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神はいない
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受け
【九十九(つくも) 縁(えにし)】
22歳 173cm 九蛇教の10代目教祖様
黒髪長髪で髪を後ろに1つで結んでいる。
細い体、青白い肌に、光の加減で赤く見える不思議な瞳が特徴。怪しい雰囲気がある
気に入った人間を九蛇教へ誘う。
両性具有(半陰陽)として産まれ、両性を宿す神の子だと崇められて生きてきた。
縁本人は自身の体を「祝福」ではなく「呪い」と思っている。
攻め
【穂積 一稀(いつき)】
27歳 185cm 中学校教師(2年A組担任、社会科担当)
茶髪短髪で筋肉質なので生徒から爽やかゴリラとも呼ばれている。学生時代はバスケットボールをしていて、全国大会で活躍したレベルで運動神経がいい。
人並外れた正義感で突っ走ることが多い。
幼い頃の荒んだ家庭環境が唯一のコンプレックス
【九十九 零(れい)】
高2 169cm 縁の父違いの弟
黒髪 ミステリアスな雰囲気の美少年
母親が気に入った信者との遊びで出来た子だと、母親からの愛情は一切受けていない。
しかし、兄として面倒を見てくれている縁のことは大事に思っている。
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【穂積 一稀視点】
九十九零という生徒は1年の時からとにかく浮いていた。そんな有名な生徒の担任になり、彼のことを理解しようと試みた。
感情の起伏が乏しく、必要以上の言葉を話さない。クラスの中に溶け込もうとしない。
最初から一線を引いて、そこから動かない――そんな印象だった。
担任である俺、穂積一稀は彼のことがとにかく気になった。ただ、どこまで踏み込んでいいのかは、いつも分からなかった。
無理に距離を詰めれば壊れてしまいそうで。
かといって、放っておいていいとも思えない。
夏休み前、一学期の成績を渡す+保護者と本人との懇談がある。懇談は最終日の最後の順番で九十九との予定が入っていた。
保護者との懇談のあと、九十九本人との個人面談が予定されている。
九十九と1対1で話すのは、話が盛り上がる気なしなくて正直不安だった。でも、本人と話が弾まなくても、母親相手なら無難に終えれる気がする。
――そう思っていた。
予定していた時間丁度に教室の扉が静かに開いた
入ってきたのは母親ではなかった
黒いタートルネックに身を包んだ男だ。
サラサラの長い黒髪を後ろで一つに束ね、
上背は平均的にはあるが同じ男と思えないほど体の線が細い。細いが異様な存在感だけが際立っている。
蛇みたいだ――
それが、最初に浮かんだ印象だった。
「……えーっ…と……」
言葉を失った俺に男は穏やかに名乗った
「九十九 縁です」
一度聞いたら忘れない声だった。
低く、落ち着いていて、耳に触れる感触がやけに柔らかい。
「零の兄です。弟の懇談で伺いました」
“兄”。
その言葉がどこか浮いて聞こえた
椅子に腰掛ける動作ひとつがやけに静かだ。音を立てず、空気だけを動かすような所作。
机一つ分の距離
それなのに妙に近く感じる
「零は、学校では問題ありませんか?」
縁さんは首を傾げながら上目遣いで俺を見る
視線が絡む
長い睫毛の奥、光の加減で赤く見える不思議な瞳。完全に見入ってしまい視線を外すタイミングを失った。
「……あ、えーっと、他の子達に比べると大人びていて静かな子です。成績も安定していますし、特に問題はありません!」
緊張しているのか、
自分の声が少し遅れて聞こえた。
縁さんは小さく微笑んだ
「そうですか。良かった」
零の学校での様子。
授業態度、成績、クラスでの立ち位置。
俺は教師として淡々と説明する。
縁さんは頷きながら聞いていたが、
時折、零の話よりも俺自身を見ているような視線を向けてくる。
その度にドキッとする
「先生は……」
不意に縁さんが口を開いた
「今まで煙たがられることが多かったうちの
弟をよく気にかけてくれてるんですね。
すごく正義感が強くて、すごく優しい方だって分かりました。」
その一言で空気が変わった
褒められた。褒められるなんて今まで何度もあったのに、何故か心臓が鷲掴まれたような感覚を覚えた。
「えっ、いえそんな……」
否定しようとした言葉が喉で止まる
「零は、人を見る目があるんですが、
家でよく先生の話をしてくれるんですよ?
弟は先生を信頼しています。」
胸の奥にじわりと熱が広がる
嬉しくて仕方ない
何故か今、叫びながらガッツポーズをしたくなるほどの昂りを必死に抑えている。
どうしてこんなに嬉しいんだろう
「……そう言っていただけると嬉しです。
お兄さんこそ、零くんのことを大切に思ってくれているのが伝わりました。
中々いないですから、懇談にきてくれるお兄さんなんて。」
必死に取り繕い、教師らしい返事をした。
でも、自分の指先が異常に強張っているのに気づく。体と心が変な状態になっている
すると縁さんは少し身を乗り出し、机越しに距離が縮まる。
「穂積先生」
呼ばれただけで心臓が跳ねた
「零のことを……これからも、どうかよろしくお願いしますね。」
真っ白で細い手に、緊張した自身の手をそっと握られ、縁さんが優しい笑みを浮かべた。
(うわ、なんかいい匂いがする…)
距離が強制的に近づいて、鼻をくすぐるお香のような香りにドキドキする。
終了時間が迫り、縁さんは立ち上がった。
去り際俺の手を握り、名刺のようなものを握らせてくれた。
「零のことで何かあれば、いつでも。」
指先が手に触れる
それだけでドキドキするなんて
どうかしている。
相手は男なのに、生徒の兄なのに、
おかしいのは自分なのだ。
俺は、握らされた名刺を見つめた。
教師と保護者との個人的な関わりは、基本的にはトラブルを招く可能性があるためご法度だ。捨てるべきだと、頭では分かっている。
それなのに
――この人にもう一度会いたい。
縁さんの声や匂いがいつまでも胸に残っていた。縁さんが教室を出て行ったあとも、
俺の心境は元に戻らなかった。
窓の外は夕暮れでオレンジ色の光が机の上に細長く伸びている。
深く息を吐いてから名簿に視線を落とした。
――九十九零。
扉がノックされる。
音は小さく控えめだった。
「……失礼します」
入ってきた零は、いつも通り無表情で静かに椅子に座る。
さっきまでここにいた縁さんとは、あまりにも対照的だ。髪の色は同じだけど。
「さっきはお兄さんと話してたんだ」
そう言うと
零の肩がほんのわずかに強張った。
「……先生」
俯いたまま零が口を開く
「兄に、何か言われましたか?」
その声音は、質問というより確認に近かった。何かを警戒しているような声。
「……いや、特には。九十九の学校での様子を話しただけだよ。」
「……兄には、あまり近づかないでください」
はっきりと迷いのない声音。
「……どうしてだ?」
教師として聞かないわけにはいかなかった
そして俺個人的にも気になった
零は少しだけ唇を噛む
「兄さんは、恐ろしい人です」
それだけで十分すぎるほど重かった。
「先生は、いい人です」
突然の褒め言葉に俺は目を見開く
「だから、兄さんに目をつけられたら……
ここに戻れなくなります」
忠告というより予言だった
「九十九……」
名前を呼ぶと零はようやく顔を上げた
その目には、怯えと、諦めと、警戒と、
それから――祈るような色が混じっている。
「先生は、ずっと先生でいてくださいね。」
「……それは……」
言葉を探している間に零は立ち上がった。
「忠告は、しましたよ。」
扉が閉まる。
俺はその場に立ち尽くしていた。
――きっと意味のある警告だったはずだ。
なのに、胸の奥に残ったのは、恐怖よりも、
縁さんの赤い瞳だった。
ポケット越しに名刺の存在を感じながら
縁さんと零のことを考えていた
⸻
その夜、職員室に一人残っていた。
提出物を整理しているはずなのに、
頭から離れないのは、零の冷たい目だった。
落ち着いていて、礼儀正しくて、冷たい。
「家庭環境に問題がありそうだな……」
教師として放っておいていいはずがない。
そう思った時には、無意識に名刺を取り出していた。
——“零のことで何かあれば、いつでも”
縁さんの声が耳の奥で再生される。
指が勝手に動いた。
《零くんのことで、少し気になることがあって
お話できる時間はありますか?》
送信。
胸の奥が、ひやりとする。
これは、正しい行動だ。
教師としての正義感がこうさせてるんだ。
……そう、自分に言い聞かせた。
⸻
会う日は土曜日の昼に決まった。
待ち合わせは静かな喫茶店だった
約束した時間の10分前に着くと、縁さんはすでに来ていた。
「連絡してもらえたことが嬉しくてつい、
早く来ちゃいました。」
その一言で、店の雑音が遠のく。
彼の声が頭を支配する。
「実は……零くんは学校で……少し、孤立しているように見えて」
縁さんは微笑んだ
安心させるように
「先生からもそう見えますか?」
白い指先がコーヒーカップの縁をなぞる
「零は……昔から、ああなんです。
家でも、あまり人に心を開かなくて。
私も仕事が忙しい上に、母もほとんど家にいないことも、零の心に影を落としたのかもしれません。
自身責めるような切ない声に胸がきゅっと締め付けられる。
「…縁さん、俺にもできることがあれば何でも言ってください。」
縁さんがゆっくり顔を上げる
「穂積先生は、やっぱり優しいですね。」
その一言がひどく心地よかった。
「私も零も、少し、変わった家庭で育ったので。味方がいなかったものですから…先生が味方になってくれるなら幸せです。」
「……あの、差し支えなければ……ご家庭のこととか、縁さんのお仕事のこととか…教えてもらえるとありがたいんですが……」
そう恐る恐る聞いてみると
縁は眉を下げ、悲しそうな顔をしながら
語り出した。
九十九家の特異性。
500年前から代々信仰を受け継いできたこと。
「私の家であり仕事は、蛇教という教団の長をしています。教祖とも呼ばれますね。」
俺は思わず眉をひそめかけてすぐに自制した。
宗教――その響きだけで距離を取るのは、
人としても、教師としても正しくない。
「零は……信仰を、嫌っています。」
縁さんは困ったように笑う
「でも、無理もありません。信仰は自由に選べるものですから。敬うも嫌うも自由なんです。」
その言葉が妙に重く胸に落ちた。
「………でも、私は…選べませんでした。
産まれた時から将来が決められていましたから…」
俺は言葉を失う。
縁さんは誰かを責めているわけじゃない。
同情を誘っているわけでもない。
ただ、事実を語っているだけ。
それなのに。
――助けたい。支えたい。守りたい。
そんな感情が自然に浮かんでしまった。
「その……気を悪くしてしまったらすいません、一つ気になったんですが、
九蛇教は……どういう教えをされているんですか?」
口にしてから踏み込みすぎたと気づく
縁さんは少しだけ目を細めた
「悩んだことはありませんか?
勉強のこと、家族関係や友人関係のこと」
家族と聞いて、一稀は内心ドキッとした。
悩んだことなんて山ほどある
その度心が壊れかけて、なんとか耐えてここまできた。
「疲れたことはありませんか?
人を信じるのも、疑うのも。裏切られるのも。」
その通り、俺はずっと疲れていた。
人をは信じて裏切られることも、この人は俺を裏切らないかと疑うことも。
「悩んだり傷ついたりするのは、貴方が弱いからじゃないんです。人はたった1 つしかない脳や心や体で、苦しんでいるんです。
だったら、1人じゃなかったら苦しまない。
皆でひとつになるんです。そうすると、一人でずっと悩んでいたことが、不思議とスッキリするんですよ。だって、皆で辛さも楽しさも分かち合ったら楽じゃないですか?」
思わず瞬きも忘れて縁さんを見つめてしまう
声が出ない
脈が早い 動悸がする
まるで、心の奥底にある弱い部分を握られているようだ。
「私はひとつになってくれる人をずーっと、
待っているだけです。勧誘なんてしたことはありません。この教団はお金目的じゃなくて、心が1つの暖かい家族を作る団体なんですから。
誰かに強いられた“幸福”なんて嘘ですから、
貴方が幸福の形を選べるんです。」
「………心が、ひとつの、家族…」
自身を未だに苦しめる家族との記憶を思い出して思わず冷や汗が流れる。
親に苦しめられた人生だった
縁を切って家を出て、何とか自分の力で今を必死に生きている。一人で悩んで、一人で疑って、一人で裏切られて、寂しい人生。
そんな自分は、本当に幸福なのだろうか?
「幼い零にはまだ、幸福というのが分からないみたいなんです。だから疑っている。
でも、疑いの先に本当の幸福があると私は思っています。最初は怖いけど、1歩踏み出してしまえば、すべて楽になるんですよ。」
俺は、無意識に何度も何度も頷いていた。
――縁さんの話を必死に理解しようとしている自分に、気づかないまま。
「もし……」
縁さんの声が少し低くなる
「機会があれば、一度、我が家を見に来ませんか?母の意向で、零の家庭訪問は今まで断ってしまっていたので……」
「先生なら、零のとこも、私のことも
もっと理解できると思いますよ。」
俺は、断れなかった。
「……是非、お邪魔させてください。」
縁さんは微笑みながらコーヒーを飲んだ
―教師としての一線は、もう、曖昧になっていた。
教団の本部は街外れの大きな建物だった。中世ヨーロッパにありそうな豪華な城をイメージして造られた豪華な建物。
看板はないので、いったい何の建物なのか気になる人も多いかもしれない。ただ、妙に手入れの行き届いた薔薇が咲く豪華な庭と、そ れに不釣り合いなほど静かな空気。枯葉一つ落ちていない。
人の気配はあるはずなのに、
生活音だけが、きれいに排除されているような不気味さ。
「……ここ、ですか」
俺がそう言うと、縁さんは小さく頷いた。
「気を楽にしてください。ただの我が家ですから。」
その言葉が慰めなのかは分からなかった
門をくぐった瞬間、背中を突き刺す冷たい静寂。
肺の奥まで、薔薇の香りが入り込んでくる感覚。
2人の靴音がやけに大きく響いた。
「今日は、家族たちが少ない日なんです。」
縁さんの声はこの場所では、不思議なほどよく通る。
廊下は長く壁はシミひとつないほど白いのに、どこか暗い。
壁の要所要所に、金で造られたであろう豪華な紋章がある。
――黒い蛇。赤い目をした九つの尾を持つ、異様に細長い蛇。
蛇と目が合った気がして、思わず視線を逸らした。
歩いていると背中を突き刺す視線が多数あった
——誰かに見られている。
そう思った。
けれど視線の主は分からない。
角を曲がった先で、白い服を着た男性とすれ違う。年齢も、表情もよめなかった。
ただ、俺を見るその目だけが、
異様に澄んでいた。
値踏みでも警戒でもない
受け入れて当たり前だと言わんばかりの暖かい目。まるで家族に向けるような優しい目をしていた。
無意識に暖かい気持ちになって
緊張がやや解けた
「こちらへ」
縁さんに案内されさらに奥へ進む。
すれ違う信者たちは俺に直接声をかけることはない。ただ縁さんの背後に立つ俺を見て、わずかに頭を下げた。
ウエルカムな笑顔で。
案内された部屋は想像よりも質素だった。
宗教と聞いて勝手にイメージしていた祭壇も像も派手な宗教画もない。ただ、
床に敷かれた高級な絨毯と
人が何十人も座れそうな大きなソファがあるだけの部屋。
ソファが2つ向かうように並べられて、応接間だと言うことはわかった。
壁には、廊下で何度も見たあの九尾の黒蛇の紋章が壁1面大きく描かれていた。
「……思っていたより、怖くないです。」
これは正直な感想だった
縁さんは、くすっと笑う。
「よく言われます」
「ここは、心も体もひとつになった家族たちがいる、暖かい家ですから。」
その言葉になぜか納得してしまう自分がいる
縁さんはソファに座り、
俺にも向かいに座るよう促した。
個人的に関わってしまった
休日に生徒の家にお邪魔するなんて教師と保護者としては近すぎる距離だと思う。管理職に知られたら酷く怒られるだろう。
でも、この空間ではそれを指摘すること自体が野暮に思えた。
何故ならもう、自分自身も家族になったような異様な安心感があるから。
縁さんは、静かに語り始める。
救いの話でも終末の話でもない。
縁さん自分自身の話だった。
「……実は、私は学校に行ったことがないんです。」
「え!?」
(今の時代に……そんなはず……)
「…体が弱いからと言われて此処に閉じ込められていました。……でも本当は違う。私は戸籍を持っていなかったんです。存在しない人間は、外に出せないんですよね。」
辛い話をしてくれているはずなのに
縁さんはまるで他人事のように笑う
「教祖として祀られたのは6歳の頃からです。
ずっと、形だけの、置物だったんです。」
祈るように指先を組む。これはきっと縁さんの癖だろう。喫茶店でもよくこの仕草をしていた。
「母は此処にはほとんどいません。零や私と関わってくれた記憶は、正直、ありません。
きっとこういうのを、虐待……ネグレクトというのでしょうね。」
「……はい、」
「でもね、母の代わりに世話をしてくれる人がいるんですよ。零はその人にちゃんと世話をして貰っています。だから…今まで児相にもお世話になったことがないんです。
……まぁ、この苗字はここらで有名ですから……穂積先生みたいに気にかけてかれる人はいませんでしたけどね。」
ははっと笑いながら長いまつ毛を伏せる
縁さんは傷ついた目をしている
「……もし、一人でいるのに疲れたなら」
「またここに来てください。私は、貴方を歓迎しますよ。一稀さん。」
初めて名前を呼ばれて胸がドキドキした。そして何より縁さんの話を知らないうちに聞き入っていた。
「零は、自由でいたがります…
でも…自由は、選択肢がありすぎて迷子になります。傷つくことも多いと思います。」
その言葉が胸を締め付けた
教師として、可能性ある子どもたちに、自由な選択肢を与える立場にいるはずなのに。
確かに、与えすぎた選択肢は、時に悩みの種になるのは確かだろう。
「一稀さんは……誰かを導く時、
迷ったことはありませんか?」
いつの間にか俺の横に移動していた縁さんが
俺の手を握って赤い瞳で見つめてくる
思わず答えに詰まる。導く側にいる俺は、いつも何かを迷っていた。これが正解なのか、普通を押し付けていいのか、この選択はこの子の個性を殺してしまわないか、いつも何か悩んでいた。
「……あります」
それだけ言うのが、精一杯だった。
縁さんは、まるで理解者を見つけたような目をした。
握られた手がひんやりしていて気持ちいい。緊張した手の力が抜けていくのが分かる。
手を握られ、見つめあい、甘い時間が流れる中、扉の方でかすかな音が聞こえた。
足音だ
ひとりやふたりじゃない
「……誰か、いるんですか?」
俺が尋ねると、縁さんは少しだけ間を置いて答えた。
「ええ…あなたを、見ている人たちが」
冗談なのか分からない。けれど背中を、何かが撫でたような感覚が走る。ぞわっと鳥肌が立つ。
さっきすれ違った信者たちの澄んだ目を思い出す
「大丈夫です。私たちはもう、家族なんですから。」
縁さんの声がすぐ近くで響く
その言葉の意味を考える前に
俺はゆっくりと頷いていた。
この場所が危険かどうかは分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
ここに来るべきではなかったのかもしれない。
考え事をしてぼーっとしていると、衣擦れの音がやけに大きく聞こえた。自分から聞こえる音だった。縁さんの指が、俺の服にかかっていることに気づくのが遅れた。
「えっ、」
更にゆっくりと距離が詰められる。
「……そんなに、緊張しないで。」
縁さんの声は優しく慰めるようでいて、逃がさない響きがあった。
視線が自然と下へ落ちる
縁さんがいつのまにか裸になっていた。真っ白な裸体に思わず目を逸らしそうになる。
しかし、少し下に目線が落ちたときに見えた光景に言葉を失った。
理解するまでに、一拍遅れた。
「……っ」
息が詰まる
毛が綺麗に処理された下腹部には
同じ男の性器はついていなかった
子供くらいのサイズの性器
そして、握られた手が導かれた先は、
未完成の男性器より更に奥。
男には無いはずの感触が指に触れた
「………えっ、これって、」
一応、知識としては知っていた。
そういった稀な体質の人がはるか昔より存在することは。
医学的にも名前があったはずだ。
「ふふっ、驚きましたか?」
縁さんはニコニコ笑っていて
恥ずかしそうじゃなかった。
羞恥も、ためらいもなく、
驚かれるのに慣れているような笑顔。その堂々さが、逆に生々しい。
「……初めて、…みました。」
正直に言ってしまった
教師としても、一人の人間としても動揺を隠せない。
男だと思っていた縁さんに、女性器がついているなんて。
体の線の細さや、謎の色気には違和感は持っていた。でも声は女性ほど高くないし、胸もないからてっきり正真正銘の男だと勝手に勘違いしてたのは俺だった。
「私は、生まれた時から…これを“神の証”として扱われてきました」
淡々とした口調
「気味が悪い、ですか…?」
問われて俺は慌てて首を振る
否定するより先に、別の感情が溢れていた。
——理解してしまった。
この人が、戸籍も作られず、学校にも行かせて貰えず、ここでただ神として置かれている理由を。
聞いたことがある。はるか昔は、こういった先天的な異常は家の恥として、生涯地下に閉じ込めたり、逆にその特別性を利用して宗教において神として崇められたりすることがあったと。
人としても、男としても、女としても完全には分類されない未完成な存在。
でも、そんな異様さが
「……綺麗、だと思いました」
そう言った瞬間、自分でも驚いた。縁さんの瞳がわずかに揺れたからだ。
「それは……初めて言われました。」
縁さんの指が俺の顎に触れた。
顎を捕まえられ視線を逸らさせない。赤く見える瞳が細められる。
「でも私は…そう言われるのが、
嫌いではないですよ。」
胸の動悸が止まらない
これはきっと、底なし沼に足を踏み入れてしまった恐怖と期待だ。
縁さんの声が静かに落ちる
「これを知ってしまった以上、もう……以前の距離には戻れませんねぇ。」
誘惑するような甘い視線。
もう視線を逸らすことができなかった。
「…触れても、いいですよ。」
俺は、喉の渇きを感じながら、
ゆっくりと真っ白に発光する美しい裸体に手を伸ばした。
指先が胸に触れる
上半身の構造はほとんど俺と同じなのに、理解が追いつかない。
「……こうして、私に触れられるのは」
縁さんの声が耳元で静かに落ちる
「信者の中でも、
ごく一部だけなんですよ。」
胸に触れた指が微かに震えた
「それは……」
こうやって縁さんに触れている人がいて
もしかしたら、これより先の行為をしているのだろうか。でも、縁さんは、はっきりとは言わない。言わないからこそ、俺の中で、想像が勝手に膨らむ。
でも、今はそんなことより
——選ばれている。その感覚が、
道徳心よりも先に胸を満たした。
「誰にも愛されたことのない、化け物のような体なんです……
貴方が、慰めてくれると嬉しいなぁ。」
縁さんの額が俺の肩に触れる。
抱きしめられている
「私を、人にしてください。」
その言葉を聞いた途端、視界が真っ白になり
ソファに縁さんを押し倒した。
興奮した大きな男に押し倒されて、縁さんは怯えるどころか頬を赤らめ嬉しそうな顔をした。
身体中を本能のまま舐めた。
首筋から、胸、お腹、骨盤、太もも、ふくらはぎ、足の甲。
舌が肌を掠める度に、「ん…」と濡れた声を出して体をびくっとさせるから、勃起した自身のぺニスがズキズキと痛みを訴える。
もうすでに限界だった。
本能のまま、白い脚を大きく開かせて
ぬるぬるといやらしい液を出している秘部をしゃぶりつくす。
じゅるじゅるといやらしい音が部屋に響く
「…あっ、ああっ!きもち、いい…もっとしてくだ、ああっ!」
思っていたより大きい縁さんの喘ぎ声に
余計に興奮してしまう。
指を2本入れて、クリトリスのような役割をはしている小さな男性器を舐めながら
腟の中をぐゅぐゅと指でかき混ぜた。
その度に体がビクビク反応し、弓なりにしなりながら快感に耐えている縁さんの姿に
爆発寸前になり、荒い手つきでベルトを引き抜きズボンを下ろした。
今までこんなに勃ったことのないほど、
バキバキに膨らんだ己の凶暴なぺニスを見て
縁さんはとろんと溶けた瞳で釘付けになっていた。
「…それ、くださいっ……はやくっ」
逃げる余地を静かに塞ぐ言葉
もう限界だった
ずぶっ!!
勢いよく腟へ刺さるぺニスに
縁さんは嬌声を上げ弓のように反り返った
「っあああ!!!あっ、きもちい、い!」
背中にしがみつかれ、爪を立てられる。
不思議なことに全然痛くもなかった
「縁さんっ!!縁さんっ!!!」
欲望のまま腰を振り、ばちゅ!ばちゅ!!と大きな音が部屋に響いている
肉がぶつかり合う音と、縁さんの甘い嬌声で
頭がおかしくなりそうだった。
「でる!!でますっ!!」
そういえばゴムをつけていなかった!と
思って1度抜こうとしたが、白く長い足が腰を押さえつけていて引けなかった。
「中にっ、だして!赤ちゃん、ほしいっ!」
赤ちゃん…
女性器があるということは
もしかしたら機能した子宮と卵巣がある可能性がある。月経があるかどうかは聞いていない。
もしかしたら、妊娠してしまうかも、
そう思えば思うほど、背徳感から余計に興奮してしまって、奥深くにバチュン!!!と強く叩きつけ、精子を奥に出した。
「ぅっ!!!!」
気持ちよすぎる
頭が沸騰する
今までの彼女とのセックスなんて比べ物にならないほど気持ちよかった
お互い息を乱しながら重なり合う
(やってしまった………生徒の家族と………バレたらクビだろ…これ)
射精した途端頭の血が下がり冷静になった
さぁあっと顔が青ざめる。
しかし、縁は顔を真っ赤にしながら
ちゆっ、ちゅっと頬や唇にキスをしてきた。
「気持ちよかったですよ、一稀さん。」
語尾に♡がついてるような甘い声に
思わずまた下半身が反応してしまう
そしてそのまま第2回戦が開幕し
また中出ししてしまった。
2時間にわたる激しいセックスに、終わるやいなや縁さんは体力が底を尽き、すーすーと眠ってしまった。
服を着て、1度部屋を出て、適当に廊下にいた女性の信者に声をかけて
濡れタオルや毛布を貰う。
体を清めて、中に出した精子を一生懸命掻き出して、ソファの下に脱ぎ散らかさたれ服を着せてあげる。
ソファに眠る縁に毛布をかけ、自分は部屋を出て、覚えている道順で屋敷を出た。
帰り道俺は何度も自分の手を見た。
——もう、ただの他人には戻れない。
縁さんの“神の証”を見た。触れた。
合意とは言え汚してしまった。
誰にも言えない秘密を共有してしまった。
でもそれは秘密というより、きっと契約に近い。
「……俺は」
呟いて言葉を飲み込む。
これは、間違いじゃない。
——もう一度、あの視線で見られたい。
もう一度ひとつになりたい。
その欲に気づいた瞬間、俺は自分が
“導かれる側”になったことを悟った。
【九十九 零視点】
ある日の夜。俺は久しぶりに屋敷の兄の部屋に近づいた。
そこで眠っている兄がいた。
部屋に入ってすぐに鼻を掠めた独特なにおい。澱んだ空気、他人が混入した気配。
「……また、入れたんだ」
独り言のように呟く
縁は、新しい人を家に入れる時、必ず体を使う。
信仰と、欲と、罪悪感で相手を洗脳する。ここに“いていい”という感覚を、相手の内側に植え付けていく。俺はその残り香が嫌いだった。兄のそれは甘くて、頭がおかしくなる。それでも、胸の奥に浮かんだのは、怒りじゃなかった。
焦りに近い感情
——また誰か、兄に選ばれてしまった。
俺は、唇を噛む。
兄は、蛇だ。
獲物を見つけた瞬間、音もなく距離を詰め、長い舌で獲物をむしゃぶりつくす。捕食されるのも、時間の問題だ。
俺はこの九蛇教は嫌いだけど、
兄を神として信仰している。
家族として愛している。
でも同時に——この家も、この宗教も、兄自身も。
壊れてほしいと思ってしまう自分がいる。
ふと眠る兄の下に跪き、黒く長い艶やかな髪に口付ける。そして、昔を思い出した。
俺が物心ついたときから家の中は、いつも人の気配が多かった。
笑い声。低い声。酒と香の匂い。
母は綺麗だった
いつも、信者の誰かの腕に触れていて、
誰かの言葉に笑っていた。
「信仰はね、愛なのよ。」
そう言いながら、零のほうは一度も見なかった。子供への愛はなかったようだ。
でも、兄である縁は違った。
縁は幼い頃から、"特別”だった。
外にほとんど出たことのない白い肌。
長い髪。赤い瞳、全て人間離れしていた。
そして何より、その生まれながらの特異な体。
大人たちは縁を囲んで頭を垂れた。
「神の子だ」
「尊い」
「触れていいですか」
「血をのませてください」
その言葉が全部、気持ち悪かった。
でも縁は決して嫌がらなかった
一度も気持ち悪い信者たちの前で泣きも、怒りもせず、ただいつも静かに微笑んでいた。
——それがいちばん怖かった。
感情を失った人形がただ微笑んでるだけに見えて、怖いと感じた。
「こんなとこから出ていこうよ」
そう何度言っても縁は、首を縦には降らない。
「大丈夫だよ、零。」
その声はいつも優しくて空っぽで
まるで意思なんてない。
母は縁が稼ぐお金で自由に暮らしている。
お気に入りの信者に抱かれ、信者に縋り、
信者に囲まれながら。
それを愛と呼んでいる壊れた女。
縁はそんな女や九十九という一族に
欲望のために、教団のシンボルであるために
都合よく使われているのだ。
母も、信者も、誰も、
縁を「人」として見ていない。
夜中、縁を犯したであろう幹部の信者が帰った後。縁は零を抱いて髪を撫でた。
「うるさかったよね、ごめんね…怖かった?」
その優しい声に零は縋りついてしまった。
——兄が神であってほしくなかった。
たった一人の兄、たった一人の家族として二人で幸せに暮らしたかった。
そう泣きながら何度も兄に訴えたが
兄は微笑んだまま、黙っていた。
兄が俺に言いたいことは分かっている。
戸籍のない兄は、不要になれば簡単に消されてしまう危うい存在だ。神でなければ生き残れないのも分かっている。
だから、ずっと兄と一緒に耐えてきた。
いつかくる幸せに期待して。
そしたら段々、愛と、信仰と、嫌悪が区別できなくなった。縁が誰かに触れられるたび、
俺の胸は焼けるように痛んだ。
それが兄を思う気持ちなのか。
それとも、唯一の家族を奪われ続けたことへの怒りなのか。
もう分からない
でもただ一つ確かなのは、たった一人の家族である縁は誰のものにもなってほしくない。
神も、教団も、母も、信者も。
縁が自分自身を犠牲にして、“誰かの救い”になるくらいなら、一緒に水の泡になって消えるのもいいなと思ってしまったんだ。
-----
----
【穂積 一稀 視点】
それは劇的な変化ではなかった。
朝、目が覚める時間が少し早くなった。
目覚ましよりも先に、自然と意識が浮かび上がる。
理由は分かっていた。
俺は天井を見つめながら、縁さんの声を思い出す。
『私を人にしてください』
その言葉が呪いみたいに、頭の奥に残っている。
そして、学校でも小さな変化が増えた。
生徒の声に一拍反応が遅れてしまった
黒髪の生徒を見ると視線が止まってしまった
縁とどこか同じオーラを放つ零と目が合うたび胸がドキドキした。
「穂積先生、大丈夫ですか?」
同僚の声にはっと我に返る
「え? ああ……大丈夫です。」
笑顔は、まだ作れる。
教師としての振る舞いも、崩れていない。
だからこそ厄介だった
誰にも気づかれない。俺自身ですら、
“おかしくなっている”と認められない
帰宅しても夕食を取る気になれずソファに沈む。テレビの音だけが意味もなく流れる中で、ふと、縁さんの名刺を思い出した。
引き出しの奥にしまったはずなのに、気づけば、手に取っていた。
名前の文字をなぞる指が止まらない。
「……俺は」
ただ——忘れられない。
縁さんの視線。声。重ねた体。
思い出すたび、胸の奥がじわじわと温かくなる。
怖いはずなのに。危険なはずなのに。
それより先に、“受け入れてくれた”という感覚が蘇る。
「……もう一度だけ」
誰にともなくそう口にしてしまう
脳は勝手に、彼に会うための理由を探し始める。
学校での零が心配だから。
家の環境を知る必要があるから。
教師として見過ごせないから。
どれも嘘じゃない
でも本当の理由は、縁さんに、また受け入れて欲しい。自身の穢れた欲も、誰にも言っていない過去への怒りも、憎悪も。
その欲を自覚した瞬間、俺はスマートフォンを手に取っていた。
連絡先は消していない、消せなかった。
《会いたいです》と送信。
既読がつくまで、時間はかからなかった。
《いつでも、あなたの都合のいい時に。》
約束も、拒否もされない。
ただ、待っているという意思だけ。
俺はスマートフォンを胸に抱えた
金曜日の仕事終わり、以前覚えた道を辿り、
俺はまたあの屋敷の門をくぐる。
玄関に迎えに来た縁さんはいつもと変わらない表情だった。相変わらず色っぽい蛇のような人
「来てくれたんですね」
その一言で胸の奥が、ふっと緩む。
前と同じ部屋に通され、向かい合って座る。
沈黙が不思議と苦しくない
「……俺」
俺は、自分から口を開いた。
教師になる前ひどい人間だったこと。
家がまともじゃなかったこと。
人が信用できなかったこと。
だから周りの人間に酷い言動をして、先に嫌われる道を選んでいたこと。
教師になったのは償いのつもりだった。
まともな大人になれば過去を消せると思っていた。
「……でも」
視線を落とす。
「あなたなら…腐った俺のことを救ってくれる気がしたんです……」
縁さんは立ち上がり何も言わず
俺を抱き寄せた。
「貴方は腐っていませんよ」
耳元で低い声が響く。
「周りの人間に壊されかけていただけです」
心の深いところを突かれ
呼吸が乱れる
そんな言葉、誰にも言われたことがなかった。俺が悪いとしかいわれたことがなかった。お前が正しい位置に戻れば全て解決すると言われ続けた。
「人を疑うことでしか自分を守れなかった、嫌われることで自分の心を守った。
それを罪だとしたのは、あなた自身です。」
背中を撫でる手は子どもをあやすみたいに
優しくて、涙が出そうになった。
「貴方は何も悪くない。過去を自身の罪だと思うのはやめてください。貴方は正しいことをした。」
ずっと聞きたかった言葉を聞いて、心の中の何かが音を立てて崩れた。
「……それでも」
耳元で囁く声
「あなたは、また人を信じたくなった。
だから、ここに来たんでしょう?」
俺は、自分から縁さんの胸に額を預けた。
「……貴方を、信じてるんです……」
目頭が熱くなる。
暖かい水が目から流れるのが分かった
いい歳になって、泣いている。
「大丈夫。私に身を任せて。」
俺は目を閉じた。
考えることをやめた
そして、そのまま眠りについてしまい
目が覚めた時には朝になっていて
前に縁さんにかけた毛布が俺にかけられて
朝まで熟睡していた。
「おはようございます」
信者が朝食を持ってきてくれる
すごく美味しかった。
朝食を食べて風呂を貸してもらい、
さっぱりして出てくると
そこには優雅に紅茶を飲みながら足を組んで椅子に座る縁さんがいた。
「おはよう、一稀さん。」
「……おはようございます」
声が、少しだけ掠れた。それを聞いて、縁さんはくすり笑って紅茶のカップを置き、足を組み替える。
「よく眠ってましたねぇ。
気持ちよく眠ってるから起こせなかったよ」
迷った、なんて言葉が胸に刺さる。
「毛布……ありがとうございました」
「冷えたらいけないからね」
当たり前みたいに言われて、顔が熱くなる。
縁さんが指先で隣を指さした。
「こっちにおいで」
呼ばれるまま近づく。
距離が詰まるにつれて、縁さんの香のような不思議な香りが鼻を擽る。
「朝食、美味しかった?」
「……はい。めちゃくちゃ美味しかったです。」
縁さんは俺の顔をじっと見て、少しだけ首を傾げる。
「一稀さん、憑き物が落ちたみたいな顔してるよ。何も考えずに眠れたでしょう?」
「……はい」
俺は正直に頷いた。久しぶりに夢も見ずぐっすり眠れたからだ。
「ふふっ、それでいいんだよ。」
縁さんは立ち上がり、俺の前に立つ。
視線が合って逃げられなくなる。
白く細い指が、俺の顎に軽く触れる。
「 またいつでもきていいからね。」
その言葉に、反論なんて浮かばない。
むしろ、肩の力が抜けていく。
考えなくていい。選ばなくていい。
縁さんの言葉がすべての基準になる。
「……縁さんがそう言うなら」
縁さんは満足そうに微笑んだ
「いい返事だ」
その笑顔を見た瞬間、はっきりわかった。
俺はもう、縁さんのいない“自分”を想像できない。
-----
----
2週間後
とある休日、予定なんてなかった。
ただ気づいたら足が動いていただけだ。
行き慣れた門をくぐると、今日はいつもより人の気配が濃かった。
嫌な予感がして胸の奥が嫌な音を立てた。
「……縁さん?」
廊下を恐る恐る進んでいく
廊下に信者たちがいない
そして、いつもの屋敷の奥の部屋から、
湿った音が聞こえた。
息が、絡む音。衣擦れ。
押し殺したような矯正。
——行くな。近づくな。
そう思ったのに足は止まらなかった。
そして、扉の隙間から中を見てしまった。
縁さんが、いた。
そして、
縁さんの上には筋肉質な全裸の男がいた。
絡み合う肢体。
縁さんの熱に浮かされたような表情。
信仰とも、欲情ともつかない空気。
頭が、真っ白になる。
「……っ」
息が喉に詰まった。
——違う。
何が違うのか、分からない。
ただ、胸の奥が、焼けるように痛かった。
羨ましい?
嫉妬?
裏切り?
違う。
——神を奪われた。
そんな感覚だった
次の瞬間、視界の端にあった壺が、
手に吸い付くように収まっていた。
重い。
冷たい。
「……縁さん、は、俺の、だそ」
自分の声が、知らない音をしていた。
振り返った男の顔が驚きに歪む
「な、なんだお前!!」
そして、男が大声を出した瞬間
——後頭部を殴っていた。
ガンッ!!!!!
一回
ガンッ!!!!!!
二回
鈍い音。骨の砕ける感触。
男は声も出せず崩れ落ちた
ドス黒い赤が、高級絨毯に広がる。
俺は血まみれの壺を持ったまま立ち尽くしていた
手が震えている
息が、荒い。
動悸が激しい
心臓が痛い、肺が痛い、耳鳴りが酷い。
「……お、俺、何を…っ」
すると真っ白な裸体に男の血を浴びた縁さんがゆっくりと近づいてきた。
怒っていない、怯えてもいない。
——ただ笑っていた。
心底嬉しそうに
「素晴らしい」
まさかの賛美
その一言で全身が、ぞくりと粟立つ。
肩に血のついた手が置かれる
「私を…守りたかったんでしょう?」
違うと言えなかった
「どうして彼を殺したの?」
その問いかけで理性が現実に引き戻される
急にクリアに映し出された現実に
動悸と冷や汗と吐き気が止まらない。
「……お、俺は……人を、殺した……」
震える俺に、縁さんはゆっくりと口づけた。
「大丈夫、私を信じて。」
耳元で甘く囁かれる
「これは、私がすべて処理してあげます。
一稀は今まで通り、教師として子どもたちを導くことができる。」
甘い誘惑に息が止まりそうになる
捕まりたくない、罰せられたくない、
縁さんの瞳が赤く光る
「その代わり、これからは死ぬまでここの幹部として働いてもらおうかな。昼は教師で、夜は九蛇教の信徒…素敵な人生を送れるよ。」
拒否、という選択肢が最初から存在しなかった。
なぜなら、神は俺の罪を無かったことにしてくれようとしているのだから。
人を殺した俺を、壊れた俺を、
救われたいと願った俺を。救ってくれるのは警察でも家族でもない、縁さんだけだ。
「……縁さんは」
声が震える
「俺の神、です。」
縁さんは満足そうに微笑んだ。
「ええ。あなたがそう望むなら」
その瞬間俺の中で何かが完全に切れた。
倫理も、恐怖も、後悔も。
全部この人の足元に沈んでいく。
血の匂いの中で、俺は初めて安らいでいた。
縁さんの胸に縋りながら、確信する。
——もう、戻れない。
戻る理由も、戻る場所も。
この手で壊してしまったのだから
入信の儀式は思っていたよりも静かだった。
夜の屋敷は、音を吸い込んでいるみたいに深くて、息をするのが怖いほどだった。
俺は儀式専用の部屋に連れていかれ、畳の上に跪いていた。
縁さんは俺の前に立ち見下ろす
儀式の際は俺も縁さんも服を脱ぎ捨て
塩湯で身を清め、特殊な香りのお香を纏い
産まれたままの姿で見つめあっている。
ホルモンの異常なのか、彼の体には毛が1本もなく、異常なほど白く、傷一つのない美しい裸体に釘付けになってしまう。
黒く長い髪は下ろされ、背中を覆う。
人を飲み込んでしまうような赤みを帯びた瞳。
——彼は、正真正銘の神だ。
もう疑いはなかった。
「怖い?」
縁さんが穏やかに聞く
「……こわく、ありません。」
「なら」
縁さんは小さな刃物を取り出した。
躊躇いもなく自分の手のひらをざっくりと切る。
美しい赤が白い肌にゆっくりと滲み
手首を伝って赤い血が流れた
その色を見た瞬間、何故か喉が鳴った。
飢えた獣のように。
「飲みなさい」
俺は縁さんの手を取る
温かい、生きている人の体温。
流れる血に唇を触れた瞬間
縁さんの体がびくりと震えた。
まるで快感に耐えるように。
「……んっ、」
ジュルジュル、と血を啜る。
甘くて、鉄の味が濃くて、変な気分になる。
飲み込んだ途端、喉の奥が熱くなる。
まるで度数の高い酒を飲んだ時のような
「……っ」
頭の中に、声にならないものが流れ込んでくる。
祈り。欲。恐怖。崇拝。
——縁さんの、世界。
「 私たちは血を分け合ってひとつになります。……次は、」
今度は俺の番だった
刃物を受け取り自分の手のひらに当てる。
怖い、でも、もう止められなかった。
ざっくり手のひらを切ると血がボタボタ流れ始める。
縁さんは、その手を引き寄せ迷いなく口づける。
ちゅうちゅう吸われる感覚が擽ったくて
確かに体がびくっと反応してしまう。
——奪われている。
血だけじゃない。思考も。魂もすべて
縁さんの喉がごくごくと小さく鳴る
飲み込まれるたび、俺の中の“俺”が薄れていく。
「……これで」
縁さんが唇を離す。
赤く染まった口元で微笑んだ。
「私はあなたの神で、私たちは血を混ぜてひとつになった。沢山、愛し合おうね。」
額にそっと血に塗れた口づけが落ちる
そのキスに安堵が広がった。
「穂積 一稀」
縁さんの指が俺の胸に触れる
「貴方はもう、私のモノです。」
「……はい」
生きてきて初めて、空っぽの胸が満たされた気がした。
神がここにいる。
そして俺は、選ばれた。
-----
朝のホームルーム。ざわついていた教室が、俺が前に立った瞬間すっと静かになる。
イニシアチブを取れている証拠だ。
「じゃあ、今日は前回の続きね。」
声を張らなくてもいい、注意しなくてもいい。生徒たちが自然に顔を上げる。
自然に俺を見る。ノートをとる
(……あれ)
前は、もう少し力が必要だったはずだ。
威圧でも愛想でもなく、ただ“そこに立つだけ”で空気が整う。まるでベテラン教師のように。
授業中質問を投げる。
「この政策が国民にもたらしたメリット、デメリットは?」
数人が迷いなく手を挙げる。
しかも答えが的確だ。
「前回しっかり授業を受けていた証拠だな。
先生は嬉しいぞ。」
そう言うと、発表した生徒らの表情が誇らしげになる。昼休み、廊下ですれ違った生徒が立ち止まってキラキラした目で見上げてくる。
「先生!昨日の授業の話、家で調べました!
すごく興味深い政策で、社会の楽しさが分かりました!」
それだけのことなのに、胸の奥が静かに満たされる。
(ちゃんと俺の声が生徒たちに届いてる)
職員室でも、少しずつ変化があった。
「穂積先生、保護者さんから 教え方が上手いとお褒めの声がありましたよ!
来年は学年主任でも任せようか!」
「すごいですね穂積先生!!」
「よっ、うちのエース!」
管理職や事務の先生から褒められるようになった
「穂積先生、授業を見て貰えませんか?
最近なんかスランプに陥ってて、」
前なら、負担に感じていたはずの頼まれごとが今は余裕があって自然に受け取れる。
「俺で良ければ」
即答している自分に内心で少し笑った。
放課後、進路相談で残った生徒がぽつりと言った。
「先生って、なんか……信じたくなるような…なんて言うんだろう、先生の言ってることは全部正しいと思えるんです!」
一瞬、言葉を失う。
教師としては、嬉しい言葉だ。
でも、それ以上に――
胸の奥がひどく落ち着いた。
「嬉しいよ、ありがとう。」
それだけ返すと、生徒は安心したように笑った。その背中を見送りながら俺は気づいてしまう。
(ああ)
俺は今導く側なんだ。
無理をしていない、演じてもいない。
ただ、“選ばれている人間”として
そこに立っているだけだ。
夕方、誰もいない教室で黒板に残った文字を消す。チョークの粉が舞って、光に溶ける。
(縁さん)
心の中で、神の名前を呼ぶ。
貴方のそばにいるだけで、
貴方の血を混ぜてもらえたおかげで
俺は正しい位置に戻ることができた。
運が向いた、世界が整った。
人が、俺を見る目ががらりと変わった。
でも正確には、俺自身の世界を見る目が変わったからだと思う。
教室の電気を消し、廊下に出る。
その足取りは非常に軽い
夜になれば、また教団へ行く。
もうあそこは我が家のようなものだ。
教師としての俺も、
信者としての俺も、
どちらも、神である縁さんが“正しい位置”に導いてくれたんだ。
もし誰かが、「それは盲信だ」の「罪深い」だの、「狂っている」、「彼は神じゃない」と
そう喚いたとしても、俺はこう思うだろう。
――その人は、まだ正しく導かれていないだけだ。
縁さんがいるだけで、
それだけで俺の世界は正しい形を保つ。
神を信じることは、救われることだ。
俺はもう何も、迷わない、疑わない。
-------
【九十九 零視点】
俺が最初に違和感を覚えたのは、穂積先生が九蛇教に入信した瞬間を、この目で見てしまったからだ。
夜の屋敷。蝋燭の火が揺れて、兄さん――縁が跪く穂積先生の前に立つ。
穂積先生は、教師としての顔を脱ぎ捨てたみたいに、膝をついて頭を垂れていた。迷いがない。縁と血を混ぜ合う姿は、まさに九蛇教の信者だった。
……ああ、だめだ、と直感した。
この人はもう引き返せない。
それからだ
学校での穂積先生の様子が、はっきり変わったのは。
相変わらず、表向きは理想的な担任だ。
声は明るく、身振りは軽やかで、生徒の前ではハツラツとしている。
でも、俺には分かった。視線の置き方、間の取り方、言葉の選び方――その突然ついたような自信や余裕すべてが、まるで兄さんを模しているようにも見えた。
それが、どうしようもなく気に食わなかった。
夜になると、その違和感は確信に変わる。
学校から穂積先生を尾行してみると、
穂積先生は当然のように俺の家でもある、九蛇教の屋敷に向かい、当然のように玄関から入っていき、当然のように兄さんの部屋へ向かった。扉は静かに閉まり、朝まで開かない。何をしているのかは、音や気配で分かった。嫌でも理解してしまった。
この2人の毎日のように行われている性行為は、最初は儀式だと思おうとした。
教祖と信者の、特別な交わりなのだろうと。
でも、壁越しに聞こえた兄さんの声で全部が崩れた。
甘く、熱を含んだ、ほかの信者には決して聞かせない耽美な声。教祖としてではなく、
ただ一人の人間として曝け出された嬌声。
聞きたくなかった。
何故かわざわざ聞いてしまう自分の耳を、
引き裂きたかった。
穂積先生は、あまりにも簡単に兄さんの内側へ踏み込んだ。九蛇教の屋敷にどっぷり浸かり、兄さんの言葉を神からの助言だと受け取り、盲信する。それだけなら、数いる信者の一人で済んだはずなのに。
兄さんは、穂積先生を特別視している。
一人の人間として穂積先生に入り込んでいるのが俺には分かるんだ。
穂積一稀という人間は、昼は教師として生徒に囲まれ、夜は生徒の兄を抱く。
積み上げられた道徳心や倫理観はどこにいってしまったのだろうか。もう壊れているのだろうか。
朝、何事もなかったように兄さんの部屋から出てくる穂積先生を見るたび、胸の奥が黒く爛れる。兄さんの匂いをまとったまま、「おはようございます」と、他の信者達に爽やかに頭を下げるその姿が、吐き気がするほど憎い。
兄さんは、何も言わない。
俺が気づいていることも、外で行為の声を聞いているのも全部分かっているはずなのに。
あえて俺に釘を刺してこないのは、脅威だと思われていないからだろう。
たとえ俺が世間に穂積先生のことを暴露したところで、選ばれたのは俺じゃないという事実は変わらない
穂積先生の生き生きとした背中を睨みながら、祈るように、呪うように思う。
どうか、いつかその信仰ごと壊れてしまえ。
兄さんに与えられた愛が、祝福なんかじゃないと、思い知ればいい。
兄さん。貴方は、一体何百人の人に愛されれば、その大きく空いた穴が塞がるのだろう。
きっと、俺一人の愛では塞がらないと理解している。でもいつか、その大きな穴を埋められる人が現れたのなら
その時こそ、この九蛇教の終焉になるんだろう。
舞台の外から物語を見つめる俺はもう
脇役としてこの物語を退場すべきなのだ
--------
----
【九十九 縁視点】
私は物心ついた時から神を演じていた
それを自覚したのは、いつだっただろう。
6歳の時、近所の同じ歳の子が通いだした小学校へは行かせて貰えず、知らない大人や見知った大人が出入りする大きな家に閉じ込められていた。何百年も前から九十九一族が誇るビジネス、九蛇教の信者たちが地に額を擦りつけ、私の適当な一言一言に涙を流すたび、胸の奥が冷えていくのを感じていた。
(馬鹿ばっかりだ)
心の中でそう吐き捨てながら、私は微笑む。
慈愛に満ちた教祖の顔で、彼らの頭上に祝福の言葉を落とす。
彼らは信じている。
私が特別で、神に選ばれた存在で、彼らを導く神の代行者だと。
馬鹿げている。
こんな薄っぺらな言葉と仕草ひとつで、
人生も金も、魂も差し出すのだから。
だけど、信者たちを馬鹿だと見下ろしているはずのこの心は、どうしてこんなにも空虚なのだろう。
愛されている。
崇められている。
求められている。
それなのに、何も満たされない。
自分の胸の奥に大きな穴が空いている感覚に
常に精神を蝕まれていた。
それは痛みというほど鋭くはなく、
かといって慣れることもなかった。
ただ、常にそこにあって、何かを飲み込み続ける黒い空洞だった。
誰かと笑っている時でさえ、
褒められている時でさえ、
胸の奥では風が吹いていた。
冷たく、音もなく。
——自分は、何故ここにいるのだろうか。
その疑問だけが、
幼い頃から離れなかった。
(普通の家にうまれたかったなぁ。普通に学校に通って、友達作って、喧嘩したり、仲直りしたり…みんなと同じことがしたかった。)
普通に小学校に通える予定の弟の頭を撫でながら、ずっとそんなことを考えていた。
「…零は、普通に過ごすんだよ。」
そう幼い弟に言ったけど、
弟は不思議そうな顔で首を傾げるだけだった。
傍から見たらお城のような豪華な家。
信者から徴収している高い月額料金のお陰で
金には困らない。なんなら裕福に暮らしている部類だとは思う。周囲から見れば、不自由のない生活だった。
夜になると決まって目が冴えた。
布団の中で天井を見つめながら、
理由もなく泣く日もあった。
「さみしい」という言葉は、
あまりに軽すぎた。
「虚しい」という言葉も、
どこか他人事のようだった。
私の孤独は、多分、言葉にならない種類のものだった。
誰かが隣にいても消えず、
誰かに触れられても埋まらない。
自分の存在だけが、
世界から少し浮いているような感覚。
——私は、何のために生きている?
その問いに、誰も答えてくれなかった。
答えを持っている人間が、
この世界に存在するようにも思えなかった。
だから私は、
「考えない」ことを選んだ。
空っぽの穴に向き合うと、途方もない絶望に
吸い込まれそうになるから、その代わりに
表情を作り、役割を演じ、人に合わせた。
そうしている間だけ、
自分は“正常”でいられた。
——ああ、これでいい。
孤独や虚しさは欠陥ではなく、神に選ばれた証なのだと。そう母にも言われたことがあった。神に選ばれた私は、無条件で信者を愛さないといけないと。
だから、繋ぎ止めたい人がいたら、身体で繋ぎ止めることも効果があるのだと。
まだ幼い私にそんなことを教えた母は、世間一般的に見ると狂った人なのかもしれない。
《信者を繋ぎ止めるために身体を差し出せ。》
金のために、評判のために、
だから私は、気に入った人や上納金が多い人と何度も何度も身体を重ねた。
16歳の時からは不定期に生理のような出血があったので、念の為避妊をしていた。
そして、最近のお気に入りである教師、
穂積一稀は、今までの誰よりも特別だった。
弟の話をするためだけに訪れたはずの懇談で
一稀は私の目を見てごく自然にこう言った。
「お兄さんこそ、零くんのことを大切に思ってくれているのが伝わりました。」
その一言で、
私の中の何かが微かに震えた。
私はずっと、「役割」としてしか見られてこなかった。そんな些細で当たり前のことを褒められたことなんてなかった。
一稀の声のトーン、会話の間、私への興味、
まるで恋をしているような表情。
一稀と一緒にいると何故か心地よかった。
懇談を終えて廊下に出たとき、
胸の奥にいつもの虚しさが戻ってきた。
でもそれは少しだけ形が変わっていた。
風が吹き抜けるだけの穴の底に、
名前が分からない熱が残っていた。
でも、それはきっと気のせいだと切り捨てた。弟の担任に、特別な感情などもつはずがない。
そう思いながらも、次またあの男に会える日は来るのだろうかと、心のどこかで期待していた。
するとあちらから連絡があり、喫茶店で話をして、我が家に招待した。
まさか、その日に身体を重ねてしまうことになるとは思っていなくて、眠りから覚めた時に一稀の姿が見えないと分かると
何故か酷く気持ちが落ち込んでしまった。
抱き合っていた時は、確かに体も心も暖かくて、満たされた気がした。
だから尚更、肉体が離れた途端心の穴が更に大きくなった気がした。
でも、それだけだ。
この感情につける名前なんて私には分からない。誰にも教えてもらったことがない。
もし彼が他に目移りすれば?
もし私に飽きた顔を見せれば?
――捨てればいい。
信者は替えがきく。
身体を重ねる相手も、崇拝者も、いくらでもいる。
そう思っているはずなのに
夜、一人になると、胸の奥にぽっかりと穴が開く。誰かに触れられていないと、息ができない気がする。
それが愛かどうかは、今でも分からない。
本当は、誰よりも愛に飢えているくせに。
哀れなのは、神や愛を信じる者たちか。
それとも、神も愛も信じられない私か。
しかし、ある日上納金が高い信者と身体を重ねていたとき、いつの間にか来ていた一稀に見られてしまった。
そして予想外のことが起きた
正義感の強い一稀が、殺人という罪を犯したのだ。私を守るために、私が奪われないために。
その瞬間理解した
これは正真正銘本物の愛だと
私のために人を殺した
そんな人今までいなかった
心の穴が塞がる感覚に思わず気分が高揚する
(可哀想な一稀、もう二度と、逃がしてあげない。)
死体を処理することを条件に、一稀は九蛇教へ入信し、これからも教師として働き続けることが決まった。
一稀はますます私に依存するようになった
事後、裸のまま抱き合いながら愛を囁き合う。
それが愛かどうかも知らないまま、
私たちはそれを「救い」と呼んで、抱き合っていた。
-------
【5年後/九十九 零視点】
中学を卒業してすぐ、俺は県外の高校へ進学した。寮生活は思ったよりも静かで、教団も兄の存在も、距離を取ればただの過去になるのだと知った。
そして、遠くの大学に進学する事がきまり、数年ぶりに家へ戻った。
「高校も大学費用も出してもらうんだし顔を出しておこう」という理由からだった。
教団施設の重い扉を開けた瞬間、
空気が違うと分かった。
線香と香油が混じった、あの懐かしくも不快な匂い。でも、信者たちの気配はなく、家は異様なほど静かだった。
いつもの部屋にいた兄さんは、以前よりもずっと穏やかな顔をしていた。そしてよく見ると腹部が膨らんでいた。
「……妊娠、したの?」
俺が恐る恐るそう聞くと、
兄さんは驚くほど嬉しそうに微笑み、
大きくなった腹を両手で包むように撫でた。
そしてその背後に、見覚えのある男が立っていた。
かつて俺の担任だった、穂積一稀。
彼は、兄さんの細い肩にそっと手を添え、
腹を撫でる兄を包むように寄り添っていた。
視線が合うと、穂積は柔らかく微笑んだ。
兄を見つめる目は、愛しい人を見る目だった。
「うん、妊娠したんだ。両性具有者の妊娠率は極めて低い。月のものもたまにしかこなかったしね。…まさに奇跡だよ、零。神からの祝福だ。」
兄さんの声は異様に弾んでいた
マタニティハイというやつだろうか
2つの性をもつ神が妊娠する。
信者達にとってはらそれはもう想像できないほどの祝福であり、神話になるような出来事だった。
「この子はね、大きくなったら信者を導いて、教えを伝えて、皆を幸せにする役目があるんだよ。」
穂積は何も言わない。ただ、兄さんの肩に触れる指先を、ほんの少しだけ強めた。
「私は……もう十分頑張ったから…これからは、一稀と一緒に普通に幸せになりたい。」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かがすとんと落ちた。
ああ、と俺は思った。
結局同じだ
生まれてくる子を信者に世話をさせ、
自分たちは“親”という役割を放棄し、
二人で愛し合うだけだ。結局お互いのことしか見ていないのだ。
幼い頃から兄さんや俺を置いて、家にいなかった母と何一つ変わらない。
母と違うのは、兄さんには支え合う相手がいるというだけだ。今までは誰も、神と崇められる兄さんの苦痛に向き合ってくれはしなかった。兄さんと先生は、傍から見ても確かに愛し合っていた。疑いようもなく、幸せそうだった。
だからこそ、尚更救いがなかった。
損な役割を請け負う偽りの神が、
「自分」から「子ども」に変わっただけ。
怒りも、悲しみも、もう湧いてこなかった。
兄さんの腹に宿っているのは奇跡なんかじゃない。
ただの——負の連鎖だ。
家を出るとき、背後から兄さんの声が聞こえた。
「零、また帰ってきてね。」
その隣で先生が同じ表情で微笑んでいた。
俺はもう、振り返らなかった。
振り向くな、 後ろに希望は無い。
あるのは、誰かの犠牲で成り立つ救いのない地獄だけなのだから。
この教団には、最初から神などいない。
【END】
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