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第五幕 リボン
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雨が降りだした。
当初は小雨だったが、やがて本降りになった。
冷たい空の雫が、静かな町を濡らしていく。
「よく降るわね」
ぽつりとデルーシャが呟いた。
一行が身を潜めたのは、寂れた一件の貸し別荘だった。家主がいなくなって久しいのか、内部はかなり痛んでいた。
町の郊外には、このような廃れた別荘が何件か放置されている。避暑地の裏の顔だ。
デルーシャとオリエスは、ぼろぼろのソファに座り、体を寄せあっていた。
セカイは椅子に座ったまま、左手で一本の竜剣を弄んでいた。
かつて、シジュリアという名の女が持っていた竜剣。出会い、そして死んだ女。
オリエスが、そんなセカイの仕草を不思議そうに眺めていた。
「何か用?」
セカイが睨みつけると、オリエスは慌てて母の陰に隠れた。ミランとはすっかり打ち解けたようだが、義姉とはまだまだのようだった。お互いに。
そのとき、家のなかに鈍い音が響いた。
「何……?」
外の壁に、何かがぶつかったようだ。
三人の顔に緊張が走る。
追っ手か。
「…………」
しばらく息を殺していたが、それきり物音は聞こえてこない。
母に口を塞がれていたオリエスが、じれったそうに、もがいた。
セカイは戸を少しだけ開け、表を覗き込んだ。
「!」
家の壁に、血みどろの男がもたれかかっていた。胸から腹にかけて鋭利な刃物で斬られている。
男がセカイに気付き、顔を上げた。
「……おまえは、だれだ?」
「ここの住人に決まってるでしょ」
「人が住んでるとは聞いてなかったが……」
「……雨宿りで借りてるだけよ」
「そうか。なら、そういうことにしておこう」
どうやらこの男も、ここが空き家と知っていて、潜り込もうとしていたらしい。
「追われてるの?」
「さて、追ってるのか、追われてるのか」
男は体を起こそうとして、苦悶の声をあげた。
「無理すると死ぬわよ」
「邪魔をした。どこか別の……」
言いかけて咳き込む。走り続けたせいで、喉が乾燥しているようだ。
「入りなさい」
セカイが戸を開けた。
「いい…のか?」
男が目を見張った。
「この辺りをうろちょろされると、こっちも迷惑なのよ。早く入って」
「……肩を貸してくれると、ありがたい」
「嫌よ、返り血が付くもの」
男は苦笑を浮かべると、ふらつきながらなかに入ってきた。
居間には誰もいない。デルーシャ母子は、奥に隠れたようだ。
男は古いソファに倒れ込んだ。
「……おまえ一人か?」
「そうよ」
「すまない。落ち着いたら、すぐに出ていく」
「その前にくたばるんじゃないかしら」
「……フッ」
男は失笑した。
笑えない冗談だ。
そのとき、ちらりとセカイの右手が目に入った。セカイもそのことに気付いたようだが、お互いに何も言わなかった。
「水を貰えないか?」
セカイは無言で席を立つと、自分の荷物から水筒を取りだし、男に手渡した。
男は受け取ったが、苦笑を浮かべた。
「蓋を開けてくれ。腕に力が入らないんだ」
「注文が多いわね」
「元気になったら、酒でも何でも奢ってやるよ」
「それ、忘れないでね」
セカイは手を伸ばし、水筒の蓋を開けてやった。
男はひと口、水を飲んだ。
脂汗が滴り落ちた。必死で痛みを堪えているのだろう。
オリエスが、隣室の戸の陰から、居間の様子を覗き込んでいる。セカイが男に気付かれないよう、さりげなく近付き、母のもとへ追い返した。
「いいと言うまで、出てきちゃ駄目よ」
「……うん」
セカイは何食わぬ顔で居間へ戻ると、男の手から水筒をひったくった。
男は薄目を開け、セカイが水筒の水で喉を潤している様を、不思議そうに眺めていた。
「……俺が、怖くないのか?」
「怪我人が偉そうに」
男はまた苦笑して、痛みに呻く。
「もし俺が襲いかかったら、どうするつもりだったんだ」
「殺してたわ」
「……おっかない女だな」
この少女なら、本当にためらいなく殺すだろうな。男は確信していた。そしてそれは、不快なことではなかった。
「俺の名は、イレハンドルだ」
この少女には、名乗っておきたかった。
「ふうん」
興味なさそうな相槌が返ってきた。が、それもまた不快ではなかった。
当初は小雨だったが、やがて本降りになった。
冷たい空の雫が、静かな町を濡らしていく。
「よく降るわね」
ぽつりとデルーシャが呟いた。
一行が身を潜めたのは、寂れた一件の貸し別荘だった。家主がいなくなって久しいのか、内部はかなり痛んでいた。
町の郊外には、このような廃れた別荘が何件か放置されている。避暑地の裏の顔だ。
デルーシャとオリエスは、ぼろぼろのソファに座り、体を寄せあっていた。
セカイは椅子に座ったまま、左手で一本の竜剣を弄んでいた。
かつて、シジュリアという名の女が持っていた竜剣。出会い、そして死んだ女。
オリエスが、そんなセカイの仕草を不思議そうに眺めていた。
「何か用?」
セカイが睨みつけると、オリエスは慌てて母の陰に隠れた。ミランとはすっかり打ち解けたようだが、義姉とはまだまだのようだった。お互いに。
そのとき、家のなかに鈍い音が響いた。
「何……?」
外の壁に、何かがぶつかったようだ。
三人の顔に緊張が走る。
追っ手か。
「…………」
しばらく息を殺していたが、それきり物音は聞こえてこない。
母に口を塞がれていたオリエスが、じれったそうに、もがいた。
セカイは戸を少しだけ開け、表を覗き込んだ。
「!」
家の壁に、血みどろの男がもたれかかっていた。胸から腹にかけて鋭利な刃物で斬られている。
男がセカイに気付き、顔を上げた。
「……おまえは、だれだ?」
「ここの住人に決まってるでしょ」
「人が住んでるとは聞いてなかったが……」
「……雨宿りで借りてるだけよ」
「そうか。なら、そういうことにしておこう」
どうやらこの男も、ここが空き家と知っていて、潜り込もうとしていたらしい。
「追われてるの?」
「さて、追ってるのか、追われてるのか」
男は体を起こそうとして、苦悶の声をあげた。
「無理すると死ぬわよ」
「邪魔をした。どこか別の……」
言いかけて咳き込む。走り続けたせいで、喉が乾燥しているようだ。
「入りなさい」
セカイが戸を開けた。
「いい…のか?」
男が目を見張った。
「この辺りをうろちょろされると、こっちも迷惑なのよ。早く入って」
「……肩を貸してくれると、ありがたい」
「嫌よ、返り血が付くもの」
男は苦笑を浮かべると、ふらつきながらなかに入ってきた。
居間には誰もいない。デルーシャ母子は、奥に隠れたようだ。
男は古いソファに倒れ込んだ。
「……おまえ一人か?」
「そうよ」
「すまない。落ち着いたら、すぐに出ていく」
「その前にくたばるんじゃないかしら」
「……フッ」
男は失笑した。
笑えない冗談だ。
そのとき、ちらりとセカイの右手が目に入った。セカイもそのことに気付いたようだが、お互いに何も言わなかった。
「水を貰えないか?」
セカイは無言で席を立つと、自分の荷物から水筒を取りだし、男に手渡した。
男は受け取ったが、苦笑を浮かべた。
「蓋を開けてくれ。腕に力が入らないんだ」
「注文が多いわね」
「元気になったら、酒でも何でも奢ってやるよ」
「それ、忘れないでね」
セカイは手を伸ばし、水筒の蓋を開けてやった。
男はひと口、水を飲んだ。
脂汗が滴り落ちた。必死で痛みを堪えているのだろう。
オリエスが、隣室の戸の陰から、居間の様子を覗き込んでいる。セカイが男に気付かれないよう、さりげなく近付き、母のもとへ追い返した。
「いいと言うまで、出てきちゃ駄目よ」
「……うん」
セカイは何食わぬ顔で居間へ戻ると、男の手から水筒をひったくった。
男は薄目を開け、セカイが水筒の水で喉を潤している様を、不思議そうに眺めていた。
「……俺が、怖くないのか?」
「怪我人が偉そうに」
男はまた苦笑して、痛みに呻く。
「もし俺が襲いかかったら、どうするつもりだったんだ」
「殺してたわ」
「……おっかない女だな」
この少女なら、本当にためらいなく殺すだろうな。男は確信していた。そしてそれは、不快なことではなかった。
「俺の名は、イレハンドルだ」
この少女には、名乗っておきたかった。
「ふうん」
興味なさそうな相槌が返ってきた。が、それもまた不快ではなかった。
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