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冷たい瞳

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 森での生活が長いレインのおかげもあり、森を抜けることは簡単だった。三人は公国への道に入るが、森の近くの道は整備が行き届いておらず荒れ放題。必死に元の道の痕跡を辿り先へ進む。
 クラリスが水分補給をしようと、水筒を持ってくれているアミラに声をかけようとする。アミラはそれにいち早く気づき、何か言われる前に水筒を開けてクラリスに差し出した。
「ありがとうアミラ」
「何で言う前に分かったんだ?」
「私は従者ですので…」
「お、おう。理由になって無い気がするけどよ」
アミラは涼し気な顔で笑って見せた。
 アミラはいつも笑みを浮かべている。穏やかで、あまり感情を外に見せることがない。常にクラリスのそばに居る。その行動一つ一つには、主君であるクラリスへの絶対的な忠誠心があった。それもそのはず、クラリスはアミラの命を救った恩人だった。

 クラリスとアミラの出会いは、クラリスが六歳、アミラが十一歳の頃だった。その出会いはなんとも運命的なものである。
 アミラは十一歳にして一人で生きていた。七歳の時親に捨てられ、そこから死に物狂いで生きる知恵をつけ、生き延びた。
スリや窃盗で食い繋ぎ、夜は誰にも見つからない物陰で眠る。そんな生活を四年も続けていた。
そうして生きていたとある日、アミラはとうとうスリで失敗してしまった。そもそも四年間、それで食い繋げた事が奇跡だった。
金を盗まれかけた男は激怒し、通行人の前でアミラに暴力を振るう。
──痛い、痛い、やめて。
もう自分はここで死んでしまうのだろう。そう思って抗うことをやめた時、救いの手が差し伸べられた。
──それが、クラリスとの出会いである。
たまたま通りかかったカスタ伯爵、その娘のクラリス。クラリスは大衆の前でアミラを殴る男に声をかけ止めさせた。伯爵家の令嬢に逆らえる訳もなく、男は不満そうな顔をしながらもアミラから手を放した。訳もわからず呆然とするアミラに、男から事情を聞いたクラリスは手を差し伸べて笑った。
「もう盗みなんてやめて、明るい場所で生きていこう」
行くあての無いアミラは、まるでそれが女神の微笑みに見えた。クラリスは父を説得し、アミラを家に招き入れ、温かい食事を出した。それを泣きながら頬張ったことを、アミラは今でも鮮明に思い出せる。
わずか六歳だったクラリスの優しさは、アミラの人生を救った。
そこからアミラは仕事を必死に覚え、礼儀や言葉遣いを頭に叩き込み、クラリスの従者として働く事にした。何があってもクラリスを守れるように、魔法や剣技も習った。
最初は難色を見せていた伯爵も、アミラの努力を認め、信頼してクラリスを任せてくれるようになった。自分を救ってくれた人達の恩に報いる。それがアミラの生きがいになった。
その四年後、伯爵家は追放されることになる。その時でさえ、アミラはクラリスから離れることなく、クラリスを抱え国外へ逃げ切った。
それからもずっと、アミラはクラリスの忠実な従者としてクラリスを守っている。

 そのような過去があり、アミラはクラリスへの絶対的な忠誠を誓っているのだが、それはクラリスとアミラしか知らない話だ。
 アミラが回想に浸っていると、レインが前の通行人に気付き足を止める。
「どうかしたの?レイン」
「見ろ。雑な服装に大きな袋。それに武器もある。…盗賊かもしれねえ。絡まれたら争い事は避けられねえぜ」
「でも私たち、盗むほどの物なんて持ってないけど…」
「身につけているものだけでも奪い去ろうとするのが盗賊だ。警戒しとけよ」
「クラリス様は私の傍を離れないでください」
「分かった。でも危なかったら私も戦う」
アミラが頷き、クラリスの一歩前へ出る。なるべく盗賊を刺激せぬよう静かにすれ違おうとするが──
「おい、ちょっと待てよそこの姉ちゃん達」
──やり過ごすことは出来なかった。
盗賊はあっという間にクラリス達を取り囲み、品定めするようにジロジロと見てくる。
「素材は良くねえが良い作りの服だなあ?…置いてけ」
「大人しく言うこと聞けば、痛いことねえぜ?」
盗賊はジリジリとクラリス達に詰め寄る。アミラは手に魔法を込め臨戦態勢を取った。それに気づいたのか、盗賊は一気に襲いかかる。
アミラはクラリスから離れないよう注意しながら、盗賊の攻撃を軽々避ける。数人に囲まれても、その攻撃はアミラにかすりもしなかった。無駄のない余裕を持ったその動きに、盗賊達は苛立った顔を見せる。アミラは自身が得意とする土魔法を展開した。道に壁が出来上がり、アミラを囲んでいた盗賊を押しのける。
その隙に気づいたクラリスとレインが、それぞれ反撃を始めた。
クラリスは炎の球体を振らせ、レインは矢を番え放つ。
「お嬢様に仇なす者…許しません」
普段は温厚な笑みを浮かべているアミラは、今は笑うことなく冷たい目で、あっという間に倒れ込んだ盗賊達に詰め寄った。
盗賊達はひぃ、と声を上げ一目散に逃げ出す。そのみっともない背中を眺め、アミラは魔法を解き、また柔らかな笑みでクラリスに声をかけた。
「お怪我はありませんか、お嬢様」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「危なくなったらって言ってたのに、結局隙が出来たらお前も戦っちゃってんじゃねえか」
「あはは…つい」
「ご無事なら何よりでございます」
アミラが一層優しく微笑むと、クラリスも笑みを返す。二人の信頼関係は、まだ数ヶ月共に過しただけの自分では計り知れないのかもしれない、とレインは思った。

 日が沈み始めたので、三人は野宿をする場所を探し始めた。レインが焚き火の準備をし、アミラは食材の準備をする。クラリスは大きな布を広げ、その上に道具を並べ手際よく用意していく。一体この世界に何人、野宿の手際がこんなにも良い伯爵令嬢がいるだろうか。
「貰ったパンと…道中で狩ったウサギ肉を焼けば今日の夕飯は充分だな」
「もう野宿にもすっかり慣れちゃったね」
「レイン達と出会う前はいつも野宿でしたからね…こんな主食とおかずが揃った食事もなかなかありませんでした」
焚き火の周りで談笑をする三人。ふと視線の沈むクラリスに気づき、レインが声をかける。
「どこか体調でも悪いのか?」
「え?…ああ、ううん、平気。…少し不安になっちゃって」
「シルヴィ様の事でしょうか」
「うん。…無事だといいんだけど」
「シルヴィ様もお嬢様と同じように、魔法の才に優れたお方です。反乱に巻き込まれているとしても、簡単に命を落とすような方ではありませんよ」
アミラが優しく諭すように言う。クラリスはその優しさを受け取り、穏やかに笑った。
「そうだよね。ありがとうアミラ。私らしくないし、とにかく今は少しでも早く国に着く事を考えなきゃ」
「そうだぜ。ほら、しっかり食えよ、行き倒れちまうぞ!」
レインが励ますように背中を叩き、焼けた肉をどんどんクラリスの皿に盛る。
「こんなに食べきれないよ!」
「お前は少食すぎるんだ、もっと食って体力つけろ!」
肉を押し付けられ苦笑しながら口に運ぶクラリス。クラリスを励ますためどんどん肉を盛るレイン。そんな微笑ましい二人を見て、アミラは微笑む。
アミラもまた、大切な主君の幼馴染の安否に思いを馳せた。

 夜明けと同時に三人は移動を始める。
「この調子だとあと二日半あれば着きそうだな」
「何事も無ければ、ですが…」
「まあそればっかりは何とも…あ」
ふと道端に咲いている花に気づいたクラリスは、その花に歩み寄る。白い花びらがいくつも重なっている花は、雑草でありながらまるで丁寧に育てられたかのように綺麗だった。
「綺麗な花ですね…」
「うん。…シルヴィも確か花が好きだった」
「全てが落ち着けば、花を見る時間くらい取れるかもしれないぜ」
「…そうだよね。よし、気合を入れて行こう!」
立ち上がり気合いを入れ直すクラリス。白い花は三人を励ますように見送った。

 そこからの道中は特に何事もなく、三人はとうとう公国へ辿り着くまであと少しとなった。
通行の自由を約束していた公国だったが、今は城下町の門は固く閉ざされており、疲れた顔の兵士が門番をしていた。
 まず、レインが声をかけた。
「おい、城下町に入りたい。通してくれないか」
「…やめておけ。今国内は荒れている。些細なことでも争いが起きて、お前たちも巻き込まれるぞ。…よそ者は特にな」
「心配するな。知り合いの安否を確認したらすぐに帰る」
「…気をつけろよ」
「ああ、ありがとよ」
レインは短く礼を告げる。クラリスとアミラも、顔が見えないように頭を下げ、門を通り過ぎていった。
 城下町は、数年前の面影を探すことが難しいくらいに荒んでいた。
 所々で争う人達、、怯えたようにそれを見る人達、手に負えず困惑する兵士達。クラリスは言葉を失った。幼い頃に見ていた賑わう城下とは大違いだ。
「どうして…こんな…」
「これも反乱と関係あるのか…?それにしても…酷い有り様だな」
「…お嬢様」
手が震えるクラリスを、アミラが心配する。クラリスは唇を固く結び、拳を握った。
「…行こう、シルヴィを探さなきゃ」
震える足で踏み出そうとしたその時。
「─返してっ!それは妹と食べるために、少ないお金で買ったの!」
「あァ!?知るか、離せ!」
小さな少女から食べ物が入った袋を取り上げる大柄の男。突き飛ばされた少女は転び、痛みと悔しさで涙を流す。
「あの野郎、あんな子供相手に…」
「………助けなきゃ」
クラリスが怒りに耐えた瞳で男と少女の間に立った。男はクラリスを睨みつける。
「なんだお前!」
「この子に食べ物を返して、突き飛ばしたことを謝って」
「…うるせえ!正義の味方ごっこでもしてんのか、あァ!?とっとと…失せろ!」
男がクラリスに殴り掛かる。クラリスは炎の渦を腕にまとう。
男の拳を避け腕を振りかぶると、散った炎で男の襟が焦げる。
「…なっ」
「…謝りなさい」
クラリスが男の顔の前に人差し指をつきだす。その指先から小さな炎が燃え上がり、男の鼻先を掠めた。
「あァっつ!!!」
男が燃えかけた鼻を押さえて悶える。クラリスはしゃがみ込んだ男に歩み寄り、目線を合わせた。鋭い瞳で射抜くと、男は怯えたようにその場を走り去った。
アミラが女の子に駆け寄り手を貸すと、女の子はその手を取って立ち上がる。食べ物を渡すと、安心したように笑って小さく「ありがとう」と呟く。
 そこに唐突に強い風が吹く。
「─しまっ…!」
風のせいで身にまとっていた外套のフードが取れ、クラリスとアミラの顔が顕になる。
 その顔を見て、人々が目をむいた。
「こ、こいつはカスタ伯爵家の…!」
「おい、あれを見ろ!あの金髪、あの瞳の色…!追放された伯爵の娘だ!」
人々が恐怖と嫌悪で歪んだ顔でクラリス達を囲む。
「なんだこいつら、クラリス見るなり血相変えやがって…!」
レインがクラリスとアミラを庇うように前に立つ。
「売国奴だ!裏切り者だ!」
「誰か捕らえろ!国王につき出せ!」
人々からの蔑みの言葉に打ちひしがれ、クラリスは言葉を失う。ただ一人、クラリスに助けられた少女は戸惑うようにその様子を見たが、クラリス達から離れることはしなかった。
「─何を騒いでいるの」
人々の喧騒の中でもよく通る、しかし冷静な声が聞こえた。声の方向を見て───クラリスは目を見開いた。
「…あなたは」
「…どうしてあなたがここにいるの。…あの時、国を追放されたはず」
透き通るような青い髪に、宝石のように綺麗な白銀の瞳。しかしその瞳に温かさは無く、冷たい光が宿っている。
「シルヴィ…!」
「シルヴィ…あの人が…?」
シルヴィには、幼い頃の優しく穏やかな面影はなかった。冷たい瞳でクラリスを射抜く。
人々の群れが左右に別れ、シルヴィに道を作る。
「お嬢様、お下がりくださいませ。…昔のシルヴィ様とは、何か違います」
シルヴィが近づくにつれて、冷たい空気が周りを包む。人々もその圧におされ、言葉一つも発せずにいる。
「─久しぶりね、クラリス。…いいえ、追放された…伯爵令嬢」

───今この国に、クラリスの居場所など、無かった。
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