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買い物袋を片手にまとめて、私の頭に左手を伸ばして撫でられる。「愛おしい」と呟いた彼は自分の方に抱き寄せようとした。そのまま場に流されてしまいそうだったが、彼に「荷物、重いですから全部持って下さいね」と言って買い物袋を全て渡して走り去った。

彼に恋をしている。どうしようもなくドキドキして、キュンとして、まるで初恋の様に甘酸っぱい。

まともに顔を見れなくなって来た。見つめられると恥ずかしくなり、顔が火照り始める。

自宅に戻り、母と一緒に料理をして、皆ですき焼き鍋やその他の料理を囲んだ後も彼と父はまだお酒を飲んでいる。意気投合した二人はとんでもない事を言い出した。

「桜花ー、皇ちゃんと結婚して店を継いでくれたら、お父さんは安泰だぞー。皇ちゃん、桜花はな、パン作りはてんでダメで修行にもならなかったんだ。妹の夏菜は継ぐ気もないしなー」

「私も桜花さんとお店を一緒に支えて行けたら嬉しいです。勿論、結婚前提の話です」

何故、皇ちゃんとか呼んでるの?悪かったわね、パン作りの素質が無くて!それに比べて皇大郎さんは土日に手伝いに来てくれているけれど、手際は良いし素質もあるらしい。私は素質が無いから、売り子で充分よ。

「皇ちゃんが貰ってくれるなら、桜花はいくらでもあげるぞ。このままだと行き遅れになりそうだからな。皇ちゃんみたいなエリートイケメン、桜花には勿体ないかー!」

「いえいえ、私が桜花さんを気に入ってるのですよ。パンも美味しいのですが、店番している彼女に癒されて、毎日の様に通っていたのも事実です」

「おっ!皇ちゃんは見る目ないねぇ。桜花なんて、お母さんみたいに胸はないし、女らしくもないんですよ。愛嬌しかない娘で本当にすみません!」

父よ、娘をけなしているけれど…本当に嫁として薦めているのか違うのかどっち?この後、更に母と妹も加わり、話がヒートアップした。

飲みすぎた父は起きれずに次の日はお店を臨時休業した。遅い時間になってしまったからと言って、母に言われて彼もちゃっかり泊まって行った。

彼は鬼の血筋を引いているからか、お酒に強く酔っている素振りなどない。確かに鬼って、お酒に強そうなイメージはある。

起きられない父はさて置き、母と妹と四人で朝食をとった後、私達は出かける事になった。

「たまには有給という制度も取らなくてはなりませんよね」

「そうですね……」

彼が出かける前に着替えをしたいと言って居たので、自宅に立ち寄る。自宅は高層マンションに有り、都心が良く見える。

現代の鬼は有給消化もするし、IT企業に務めて高層マンションに住んでいるのだよ、と古き良き時代の鬼達に教えてあげたい。…と言っても、平均寿命が400歳ならば、少なからず三世紀は跨いで生きているのだから、現代の流れに上手く乗って生活をしている御老人の鬼も存在しているのだと思う。深く考えれば考える程に面白い事案である。

彼はシャワーも浴びたいと言って浴室に居るので一人きり。男性の自宅に上がった事など無かったので、リビングのソファーに座って居ても落ち着かないし、高層マンションの景色がより一層、落ち着きを無くす。

皇大郎さんてお金持ちなのね……。私の暮らしとは雲泥の差だわ。どんなに店のパンを気に入ったからって、収入源を減らしてでも修行する必要はあるのかな?

待っている間にソファーに座りながら部屋を見渡して居たのだが、数々の書籍がリビングに並んでいた。沢山、勉強して大学に入ってIT企業に務めているのに、パン屋で修行だなんて勿体ない。私には到底、理解出来ない。脱サラに反対!

「あ、お茶も出さずに真っ先にシャワーを浴びに行ってすみません……!早く出かけたかったもので……」

「どうぞ、お構いなく」

彼は髪をバスタオルで拭きながら、私服姿で私の前へと現れた。服は着ていても、濡れている髪が色っぽさを増す要因となっていて正視出来ない。

正視出来ない私を不思議そうに見ている彼は、勢い良く隣に座って来た。私の顔を見るなり、右手の指先で顎を上に向けた。

「桜花さん、契りを交わすと言ってたでしょう?どんなものか知りたくないですか?」

「はい、知りたくはありますが…契りはまだ交わしませんよ」

「ふふっ、分かってますよ。例えば桜花さんが妖になりたければ私の血を分け与えて、私が半妖になりたければ桜花さんの血を貰います」

「血を分け与えるってどのようにして……?」

「こんな風に血を出してから……」

後の祭りだが聞いたのが間違えていた。彼は唇を強く噛んだ仕草をした後に私の唇と重ね合わせた。更に深く侵入してきた舌に驚き、唇が離れた後に突き飛ばしてしまった。

「皇大郎さんのバカッ!」

「……ごめんなさい、余りにも桜花さんが可愛くて契りを交わす練習をしたくなりました」

「れ、練習じゃないでしょ!コレはキ…キスって言うのよ!」

「……そうでした、人間界の触れ合いは難しいですね」

「どうせ知っててやったんでしょ!」

「……っう、バレてますね」

契りが何なのかは分かったけれど、油断も隙もないんだから!

私が怒った態度をとっていると落ち込んだ彼は髪を乾かす為に洗面所へと行った。

彼の身支度が整い、私達は再び外の世界へと繰り出す。歩いている途中、様々な女性が彼を見てから私を見ている視線が痛い程に感じられる。

どうせお似合いじゃないって言いたいんでしょ?と拗ねた考えを持っている私は、彼が手を繋ごうとしてきたが拒否してしまう。

「さっきの事、まだ怒ってます?」

「もう怒ってないです。…でも、沢山の人が居る中では手を繋ぐのは恥ずかしいです」

「それなら桜花さんを自宅に送る時に手を繋ぎましょう」

皇大郎さんって何にでも前向きだな。悪い方向には考えない彼が憎めなくて、そんな性格が可愛らしくも思う。

「すれ違う女性が私達を見ているんですが、私と貴方じゃ釣り合わないよって言われてるみたいだから繋ぎたくないんです」

「桜花さんが可愛い過ぎるので無愛想な私が隣に居ては気の毒だと思って居るのですね。そんな事にも気付けずに申し訳ない。もっとにこやかにしますね」

どうして、その様な発想になるのか。私こそ、拗ねていて無愛想にしていてごめんなさい。

私は彼の左手を取り、そっと繋いだ。彼があやかしだとか関係なく、誰にも渡したくなくなった。世間の目を気にしないのには無理がある。釣り合わないのは分かっている。けれども、私は彼を独占したいのだ──
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