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理解不可能な領域

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「朝食だけ作りに行くのは私がめんどくさいでしょう!だから、嫌です」

朝食を作りに行きたいのは山々だけれど、鵜呑みにして朝食だけを作りに行くのは私にはデメリットしかない。そんな事をしたら、私が好きなのがバレバレじゃないの!

「……じゃあ、一緒に住む?俺の部屋は一部屋余ってるし」

私は開いた口が塞がらなかった。突然、何を言い出すのかと思ったら、一緒に住もうだなんて。日下部君は私を見つめたまま、頬を軽くつねって来た。

「な、何言ってるの、日下部君!……総務にも住所登録しちゃったし、同じ住所とかはマズイと思……」

「総務には高橋が居るし、全国の色んな店舗の個人情報を一括で管理してるんだから、分かりやしないよ。それともバレたら何かマズイの?」

「バレたら何かマズイのは日下部君じゃないの?……同級生だけど、私の上司なんだし、それにそれに……私達は付き合ってもいないし……」

「んー、佐藤が思ってる程、俺達の事なんて誰も気にしてないよ」

頭をグリグリと撫で回されて、髪の毛が乱れた。私は乱れた髪を手ぐしで整えながら、日下部君に問いかける。

「だいたい日下部君は使いもしないのに何で2LDKに住んでるの?一部屋で良かったじゃん」

日下部君の自宅は2LDKの賃貸マンション。一部屋は何もなく空き部屋になっている。

「あぁー、そんな事。たまに弟が泊まりに来る時があったし、同僚が飲みに来た時に泊まったリしてたから。それにマンションの方がセキュリティしっかりしてるしな。ただ、それだけの理由」

「弟君はともかく、同僚って……女の子?」

「気になる……?」

私の事を簡単に泊めたのだから、他の女の子も泊めているかもしれない。日下部君に限って、そんな事はないと思うが疑いの目を向けたが、私の事を見ては視線を逸らさない。

「べ、別に気にならない……!」

くるり、と後ろを向き、日下部君から離れる。日下部君はクスクスと笑っているが、私は見つめられると居ても立っても居られない程に身体が反応する。身体中から湯気が出そう。日下部君はベッドの中でも日常でも、Sっ気があるくせに甘やかしもする。私には手に負えないかもしれない。

「佐藤……、佐藤 琴葉さん。そろそろ、バイトの子が来る時間だから返事聞かせて下さい」

「は?」

「いや、だから……返事聞かせて。一緒に住む?」

店舗のオープン時間になり、先程は返事をうやむやにしたまま、私はお客様の接客をしたりしていた。お客様が途切れた時に日下部君は再び、私を構い出す。

先程の話は本気だったのか?

「アパートの契約更新がもうすぐって言ってたから丁度良いタイミングじゃないか?」

「そんな事言った?」

「言ってたよ、居酒屋で」

居酒屋か……、言ったような言ってないような、思い出せないけれど、何かの話の合間に話したのかもしれない。私はほろ酔い気味で、日下部君が話した内容は覚えているけれど、それに合わせて自分が話した内容は思い出せなかった。日下部君が話してくれた事は覚えていたいからこそ、自分の話した内容は何処かに消えてしまったのだろう。

「佐藤は明日休みでしょ?夜は予定ある?」

「予定……?ないよ」

「夜に店まで迎えに来る。その時までに考えておいて」

急展開過ぎて、頭が混乱中。日下部君と私が一緒に住むの?今日もまたお迎えに来てくれるの?私は顔に嬉しさと驚きが滲み出てしまい、知らず知らずニヤケてしまう。日下部君に背中を向けて顔を両手で覆い隠すけれど、顔の緩みが止まらない。

「おはようございま、……佐藤さん、何してるんですか?あれ?日下部さん、おはようございます」

美鈴ちゃんが出勤して来て、私達をジロジロと見ては微笑んでいる。私は動揺が止まらないが、日下部君は普段通りにしれっとした挨拶をして何気ない顔つきでPCで作業を続けている。

日下部君が店舗を後にして、美鈴ちゃんと二人きりになった時に根掘り葉掘り聞かれたが、話せる事は何もなく、コーヒーをいれてあげたとだけ伝えた。納得のいかない美鈴ちゃんは、「今度、部長が来た時に直接聞こう、っと」と言って私を茶化した。

年下にからかわれるアラサー女の私だが、美鈴ちゃんが想像している可愛らしい恋愛話じゃない。若くて可愛い貴方には理解不可能な領域の話だったりもする。
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