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第二章「気力を取り戻せ!」

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 ──泣かせてしまうとは何事か!
 
 昨夜ククーナを泣かせてしまったオマットはとてつもない不安に襲われていた。
 
 それはそうだろう、彼にとって彼女は未だ道の存在。何が地雷で何がトラウマなのかも思い出ワードは何なのかも分からないのだ。
 踏むなと言われる方が無理である。
 幸い、彼がやったことは心に響く言葉を投げ掛けたから感動して涙を誘っただけ。だけなのだが、ククーナがああした涙を流すことなど今までに無かった為、彼の中で衝撃は何度もあった。
 何度もあったということは何回も雷雨を呼んだということ。
 
 その証拠に、外はまだ雨が降り続けている。
 
(しかし……あの言葉で泣いたということは、前世への未練、もしくは後悔があるのだろうか)
 
 ここがゲームの世界だと知っても尚、オマットはこれまで違和感を拭いきれずにいた。
 自分が生まれ育った環境や知り合ってきた人々は一体何だったのだろうと失望する思いもあれば、作り物だというには皆等しく個々の人生を歩んでいる……といった現実と同じ側面を、どう受け止めれば良いか分からなかったのだ。
 彼女からすればその苦悩を逆にした逆転現象が起きているのだろうとも理解している。
 加えて、帰れないという点。
 
 この点に関して悔しさを感じているのは反応を見て予想がついても今後振れて良いのか悪いのか、決めかねていた。
 
 優しいご夫妻に出会えたのは運が良かった。
 そうでなければ、今頃こうして考える時間も無かっただろう。
 
 オマットはククーナが起床するのを待ち、いつものように持ち抱えて部屋の扉へ手にかける。
 狭い廊下から居間へ出ると朝食を作っている女性の姿が見えた。
 
「あら、おはよう」
「おはようございます、昨晩は夕食までいただいて。なんとお礼を言ったらいいか」
「良いのよ。そんなの気にしないで」
 
 テーブルへ近付いて目線をやると、どうやら朝食も作っているらしく四人分の皿とコップが置かれているのが分かる。
 特に気に留めず作るその姿から察するに、大方「賑やか」というのを好む傾向があるのだろう。だからと言って黙ってもてなしを受けられないのがオマットという男であった。
 彼は喋る気力の無い脱力したククーナを椅子に座らせ、まるでこれから戦場にでも行くのかという真剣な面持ちで一歩前へ出る。
 
「そういう訳には……何かお手伝い出来ることはありませんか」
 
 あまりに真剣すぎる表情に笑いを誘われたのか、それなら、と笑顔で「名前をまだ聞いていなかったから、名前を訊かせてくれる?」と華やかに応えてくれた。
 手伝いになるとは思えなくとも、彼にとって名前を名乗っていなかったのは礼儀として恥ずべき問題だ。
 
「これは失礼しました、私はテド。彼女はマリーです」
 
 テーブルに突っ伏している無気力さを感じ取りちゃっかり代弁するオマット。
 内心ガッツポーズを取っているククーナは「このまま任せよう」と傍観者になることを決意。既に目を閉じている。
 
「二人とも良い名前ね。私はノース、夫はルナードよ。今彼は薪割りをしているけど、もうすぐ戻ってくると思うわ」
 
「ルナードさんは木こりの職に?」
「ええ。至って平凡な家庭でしょう」
 
 石像や彫刻が多く集まるこの国では、木彫りなどの彫刻家が多い。故に石材や木材は需要が高く、木こりなどの資源を調達する職に就くのが一般的なのだそう。国民達の大多数は健康と美容に厳しい為、美容を重視したものが数多いのだとか。
 肌プルンプルン像も美しくなれる像もモデルは美容に貢献した者らしい。
 話を聞いている最中に眠気から滑り落ちそうになっているククーナをさりげなく支える。出来上がった料理を運んでいる最中に見え、微笑ましかったのだろうか。くすりと笑いながら視線を寄越す。
 
「彼氏さんに大事にされてるのね、マリーちゃん」
 
 設定とはいえ恋人として映っていることを改めて認識したオマットはあっという間に熱が昇る。
 動揺している少年に悪戯心が芽生えたノースはからかうようにして言った。
 
「きっとマリーちゃんは結婚してからも旦那さんに甘えちゃう性格なのね」
「……け、……!?」
 
 熱が上がるに上がる一方だったが、現状を真面目に考えて落ち着く。
 
 ──今の状態だと殿下と結婚するのだろうな……。
 
 前世で実の弟だった者との結婚、それは兄や姉がいるオマットにとっては想像しやすい範疇だった。
 兄は熱血漢で、一言で言えば脳筋。
 姉は癖のある性格の持ち主で、とにかくねちっこい。気になったら追及の手を止めないのでよく茶会で令嬢達から恨みを買っており、令嬢との口喧嘩は後を絶たない。
 恐らくククーナの言う弟と近いのは、オマットの場合姉の方であることは容易に想像がついた。
 あの折り合いの悪さと犬猿の仲のような、後日にちゃっかり和解しているような何やかんや家族として互いを認識しているあの関係性で結婚。
 
 複雑すぎる。
 
 この前提がある限り、恋慕を抱く可能性は無い考えた方がしっくりくる。血の繋がりの無い義姉弟だったらまだしも、実の姉弟だったことを考えると……あの結婚への拒絶反応は納得しかない。
 
 現世で幾ら他人と言えど、どの道ククーナも同じ皇族の血をうっすら引いている。そのこともあってか皇太子への複雑すぎる感情は倍増しされているのだろう。
 生きる気力を完全に失う前にどうにかしなければならないのだが、先に皇帝の戯れを解決せねば身動きが取れない状態なのも事実だ。
 苦い顔をしているオマットにノースは告げた。
 
「恋に試練は付き物よ」
「……試練が多すぎて、何から手を付ければいいのやら」
 
 ゲームのこともシルヴィのことも含め課題は多い。
 これら全てを試練と呼ぶなら、乗り越えてはいきたいが──大丈夫だろうか。
 不安を隠さず遠くを見やる。
 
「……まだ迷いがあるのね。結婚が不安なら、まだ恋人でも良いんじゃないかしら。テド君にとってマリーちゃんはどう見える?」
「……そうですね……マリーは」
 
 ──小動物? いや、どちらかというと野生が死んだ猫?
 
 少女があまりにも怠けすぎた結果、オマットの中で彼女の印象は「庇護欲を掻き立てる野生が死んだ小動物」になりつつあった。
 そんなことはつゆ知らず、ククーナはまだ夢の中に羽ばたき飛んでいる。爆睡である。
 
「……小動物が一番近いと思います」
 
「まあ……確かに可愛いとことかスライムにそっくりよね」
「いえ、スライムではなくこの顔つきはどちらかというとチルドレンジュニア(※リスのモンスター)……」
「ああ……」
 
 本人が寝ている間に本人に似ているモンスター談義が開催されていたが、肝心の少女は一向に起きる気配すら無い。
 朝食の準備も終わった頃、ルナードが玄関の扉を開けて帰ってくる。
 
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま。それとおはよう旅人君」
 
「おはようございます。テドと呼んでください、こちらはマリーと……マリー」
 
 肩を揺さぶって起こすと「──グッズ!」という謎の掛け声、謎のポーズと共に目を覚ました。
 あまりの妙な起き方に全員笑いを堪えていたのは言うまでもない。
 
「っ……ま、マリー?」
「……あ、おはようございます」
 
「こちらのご夫妻はノースさん、ルナードさんと言うそうだ」と寝起きで聞いてなかったククーナへ教え、一通り自己紹介を済ませる。
 朝食を食べ終わり、これからどうするかと悩んでいたオマットだったが、ガーラ帝国の情報があるか確める為に町へ行くことにしたようだ。
 ククーナは居座る気満々で、食べ終わっても動くこともなく連れていこうとしても嫌がった。
 
 これに困っていた彼は「何泊も泊まるのは流石に」と勿論説得を試みた。
 しかし、なかなか動かない少女。
 見かねたノースとルナードが「この国にいる間は居てもいい」と助け船を出したのだがこれには流石のオマットも疑問を抱く。
 
 見ず知らずの者に、あまりにも親切すぎやしないかと。
 
 疑問を抱きつつも無気力を発揮している公爵令嬢の為を考えると別行動が妥当だろう──そう考えた彼はククーナをノースに任せ、城下町の案内をルナードに頼むこととなった。
 
◆◆◆
 
「マリーちゃんは甘えん坊さんなのねえ」
 
 膝枕を頼んだ訳ではないけど、結果的にそうなった。
 怠惰にごろごろ暮らそうと思ったらそうなっていた。多分あれ、床でごろごろするのは頭が痛くなりそうだと心配して膝を提供してくれたんだとは思う。
 
 極力外出たくないし暫くさんの家で暮らせば良いのでは? なんて考えていたらすんなり通ったのも驚きの連続だった。
 突然訪問して「泊めて!」「いいよー」なんてしてる友達あるあるな気分を味わっている私の前に、颯爽と菓子を勧めてくるさん。
 一口パクッと顔だけ動かして咥える。
 
 これは……レーズン……!
 
 レーズンの甘みに負け咀嚼を止めると、私が朝食を食べきれていなかったことを気にしていた彼女が言う。

「ちゃんと食べてるの? 普段からあまり食事、とっていないんでしょう。今の内に食べておきなさい」
 
 ママン。ママンみたいさん。
 食べやすく工夫のされたスコーンを食べるよう促され渋々口をつけていく。
 最後の一口を飲み込むのも辛かったのは喉が細いとかそういうあれなんだろうか。どんだけ細いの※自業自得
 極端に華奢だから受け取られ方次第では栄養不足と捉えられてもおかしくはない。実際、さんは栄養が不足していると考えたようで私の上体を起こし、目の前に緑一色の飲み物を勧めてくる。
 
 こ、これはまさか……あの宣伝が多すぎて嫌になるあれ……!

 予想が当たり彼女は言った。
 
「これはコラーグ王国に代々伝わる健康の神器、青汁よ……今のマリーちゃんでもこれを飲めば健康へ近付けるわ」
 
 確かに食べるよりは楽だけど。
 でも味が嫌。
 首を何度も横に振ると真剣に問われる。
 
「骨が弱りすぎてすぐ折れるのと、骨がそこそこ丈夫でそこそこ耐えるの、どちらがいい?」
 
「どっちも嫌です」
 
「…………」
「…………」 
 
 両者無言になり、訪れる静寂。
 何を隠そう「健康的なこの人」と「不健康な私」ではそもそも価値観が違うのである。
 食事をするのも面倒臭いのに健康に気を使えるかというと、無理。無理一択。だというのに何故この人はここまで頑なに野菜を手に持ってじりじり顔に近付けてくるのだろう。
 迫る野菜と青汁に危機感を抱く。
 
「不健康な環境下にいたんでしょうマリーちゃん……安心して。私達が保護するから」
「────?」 
 
 何か盛大に勘違いをされているような。
 ひょっとしてあまりにも私が細すぎてDVD? を疑ったとか?
 バカップルを演じていたのにそうなるということは、私達には演技の才能は無かったんだろうな。
 自身のド下手演技を噛み締めながら訂正する気力問題をどうしようか考えた。
 
 しかし気力が沸かなかったのでとりあえず質問する。
 
「何かトラウマ……過去に似たような経験でもあるんですか?」
「無いわ」
 
 無いんかーい。
 るうがこの場にいたらハリセンで突っ込んだことでしょう。
 
「ただ……貴方を保護しなきゃ健康面が不安なの。それだけよ」
 
 え、でも他にも理由ありますよね?
 純粋に疑問だった為そのしつこさについて言及する。 

「単に、私を子供の代わりにしたいとか、娘に似てるとかそういうのじゃないんですか? 空き部屋の一つは多分、子供部屋ですよね。二人で暮らすには部屋が多いし大きいので」 
 
 賑やかじゃないと夫婦揃って落ち着かないというのは元々子供がいた家庭だったからかなと思っていたのだけど、正解だったみたいだ。
 虚を突かれた表情を浮かべ、こちらを見ている。
 
「……よく分かったわね」
 
「で、私がその子供に似ていたなら引き留めようとしたり保護したりも納得かな、なんて。娘さんだったんですか」
 
 頷くなり根掘り葉掘り訊こうとしていなかった事情を何故か詳細に話してくれた。
 
 恋愛結婚で幸せの中、子供を授かり育ててナンナと同じくらいの歳まで成長した頃。
 娘さんは反抗期を迎えこの国の「美容と健康」という根深い執念に反抗心を抱いたそう。ハーンさんとさんは美容と健康信者だった為それはもう大反発。喧嘩が多くなり遂に娘のやりたいようにすれば良いと何も口出ししなくなった。
 その結果、娘さんは栄養失調により不健康な身体になり病気にかかって死んでしまったらしい……何とかしようとしたものの、もう手遅れで、直せる見込みも無く亡くなった。
 その後悔があるからこそ私に対して「次は失敗しない」と健康を無理矢理勧めているんだそうで。
 
 ──聴いて欲しかったのだろうか。今ので数分は流暢に口を動かすという多大なる労力を使っただろうに。
 
 そこまで話してもらったところで訂正する気力が出たので訂正する。
 
「あ、そうなんですね。因みに私達仲良いし、むしろ彼は立派なパシ……食事も取るように勧めてくる優しい人ですよ」
 
「……えっ?」
 
 ポカーンとした顔のまま微動だにしなくなったハーンさん。
 私、言うタイミング間違えたんだろうか。
 
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