らせるその笑みは深い。
直後に使者は息を飲んだ。
真剣の刃がその勢いのまま従者の首に向かった。
従者の首が飛ぶ。
その錯覚は、確かに使者の脳裏に浮かんだ。
実際にその場にあるのは、腰を抜かして床に座り込む従者と、鞘に剣を戻した第二王子が使者たちに背を向ける姿。
第二王子は確かに手に剣を持ったままだ。それを確かめた使者は従者を助け起こすと、第二王子が執務机に戻る前に深く一礼し、短い退出の挨拶を述べたあとにすぐに部屋を出た。
それは使者が初めて謁見の際に案内の従者から言われた忠告を守ったからだ。
第二王子の噂は、大きな声ではないがよく知れ渡っている。
第二王子の視界に、長く留まってはならない。
使者は本日の役目を終え、安堵と息ができている感謝の気持ちいっぱいに帰りの馬車に揺られていた。
次のときの従者は、また違う者を選ばなくてはならないだろう。可哀相に、従者の目は虚ろで体は震えたままだ。
次の三つの贈り物は、何が選ばれるだろう。使者はそのことを考えることであの恐怖を忘れようとした。
使者が知っている四人目には、贈られるものなど何もないと知った上で。
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